第3話 ベースキャンプ
帰りはいつもピクニック気分だった。前の世界のように帰還中を襲われるということはない。
ダンは今、ノーラの所属する王立レンジャーギルドの隊員だった。レンジャーギルドはこの『カルラの樹海』を守護する者たち。かなりの規模の組織で、複数の班で森を守っている。
調査隊と呼ばれるレンジャーを除き、森を守る為に森の中で活動する実働部隊は四つ。
森を駆け回り、異常をいち早く知らせる哨戒班。
森の境界に結界を張り、外からの魔法的な蝕みを抑えると共に哨戒班へ侵入者の形跡を知らせる結界班。
外から侵入した悪性幻獣を排除するための害獣駆除班。
そしてノーラとダンたった二人しかいない、対密猟者班だ。
「はぁ、ようやく帰ってこれた」
森を抜け、ポッカリと開いたその地には多くの人工物があった。木組みのログハウスが立ち並び、いたるところにテント……とは呼ぶに憚れる巨大な建物が並んでいる。
工房から金槌を叩く音や、酒場兼食堂からは様々な喧騒の声。主街道などは縁日のよう。行き交う人も人間やエルフ、ドワーフやハーフリングなどなど人種が様々だった。
ベースキャンプと称されるこの前線基地は、最初こそごくごく小規模だった。だがこのカルラの樹海を保護、研究及び調査が本格化されると一気に街のような有様になってしまったらしい。
「相変わらず賑やかだ。私としては、もっと静かなところにいたい」
「なーに言ってんのダン。人がいるってことは繁栄があるってことだよ」
「ここは森を守る為の詰め所ではなかったのか? 繁栄は関係あるのか?」
「おおありよ。森を守る為にも、ここに来る各国の調査団とか、科学者とか研究者が落とすお金が大切だからね」
この『カルラの樹海』は世界に数少ない聖獣の生息地だからこそ、各国から調査団が派遣されている。レンジャー達は彼らを安全に導きつつ、かつ監視をする役目も持っていた。
当然外国から派遣されると言うことは、この山岳国家マグメイルに許可を取るということ。故にこのカルラの樹海は政治的にも収入的にも、この国にとって最重要な場所なのである。
「なんとも、ちゃっかりしているな」
「全部維持費に回せて、森も美しく、それでいてちょっぴり私達も潤う。いい事ずくめよ」
確かにそれは合理的かもしれない。だがダンはどこか腑に落ちないでいる。
「……森を食い物にしているのはどっちなのだろうな」
「子供みたいなこと言って。守る為にはお金も必要なのよ」
人並みを泳ぐように進み、暖簾をくぐったのは『統括本部』の看板が掲げられた場所。受付には様々な所属のレンジャー達がカウンター前に並んでいた。
レンジャーたちはノーラと、その後ろに控えるダンを見るやサーッと横にどいて道を譲っていた。彼らはどことなく、ダンへ畏怖の念に近いものを向けていた。
「慣れないな」
「もう半年でしょ? 気にしすぎると体に毒だと思うわ」
ノーラは全く気にすること無く、受付カウンターへ向かう。ドカッと載せた布袋からは滴る血。生々しいそれに、他のレンジャーたちは一様に息を呑んだ。
「にゃー! ちゃんと列に並んで来るにゃ! ノーラちゃんはいつも列に割り込むにゃ!」
丸メガネを外してフーッ! と唸るのは猫族の受付嬢だった。
「別に割り込んでるわけじゃないのよピノー。みんながどいちゃうんだもの」
「それでも駄目にゃ! もう他のみんなもノーラちゃんに遠慮しすぎなのにゃ! 貴族の娘だかなんだか知らにゃいけれども、駄目なものは駄目にゃ! ……あ、ダンしゃまはいいにゃ」
にゃふーん、と。
ゆるふわボブの青髪の上にぴょこんと生えた耳が、ピコピコと忙しなく動いている。全力の可愛い顔をダンに向けて、あざとく上目遣い。バチバチに彼を意識していた。
「なんでダンはいいの?」
「そりゃピノーはダンしゃまが大好きなのにゃ。黙って凄い仕事する良い男なのにゃ。贔屓するのにゃ」
