第1話 森の守護者たち
数ある作品の中から選んで頂きありがとうございます。
追放された狙撃手の異世界ライフ、どうぞご堪能下さい。
――貴様は、まるでトカゲのような猟兵だ。
スコープを覗きながら、男は元上官の言葉を思い出していた。
もし「名実共にトカゲ男になりました、少尉殿」と、この顔で尻尾をゆらめかせたらならば、彼女はどんな顔になるのだろうか。
二つ名と共に凄腕と言われたことはあったが、彼は自分をそんな風には思ったことは無かった。
自分はただの狙撃手。少しだけそのセンスがあっただけ。風を読んだり、地の理を読み解くことができたり。
スコープの目盛を使ってすぐに距離を割り出すことができたり。そういうセンスがあったから、なったまでのこと。
何かの物語のように英雄であるわけでもない。殺害数も、伝説と言われた同業者には遠く及ばない。名前のない狙撃手ジョン・ドゥ。男は、それで満足していた。生前までは。
「ダン、ダン?」
ダンと呼ばれた男は、ゆっくりとスコープから目を離す。彼を呼んだのは、風になびく金の髪が美しい女。人間離れした美貌は目が覚めるようだ。相変わらずコスプレなのか軍服なのかわからない、アースカラーの少し肌が露出した装い。
彼女曰く、これがエルフの狩猟装束なのだと言う。
エルフ。
そんなものが存在するなどとは。ダンはここに来るまで思いもよらなかった。
戦場の合間に読んだ少年向けのファンタジー、あるいはそういうコミック。その中に出てくる美しき森の人。それが今、自分の横で彫金装飾の望遠鏡を覗いている。
未だ信じられないが、信じるしか無い。今更だ。そも、この世界に飛ばされ、あまつさえ自分の体がこうなってしまったのだ。受け入れる他ないだろう。
それでも自分は、この不思議なの世界で形は違えど狙撃手をしている。まったく、己の因果とは――と、彼は自嘲した。
それを見て、少女のような顔立ちの相棒ははてなと首をかしげる。
「おかしいことでもあったの?」
「いや。そうじゃないんだ」
「おかしな人。いつもの事だけど」
「考え事をしていたのだ。すまない、集中しよう」
「貴方が仕事中に考えことをするなんてね。顔にムカデが這っても気にしないくせに」
「戦いとなればそうもなる」
「おまけにこんなに綺麗なエルフが横に添い寝しているのに、顔も赤くならないなんて」
「仕事中だし、寝ているわけではない。それに」
「それに、赤くなる肌は無いって?」
絹のような肌触りの手がダンの顔を撫でる。いたずらっぽく笑う彼女にダンは顔をしかめて、再度スコープを覗き込んだ。
「怒らないでよ」
「怒ってないさ――ノーラ、そろそろ集中する時間だ。鳥が騒がしい。来るぞ」
ダンは銃を握り直す。この魔法と幻獣の世界にも、ボルトアクション式ライフルがあるとは僥倖だった。
木製のストックで、元の世界にはない鋼鉄を使っているというこのライフル銃。形としては近代スナイパーライフルと引けをとらない傑狙撃銃、ウィンチェスターM70と同じシルエット。これが意外と使える上に、妙にしっくりと来た。
ダンの脳裏にがははと笑うドワーフ親父の顔が浮かぶ。この銃の名は、『サラマンダー85』と言うらしい。彼曰く、お前さんもトカゲなのだから、ちょうどいいと。
極彩色の鳥が逃げるようにして木々から飛び立った。獲物は近い。
見下ろしているのは谷のような窪んだ場所で、底は木々も何もなく草だけが生えている。つまり、ここには腹ばいになって動く巨大生物がいることを示していた。
「振動がする。来たよ」
「揺れが大きい。これでは伏射が役に立たないな」
ダンはすぐに起き上がり、膝立ちになって銃を構えた。ノーラは金の望遠鏡を覗き込みながら手を輝かせる。ダンは今でもそれが手品か何かかと疑っているが、それはまさしく魔法と呼ばれるものだった。
「距離五百メイル。さっきみたいな右からの風はなし」
「君で言う、シルフが驚いて逃げた……ということかな? 確かに風が止んだな」
カチカチとスコープのノブを回す。
着弾点を修正して、来るべき敵に備える。
やがて現れたのは巨大なワニ形の生物だった。体は金属に似た鉛色の鱗を纏い、全長は二〇メートルほど。列車一両くらいのサイズが身を捩りながら這いずって逃げている。
「酷い。アースドラゴンの体中に龍狩りのハープーンが刺さってる」
「狩りにしては下の下だ。嬲ることが目的か」
「絶滅指定種にもなっているのに。どうしてこんな事をするの!?」
ダンにはなんとなく察しがついていた。ダンが今まで見てきた『人間の糞』といえる人間たちは、大抵ああいうことをする。
見たところあのアースドラゴンとやらは、威圧感があるものの鈍足で――何より、おとなしそうな顔をしている。狩りやすく、トロフィーにしやすいとあれば下劣な輩の外道の慰みに、言い換えればお遊びの的になるのも道理だった。
だがここは禁猟区。
幻獣たちの最後の楽園。
外の世界で許されたとて、ここでは死罪を持って償うべき大罪。
