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心配性の執事

「陛下~陛下〜」

 遠くから、叫びにも似た切実な声がやってくる。程なくそれは、ドタバタという大きな足音を伴って、執務室の前で止まった。切羽詰まった感じのノックの音。

「どうぞ」

 執政官フェリシエール・カール・ビエラは、くすりと笑ってから、のんびりとした声で入室を促す。キール国王の居城、マロニア王城のサファイア・ウイング。王の執務室の控えの間である。

 部屋に駆け込んできたのは、だいぶ白髪の交じった老年の執事パークデイル・ロンシャムだ。

「パークデイル。廊下を走るのは良くありませんよ」

 執事の孫ほど年の離れた執政官は、落ち着いた声で、部屋に駆け込んできた執事を優しくたしなめる。低い位置でベロアのリボンで結わえられた深緑色の髪が、動くたびに、水色の上着の背をさらさらと流れる。

「は、はい……申し訳ありません」

 息を切らせながらも姿勢を正して頭を下げたパークデイルに、フェリシエールは穏やかな眼差しを向ける。髪の色を映したかのような深緑の瞳が執事の姿を映す。キール王を補佐し、国の政務の全てを取り仕切るこの若き執政官は、どんなことがあっても常に冷静沈着。物腰も穏やかな青年だ。

「でもちょうど良かった。あなたにお願いしなくてはいけないことがあるのですよ」

 柔らかな春風のような声。

「フェリシエール閣下…陛下が……」

 落ち着き払った執政官とは対照的に、執事長の声は乱れている。廊下を疾走して来たためか、大きく肩で息をしている。

「そんなに大騒ぎしなくても大丈夫ですよ」

「しかし、陛下が……」

 羽ペンをスタンドに戻し、分厚い一枚板で出来た執務机を離れる。部屋の入り口に立っているパークデイルの元へと歩み寄った。

「姫が……おられないのです……」

「何か急用ですか?」

 心配が顔からこぼれ落ちそうになっているパークデイルに対して、フェリシエールはまったく動揺する様子もなく、穏やかな口調でそう尋ねる。

「いえ……急用というわけではないのですが……」

 パークデイルはそう言いながら、自分が探し回ってきた場所をひとつひとつあげていく。

「御朝食も召し上がらず、お部屋にもおられないし……練武場にも、騎士堂にも行ってみたのですが……バルディス閣下は騎士堂におられましたが、ご存じないと……」

 バルディスの名前に、フェリシエールは小さくため息をついた。キール四天王の一人黒騎士バルディス・レイ・ソートは、リサフォンティーヌの剣の師匠でもある。

「今度からは、陛下がこっそりお出かけの時にはそう大騒ぎしないように。それと、こういう時にはバルディス卿には内緒にしてあげなさい。おかわいそうに、陛下はまた彼に怒られるじゃないですか……」

「ですが、警護もお連れにならずにお出かけとは……」

 フェリシエールは、いったん自分の机へと戻ると、引き出しの中から二つに折り畳まれた紙片を取りだした。衣服の裾をヒラリとはためかせながらパークデイルの前に戻ってきて、細く長い指に挟んだ紙片を指しだした。

「え? これは?」

 差し出された紙片を受け取って、パークデイルは目をパチパチさせた。

「お忍びで城下に下りています。デートだからバルディス卿とご一緒では堅苦しいのでしょう」

「デ……デート……!?」

 フェリシエールの言葉にもう一度目をパチパチさせながら、ずり下がったメガネを右手で軽く持ち上げて、手の中の紙片を開いた。

「王子も堅苦しいのがお嫌いだそうですからね。騎士としてお忍びでのご訪問だそうですよ。先週届いた親書の中に、こちらへの外遊のご予定が記されていたそうです。陛下も、公式訪問にして堅苦しくするのは嫌だとお考えになられたのでしょう。私も、打ち明けられたのは昨夜ですから」

 隣国カイザースベルンの第二王子、アレキサンドロス・ラビ・カイザースベルンとキール王リサフォンティーヌ・ファン・ル・キール・ドレイファスは、一昨年の秋にひょんなことで行動を伴にしてから急速にその仲を深めている。

