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不穏な予感

 ドレイファス王国の王都カラキムジア。その王都と緑の森を眼下に望む岩山の頂に、一頭の馬が駆け上がってきた。カラキムジアの街を眼下に望むこの岩山は、標高もそれほど高くなく、山頂まで馬で駆け上ることができる山として騎士たちに人気がある。中腹の草原は、馬術の練習場としても利用されているほどだ。

「お疲れ様です。殿下」

 背後から続いてやってきたもう一頭の馬の背から、青年に声が掛かる。

「ありがとう。エルンスト」

 殿下と呼ばれた青年が振り返る。金色の美しい髪が、汗で額に張り付いていた。ウインダミーリアス・ファン・ドレイファス。ドレイファスの王太子だ。差し出されたタオルを受け取り、ガシガシと乱雑に髪を拭く。ラフな服装をし、わざと粗野な態度を取っていても、その動きの端々には優雅さが潜んでいた。

「やはり、この季節の遠乗りは気持ちがいいな」

 馬を降りたウインダミーリアスは、岩肌を駆け上ってくる風に眼を細めた。柔らかな髪が、風に揺れる。

「殿下の乗馬の腕がその度に向上されていて、私はついていくのがやっとです」

 馬の手綱を受け取りながら、二人目の男がそれに応じる。

「やめてくれ、マーロン。乗馬の神と言われているそなたにそんなことを言われると、世辞であることも忘れて喜んでしまうよ」

「お世辞などではございません。本心からそう思っております」

「そうですよ、殿下。馬術の腕を誇る近衛騎馬隊の中でも、殿下に敵う者はもうほとんどおりませんよ」

「エルンストまでそんなことを。まぁ、今日のところは、素直に喜ばせてもらおうかな」

 照れ笑いを浮かべながら、ウインダミーリアスは手近な岩に腰を下ろした。エルンストがすかさず水筒を差し出す。

「少し馬を休ませてきます」

 マーロンは、二人の馬を引いて少し戻ったところにある泉に下っていく。

 肌寒い気温だが、火照った体には実に心地良い。

 水筒の水を喉に流し込んでから、ウインダミーリアスは、改めて眼下に広がる景色に視線を移した。春の空のような淡い水色の瞳が、まっすぐに森の向こうのカラキムジアの街を見つめる。この位置からは、カラキムジアの街と、キールから続く街道が一望できる。

「それにしても、最近、とみに遠乗りの回数が増えましたね」

 エルンスト・テスは、ウインダミーリアスの側近として少年の頃から彼に仕えている。幼い頃から彼のことをよく知っているエルンストの言葉の通り、ここ数ヶ月、王太子の外出頻度は倍増していた。非公式な外出はもちろんお忍びのため、王宮近衛隊の中でも、特別に王子に近しい親衛隊の中から、何名かが交代で供を務める。今日来ているのは、馬術の腕に優れたマーロン・リヒドだ。

「私は、嫉妬しているのかもしれないね」

 唐突に発せられた台詞に、エルンストが怪訝そうな顔をした。

「嫉妬、ですか?」

「あぁ。嫉妬だ。キール王リサフォンティーヌに」

 薄曇りの空からちょうど太陽が顔をのぞかせ、ウインダミーリアスは眩しそうに眼を細める。街道の先に見える緑深い森の遥か向こうに、妹が治める国キールがある。

「いや、わかってはいるさ。妹は優秀なのだ、私などより。それでもね。妹が危険な目に遭ったと聞くと、兄として何かしてあげられないかと思うものだ。そしてそう思えば思うほど、私は、妹の強さに嫉妬する。困ったものだね」

 独り言のようにそう呟く。

「龍の後継として大いなる期待を背負って育てられた妹は、そのプレッシャーを物ともせずに羽ばたいていった。それに対して自分はどうだ。王太子としての責任を果たせているのか」

 遠くを見つめたまま淡々と心情を吐露するウインダミーリアスの声は、いつもの自信に満ちた張りのある声ではなく、柔らかく揺れ動いていた。

「すまない。こんなことを話せるのはお前くらいのものだ」

 主人の言葉に、エルンストはゆっくりと頷いた。

「殿下はお優しいのです。リサフォンティーヌ陛下のことを深く愛されているからこそ、そのようなお気持ちになるのです」

「そうなのかな」

 ウインダミーリアスは、到底納得していないという表情をしていたが、ここ数ヶ月感じていた違和感を「嫉妬」として口に出したことで、体に入りすぎていた力が、すっと抜けるような気がしていた。