やがて下劣な輩たちが姿を現す。いかにもといった鎧を身にまとい、嘲笑いながら銃を撃つ貴族風の男。大口径銃を下手くそに構え、ろくに狙いもつけぬまま発砲。とてもではないが見てはいられない。
だが大柄なアースドラゴンのどこかには当たる。鱗は砕け散り、血飛沫が飛ぶ。貴族風の男は下卑た笑いを浮かべ、お付きのハンター達も付き合って笑っていた。
「どれからやる?」
「決まっている。あの醜悪なツラだ」
「相変わらず無風。距離四九二メイル」
深呼吸をして、集中。音が、笑い声が。木々の葉が擦れる音が次第にフェードアウトしてゆく。スコープの照準線を貴族風の男の額に合わせて――そして、スッと下がる。
銃声。
そして着弾。
獲物の膝が、果実を潰したように赤く染まる。
「ビンゴ。貴族の男の右足」
貴族風の男は悲鳴をあげながら崩れ落ちた。撃ち抜かれた右足は骨まで砕けているようで、血が止まらないようだ。
お付きのハンター達が血相を抱えて防陣を組む。だがうっそうと茂る森の中、そう簡単に襲撃者を見つけることはできない。
ダンはそのままレバーを引き排莢。お手製の七・六二×五一ミリ弾を再びねじ込むと、ノーラに「次」と指示を仰ぐ。
「貴族の右。狙撃銃を持つ男。優先度高」
「視認した。屠る」
続けて銃声。
そして着弾。
今度は膝ではなく、脳天に一撃。ハンターらしき男は強かに殴られたようにのけぞると、そのまま崩れて絶命していた。
「次」
「どれでもいいよ。的あてゲームになってる」
「なら、そのようにしよう」
微かに「卑怯だぞ! 出てこい」という声がする。元の世界でもよく言われたことだ。だが、ダンは何を思うこと無くレバーを引き、排莢。そして戻し、銃に息吹を与える。
狙い、銃撃。
獲物の頭が重なるその瞬間。二人の男の脳天が破裂した。
「ダブルキル」
「弾が勿体無いからな。どうだ連中は」
「ええ、いよいよ極まって――ほら、逃げ出した」
ノーラの言う通り、お付きのハンター達は主を捨てて逃げ出した。
ダンは彼らを狙うことは無かった。ああして戻った連中が、密猟者界隈に宣伝してくれるからだ。
禁猟区の森に入ってはならない。
必ず死の罰が見えない狙撃手によってもたらされると。
置いていかれた貴族風の男は涙でぐしゃぐしゃになっていた。みじめだ。アレほど高笑いして龍を追っていたのに、いつの間にか獲物になっていたとは。白銀の胸当ては血だらけになり、高そうな赤マントは泥だらけだった。
「私の仕事は終わりだ」
ダンはそう言うと、いそいそとサラマンダー85をしまい込む。軽く布巾でホコリや砂を払い、大事そうに布製のガンケースへと納めた。
「もういいの?」
「あとはあの龍がやってくれる。怒りが納まったら、治療を施すことにしよう」
龍の怒り。すぐに貴族風の男から悲鳴があがる。
バキリバキリと、過剰な力で砕かれる骨の音。おとなしいはずのアースドラゴンが、この時ばかりは怒りに任せ、大地の礼節を欠いた愚者をその口で粉々にしている。
「天罰だ」
「まさしく、ね。ああそうそう。あの子に近づく時は交渉よろしく」
「いつもそうだが、何故私なのだ」
「いいじゃない。同族の方が話がわかるみたいだし」
「私は龍じゃないぞ」
「エルフとしては同じようなものよ。龍より怖い、森のリザードマンさん」
ノーラがウインクをして、そして背を預けて寄りかかる。このノーラという娘は、ダンにかなり気を許しているようでベタベタとひっついて来る。ダンとしては年頃の娘がはしたないと実に真面目な思いがあるのだが、のけても意固地になってくっつくので諦めていた。
ダンはもともと人間だった。
日系アメリカ人、ダン=小鳥遊。
軍人から民間軍事会社に鞍替えし、傭兵として戦地に赴いていたスナイパー。彼の地の戦場では「トカゲ男」の二つ名で、同業者たちを恐怖に陥れた凄腕の狙撃手。
だがその実力を疎まれ、罠にはめられ、部隊から追放されてしまった過去がある。最後まで彼を信じていた上官が銃を向けられたとき。庇ったダンの命は終わった。
ああ、死んだと思った瞬間。ダンはこの森にいた。しかもどういうわけか人間の体は失われていた。
「ザラザラしてて、ひんやりしてて。ダン、気持ちいい」
ノーラが悪戯っぽい顔で、ダンの顔を撫でる。こういうとき、リザードマンは「シャー!」と威嚇すればいいのだろうかと悩むところではある。ただ、ダンもダンで自分の鱗を美女に撫でられるのは悪くないようだ。
彼は人ではなかった。
頭から爪先まで毛と柔肌はなくなり、代わりに深緑の艶ある鱗で覆われた。顔は蛇ともトカゲともつかぬ顔になり、だがしかし二本脚で立っている。
長い尻尾をくねらせる彼は、名実ともにトカゲ男となっていた。
なぜこうなったのか。その理由はわからないが……異世界に飛ばされたとて、その本分たる狙撃にはなんら支障は無かった。
第一話をお読み頂きありがとうございます。
この名前では初めての投稿でした。緊張しました。
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