キノコシチューとベーコンエッグ
コトコトと、鍋の蓋が震える音がする室内。
静かに朝日が昇り始めようとしている外とは違い、音と熱に溢れた台所のテーブルに、フェリスはカバンを逆さまにした。
どどど、とテーブルに広がったのは、たくさんのキノコ。というか、山盛りのキノコ。
必要だと言われた数の十倍以上はある。いや、狩りつくしたらダメだから程々にはしていたのだけれど、森から戻る途中、《破滅のオーガ》という魔物を筆頭とした集団にかちあってしまったのだ。
なんとか説得に応じてくれて、どうしてか彼らが採集していたキノコを譲り受けたのである。これが大量に大量だった。
おばちゃんは目を真ん丸にして、キノコをひとつひとつ確かめていく。
当然、ニセモノや毒キノコなんかは入っていない。
おばちゃんの目利きはベテランというか、キノコシチューを看板メニューにしているだけあって、素早く正確だった。
「す、すごい。全部本物じゃないの! よくこんな短い時間でこれだけ……!」
「ちょっと頑張っちゃいました。なんとかなりますか?」
「なんとかどころか! 大量に作れちまうよ! そうだね、三五〇人前くらいだね」
キノコを見渡して、おばちゃんは胸をはって言う。
「え、マジですか」
それに衝撃を受けたのは俺だ。
実は悩んでいたのである。俺やフェリス、チョビは食べられるけど、『俺』たちはシチューにありつけない。仕方ないよね、と諦めてくれている雰囲気だったが、なんとかならないかと考えていたのだ。
もし作ってくれるなら、これほどありがたいことはない。
俺は早速交渉に移る。
「ねぇ、おばちゃん。そのシチュー、俺たちが手伝ったら本当にそれだけ作れますか?」
「え? そりゃ、人手と、魔力があれば?」
「魔力?」
訊き返すと、おばちゃんは小さく頷いた。
「それだけの数ともなると、コンロがたくさんいるからね。設備はあるんだよ」
おばちゃんは壁にそってかけられていたテーブルクロスを外した。
おおお、なんだこの数。
広がったのは、大量のコンロ口だ。定期的に手入れされているのか、汚れはない。古そうではあるんだけど。でもどういう造りになってるんだ? ガスチューブとかもないし。
「有事の際は炊き出しができるよう、宿屋にはこれくらいの設備が備え付けるようになっているんだよ。ただ、魔力が必要でね」
あ、そっか、魔力を媒体に火を起こすのか。
俺は迷いなくチョビの背中を押すように叩いた。
「大丈夫です、コイツがいますので」
「ええええっ!?」
とたんにあがる悲鳴。いやなんでだよ。
俺は眉間にしわを作りながら、屈んだチョビに耳打ちする。
「お前、魔族だろ? だったら魔力たくさんあるだろうが」
「いやそうじゃなくて。魔力ならアニキの方があるだろうがっ!」
「何いってんだ。俺は魔法なんて使えねぇぞ」
「いや何いってんの」
怪訝になりながら返すと、チョビは信じられない様子で顔を歪めた。怖い。
「魔法が使えなくても魔力はあるだろうが。それにアニキは魔法の使い方をしらないだけで、魔力はめちゃくちゃあるぞ」
「あ、そうなの?」
「そうなの」
くそ、なんだかチョビに説教されているみたいだ。
悔しさを味わいつつも、魔力を提供するだけなら、ってことで、俺は了承した。ついでにおばちゃんの許可を得て手伝いとして『俺』たちも召喚する。
スライムが俺の姿になっていくのを見て、おばちゃんはちょっとビビってたけど。
でも肝っ玉はすごい。
あっというまに意識を切り替えて、調理に入った。とはいえ、シチューに使う材料がまた足りなくなったので(肉とかタマネギとかが)朝市の始まりと同時に買い出しへ出ることが決まったのだけれど。
その間に、下処理に時間のかかるキノコの処理をしてしまう。
「この子は、まずホコリをぱっぱと手で丁寧に払ってあげて、それで塩をまぶしておく」
「こっちはゆっくりと水に浸しておいてね」
「この子たちはこう串にさして、じっくりと火で炙ること。焦がしちゃダメだよ。ちょっとだけ離した状態で、ゆっくりと。そうそう、そんな感じ」
「この子は油通しするよ。さっとくぐらせてね」
「この子はゆっくりと水から弱火でくつくつ煮込む」
「この子は逆に熱湯へ放り込むんだ」
と、おばちゃんは的確に指示を出していく。
本当に一種類ずつ、下処理からして違う。なんとか俺もついていく。器用なフェリスは慣れた感じであっというまに終えていくけど。
なるほど、確かにこれは時間がかかる。
けど、今回も数に任せて一気にやってしまう。
一人でやるのはかなり大変だろうけど、みんなで分業すれば、時間はかなり短縮される。
あっさりと処理を終え、キノコたちと、そこから取れた出汁がブレンドされていく。
「キレイなブラウンだなぁ」
黄金色の出汁だ。
キノコだけで、こんなにいい色が出るんだな、ビックリだ。
