ヘルメス・リュー
「あーーあ。俺なら見せしめに最初にいた侍女くらいは湖に放り込んでやったのに!」
足の細部に至るまで意匠のものとわかる豪華な、けれども落ち着いた真っ白いソファに靴のまま寝転ぶゼウス・ランと同じ顔をした行儀の悪い男はランの双子の兄リュー。こちらが本物のヘルメスである。
世界を見る事のできるゼウスの神環を無造作に放り投げ、神酒ネクタルに口を付ける。すでに6本の空瓶が転がっている。
「今日はニセモノのヘルメスで良かったね、リスティン嬢」
オリュンポスの神々は性に緩い者も多い。万が一を防ぐ為に外界から隔離して育てられているリスティンであるが、大事にし過ぎて頭がお花畑に育っても困るので、季節の変わり目ごとにヘルメスが赴きオリュンポスの出来事や外の情勢を勉強する事になっている。
というのが本来の理由であるが、このヘルメス・リューにとってはお茶を飲みお菓子を食べて、1日まったりと雑談に花を咲かせる楽しい日でしかない。
今日はその楽しい楽しいお茶会(←?)の日のはずだった。
「ハハハ…あいつが1番アブナイっつーの!」
数日前からランが寝る間を惜しんで書類を片付け、こそこそと神罰用の雷玉を作り貯めていたのをリューは影からそっと見守っていた。
そして今朝。リスティン嬢の神殿に行ってくるよと告げにゼウスの部屋に入ると、案の定ランが代わって欲しいと訴えてきた。
「ゼウス様ともあろうお方が無闇にオリュンポスを留守にしてはいけません」
リューが人差し指を立て、子どもの我が儘を諭すかのようにゆっくりはっきりそう言うと、ランは必死にすがり付いてきた。
「無闇にって…僕は生まれてこのかたオリュンポスから出たのは数える程だぞ。ゼウスを継いでからはこの神殿からもほとんど出してもらえない!僕の婚約者に会いに行く役目位代わってくれてもいいじゃないか!!」
涙目だよこいつ。可愛いなほんと。
「なるべく早く帰ってきてくださいよ~?」
渋々了承したように服を交換してやると、俺の掌で転がされている事にも気付かないあいつは嬉々として出かけて行った。
俺でも完全に履きこなすのに1ヶ月かかったあの靴を、初めて履いたクセに軽やかに滑るように遠ざかる後ろ姿がちょっぴり悔しかった。
ちょっぴりね。
ちょっぴりだよ!!
そして現在。天空に浮かぶ移動神殿オリュンポスのゼウスの私室でリューは大変寛いでいる。
ランがこの日の為に用意してくれた神酒もたっぷりあるし、神殿の者達に今日は瞑想すると伝え、念のため部屋の扉に“瞑想中”の札もぶら下げた。
これがぶら下がっている限り誰も入ってこない。
雷を操るゼウスは落雷を起こさないと体内に電気が溜まってしまう。しかし意味もなく雷を落とすわけにもいかないので、たまに放電してやらなければならない。
これを怠り電気が溜まり過ぎるとスパークが起こり、更に暴走状態に陥ると空が荒れ、神力が尽きるまで地上には落雷の雨が降り注ぐ。
それを防ぐため定期的に放電するのが瞑想だ。
瞑想で放電中に部屋に近付くと静電気でどんどん髪が逆立ってきて、扉の前に立つ頃にはピリピリと手足が痺れてマヒしてしまうので皆避けて通る。
誰も近寄らないゼウスの部屋でだらしなく寛ぎ、神酒は飲み放題。ついでに弟のおやつを勝手に広げてヘルメス・リューはご機嫌である。
「いくら彼女に会いたいからって頑張り過ぎだよ」
光りに透けて黄色く輝く直径15㍉程の雷玉を指先で摘まみ、中を覗くとパチッ…パチッ…と時々スパークしているのが見えた。
キレイだな~とぼんやり思いながら、傍らのテーブルに置かれた両手に少し余る大きさの宝石箱にそっと戻した。
「ギガントマキアーの時だって、こんなに落とさなかっただろうに」
くくくっと喉で笑う。
ギガントマキアーとは初代オリュンポス神達が、巨人族とこの世界の存亡をかけて戦った大戦である。
置かれた宝石箱にぎっしりと詰め込まれた雷玉に呆れつつ、蓋を閉じしっかりと鍵をかけた。
誤ってひっくり返したりしたら大惨事だ。オリュンポスが墜落しかねない。
雷を扱えるのはゼウスだけ。その雷を込めた玉を作るなんて多分これまでのゼウスの誰一人やった事はないだろう。
今代ゼウスであるランが婚約者会いたさに執念で編み出した秘技だ。
こんな物があると他の者に知られるわけにいかないし、1つ盗まれただけでも大問題だというのに無駄に大量に作りやがって…
と考えたところで
「くそっ…酔いが覚めた!」
酔っ払って居眠りでもしてる間に、これを誰かに見られたらなんて事に気付いてしまったリューは怖くなり、せっかくの神酒も喉を通らなくなってしまった。
瞑想中は誰も近付かないとはいえ、本当に神罰がくだるレベルの事件が起これば、決死の覚悟で飛び込んで来る者がいるかもしれない。
十二神クラスともなれば、たいした用事がなくともゼウスの放電などものともせず平気で入ってくるだろう。
……俺のように。
神酒なら口止めに分けてやってもいいが、雷玉は他の十二神にも秘密の方がいいだろう。
「くそっ…あの野郎!くそっ!くそっ!バカラン!!」
口汚く弟を罵りクッションを振りかぶったところで、宝石箱が目の端に映った。
ぶつからないようそそっと脇に避け、じりりと向きを変えてから細心の注意を払ってクッションを投げつける。
『軽はずみな行動で他の者が責任を取らされる事もある』
どの口が言ってる!?
お前が軽はずみにこんなヤバいもん作るから、俺の繊細なハートが止まりそうだよ!!!
二度と入れ替わりなどしてやるものかとヘルメス・リューは強く強く心に誓った。