相変わらずだとノーラは嘆息した。この露骨な贔屓に周囲も「またかよ」と肩を竦めるほどである。
猫族と一口に言っても色々いる。クールにお高くきめるものもいれば、ピノーのように極端に情熱的なのもいる。
「ノーラちゃんはズルいのにゃ。こんなイケメン横にはべらせてズルいのにゃ!」
「そ、そういうんじゃ……も、もう! ダンからも言ってやって! この猫娘話が通じないの!」
「な~~~~に正妻ムーヴかましてるのにゃ! そこ代われにゃ!」
「ピノー嬢。皆が迷惑そうにしているからな。簡単に済ますことはできるか?」
「あ、ハイにゃ。もちろんにゃ! どれどれ……」
ピノーはダンへ意味ありげなウインクを投げると、血の滴る袋を躊躇無く開ける。そこから出てきたのは破れたマントや鎧にあったエンブレムだった。
「また貴族の密猟者なのにゃ? 最近多くにゃい?」
「ああ。そいつらはアースドラゴンを密漁しようとしていた。五、六人のうち三人は屠った。主犯格は足を吹き飛ばした後、大地の怒りに食われたよ」
屠る、という言葉に受付周辺が少しだけ凍りついた。この王立レンジャーギルドはあくまで太古の森の保護活動が目的だ。実働部隊がいるとはいえ、ほとんどが非戦闘員なのだ。
何かの命を奪うという点では悪性幻獣を倒す害獣駆除班もそうだが、人を撃ち殺すのは彼らだけ。それもまたカルラの樹海を守るには必要なことだとは理解しつつも、ダンとノーラの仕事に抵抗感を持つものは少なくないのだ。
ただピノーについては特段そんな事を気にしている様子は無い。血がついているエンブレムを嫌がる様子も無く、虫眼鏡でまじまじと調べている。彼女が妙に肝が座っているのは従軍経験があるからと、専らの噂である。
「この紋章、たしかに上級貴族のものですにゃ。あとで詳しく照合したのち、しっかりと苦情と上申をしておくにゃ」
なかなか強気の言葉だ。平民でありながら、貴族であっても堂々と文句を言い、お上にしっかりと言いつけると言うのだ。
無論普通の環境保護団体ならそうもいかないだろうが、ここは王国に認められ、名前に「王立」を許された正式な組織。下手な役所よりもその位も力も強い。
「それにしても、ノーラちゃんたちのお蔭でだいぶクソ貴族共にモノ言えるようになったのにゃ。そりゃ、みんな身内の恥は隠したいものにゃよね。にゃふふふふ」
ピノーが悪い顔をしてニヤニヤと笑った。ダンが周囲を見ると、他のレンジャーたちもまたニヤリと悪い笑顔を浮かべている。
「私はこの国に来てここしか知らないから、貴族に対してピンとこないのだけれどもな」
「それでいいのにゃダンしゃま。好んで便器に顔を突っ込む必要はないのにゃ。この国は貴族に対してけっこうなアレを抱えているからにゃ~」
「ちょっと、目の前の貴族の娘にそれ言う?」
「ノーラちゃん家は特別にゃ。ご当主しゃまもどっちかといえば平民にゃし。それにこの国で一番の飲んだくれにゃし」
「ああ、それは否定できないわ」
ドッと笑いが起こる。ノーラの家の事は他のレンジャーたちも良く知っているようだ。ノーラもまたそう言われて怒る気は無いようだった。
「ほらほらクエストノートにサイン書いてとっとと出ていくにゃ。あ、ダンしゃまはずっと横にいてくれていいにゃ。できればウチの部屋で、ザラザラをずっと触らせてほしいのにゃ」
「勝手にサカらないでよ! はいこれ!」
サインをさかさかと書いて、書類を掲示板に貼るようにしてピノーの額へとつきつけるノーラ。いきなり視界が塞がった彼女は「にゃにゃにゃ!?」と慌てながら、だがしかししっかりとあざとい仕草を忘れない。視界不良の中ダンへアピールを欠かさないとは、最早筋金入りである。
「いこ。冷えたエール飲みたいし」
ノーラがダンの腕を引っ張って外へ出てゆく。レンジャーたちは再び、二人に道をゆずるようにして道をあけていた。