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プロローグ【終】

「あれ?爽君?今日、部活ないけど」

 木製のスライドドアが軋む音に咄嗟に目を開け、体を起こしながら後ろの声の主を目で探す。



「うっわ爽くん、酷い顔」


おいおい、結構言ってくれるな。

俺ってそんなにブサイクだっただろうか。


 無論真後ろのドア付近に毎度お馴染みのその娘はいた。

 俺の頭一つくらい小さな体、頰はいつも若干赤みがかっていて、好奇心を具現化させたかのような黒色の瞳と髪。両手に大きな木箱を抱えた、ショートカットの女。


「千草か...」俺は改めて体を千草に向き直る。

 その無理矢理とも思える動きに木製のイスは体重をかける度にギシギシと不憫な叫び声をあげていた。「千草って意外と声高いんだな」


今回オレ達美術部が休みの理由は、今度の展示会に全員が出すことになっているのだがどうも発注した資材がまだ届いていないのだとか。

 普通、たんまりと残っていたりするはずなのだが何せこの学校、まだ創立二年のよちよち赤ちゃん私立高校なのだ。予測でしかないが、お金も物も少ないのだろう。


「い、意外って何!?」

声だけを聴くとまた違った聴こえ方もするだろうが。


 紹介が遅れたが、彼女の名前は成瀬 千草。俺と同級生であり、そして同じ美術部員。

 お互い違うクラスで、彼女と仲良くなる気ははっきり言うと毛頭なかった。寧ろ関わったら面倒になりそうだと避けていた。

 だが彼女の隔てなく人間と関わるその気質と天真爛漫な性格でグイグイこられ、一ヶ月もしない内に仲良くなることが......いや、仲良くなってしまった、だろうか。

 その結果に後悔も反省もないが、不思議と嬉しくもないのが事実。

同じクラスにならなくてよかったと思うし、それがせめてもの救いだ。

「そーゆー千草はなんで部活に来たの?」

そうだ。そういう千草はなぜ、わざわざここに来たのだ。作品自体に手をつけているのは僕だけだったはずで、こいつに美術室の用事などない。フィーリングなら、家で落とせ。


 俺は椅子から立ち上がりバケツとパレットを持って五歩ぐらい先にある流し場まで歩く。

「せんせーにこの荷物、美術部に持ってくよーにパシられちゃってさー。よっこらせっと」


 爽君はもう描かないんだ。そう続けた千草は胴の幅と同じぐらいの木箱を抱えたまま、小さくジャンプして木箱を持ち直す。中に何が入っているかは分からないが、色々な素材の物が入っていることが干渉音で分かる。


「...持ってやろうか?」

「あ、もう近くに置くし、だいじょぶよ?」


どうも察するに、顧問の中で千草がお気に入りになってしまったらしい。というのも前に先輩に「先生にパシられたらお気に入りの証だよ!」と、先輩にカスほどにいらない入れ知恵されたものがこんな形で役に立つとは、世の中分からない。


顧問について追記しておくと、自称16歳の女性である。俺の邪推は30過ぎだと思う。

 容姿年齢も俺の邪推のそれと同じようなものだ。薬指に光るものはつけておらず、ついこの前急用で尋ねた時、机の上に「孤独じゃない一人旅!じゃらん!!!!!」とか「誓約したらゼクシィ」等雑誌が書類の重石になっていたのは見なかったことにしている。

滑らかで淑やかさを周囲に感じさせる茶色の肘まである長髪と、その天然肌と母性は確かに男が惹かれる部分があると思うのだが、浮かれた話は聞かない。

 生徒には一定のファンもいそうではあるのに、何故こう男に恵まれないのか。まぁ、あれか、酒が入ると滲み出るおっさん臭さと、絶望的な胸囲の空気抵抗の無さじゃないかと残念ながら推測できてしまう。泳ぎやすいし、いいのではと適当に落ち着かせる。

