広場の朝
マロニアの街は、西の端の丘の上に立つマロニア城を起点に、街全体がぐるりと城壁に取り囲まれている。そのほぼ中央に位置する大聖堂は、国教であるルミナリオ教の大聖堂で、何千年も昔の建築スタイルであるネオロマネスク様式で建てられた美しい聖堂だ。
鮮やかなピンク色を呈する薔薇輝石で作られていて、所々に黒っぽい石がモザイク状に入っている他は、全体が鮮やかな薔薇色だ。本来、この薔薇輝石という鉱石は、風雨にさらされると徐々に色を失い黒色に変化していく。それが現在見える黒っぽい部分だ。しかし、建築当時の部分、既に二千年以上の時が経っていると言われる部分は、不思議なことにその色を失わない。約十五年間続いた薔薇戦争の戦災で被害を受けた大聖堂は、出来るだけ、元あった石材を元あった場所に戻す、という手法で復元された。それでも、どうしても足りない部分に、新たな鉱石が使われたのだ。復元されて二十年。何故か新しく復元された箇所のみが風化し黒変していく。建築当時の鉱石は、「何か特殊な加工」が施されており変色しない、と、今までの調査ではそう結論づけられている。
天に突き刺さるマロニア大聖堂の二本の薔薇色の塔は、神秘のベールを纏った神話の国キールの象徴ともなっており、国内外から、たくさんの観光客がこの神秘の大聖堂を見学に訪れる。そのため、大聖堂を中心とした地区には、古くからの宿屋が多い。
カイザースベルンからの客人、アレキサンドロスとフレデリックが泊まっているのも、大聖堂の正面に面する宿屋のひとつだ。
大聖堂から放射状に大通りが五本延びていて、それぞれが枝分かれして小路となり、街の中をくまなく巡っている。
「ね? どうです? ここ、美味いでしょう? 俺、ここのパンが一番美味いと思うんっすよね。ね? どうです? もうひとつ。このケシの実パンも最高ッスよ」
パンが盛られた籠を一同の前に差し出しながら、アラン・デービスが弾むような声で声をかけた。アランは、王宮騎士でもあり腕の立つ剣士なのだが、どうも騎士らしくない奔放さとずば抜けた明るさを持った青年だ。美味しいものと女性が大好き、と豪語してはばからない面白い男だ。それほど美形ではない彼だが、誰からも好かれるその性格ゆえに、めちゃくちゃモテる、らしい。
「ヒマワリパンも美味いですけどね」
現に、パン籠が焼きたてのパンでいっぱいなのは、ここの夫婦と彼が顔なじみだからだ。
籠をのぞき込んで、手前で埋もれていたヒマワリパンを引っ張り出して自分の前に置いた。こんがりと焼けたパンは、まだ湯気が上るくらいの焼きたてだった。
大聖堂の前の広場に面したオープンカフェで、リサフォンティーヌ、アラン、アレキサンドロス、フレデリックの四人は、丸テーブルを囲んで朝食を摂っていた。
昨日夕方に、キールの王都マロニアに到着したアレキサンドロスとフレデリックは、このカフェと目と鼻の先の宿屋に宿を取っている。予約したのはリサの手配だ。彼からの手紙に記されていた希望通り、町の中心部にある宿屋を探した。格は低くはないが、建造年が古いので快適とは言いにくい、はずである。しかし、彼はこういう歴史のある建物に泊まることを好んでいるとのことで、気に入ってくれたようだった。
カイザースベルンの王子であるアレキサンドロス・ラビ・カイザースベルンは、兄であるマキシミリアン王太子に配慮してか、元服するとすぐに騎士として臣下に下る道を選んだ。そのため、普段は「アレックス・ライデル」と母方の姓を名乗っている。彼の気さくさは、こういう境遇から生じているものだった。剣の腕も優れ人望もあるアレキサンドロスを後継者に押す声がないわけではないが、彼自身は王位には興味がなかった。
宿泊先となっている宿屋には、朝食を取るレストランが付属していないため、食事は近場のカフェやレストランで取るしかなかった。幸い、リサの警護に同行してきたアランは街に詳しい。彼が、自身のお薦めというこのパン屋付属のカフェに連れてきてくれて、四人はその店の前に並んでいるカフェのテーブルで朝食を食べていた。少し肌寒いが、朝日が射し込んで気持ちがいい。
「アラン」
たしなめるような調子でリサは部下の顔を見た。
「あ? 召し上がりますか? 白騎士殿」
「そんなに無理に……」
「勧めるなよ」と言うはずだったリサの言葉に被せるようにして、
「俺、貰っても良いッスか?」
陽気な声で手を伸ばしてきたのは、アレックスの部下のフレデリック・ワイリーだ。彼の性格もまた、どこかアランに通ずるものがあるようだ。アレックスの従兄弟でもあり幼馴染みの彼にとっては、隣りに座るアレックスは、王子以前に親友だ。気兼ねもない。
「おぉ? いくか!」
「はい。頂きます。本当、美味いッスね、ここのパン」
「だろう?」
「でも、なんだか美味いサラミが食べたくなりますね」
籠から新しいケシの実パンを取って豪快にかぶりつきながら、フレデリックが微笑みかける。
「おぉ! だろう! 俺、サラミが美味いとこも知ってますよ。朝はこの向こうの広場でマーケットやっているんだ。行きますか!」
「いいっすね!」
「フレッド!」
「アラン!」
アレキサンドロスとリサフォンティーヌが、ほぼ同時に暴走気味のそれぞれの部下の名前を呼んでいた。
「閣下も行きますか?」
意気投合してすっかり二人でサラミ屋に行くつもりになっていたアランが、呑気な口調で主の方を振り返った。
「私はいいよ」
「あ、でも本当は、俺、警護のために同行してるんでしたよね」
護衛が主を無視してそこを離れるなど、本来は言語道断な振る舞いだ。自分の役目をすっかり忘れてしまっていたようなおかしな物言いだ。しかしアランは、少しも悪びれる素振りを見せない。そんな彼の悪気のない態度にため息をつきながらも、こみ上げてくる笑いをリサは必死に押さえ込もうとした。
「いいよ、必要ない」
苦笑混じりでアランに答えを返す。いつも大抵、リサが暴走して勝手に走り出し、それを護衛バルディスに怒られる、というのが常だ。普段のバルディスも、こんな気持ちなのだろうと、リサは思った。
「あ? やはり? そう思いますよね? リース閣下に敵う相手なんていませんし。俺がいると、かえって足手まといになっちゃうかも知れませんし。それに……」
身を乗り出して、囁くような小声で、
「デートの邪魔をするだけですもんね」
と軽く片目をつぶった。
「アラン!」
リサは、顔を真っ赤にして声に力を込めた。
「まぁまぁ。アラン、フレデリックに街の観光案内でもしてやってくれ。リースのことは俺が責任持つから……って、責任持って貰うのはこちらの方か?」
アレックスが飄々とした笑顔をリサに向けてから、
「俺もその方がうれしいし」
アランにウインクした。
「ようし! そうと決まったら行きますか!」
「はい!」
「では、後ほど」
勢いよく立ち上がって、それぞれお互いの上司に大袈裟に敬礼をする。
「で、そこの肉屋の女の子がめちゃくちゃ可愛いのよ」
「え? まじっすか?」
奔放で軽いところがなぜか似ている二人は、下世話な話で盛り上がりながら肩を並べて石畳の道を歩き出す。
「気が合うみたいだな」
「随分と、ね」
楽しそうに歩き去る二人の背中を眺めながら、アレキサンドロスとリサフォンティーヌは、顔を見合わせて笑った。