キールの子供達
朝一番の定時を知らせるカリヨンベルが、目の前の大聖堂の鐘楼から響いてきた。
国教でもあるルミナリオ教の大聖堂には、カリヨンベルと呼ばれる鐘をもつ高い鐘楼があるのが特徴だ。カリヨンベルは、特殊加工された小さな鐘がいくつも連なっていて、奏者がオルガンを弾くように曲を奏でることが出来るようになっている。人の声のような音色を奏でるその鐘は、『月兎の妖精』と呼ばれている。大聖堂では、これを使って、朝昼夕の定時に決まった曲が演奏される。市民に時間を知らせる重要な役割も持っているのだ。
キールの朝は、『朝露に輝く薔薇』というキール王を称える曲が、朝の礼拝の後に奏でられる。
カリヨンベルの妖精たちの澄んだ声が流れる中、礼拝を終えた人々が、ばらばらと聖堂から出てきていた。彼らの多くは、朝の礼拝に参加して、この広場周辺のカフェで朝食を取りながら談笑したり、路上市場で買い物をしてから帰宅する。だから、女性達の多くが、買い物用の籠を手に提げて礼拝に訪れるのだ。
「さて。我々も、礼拝しますか」
「そうですね」
リサはすぐに立ち上がり、アレックスが財布を取り出す前にテーブルの隅に食事代を置いて「お構いなく」と彼の手を制する。
「すいません。ご馳走様です」
「自分の国にいる時くらい、お世話させて下さい」
「そういえば、宿代も前払いして貰っているみたいで……」
大聖堂へと歩きながら、アレックスは申し訳なさそうに感謝の意を表した。宿泊代は、当然のように予約と同時に前払いされていた。
「お気になさらずに」
リサが傍らの王子に笑いかける。
「ディアトゥーヴでは、いろいろご馳走になったりしてしまいましたから」
「いえ、ご馳走だなんて。大したもの差し上げていませんよ」
十二月のソレイリューヌのお祭りの季節に、リサはキール王としてカイザースベルンを正式訪問しているが、その時も二人は、二人きりでこっそり城下に下りてソレイリューヌの市を楽しんでいた。
お互い、その時のいろいろを思い出して小さく肩をすくめた。
「宿はいかがですか? ちょっと古いところで申し訳ないのですが……」
「とんでもない。あれがキール様式の家の造りですよね? いろいろと珍しい物ばかりで、興味深く見学させて貰いました。特に中庭にせり出す彫刻群がすごかったですね。宿の主人には、迷惑だったかも知れません。質問責めにしてしまって……」
アレックスは、そう言って照れたように笑った。
「それは良かった。お手紙に、キール様式の古い建物に興味がある、と書かれていたので、あそこにしたのですが……気に入ってもらえたようで良かったです。マロニアで、一番古い宿屋なんですよ。あそこ」
「そうなんですってね。本当に感心しました。よく戦禍を免れたものです」
「本当に」
アレックスを見上げてリサが小さく頷いた。
「わぁ!」
にぎやかな声が大聖堂の入り口の方からこちらに投げかけられた。
「わぁ……白騎士様だ」
かわいらしい子供の声。
「わぁい!」
バタバタバタバタ
大きな足音を立てて、礼拝堂を出てきたばかりの子供達がリースの元へと駆け寄ってきた。見る間に、二人を取り囲む人垣が出来た。
「わぁ。白騎士様。おはようございます」
「おはようございます! リース様」
まだ五~六歳と思われる可愛い子供達は、リースを取り囲んで口々に元気良く挨拶をする。
「おはよう」
嫌がる素振りも見せずに、一人一人に笑顔を向けながらリースは彼らに答えてやる。
「朝早くから偉いな」
少し腰をかがめて、リースが子供達の礼拝を誉めてやる。
「うん! あのね、リース様。俺リース様みたいな騎士になるんだ」
「あ! 駄目だよ。俺が白騎士になるの」
「なんだよ、僕だよ」
「カイは意地悪だから騎士にはなれないんだよ〜だ」
リースを囲んで、「自分が白騎士になる」と喧嘩が始まった男の子達とそれを止めに入っている女の子達のやり取りは実に微笑ましい。
「なんだよ。俺は意地悪なんかじゃないもん」
「あのねリース様。カイはいつも意地悪するの」
「ほら、ぶった! やっぱり意地悪よ」
「なんだと!」
「こらこら」
少年が振り上げた拳を左手で軽く受け止めて、喧嘩が始まりかけたところをリースが優しく仲裁に入る。
「女性に優しくするのが、騎士の心得だぞ」
先ほど女の子を叩いていたそのカイという少年の元にしゃがみ込んで目線を合わせて、
「いいか。騎士になるには、剣の腕ばかり強くなればいいというものではない。強いものは、弱いものに優しくしなくてはいけない。親を敬い、先生を敬い、そして何より、女性に優しくする。騎士の心得を習っているだろう? それが出来ないと、騎士にはなれないぞ」