 あの先生、放課後から酒臭いが『犬』などに消されたりしないかいちいち心配である。校内では影もないのでもしかしたら公共施設の中なら捜索の網が甘いのかも知れない。

 実際学校内に憑き神や犬が侵入したケースを俺は見たことがない。


「千草は人が良すぎだと思うぞ」

 蛇口から出る水はパレットの乾いた絵の具をかっさらうようにして流れ、青色に着色した後にパレットを伝い、排水溝へと吸い込まれていく。


「えぇー、それはちょっと心外だよ爽君」

 俺の言葉に少々不満気に反論する。ちょうど同時に、後ろから千草が木箱を置く音が聞こえた。

「私は私がしたいことをするだけだもん。たまたまそれが誰かの為になっただけ」

「でもお前さっきパシられたって...」

「先生と仲良くなれて、私の気分も良くなって!そして怖ーい顔した男の子とも話せて!...私は一個の石でどれだけ鳥を落とせるのだろうか...」

頭を抱えて途方に暮れる様をわざとらしく演じる千草。自分の才能に困っちゃうらしい。調子に乗りすぎだと思う。


人の喜びが自分の喜びとかなら、本気でこいつはバカか聖人の素質があると思う。いやいや、もしかしたら聖人とバカすら紙一重なのかもしれないが。



それから少しの間、二人で何をするでもなく、ただ静かに窓の外を見ていた。気まずくてしようがない。「今の時間まで残ってるってことは...」

「...どうせ爽君、傘持ってきてないんでしょ?」


「よ、よく分かったな」



 先日、俺の傘は学校で誰かにパクられてしまったのである。四千円ちょっとする傘。普通に高かったのに...。持ち手が木製でそれなりの重量がある。木製だけあってかなり手に馴染む傘だった。


というのもあまりお金を使うところがないから、メーカー物のちょっと高級な傘を買ったのだが、今はその形も影もない。

 無くなった物を紹介する時間ほど空虚なことはない。


「伊達に二ヶ月一緒いないからねぇ〜〜〜。この間だって雨なのに走って帰ってたし。」

「二ヶ月だけでお前に全てを知られて堪るか!!」

「爽君のこと、いっつも見てるからね」

「ち、千草...おまえ...」

 いくらなんでもいきなり言われると俺だって勘違いとかするだろう。多分一般男性の六割ぐらいはきっと俺と同様に勘違いするはずである。

「時に爽君!なんで今日は木炭で下書きしてなかったの?」

してなかったのではない。白紙に戻したのだ。

「いや、まぁ手が汚れるの嫌だし。」

「じゃあ下書きもしないで今日はもう帰るんだよね?」

「何が言いたいんだよ......」

「一緒に帰らない?」

 パレットをスポンジで擦っていた俺の手はピタリ止まった。

「お前なぁ...」

 こいつはもっと男子を意識した方がいいと思う。

「そんなことしたら色んな奴に勘違いされると思うぞ」

 そうは言っても俺は濡れる心配もなくなったから少し嬉しかったりするのだが、俺と千草の世間体のためにも軽々しく相合傘なんてしない方がいいのは当然である。


幸い傘なんぞコンビニまで少し歩いて千円出せばお釣りが出る。千円とこいつは天秤にかけるまでもない。


「そういうの、私は割とどうでもよかったりするんだけど」千草は洗い終わった皿を雑巾で拭きながら不満げに言う。

 その言葉に嘘偽りはなく、男子と一緒にましては俺と相合傘をしたいという欲から発せられた言葉ではさらさらないのだろうな。「それにほら土砂降りだから陸上部もサッカー部も野球部もいないし、人少ないよ?」


それはそうだろう。コンディションを悪くする可能性や効率の悪さと、練習量を天秤に掛けたらこんな日に普通外で部活などしない。やる奴は脳みそがさくらんぼの種以下の奴ぐらいだと思う。それに降ってくるあの声じゃ直で浴びて二時間だろう。

「あはははははははははははは」

「...」


水道から出る水は絶えずスポンジを持つ俺の手に当たり、放射線状を描いて四方八方にぼたぼたと落ちていく。


彼女は優しい。人を信じ、何より自分の善意が他人を幸せ出来ると信じている。実際千草は自分の優しさが誰かの為になるなら、なんて臭いことを言ってのける。人懐っこくて、いつも笑っていて、俺にちょっかいをかけてくる。そんな奴。


なんだ。

 彼女が僕をいつも見ているように。知らず知らずの内に俺も彼女を見ているのではないか。


知りたいなんて思わなくても、知ってほしいなんて思わなくても、俺のことをわかってくれる奴がいる。それは僕も同様であり、隣人というものは本来そんなものなのかもしれない。


