父母喧嘩
久々の思いつきで書いたものです。楽しんで(?)下さると幸いです。
ある早朝のこと。
辺りはまだほとんど暗く、空はほんの少し青くなりかけていた時間だが、その日は曇っていたのか真っ暗なままだった。半袖半ズボンで就寝しても寒くないので、季節的には夏を迎える少し前の時期だろう。
ぐっすり眠っていたはずの少年は、襖から覗く細い眩しい光で目が覚めた。そして襖の奥からは誰かが争うような声が聞こえる。
少年が襖を開けると、灯りを付けた状態で父親と母親がいつも夕飯時に座る席に座って何やら言い争いをしていた。この家庭は少し複雑で、母親が世帯主であり食事の用意をするということもあって、一家の主人が座る席に座っている。
この家庭は所謂「椅子生活」の家庭であり、大人用の椅子が5つと座る位置が高めな幼児用の椅子が置かれている。テーブルは長方形であり、短い辺には母親の椅子と向かい合わせに幼児用の椅子がある。そして長い辺には大人用の椅子が2つ並んでいて、その2つと向き合うようにもう2つ並んでいる。
父親は余程、母親のことが好きなのか近くに座りたがるようで、母親の座る席から見て斜め右隣に座っているのだが、今回の言い争いにおいても席はいつも通りだった。
ここはアパートの一室なので大声を出せば当然近所迷惑になる。ましてや、普通の家庭であるならば、誰もがまだ寝ている時間なのだから尚更だ。父親と母親は極力、普段より小さめな声を意識して言い争いをしている。
しかし、少年は父親を見てすぐに気が付いた。家にいただけでは決して付くことのない酒とニンニク料理の匂いがすることを。そして顔と態度に出やすい父親は誰が見てもわかるほどに酔っていた。それだけで、両親が喧嘩する理由を察することが出来てしまう程、父親が酔った時に母親と喧嘩する割合が多かったのだ。
一方、母親の方は化粧をしたままのドレス姿だった。この家庭はお世辞にも裕福ではない。それでも、この時代はまだ夜の仕事が儲かる時だったから、母親はその仕事に就いており、帰宅して早々、父親に喧嘩を売られてたのだろう。
少年はそのまま回れ右をして部屋に戻り二度寝することも考えたが、少年の内心はビクビクしていた。少年に危害を加える程愚かな親達ではないが、この2人が口喧嘩で終わらないことをよく知っている。いつ、その静かな言い争いが一変するかわからない。かといって、この少年に力の強い両親を抑えることなど出来やしない。だからこそ、怯えていたのだ。
そして恐れていた事態はすぐにやってきた。きっかけは、父親が「気に入らないから」と左足で机の脚を蹴ったことだ。それによって片付けられていないテーブルの上でグラスやコップが干渉し合い、水が入っていたコップが倒れて水が溢れ、いっぱいになっていた灰皿からは煙草の吸い殻が床に落ちた。
それから父親の態度が気に入らない母親が本気で怒りだすのだ。
意外かもしれないが、先に手を出すのは母親の方だ。元より頭にくれば手が出やすい人なので、特に父親と喧嘩になると必ず手が出る。現に「モノに当たった父親」の胸倉を右手で掴んで大声を出した。
父親は恐れる様子も見せずに母親の怒りを買うようなことをただ並べる。それによって母親の頭には更に血が上り、押し倒すようにして胸倉から手を離した。父親が吹っ飛び、後ろにあった収納スペースの扉にぶつかって、その扉に穴が開く。
それでもまだ負けじと父親が立ち上がる。父親と同時に転倒していた椅子を持ち上げ、母親にぶつけようとする。
流石に「まずい」と思った少年が父親を止めに入る。これまた少年の止め方は少しズレていて、少年は父親に対して「喧嘩で武器を使うんじゃねぇ!」と母親に教わったことを何故かそのまま言ってしまった。
幸い、ほんの少しだけ酔いが冷めていたのか父親が椅子を下ろす。しかしまだ母親の方はやり足りないようで再び胸倉を掴もうとする。
「てめぇは下がってろ!」
父親の大声が部屋に響いた。一応、巻き込みたくない意思はあるらしい。もしかしたら、自分が元凶だというのにも関わらず、頭に血が上って暴君と化した母親を悪者だと思っているのだろう。
いずれにせよ、少年にとっては時間ややり方を問わず喧嘩している時点でどちらも悪だ。「これはどうにもならない」と思っていた矢先、寝ていたはずの弟が起きて部屋から出てくる。少年はすぐに弟の元へ寄って「どうしようか」と相談を始めた。
選択肢としては警察を呼ぶというのもあったのかもしれないが、この家庭に固定電話はない。小学校の連絡網には母親の携帯番号が登録されているので、少年達が外部に助けを求める手段はほぼ皆無といって良かった。
しかし、これだけ騒いで大ごとになれば隣の部屋や下の階に住む人にもわかってしまう。その結果、呼び鈴が鳴って少年達は慌てて家の玄関を開けた。
「何事? 大丈夫?」
助けに来てくれたのは、隣に住む奥さんだった。子供は2人いて、次男が少年達と歳が近いこともあってそこそこ付き合いがある。
思わぬ助けが来て、少年は泣きそうになったが堪えて状況を説明する。弟の方は特に慌てるような様子もなく落ち着いていた。
「わかった、少し待っていて」
事情を聞いた奥さんはすぐに自室へ戻って旦那さんを呼んできた。奥さんはとても細い人なので、止めるに止められないとわかっていたのだろう。