優しく、しかし力強く、諭すように少年に語りかける。
「わかったか?」
「うん」
「返事は「はい」だ」
「はい」
「よし」
元気に「はい」と返事をしたカイの頭にポンと手を置いて、満足そうに微笑みを送る。その女神の微笑みのような美しさに、まだ年端もいかない少年がうっとりした顔をしているのに、アレキサンドロスはなぜか嫉妬にも似た感情を覚えた。そんな彼に背中を向けたまま、今度は先ほど叩かれていた女の子の方に向き直り、
「でも。本当に強いのは女性の方だ。だから優しくならないといけないよ」
その子の頭にもポンと左手を置いた。
「はい。うちも、お母さんの方が強いの。私ね、お母さんみたいな人になりたいの。でね、お母さんみたいに、王様のお洋服を縫うお仕事がしたいの」
「そうか。お母さんは、立派なお仕事をしているね。君ならなれる」
「俺、騎士になって、リース様の部下になる」
「王様の家来になって、王様をお守りするんだ!」
彼女を取り囲んでいた子供達が、また口々に自分の夢を語りだしていた。
「皆、心強いな。きっと王様もお喜びになる」
「本当に?」
「本当に王様喜んで下さる?」
「あぁ。本当だ。たくさん勉強して、たくさん修錬して、賢く強く、そして優しくなりなさい。仲間を大事にな」
「はい」
「ねぇ。お兄さんはカイザースベルンの人?」
一人の男の子が、アレックスを見上げて尋ねてくる。
「うん? どうしてそう思う?」
アレックスも、少し腰をかがめてその少年の顔をのぞき込んだ。
「だって、その剣についているマーク、カイザースベルンのだよね?」
アレックスの剣には、カイザースベルンの、百合を加えた獅子の紋章が刻み込まれている。それを小さな指で指差しながら、少年はクリクリと目を動かした。
「すごいな。これ、知ってるのか?」
「うん! 僕の父さん、昔カイザースベルンの騎士をしていたんだ。だから、そのマークのついた剣、うちにあるんだよ」
「ほう。そうか。父さんはカイザースベルンの人か」
アレックスの声は、心なしかうれしそうだった。
「ねぇ。お兄ちゃんはリース様のお友達?」
立ち上がったリースの左手をトントンと叩きながら、女の子がアレックスの方に顔を向ける。
「そうだよ。とても大事な人だ。カイザースベルンもキールも、もちろんドレイファスも、みんな仲間だから仲良くしないといけないよ」
「は〜い!」
「ほら、お前達!」
彼らの母親と思われる女性達が慌ててこちらに駆けてきて、いつまでも続くかと思われたその囲いを解いていく。
「リース様。大変失礼いたしました。私どもの子供達が……」
「ご迷惑おかけして」
「構わない。みなしっかりとした良い子だ」
ペコペコと頭を下げる母親達に、リサはまたあの微笑みを送った。彼女たちは、子供の手を引いて時々振り返りながら、朝市が開かれている通りの方へと歩いていく。誰の顔にも、恍惚とした表情が浮かんでいた。
「さすがですね」
「?」
アレキサンドロスの言葉に、リサが振り返った。
「彼女たちのあの表情。あなたの笑顔に触れたら、誰でもあんな表情になってしまう」
「よく言う。あれはあなたのせいでしょう?」
「俺の?」
「そう。あなたの笑顔に触れると、私もいつもあんな表情になるらしい……あなたの笑顔は、人たらしなのだと」
「フレッデリックですね? そんなこと言うのは」
アレキサンドロスが肩をすくめた。
「でもリサ。あなたの人気は女性だけではない。あんな子供達にまで、大人気ですね」
「大人気というほどではありませんが……幸い、子供達に騎士の人気は高いのです。子供はこれからのこの国を支えてくれる貴重な人材。もともと、騎士が支えてきたキールですから、子供達が騎士に憧れを抱いて、騎士になりたいと思ってくれるのは喜ばしいことです」
話しながら、こちらが見えなくなる寸前まで大きく手を振っている子供達に、軽く右手を挙げて答えてやっている。
「あなたもよくご存じのように、騎士として本当に重要なのはその心。剣を学ぶ前に、騎士道のなんたるかを学ぶべきだと。私も、バルディスからそう教わりました。だからキールでは、幼年学校に、現役の宮廷騎士が講義に行っています。剣ではなく「騎士道」そのものの講義に。幼いうちから、戦うばかりが騎士の役目ではないと、学んで貰いたいのです」
「さすがですね。キール王は。我が国も、初等教育には力を入れてはいますが……なるほど。そういう手がありましたか。これは、国に帰って父上に進言しないといけませんね」
アレックスが、感嘆の言葉を贈る。彼からの賛辞に照れたように肩をすくめて、
「行きましょう」
リサは大聖堂の入り口へと足を踏み出した。
二人は並んで入り口をくぐって薄暗い聖堂内に入っていった。