第十四話「氷姫」
浴室を出ると、既にエミリアは上がっていたのか、父が用意してくれたパジャマを着て髪を乾かしていた。水分を含む銀色の髪が妙に色っぽく、彼女の美貌に心臓が激しく高鳴り始めた。ピンク色のパジャマ姿は何とも言えない可愛らしさがあり、ローブを着ていた時よりも胸の部分が大きく盛り上がっており、豊かな胸の形も手に取る様に分かる。
今なら人間が精霊との結婚を望む気持ちが理解出来る気がする。精霊とは何と美しい生き物なのだろうか。
「あの、レオンさん……。パジャマって初めて着るんですが、似合ってますか? 変じゃありませんか?」
「よく似合ってるよ。エミリア」
「それなら良かったです……。なんだか恥ずかしいですね。こういう格好を男の人に見られるのって……」
「エミリアは何を着ても可愛いと思うよ」
「そんな……、可愛いだなんて。本当に嬉しいです。レオンさんが私の事を気に入ってくれなかったらどうしようって、いつも思っていたんです。レオンさんに話しかけるのが怖かったんです。三年間もレオンさんだけを見ていました。やっとレオンさんと一つになれたんです。私の事、見捨てないで下さいね……」
「当たり前じゃないか。人間は精霊を守る義務があるからね」
「もし私が精霊じゃなかったら、人間に生まれていたら、レオンさんともっと早くにお友達になって、一緒に遊んだり、お出かけをしたりしたかったです。どうして私は精霊に生まれたのでしょうか……」
「それは俺にもわからないよ。どうして俺だけ加護がないんだって、俺も随分悩んだ事があったけど、エミリアと出会う日のために加護を授からなかったんじゃないかって思うんだ。最初から俺にはエミリアだけが必要だったんだろうって、今なら理解出来る気がするんだ」
「嬉しいです……。レオンさん……」
エミリアが微笑むと、俺の心は妙に高ぶり、見つめ合っているだけで嬉しさを感じる。これが恋を抱くという事なのだろうか。十四歳の今日まで感じた事も無かった新鮮な感情に戸惑いながらも、恥ずかしさを隠しながらエミリアのために布団を敷いた。
遺跡内には使い古されていた布団があったが、これから新しい生活を始めるのだから、全て新たな物を使う事にした。エミリアの隣に布団を敷いて横になる。エミリアが天井付近に浮かぶ魔石に手を向けると、光が弱まって遺跡内が一気に暗くなった。
それでも僅かな月明かりが差し込んでおり、完璧な暗闇ではない。夜襲を警戒して窓を閉めると、エミリアの息遣いだけを感じる空間に思わず緊張感を覚えた。この場には俺とエミリアしか居ないのだ。
今朝までは実家で両親と共に暮らしていたが、今では古い時代の遺跡で新たな生活を始めている。人生どう変わるか分からないが、それでも精霊と出会った時のために心の準備をしていたから、すぐに家を出る事が出来た。
「いつもは一人で居た場所にレオンさんが居るので、何だかとても嬉しいです」
「そうだね。不思議な気分だよ。村を出てエミリアと暮らす事になって、魔法まで覚えたんだ。今日一日で俺の人生も随分変わったよ」
「それは良い事でしたか……? 私との出会いは、レオンさんにとって良いものでしたか?」
「勿論。エミリアと出会えて良かったよ」
「ありがとうございます。レオンさん、眠る前に少しだけ手を握って下さい……、レオンさんを感じていたいんです……」
エミリアが布団から手を出すと、俺はゆっくりとエミリアの手を握った。眠る前に杖をプレゼントしようと思っていたが、夜の間に彼女の枕元に置いておこう。そうすれば朝から幸せな気分になって貰える筈だ。
エミリアが喜ぶ事なら何でもしたい。これが精霊を想う人間の気持ちなのだろう。俺以外のほぼ全ての人間が微精霊を持っている。微精霊の加護を持たない人間は百万人に一人程度。生まれつき運が無かった俺にやっと運が向いてきた様だ。
「おやすみなさい……、レオンさん」
「おやすみ、エミリア」
エメラルド色の瞳を輝かせながら俺を見つめ、寂しさや不安を隠す様に俺の手を握るエミリアの美しさに心を奪われた。俺はこんな美少女から三年間も監視されていたのか。もっと早くに出会いたかった。
俺はエミリアの枕元に銀の杖を置き、ゆっくりと目を瞑って体を休めた。たった一日で随分色々な事があった。俺の人生は確実に動き始めている。このまま魔術師を目指して訓練を続ければ良い。
王都ローゼンハインで正式に精霊魔術師の称号を貰う。精霊と共に魔術師ギルドに赴き、一定以上の魔法能力を証明出来れば、シュタイン王国から精霊魔術師の称号が貰えるのだ。精霊魔術師になれば高難易度の討伐クエスト等を斡旋して貰える。魔物討伐で一気にお金を稼げるのだ。
まずはエミリアと共に旅を楽しもう。今の生活をより良いものにするためには、何よりも先に精霊狩りを退けなければならない……。
いつの間にか眠りに就いていたのか、エミリアが目を輝かせて俺の体を揺すった。初めて見る彼女の最高の笑みに、思わず俺の気分は高揚した。
「レオンさん! この杖って……、私のために用意してくれたんですよね!?」
「おはよう、エミリア。そうだよ。昨日シュルツ村で購入したんだ」
「こんなに素敵な杖を私のために……。本当に嬉しいです! ありがとうございます、レオンさん!」
「気に入って貰えたなら良かったよ」
「はい! 以前から氷の魔力を秘める杖が欲しかったんです。大切に使わせて貰いますね!」
エミリアは暫く杖を握り締めて喜び、何度も室内で杖を振った。長さ四十センチ程の銀製の杖の先端には青く輝く魔石が嵌っており、エミリアの魔力に反応して美しい冷気を放出している。
エミリアが楽しげに杖を振ると、室内には氷で作られた椅子やベッドが現れた。それからエミリアは次々と氷の家具を作ってみせると、最後に椅子の上に俺に良く似た氷の像を作った。
「私、こうしてレオンさんと一緒に暮らすところを想像していたんです……。やっと私の夢が叶いました。今の生活をずっと続けていきたいです。レオンさんと一緒に歳を取って、私がおばあちゃんになっても二人で手を繋いで眠るんです。二人で世界中を旅して、一緒に魔法を学んで、地域を守りながら暮らすんです……」
エミリアが涙を浮かべながら俺を見つめると、俺はエミリアの涙を拭いた。一体この子はどれだけ感動屋なのだろうか。まさか杖をプレゼントしただけでこんなに喜んで貰えるとは思わなかった。
自由自在に氷を操り、次々と家具や氷像を創造するエミリアの姿を一言で表現するなら、氷姫。杖を持ち、優雅に舞う様に物を作り出す姿がこの世のものとは思えない程美しい。エミリアが初めてシュルツ村を訪れた時、村人達を喜ばせるために巨大な氷の像を作った。まるで氷を纏う姫の様な美しいエミリアは氷姫と呼ばれる様になったのだ。
俺がエミリアを守らなければならないのだ。遂に見つけた俺だけの氷の姫を守りながら暮らすのだ……。