 お互い堅苦しい王宮暮らしが大嫌い、と言う自由奔放な性格だ。

 今回も、親友一人を伴に連れての単独旅行で、このキールの王都マロニアに外遊中。

「わたくしには一言も……」

 パークデイルの消え入りそうなか細い声。リサフォンティーヌに、彼女が生まれてからずっと仕えている忠実な執事は、自分に一言も伝えてくれなかった事がかなりショックだったのか、泣きそうな顔になった。

「あなたのことを信頼しているから、迷惑をかけたくないとお考えになられたのでしょう。公式訪問ということになったら、面倒をかけさせられるのはあなた達、侍従や侍女達ですから、それに対する陛下なりのご配慮でしょう」

「そんなこと……。それは私どものお役目なれば……。しかしお一人でお出かけとは」

「心配いりませんよ。アランが同行しています。それに、リース・セフィールドとしての外出ですから、何事か起きても大抵のことは大丈夫ですよ」

 フェリシエールが微笑む。その微笑みには、ほんの少し憐憫の色が浮かんでいた。

 リサフォンティーヌがお忍びで外出するときは、大方、姫としての外出ではなく、キール白騎士リース・セフィールドとしての外出だ。

「いいかげん、陛下の騎士としての腕をご信頼申し上げてはいかがですか?」

 少し意地悪に言ってやると、

「いえ、もちろん、陛下の、白騎士様の実力は十二分にご信頼申し上げておるわけではございますが……あの、そのなんというか……」

 しどろもどろになって視線を泳がせる。そんな老執事の姿に、フェリシエールは改めて口元を緩めた。

 キール騎士団には、そのトップに君臨する最強の四人に、それぞれ、白騎士、黒騎士、赤騎士、青騎士の称号が与えられており、四天王の名で呼ばれている。いずれも、秋にドレイファスで開かれる武闘大会の優勝者に与えられるドレイファス王宮騎士の称号をも得ている騎士達で、その実力は折り紙付きだ。中でもリース・セフィールドは、十七才で王宮騎士となった天才的な腕を持つ剣士として伝説にもなっている。その白騎士が、実はドレイファス王国の王女でありキール王国の王でもあるリサフォンティーヌ・ファン・ル・キール・ドレイファス自身であるということは、リサの極近しい側近のみにしか知られていないことではあるが。

「あちらも、部下をお一人お連れしてのお忍び旅行だそうですからね。目立たなければ、不用意にお命を狙われるようなこともないでしょう。まぁ、陛下のことですから、暴動でもあれば飛び込んでいってしまうかも知れませんが……このマロニアの街で、白騎士相手に剣を向ける愚か者がいるとは思えません」

「はぁ……」

 力が抜けた声で、パークデイルが相槌を打つ。

「ですから、考えたのですが……せっかくですから、アレキサンドロス王子には、お城にお泊まりいただいてはいかがかと思うのです。将来的には、陛下とご結婚されることになるのでしょうから、マロニア城をご覧頂くのにも、私やあなた方をご紹介頂くにも良い機会かと思うのです。もちろん、陛下にはまだお話しておりませんが……お忍びということなので、こちらもあまり堅苦しくないご接待をさせていただけばご了承いただけるのではないかと思うのです」

 フェリシエールは、反対の手に持っていた紙を、ヒラリと執事に差し出した。

「それで、これをあなたにお願いしようと思っていた所なんですよ」

 そこには、彼の几帳面な字で、夕食会の予定が書き込まれていた。

「プライベートなお食事会です。メニューはあなたが考えて下さい。料理人達には、これから伝えれば充分準備できる時間があるでしょう。迎賓棟も普段から掃除がされているのでしょうし、ムーンストーンズルームのセッティングにもそれほど時間はかからないでしょう?」

 フェリシエールの、髪と同じような深い緑色の瞳が、「ね?」と執事の薄紫色の瞳をのぞき込んだ。

「私達には、このくらいのことでしか陛下にお喜びいただけませんからね」

「わ、わかりました! 早速手配させていただきます」

「えぇ、ありがとう」

 パークデイルの言葉に、若き執政官は、目を細めてにっこりと微笑んだ。

 大きなガラス窓の向こうに、ピンク色のユレキニアが滑空していく景色が流れた。穏やかな朝の始まりだった。

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