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天の唄  作者: Liff
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ゼウス・ランと小さな婚約者

エーゲ海に2500はあるという島のどれか。

それは大きな島だったかもしれないし、小さな島だったかもしれない。広がる草原に緑豊かな森の奥、湖に囲われた中洲に妖精が住むという神秘的な神殿があるというというのだから、やはり大きな島のどれかなのだろう。

しかしヘルメス・リューが降り立ったのは、満潮で今にも沈んでしまいそうな岩の頭。島とも呼べない場所だった。


「ふぅ…危なかった」


岩にへばりついて一息ついている間に足首まで海面が上がってきた。あと少し迷っていたら完全に見失い、すごすごオリュンポスへ帰らなければいけなくなるところだった。


ヘルメスは金色の瞳に肩にかかる輝く金髪を靡かせた美少年で、風よりも早く走る事のできる翼の生えた靴を履いている。

周りに誰もいない事を確認すると持っていた錫杖をそっと岩の間に差し込み、するりとその中へ消えていった。


岩の中へと消えた彼の目の前には、草原が広がり森へと続いている。ヘルメスは自分以外の気配がない事を確認しながら森の入口まできた。

そこまで警戒せずとも錫杖がなければここへ入る事はできないし、万が一入れても一見爽やかなこの草原は侵入者があれば絡みつき骨すら残さぬ分泌液で跡形もなく消し去ってくれる恐ろしい草でびっしりと覆われている。


「問題はこの森です」


奇跡的に草原を抜け出し森へ侵入しても、妖精の魔法のかかったこの森は侵入者を受け入れない。

招かれざる者は3歩も進めば海に落ちてしまうのだ。



「1……2……………3歩!」


ぎゅっと目を瞑って3歩目を踏み出したが、幸いヘルメスが海に落とされる事はなかった。


「~~~っ!!」


両拳を握りしめ喜びにうち震えると、さっきまで脂汗をかいていたのが嘘のように足取りも軽やかに奥へ奥へと進んでいった。


どのくらい歩いただろうか?木々の隙間から湖に囲まれた小さめながらも立派な神殿が見えてきたのを目にとめるとヘルメスは立ち止まって息を飲んだ。

森へ入るまでの心臓を握り潰されそうなドキドキではなく、期待に胸が高鳴るドキドキに大きく深呼吸をすると、できるだけ平静を装って神殿へ向かって歩いて行った。





「ヘルメス様!」


湖の畔へ到着すると同時に、可愛らしい少女が向こう岸から手を振り嬉しそうに叫んできた。

リスティン・ズュギア。主神ゼウスの婚約者である小さな少女は、外界から隔たれたこの場所で大切に大切に育てられていた。


「ようこそ、いらっしゃいました!今から庭でお茶にするところだったの。ご一緒にお茶にしましょう」


自分と身の回りの世話をしてくれる数人の侍女と、森と湖に住む妖精達だけで暮らすリスティンは、久しぶりの訪問者に大はしゃぎだ。


「お戻りくださいリスティン様!」


翼の生えた靴でジャンプし向こう岸へ渡ってきたランの腰辺りに、侍女を振り切ってリスティンが思い切り飛び付いてきた。


「近付きすぎだよ、リスティン。この湖は危険なんだから」


「わかってるわ!」


真剣な顔で嗜めるヘルメスをリスティンは頬を膨らませて見上げる。

この湖は天界オリュンポスにあるスティクス女神の石像の掌から湧き出る水が流れ込んでできている。

キラキラと美しく輝く水面に反し、生前に罪を犯し楽園に入れなかった罪人の醜い魂が沈み込みんだ深い怨念の水は、近付く者を引き摺り込もうと常に狙っているのだ。


(どこまでわかっているのやら…)


「………あら?」


眉根を寄せて困ったように微笑むヘルメスの足元に、するすると蔓のような水が伸びてきて巻き付こうとした。


「あっ!」


パシンッ!


水の蔓が不思議な力で弾けとんだ。と同時に湖の水が津波のように大きく立ち上がり、そこから更に無数の手が伸び二人に向かって襲いかかってきた。


「キャーーーーーー!!」


バリバリバリバリっ!!!!