「殿下は、この大国ドレイファスを継がれるお方です。そして、ドレイファスと共に、キールを守護するお役目が」

「それもまたプレッシャーなのだよ。私に、偉大な父上の後を継ぐことなどできるのだろうか、とね」

「殿下。何をおっしゃいますか」

「そのことに焦っているのだな、私は」

 表情が緩む。小さく微笑んだ顔は、近親にしか見せない素の表情だ。

「殿下!」

 そこへ、激しい蹄の音を響かせて馬が一頭戻ってきた。先ほど馬を連れて下って行ったばかりのマーロンだ。

「どうした?」

「殿下、隊長、大変です。人が、人が倒れています」

「何?」

「それと、生後間もない赤子が」

「どこだ?」

「すぐ下の、泉の畔りです」

「よし。マーロン! 殿下を馬でお連れしろ」

 言った時には、エルンストはもう駆け出していた。ウインダミーリアスを乗せた馬が、それを追い越していく。距離にして数百メートル程下ったところに泉がある。二頭の馬が、泉で水を飲んでいる。その池を半周回ったあたりの岩陰から、人の手のようなものが伸びているのが見えた。馬が止まるとすぐに、ウインダミーリアスが真っ先に駆け寄った。マーロンもすぐに後を追う。

「女か」

 岩に体を預け、ぐったりとうなだれるように横たわっている人は小柄で、女性のように見えた。その傍らに、布に包まれた赤子がポツンと置かれている。顔があちらを向いているため表情は確認できない。眠っているのか死んでいるのか、泣くことも動くこともなかった。

「私が」

 ウインダミーリアスを制するようにして、マーロンが倒れている女性に駆け寄る。

「待て、マーロン。死因が分からぬ。不用意に触れるな」

 触れなくとも、女性の生死は明らかだった。体はすでに色を失い。死後硬直も始まっている。

「赤子は?」

 布の包みがわずかに動いた。マーロンが駆け寄り、自らのマントを脱いで、それで包むようにして抱き上げた。抱き上げられた赤子は、かすかな泣き声を上げ始めた。今にも消え入りそうな弱々しい、苦しそうに喘ぐような声だ。

「生きています。しかし、かなり衰弱しているようです。これでは長くは保ちません」

「マーロン。お前は急ぎ、その子を連れて病院へ向かえ。それと、鑑識医務官をここへ」

「は。承知しました」

 赤子を抱えたまま器用に馬に飛び乗ったマーロンは、すぐにその場を走り出した。

「殿下!」

 そのタイミングで、走って二人を追いかけてきたエルンストが到着した。

「赤子がまだ生きていたので、マーロンに病院に連れて行かせた」

「その人は、死んでいるのですね」

 エルンストは、ウインダミーリアスの隣に膝を付き、息絶えている女性をまじまじと見た。

 すっかりと生気の失われた顔だが、死後日数が経っているようには見えなかった。

「この女性の服装……」

 毛織物で作られた肉厚のグレーのポンチョから、鮮やかな色のワンピースが覗いていた。

「それは確か、ヴァイザートゥーム地方の民族衣装だったね。村や一族ごとにその模様が違う。紋章と同じように扱われているはずだから、模様も役所に登録がされているはずだ」

 各地方の風習や風俗を学ぶことも王族の務めのひとつだ。ワンピースに織り込まれた、菱形を連ねた幾何学模様は、森に囲まれた雪深いヴァイザートゥーム地方独特の衣装だ。

「では、この模様を辿れば、身元がわかるということですね」

「そうなるだろうね」

 この岩山から続く山並みを超えて行った先に、針葉樹林が茂る雪深い山岳地域ヴァイザートゥームがある。しかし、カラキムジアからヴァイザートゥームは決して近い距離ではない。子連れの若い女性が、このような場所でたった一人で息絶えていることも奇妙だった。

 ウインダミーリアスは、なぜか嫌な胸騒ぎがした。

 理由はわからない。

 しかし、心の奥深くからこみ上げてくるのは、言いようのない恐ろしさだ。押し寄せてくる不安を、ウインダミーリアスは軽く頭を振って振り払った。

久々に続きを。予告通り、ウインダミーリアスの登場です。

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