第三十話「共闘」
六階層に続く階段からは幻獣のアラクネやグレートゴブリンとは比較にならない体格の魔物が現れた。幻獣クラスの魔物、デーモンだ。なぜ五階層の様な浅い階に幻獣クラスの魔物が居るか分からない。
大抵の幻獣は最下層で冒険者を待ち受けている。死のダンジョンの支配者であるデーモンの登場にギレーヌは愕然とした表情を浮かべ、震えながら後ずさりをした。精霊狩りを返り討ちにしてきたギレーヌでさえ恐怖を抱く程の魔物なのだ。
肌は黒く、体長三メートルを超える体は異常なまでに筋肉が発達している。頭部からは二本の黒い角が生えており、背中からは巨大な翼が生えている。体つきは人間に近いが、筋肉の大きさが比較にならない。エミリアのアイスゴーレムですらデーモンに対抗するのは難しいだろう。
爪はナイフの様に鋭利で、目は血走っており、広い墓地で俺達の姿を見つけるや否や、巨大な翼を広げて飛び上がった。今日は間違いなく人生で最低の日だ。やっとギレーヌの元に辿り着けたと思ったら、ダンジョンの支配者がお出ましとは。
ギレーヌが震えながら呆然とデーモンを見つめていると、デーモンは目にも留まらぬ速度で宙を飛び、俺達に向かって右腕を振り上げた。あの爪で切り裂かれれば一撃で命を落とすだろう。ギレーヌは自分の死を悟ったのか、静かに涙を流しながら俺を見つめた。
「あなたの花束、受け取ってあげられなくてごめんなさい……」
ギレーヌが優しく微笑みながら俺を見上げると、俺は一気に頭に血が上った。精霊を泣かせるデーモンを許すつもりはない。俺はギレーヌの小さな体を突き飛ばすと、氷の盾を作り上げてデーモンの一撃を受けた。
まるで紙を裂く様に、デーモンの鋭利な爪が氷の盾を切り裂くと、俺の左腕に激痛が走った。左上腕と前腕がデーモンに切り裂かれてパックリと開いている。大量の血が噴き出すと、俺は生命の終わりを悟った。
「ギレーヌ! 四階層に逃げるんだ! 俺の仲間が君を守ってくれる!」
「そんな……! あなたはどうするの……!?」
「俺が時間を稼ぐ! 君だけでも生きてくれ! 俺はレオン・シュタイナー! 氷の精霊・エミリアの契約者で、君を守るために来た!」
「レオン……!? あなたはどうして命を捨ててまで私を守ろうとするの!? どうして出会ったばかりの私を守ってくれるの? どうしてそんなに必死なの!? 自分の弱さも分からないの!? 私を囮にして逃げればあなたは助かるかもしれない! どうして見ず知らずの精霊のために死を選べるの!」
ギレーヌが大粒の涙を流しながら俺の背中に顔を埋めると、俺はギレーヌと心が通じ合えた事に喜びを感じた。エミリアも精霊を守って死んだ俺を誇りに思ってくれるだろう。ギレーヌとティナ、クリステルさんとハンナが冒険者ギルド・レグスルに協力すれば、きっとエミリアとシャルロッテさんを救出出来るはずだ。
俺の短い冒険に終わりの時が来たのだ。僅かな時間だったが、エミリアと過ごした日々は間違いなく最高のものだった。死ぬ前に精霊の加護を授かれたのだ。一生加護すら持たずに生きるのかと思っていた。最期に美しい氷姫を見れない事は残念だが、ギレーヌならエミリアを守る力がある。
「ギレーヌ……! エミリアを頼む……」
俺はギレーヌを突き飛ばすと、彼女は涙を流しながら四階層に向かって走り出した。これでいいんだ。人間は精霊を守るために生まれる。人間としての役目を果たしながら人生の最期を向かるのだ。どうせなら綺麗に散りたいものだ。
死にゆく人間が魔力を蓄えていても仕方がない。全ての魔力を使い、全力でデーモンに挑む。今までだって死闘を経験してきた。何度も迷いの森で死にそうになった。ゴブリンに体を切られた回数だって数え切れない程ある。それでも俺はなんとか死ななかった。
だが今日だけは違う。俺ではデーモンには勝てない。それなら最後はギレーヌを守って死にたい。
「かかってこい! デーモン……!」
精神を奮い立たせ、右手に氷で作り上げた剣を握り締める。デーモンが翼を開いて飛び上がると、俺の頭上から魔法の刃を飛ばしてきた。闇属性の魔力から作られた三日月状の刃が俺の頬をかすめると、頬が綺麗に裂け、石の地面を軽々とえぐった。
軽く放った攻撃魔法が石を砕いたのだ。なんという攻撃力だろうか。直撃していたら、俺の体は綺麗に真っ二つに切れていただろう。左腕は既に使い物にならない。力が全く入らないのだ。
今俺が持っているものは僅かな魔力と、愛しの氷姫から授かった加護だけだ。無属性の俺がここまで来れた事が奇跡だったのだ。だが、最後にもう一度奇跡を起こしてみせる。
デーモンが頭上を旋回しながら次々と刃を放つと、俺は自分の足元に意識を集中させた。デーモンと同じ高さに飛び上がる事が出来れば、剣で敵を切る事も出来るかもしれない。アイスゴーレムなら俺を投げ飛ばし、デーモンに接近出来る機会を作れるに違いない。
「アイスゴーレム! 最後に一度だけ力を貸してくれ!」
体中から魔力を掻き集めて地面に注ぐと、俺の足元からは体の小さなゴーレムが現れた。体長は百五十センチ程。今の俺の魔力で作れる最後のゴーレムだ。ゴーレムは瞳から涙を流し、俺の頭を撫でると、彼はおもむろに俺の体を掴んだ。
「デーモンの所まで頼むよ」
「……」
俺の死を悟りながらも、アイスゴーレムが俺の体を投げ飛ばすと、小さな体からは想像も出来ない程の力で宙を飛んだ。デーモンが予想外の攻撃に狼狽した瞬間、俺は全ての力を掻き集めて垂直斬りを放った。
デーモンが右手で俺の剣を受けた瞬間、デーモンの腕が落ちた。肉と骨を断つ感覚が伝わってくると、俺は生命の終わりを悟りながら落下を始めた。既にアイスゴーレムは魔力が尽きて溶けた。このまま地面に落下し、俺は無残に命を落とすのだ。
「エミリア……。俺は君を守れなかった……」
ゆっくりと目を瞑り、氷の剣を捨て、最後の祈りを唱えた。脳裏には両親の姿と、ティナ、ハンナ、クリステルさん、ギレーヌ、エミリアの姿が浮かんだ。もう一度エミリアに会いたかった。彼女の笑顔が見たかった。まだまだ一緒に居たかった。
弱かった俺の無謀な旅が遂に終わるのだ。体は既に自分のものでは無い様な感覚だ。力が抜け、恐怖だけが精神を支配している。徐々に地面が近付いてくると、俺は強く目を瞑った……。