スティクスの水が今まさに二人を飲み込んだと思った瞬間、目をあけていられない程の眩しい光と激しい轟音が鳴り響き、大量の水は一瞬で霧散した。

ヘルメスはいつの間にかリスティンを左腕で抱えあげ、腰を抜かして尻餅をついている侍女の腕を右手で掴み無理やり立たせると引き摺るように湖から距離を取った。


「申し訳ありません!」

お茶の支度をしていた侍女達も慌てて駆けつけると、地に頭を擦り付けて謝罪した。

代々、神々の王たる主神ゼウスの妻ヘラとされてきたズュギア一族であるが、このところ女児に恵まれず、先代はやむ無くヘルメス一族から妻を娶った。

そして今代になり、ようやっと誕生したのがリスティンなのだ。

外界と隔たれたこの地で妖精達の庇護の下、できうる限り他者との接触を避け大切に育てているというのに。



「ご…ごめ……なさい…ゼウス様」


ヘルメスの正体が婚約者のゼウス・ランだと気付いたリスティンは、必死に涙を堪えて謝罪の言葉を紡ぐ。このまま首にすがり付きわんわん泣き出したいけれど、大好きな婚約者に更に醜態を晒すわけにいかない。


腕の中でガタガタと震え、必死に涙を堪える小さな婚約者をゼウス・ランは黙って見つめていた。



「なっ…ゼ…ゼウス様!?」

「申し訳ありません、私達がついていながら…」


ヘルメスもオリュンポス十二神に名を連ねる高位の神であるが、ゼウスはその中の最高位の神である。


「そうだね。罰として君達は湖に飛び込んでおいで?」


ゼウスが薄ら寒い笑みを向けると、侍女達は強過ぎる神力を浴びて皆気を失い崩れ落ちてしまった。


「……っ!!」


その光景を見た途端、リスティンの瞳は限界を超えボロボロと涙を流しながらゼウスにすがり付いた。


「ごめん…ごめんなさい。私が…私が貴方を見つけて、つい走り出してしまったの!あの位離れていれば大丈夫と思ったのだけど…」


ゼウスは黙ったままリスティンの言葉を待つ。


「彼女達は悪くないの!だから飛び込ませるのはやめて!!」



神族特有の金の瞳から涙を溢れさせ、必死に訴えるリスティンをゼウスはじっと見つめ返していた。


「お願い…っ!」


何も返事をしてくれないゼウスに、自分の言葉は聞いてもらえないのかと悲しくなりリスティンの顔はくしゃくしゃになっていった。

しばらくそんな状態で見つめあっていたが、ふっとゼウスの表情が緩み片手を上げると、近くにいた妖精達が倒れた侍女達の周りをくるくる回りだし、鱗粉のような輝く光の粒を撒いた。

回復効果のあるその光を浴びて、気を失っていた侍女達は目を覚ました。


「天真爛漫なのはキミの良いところで僕も好いているところではあるけれど、キミは僕の…ゼウスの妻になるんだよ。軽はずみな行動で他の者が責任を取らされる事もある。自分の立場をよく考え、自覚しなさい」


「……はい」


小さな少女にこんな事を理解しろと言っても難しいのは承知ではあるが、彼女には理解してもらわねば困る。

神々の頂点であるゼウスには失敗も甘えも許されない。それは妻となるヘラも同じ。

生まれた瞬間、ヘラにされてしまったリスティンに憐憫の情を抱きつつも、己の半身となるべく生まれてきてくれた彼女が愛しくてたまらないゼウスは結局彼女に甘い。


「リス。……それから君達も。」


ゼウスは抱いたままのリスティンと侍女達の顔を一人一人ゆっくりと確かめるように見回して、コホンと1つ咳払いをする。


「二度とこのような事がないように!」


リスティンも侍女達も言われた言葉の理解が追い付かず、しばらく呆けてしまった。



「さて。お茶をもらえるかい?」


「………っ!はいっ!!」


許してもらえた事を察すると、侍女達は感謝の意を込め深く頭を下げた後、直ぐ様お茶の支度に取りかかった。

リスティンはにこやかにゼウスの手を取り庭に用意していたテーブルに案内し、時間の許す限り二人の時間を楽しんだ。




「本日はありがとうございました!」


「僕じゃ勉強にならなかったろう。近いうちに改めてリューを来させるから」


「ヘルメス様がいらしても大差ありません!」


「ははっ…伝えておくよ」



リスティンを抱き上げおでこ付けながら別れの挨拶をして帰っていくゼウスを見送りながら、いつかきっと彼の隣に立つに相応しい女神になるとリスティンは強く強く心に誓った。


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