 それでも、俺は彼女の誘いに首を縦にふることはできない。だって俺はコイツが嫌いだ。嫌いだと思う。絶対嫌いだ。


それに彼女の、そして俺のこれからが破綻するかも知れないと言うのなら、俺はこれから彼女から離れることも嫌われることも造作もないのだ。

「...俺はそのさそ ー」

「ざんねーーーん!!爽君に拒否権はございません!」


 彼女はパレットを洗う僕の顔を覗き込んで、悪戯に笑って見せた。

「にしし〜〜」

 やはりコイツは嫌いだ。

「...」


しかし、かけがえのないというのだろうか。初めてというか。他の誰とも共通しないだろうと思ったのは彼女だけだった。あれから僕に寄り添ってくれた人間は。

「ねぇ...爽君」

 彼女は僕がまだ洗っていない汚水が入ったバケツを手にとって汚水を排水溝に流した。

 わかっていた。

 彼女は俺を元気づけてくれているんだって。

「...」

「そんな顔しないで」

また千草はそんなことを言う。

 俺はさっきも今も、無意識にそんな酷い顔をしていただろうか。それとも単にブサイクなのか。まぁ、イケメンではないことは自覚しているが。


「私さ...結構」

少し気恥ずかしいのか、所々言葉が詰まる。


「爽君のこと......ほっとけなくて」


俺は心臓を握られたかと錯覚する程に苦しくなる。呼吸するのも煩わしいと感じるまでに。


「いつも独りの時はすごいつまらなそうな顔してるからさ」


 俺は蛇口の水を止め、雑巾でパレットやバケツ、筆の水気をふき取り、棚に乾くように並べる。


 俺は何故か彼女の顔をどうしても見ることが出来なかった。それでもきっと俺は嬉しいはずだ。こんなにも寄り添ってくれる人がいて。俺よりも俺を考えてくれている人がいて。


「だから、私と一緒にいる時は...笑ってくれたら嬉しいな...なんて」


千草だって自分の善意が俺を元気にさせるに値しないのは面白くないだろう。いつだって自分といる時は楽しい気分でいて欲しいと思う。誰でもそうだろう。

 それでもこれは誰かかに対しての要求であるからこの場合は千草のエゴであり、僕が雨に対してそうだったように、傲慢で我儘だ。


だが、少しでも嬉しいと思った俺は、彼女のエゴに応えてみたいと思った俺は、可笑しいだろうか。


違う。エゴに応えてみたいのではない。お前は。お前はこの女に ー


 俺は妙に羞恥心を覚え、誤魔化すために、もう一度、雨に打たれる校庭を睨みつけた。

分厚さすら分からないほどにびっしりと空に敷き詰められた黒い雲は、相も変わらずざんざんと雨を落としている。

数秒みてから、また【あの過去】が頭をよぎっていく。


『あの日』は大雨の日に矢のように突然やってきて、大雨の日に終わりを告げた。まるで『あの日』『あの場所』であった出来事は、なかったものにされたかのように、目に写る景色は全く変わっていなかった。


 そうだ、『あの日』と称した最悪の時間はそれがどんなに最悪最低でも、辛くても、世間一般から見れば空白の時間だ。俺の中では取り戻すことも塗りつぶすことも出来ないその過去は、他人の評価の前では何もなかったことにされるのだ。


誰だってそうだ。大事なのは、過去どうだったとか、どう思ったではない。今どうなのか、なんだと思う。


彼女はどうするだろう。

 透明な水が張ったバケツに、時間に、色を付けてくれるはずだ。あるいは、ぶちまかして新しい水でも汲んでくれるかもしれない。


いや、知っているのだ。言われなくても。なのに俺は無意識の内に千草に指摘して欲しかったのだ。


「拒否権はないんだろうな、きっと」

「よく分かったね」

 そう言ってまた笑いかける千草。

「...分かったよ」

 釣られて笑ってしまった。吹き出すような、決して笑顔ではないと思うのだが。作り笑いではない。無意識から出た。


「あ、笑った!!」千草は驚きを顔いっぱいで表現する。「爽君て、そんなふうに笑うんだね」


 また一羽、鳥を落としちゃった。そう得意げに言った千草も校庭を見つめたと思うと、俺の顔を見、校庭を見、を四回程繰り返した。


 確かに、ここずっと笑顔は見せた時がなかった。自分でも、顔の筋肉が固まっているなぁなんて感じてはいるのだが。


いつからこんなに笑うことが下手になったのか。


「あはははははははははははは」

やはりこの雨音、本当に気持ちが悪い。流石憑き神と言った所か。


「爽君、雨嫌いでしょ」

「それがどうかしたか」

「雨って人の心を淀ませちゃうけどさ、私、結構好きなんだよね」



「あはははははははははははは」

 なら、彼女と俺は


 きっと相容れないのだろう。


今に知ったことではないが。




「俺は雨が注射と同じくらい大嫌いだ」



「あはははははははははははは」

 そう言って到底止みそうにない雨を睨みつけるのだった。


「あはははははははははははは」


 P.M 4:45


 プロローグ おわり

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