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プロローグ

邪悪な天使と聖なる悪魔


プロローグ





 あぁ主よ、


 いいえ、仰ってもらえるならば魔に属する者でもいい。


 私の罪とはなんだったのですか?



 七月 十九日

 P.M 4:30


「最近さ、襲われて死ぬ人多くない?」

「しかも今日雨だよ??早く帰らなきゃ」

「精神汚染が酷くなって死んじゃうかもだし」

「えー絶対やだ、自殺だとサービスプラン適用外なんだよね。パパに怒られちゃうかも」

「あはははははははははははは」



 …。

「あはははははははははははは」


昨日、木炭を五本もダメにしてまで描き殴った構図を俺はかれこれ5分間睨みつけていた。



床に放り捨てられた168と彫られているチョーカー。パイプベッドに力無く横たわり鎖で縛られた14〜15歳の少女と、肥えてトマトガエルのようになった白衣姿の中年男性。


 とても中年太りだけとは言い難いほどに腹が出ているその男は、満面の笑みでボロ切れのようになった女の子を真っ直ぐと見つめる。


男の四角縁の眼鏡は長い間替えていないらしく、その証拠に細いテンプルは脂肪で肥大化したであろう頭で押し広げられ、智は完全にヘタレている。


「あはははははははははははは」


「木炭の段階で既に気持ち悪りぃな」

あいつはあの時確かに性的興奮に囚われていた。子供一人入っていてもおかしくない程膨れた腹の下にあっても分かる。壊れていく少女を見、確かにあの男の男性器は勃起していた。本当に腐れた奴だと思う。



キャンパスに描かれたこの中年の男は樽宮 承太郎。レベル階級はs+。才能を余らせてしまうほどの逸材でありながら歪んだ性根に身を任せ、人体実験という禁忌に触れた男。


今どこで何をしているかは分からないが死んでいて欲しいと思う人物。あるいは俺が刺し違えても殺したいと思う人間の内の一人だ。


これは戒め。忘れないための。一生消えないように、この記憶に引きずられるため。


忘れちゃいけない。


あの日俺が無力だったせいであの子を助けられなかったことを。


俺は一生、これを首に巻いて引きずりながら生きていく。

軽く唾を呑み込み、20号もの大きさのキャンパスボードを乗せたアルミ製のイーゼルの足を持ち、角度を調節する。


「あはははははははははははは」


 筆を取り、作った赤黒い絵の具を筆の上に乗せるようにパレットから掬いパネルの真ん中に塗りたくってみるや否や、俺は途端に脱力感に駆られてうなだれながら右手をパネルから離した。

描く前はしっかりとパネルに配置や構図がイメージできていたはずだ。手に取るようにわかるはず。それなのにいざこうやって描く時には作りかけていたパズルが落ちてぐちゃぐちゃになる様に、イメージはバラバラになりどこかに消えて行き『苛立ち』が頭にどんどんと血を昇らせる。


グダグダと説明をしてしまって申し訳ないのだが、要約するとただ単にこいつは絵を思い通りに描けないと思ってくれて差し支えない。それどころかやる気がない、だろうか。

ここ一週間程ずっとこの繰り返しで、描き直しするための上から塗る白いペンキは最近買ったはずなのにもう半分を切っていた。他の部員より先に手を付けたが、この調子では周りとのアドバンテージもなくなるだろう。


いつもならもうちょっと筆を進めてみるのだが…。

 ーー「いつもなら…か」

 窓を打ちつける強い雨は数時間前から俺達の学校の校庭を、町を、人を、濡らしている。分厚い黒い雨雲は微動すらも許すまいとびっしり空を覆っていて、その様子を俺は、三階のほんの少しだけシンナー臭い美術室からいつの間にかぼんやりと眺めていた。