キラキラしてて、ずっと見つめていたいよな。
おばちゃんはその出汁に、ガラと野菜のブイヨンを混ぜていく。
これで旨味がしっかりそろったな。
「食材を入れていくよ。フルーツピューレと、飴色になるまでバターで炒めたタマネギ。それとハーブと、下処理したお肉。あとは野菜だよ」
後はくつくつと煮込んで二時間くらいだそうだ。
俺と『俺』たちへのシチューは後回しにしてもらって(朝市の食材の仕入れがあるから)、宿泊者向けへのシチューを作っていってしまう。
じっくり煮込みつつ味を染み込ませる中、おばちゃんは次の作業だ。
朝から仕込んでいたらしい、二次発酵まで進んだパンにバターを塗ってオーブンへ。
思ったんだけど、ここはバターが豊富なんだな。
バターって、作るのに結構時間がかかるし、牛乳から取れるのはそこまで多くない。だから、これだけ贅沢に使えるってことは、それだけ量産体制が整ってるってことだ。
もしかしたら、ここにきた異世界人が整えたのかもしれないな。
工場とかいけば、遠心分離機とかありそうだ、フツーに。
ちょっと見学してみたい欲を出しつつも、俺は焼き上がるパンを見ながら魔力を供給していく。吸われてる感覚はあるけど、全然余裕がある。
そうこうしている間に、朝市の開く時間だ。
からからと木製の車輪の音と、馬の小さいいななきが聴こえてくる。馬車か? と思っていると、裏口の玄関がノックされた。
おばちゃんが出ると、配達業者のようだった。次々と材料が搬入されていく。
卵にベーコン、サラダ用の野菜。
どれもこれも新鮮だ!
へぇ、すっげぇな。
感心してみている間におばちゃんは支払いを済ませた。
「さて、こういうのも欲しかったら、朝市で買ってきてもらわないといけないんだけど」
「分かりました。じゃあそれも仕入れてきますね」
もちろん材料費は自腹だ。
俺やフェリス、チョビはともかく、『俺』たちは宿泊代を支払ってないからな。当然だ。
「お金は大丈夫なのかい?」
「はい。余裕はあるので」
でも、どこにいけばいいかは分からないので、おばちゃんに教えてもらった。
懇意にしてるお店があるようで、そこなら大量に仕入れることが可能なようだ。
早速『俺』たちが市場へ向かっていく。
もちろん形状変化で変装もばっちりだ。同じ顔がずらっといたら、どれだけ混乱を呼び込むかよーく分かってる。さすがにそんなバカな真似はしない。
みんなを見送って、少しだけ待っていると、パンが焼き上がりはじめた。
ん、このあまーくて香ばしい感じはたまらないよな!
その頃には朝日が昇っていて、宿泊者たちが起き始めていた。厨房がまた忙しくなる。
「おばちゃーん、朝ごはん、こっちに二つね」
「こっちは一つだ!」
と、カウンターに注文がやってくる。
「あいよ!」
おばちゃんは陽気に応じると、コンロで熱していたフライパンに切ったばかりのベーコンを並べていく。
じゅわっ、とベーコンが縮み、脂を吐き出す。
一気に野生な香りが充満して、ツバがにじみでてきた。ああ、これは美味しそう。
おばちゃんはカリカリに焼いたベーコンを皿にサーブする。残ったのは旨味たっぷりの油だ。当然のように、おばちゃんは卵を取り出す。
「《解毒》《消毒》」
おばちゃんは警戒に指をふって魔法を発動させた。
って、ええ、魔法使えるんだ!? もしかしてあれか、魔法って意外と日常的!?
驚いていると、おばちゃんは鼻も高々に胸をはった。あ、違うっぽい。
「あたしは魔法適性が高いとはいえないんだけどね、こういう系の魔法は覚えられたんだ。だから、あたしの宿で出す卵は、半熟で出せるってワケ」
「うわ、すごいですねぇ!」
「人間族は生卵の毒に耐えられないからな」
フェリスは喜び、チョビは顎を撫でながら眉をあげた。
確かに。
生卵って、日本だからこそ生で食えるけど、外国じゃあ有り得ないからな。おばちゃんはそんな難題を魔法でクリアしたのか。すげぇな。
「よっと」
十分に熱したフライパンに卵を投入する。
じゅわわわわっ!
と弾け、卵の白身が固まっていく。淵が固まったタイミングで、おばちゃんは少量の水を入れて蓋をした。
蒸し焼き型の目玉焼きか!
これは美味しくないはずがない。
「ふんふふん」
鼻歌で時間をはかり、おばちゃんはふたを素早く開ける。
もう、と湯気がたちこめる中、器用にフライパンを取って皿にサーブした。見るだけで分かる。見事なまでの半熟だ!
うっわ、うっわあぁ! 絶対に美味しいぞコレ!
「さて、サラダを盛り付けて、パンをそえて。後はシチューを用意して。はい、出来上がったよ!」
おばちゃんの快活な声さえも、もう美味しそうだった。
食べたい。これはもう絶対に食べたい!
俺はそう誓いながら、手伝いの手を止めなかった。
次の更新は明日の予定です。
応援、ぜひお願いします!