一方、旦那さんの方は身長が高くて背中も広い。筋肉質な人で、実に頼もしさがある。そんな人が争っている2人の間に入って仲裁をした。
とはいえ、他人が入ってきたからといって簡単に収まる2人でもない。奥さんは少年2人を取り敢えず外に出して避難させた。
この一家が住む部屋は2階にある。階段に並んで座った少年2人は雨が降っていたことにようやく気が付いた。
それと同時に兄が涙を溢す。
「どうして、うちはこんなんなのかなぁ」
兄はまだ9歳であったが、クラスメイトの家へ遊びに行ったりして自分の家庭との差を少しずつ気付き始めていた。裕福ではないので、他の家に比べても買ってもらえるものは少なく、そして値段が限られている。同じ地域に住んで、同じ時代を生きているのにも関わらず、他の家庭との差を感じる度に何処か劣等感に似た何かを感じていた。
「……そうだな」
弟は涙を流すことなく、ただ相槌を打っただけだ。兄に比べ弟の方が余程、生きていくのに賢かった。与えられる物が少なくとも、友達と遊べることに変わりはない。そこに家庭の優劣を考えても意味がないのだと、弟は割り切っていた。
やがて助けに来てくれた奥さんが少年達の元へやってきた。
「もう大丈夫。お母さんとお父さんにはしっかり言っておいたからね」
そう言われて少年達の突如として現れた肩の荷が降りた気がした。礼儀について口煩く言われていた2人は迷惑を掛けてしまった隣の夫婦にお詫びとお礼を言った。
少年達が家に戻ると、両親はかなり反省しているようだった。我を忘れ、相手を倒すことだけを考えていた2人に、隣の夫婦が「子供の気持ちを考えろ」と叱ったからだ。近隣住民に迷惑を掛けた挙句、親として極当たり前のことを言われれば、反省せずにはいられないだろう。
その日を境に、その両親が喧嘩することは無くなった……ということはあるわけもなく、しばらくしてまた喧嘩をする。今回はたまたま隣の夫婦が助けに来てくれたが、その次から助けに来ることはなかった。
何故なら、隣の夫婦とその子供達は近くに出来た新しいマンションに引っ越したからだ。喧嘩で騒動を起こした一家がこの部屋に越して来る前から住んでいた人達ではあったが、やはり度々迷惑を掛けてくる隣に嫌気が差したのだろう。
さて、そもそもこの両親が喧嘩する理由とは一体何だったのだろうか?
子育てのこと? 生活費のこと?
いいや違う。実はこの両親、離婚していながら同棲をしており、本当は離婚した時点で父親ときっぱり別れたかった母親の方が、別に男と出来ていたからだ。喧嘩したその日、母親は父親に「仕事だ」と偽り、その実、男とデートをしていた。それを何処で知ったのかは不明だが、それがきっかけとなってこの両親は喧嘩をしたのだった。
一見、子供の面倒を父親に任せておいて男とデートをしていた母親が悪いように見えるが、同時に父親も子供達を放って酒を飲みに出掛けている。大抵、父親が母親に「お前が悪い」と言って、母親が「お前もだろ」と返すのが、喧嘩の始まりである。
この2人は既に夫婦ではないが、子供達にとっては紛れもなく父と母であるので、出来ることなら喧嘩して欲しくないと何度も思った。
それでもこの両親は口を揃えて「子供の幸せを考えている」と言うのだ。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
久々に開放感のある執筆が出来た気がします。これは私の悪い癖ですが、長編を書く時にあまり先々のことを考えないので、ただ「出来るだけ矛盾しないように」と自分で書いた小説を読み直して書いているものですから、話の内容は決まっていても表現や盛り込みに悩む時があります。
その点、こういった1話で終わるようなものは後のことを考えなくていいので楽です。短いけど。
これを書きながら思ったことといえば、やはり「人間失格」でしょうか。この両親は人間失格ではありませんが、1の手記にある冒頭の「恥の多い生涯を送ってきました」というフレーズはこの両親にも当てはまると思っています。
そもそも「恥の少ない生涯」とはどんな生涯でしょうか? 大庭葉蔵ほどではなくとも、誰にだって思い出せば恥は結構出てくるでしょう。とはいえ、あまり他人に迷惑を掛けなかった生涯ならば「恥の少ない生涯」と言っても良いような気がします。
余談ですが、後に起こる喧嘩の終わった後を小説として書いていましたが、それはお蔵入りにしました。それは「奴隷」と名付けたお蔵入りです。今回の「父母喧嘩」を色で表すなら怒りの赤とか反省の青とかのイメージがありますが、そのお蔵入りは終始「黒と青」なのであまりに重すぎる気がしたからです。
前回「晩冬」を書いた時のあとがきとして「次回も気が向いたら失恋話を書こうかな」と書いたくせにこれです。ごめんなさい。
これらを自分の中で「思いつきシリーズ」と呼んでいますが、また何処かで思いつきシリーズを書いてみたいと思います。それがどういう話になるのかはまだ未知数です。
それではまた次回の思いつきシリーズを楽しみにしていただくと共に、連載中の「隣の転校生は重度の中二病患者でした。」をよろしくお願い致します!