絵が上手く描けないのはお前のせいだ、雨。



赤、青、黒や黄色の丸い形の物体が、次々と校舎から出て校門に向かって進んでいく光景に、俺は自分がここで何をしているのか考えた末に自分がバカだと思ってしまった。


素直に俺も帰れば良かったんだ。どうせ今日も絵は進まないのだから。


「あはははははははははははは」


曇天はクスクスと笑う。ポツポツと刺す。

 絵が思うように上手く描けないのはこの雨のせいであると、そう言って天候を嫌悪するのは些か、いや、かなり傲慢で我儘なのだろうがそうは言っても集中出来ないのは事実なのだ。


 雨の日は、思い出したくないぐらいに嫌な過去が頭をちらつかせるし、そもそも雨音が煩くて嫌いだ。



 雨の日は、目の前で映像がフラッシュバックするかのようにいつも思い出す。

「あはははははははははははは」

鼻をつく薬の臭いや慟哭、苦しみ、牢屋の鉄の冷たさと土や血の臭い、人の形が化け物に造り変えられる様、そして358という数字が俺の脳味噌を掻き乱す。百足が頭の中を這いずり回っているようだった。


 俺は深くため息をついた後、水を張ったバケツに絵の具がべっとりと着いた筆を放り込む。バケツの水はみるみるうちに筆から滲み出た無機質な青色に濁っていく。

もう、先ほどの透明で澄み切った色には二度と戻ることは出来ない。そう思うとなんだか俺と共通点がある気がする。俺は何色に濁っているんだろうか。


「今日ももう…描ける気がしないな…」

過去のトラウマを引きずって、あるいは過去のトラウマに引きずられて歩いてる奴なんざ、ここにはごまんといる。自分だけじゃないはず。

過去に言い訳をつけて、俺はこれからも下を向いて生きるのだろうか。

「何やってんだろうな、俺」


ひび、傷汚れ一つない真っ白な美術室の壁を意味もなくじーっと見つめながら俺は呟いていた。

 このセリフは何回目なのだろうか…だんだんと棚の真っ白なミロのヴィーナスをぶっ飛ばしてやりたい衝動にすら駆られる。


 こんな風に毎日の日々を無駄に積み重ねているのならば死んでも変わらないのではないかと感じてきたが、悪い気が起きる前に負の感情はできるだけ取り払っておこうと、頭をぶんぶんと振った。

こんなこと思っていては、あの日一緒に逃げられなかった仲間達に顔も見せられない。


―もう二度と会えないのだが。


「どうせこんな気分で絵を描いたっていい作品なんて描けねぇしな」

 少なくとも俺はそうだった。

 絵を描き始めて、まだ六年ぐらいしか経ってないが絵が上手く描けていたときは大体楽しい気持ちで描いていた。


まぁしかし今回は例外ちゃ例外なのかも知れない。今描こうとしているものは俺の最悪の記憶の一部なのだから。


楽しいはずもあるまい。


 後ろにある椅子にどっと身体の体重を預け、濁った青色の水が張ったバケツを横目に、もう一つため息をついた。今度は、いやな過去や気持ちを体の外に出すかのように。


 そうしているうちに俺の瞼は重くなっていき、俺はその重量を受け入れてゆっくりと瞳を閉じた。


なくなったはずの雑念や憎悪はまた身体から染み出してくる。


汚したい。真っ白なヴィーナスを。

美術室の壁を。

不幸から頑張って、立ち上がって、がむしゃらにもがいてる奴を罵りたい。足を引っ張りたい。

なんでそんな頑張れるんだよ。俺だって、俺だって。

寝ようと思っていたのに心臓はどんどん激しく身体を叩く。

妬ましい。


何故イライラしているか分からない。筆が進まないから?雨で帰れないから?



 ………。

「あはは」

「あはははははははははははは」

 ……………………………………………。

「あははは ー」


「あれ?爽君?今日、部活ないけど」


ずぶずぶと甲高い笑い声に濡らされる俺の耳に、女の子の声が刺さった。



「やっほ!」

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