第二話 何も思わない
この出会いは、偶然か、必然か。
第二話です。
怪物はそういうと、私を地面に下ろした。私は困惑して、逃げ出すこともできなかった。ただ、この怪物が言っていることの意味が分からなかった。
「あ? お前なんて顔してんだ。まさか、自分がどうなってるかもわかってねえのか?」
怪物が言う。こいつは何を言っているんだろう。私がどうにかなっている? 確かに記憶はない。もしかしたら、今自分が何かの病気にかかっているかもしれない。だが、この怪物はそういうことをいっているのではない。もっと別の、違うことを言っている。
「……貴様は、私がどうにかなっているとでもいうのか? 私の事を知らないくせに。」
「そりゃお前も同じだろうよ。安心しな。俺もお前も似た者同士だ。恐らくだが、お前は記憶がないままここで目が覚めて、今は水分求めて川へ到着。そんなこんなで俺と出会った。そうだろ?」
私は驚く。何故そんなことを知っているのか。まさかずっと監視されていたのか。そして私を確実に追い詰めるため、この川で待ち伏せしていた。その可能性が一番高い。怪物が私をどうするつもりなのかは知らないが、私はそう思うことにした。
「……私をどうするつもりだ。ここで食うか、殺すか。」
私がそういうと怪物は笑った。灰色の顔を歪ませて、ひとしきり笑う。そして呼吸を落ちつけて、私に鋭いカマを向ける。
「お前よ。まだ人間の欲に囚われてんのか? 食うとか、殺すとか。まぁ俺も仕事で殺しはするけどよ。自分に問いかけてみろって。お前は本当に腹が減ってるのか? お前は本当に喉が渇いているのか? 全部答えはノーのはずだ。」
さすがに私は怒りを覚える。さっきからこの怪物は私を人間でないように言って、なんだというのだ。私は人間だ。そのぐらいは確かめなくても分かる。
「くだらないことを言う。私は人間だ。そうでなければ何故ここに来た。喉の渇きを癒すためだ。これから生きていくためだ。それに感情も持っている。私は人間以外の何物でもない。」
「はっ。んじゃ直接言うけどよ。お前はいわば地球の抗体になったんだよ。食べ物もいらなければ水もいらない。感情なんてどんなもんか忘れるし、お前と今話している時ぐらいだ。人間の時を思い出すのは。」
怪物はそう話していると、突然言葉に詰まり黙ってしまう。私は何か仕掛けてくるのかと剣の柄をまた握った。怪物は何やらブツブツ呟いている。「あれがそうか……いやだめだ。じゃああれは……。」などと言っているのが不気味に見えて、私はいつでも反応できるように全神経を怪物に向けた。
「はぁ……。もう説明すんの無理だから無理やり分かってもらうか。自分が人じゃないってことを。」
そう怪物が言い放ったあと、怪物は止まった。いや、一瞬だけだった。止まったのは。そのあと、さっきのように少し体を揺らしながらこちらを見ている。私は焦りを感じた。何だ、何をしてくるんだ。そう思って、我慢できずに右手に握った剣を鞘から抜いた。
「……え、あれ。なんで、剣が抜けない……。」
剣は抜けなかった。私は困惑して怪物にそらしていた意識を剣に巡らせた。剣は鞘に入ったまま。手は柄を握ったままだった。ただ、一つ。その手につながる腕が、柄を支えに宙にだらんと垂れ下がっているのが、私を恐怖へと陥れた。
「いやあ、ああ、いやああああああ! 私の腕が、腕がない!」
「おいおい、そんな怖がるなよ。ほらほら、痛みないだろ? 大丈夫だって。我ながらいい案だとは思わねぇか? これでお前は痛覚のない自分に気付き、痛みもなく自分が人間じゃないってことが分かった。うん。これはいい判断だった。」
私は絶叫する。腕が無くなったことへの恐怖、気持ち悪さ、怒り。それを発声することで、どうにか収めようとする。ただ、その感情の中に、痛みはなかった。最初はらしかった悲鳴も、だんだんとわざとらしさが見えてきて、私はついには叫ぶのをやめた。あとには受け入れがたい事実に困惑する自分だけがいた。
「……私は、人間じゃない? ならなんなんだ。私はなにとして生きている?」
「だからさ、地球の抗体だって。地球の抗体は五感のほとんどを失い、半永久的な存在として地球を守るんだよ。いわゆる不死身だ。ほら、もう生えてきたぞ。」
怪物に言われ、私は無くなった右腕を見る。そこには、自分に合う大きさで、真新しい腕が生えてきていた。自分の意志で動かせるし、最初から使い慣れている感じだ。私は少しの気味悪さを感じた気がしたが、気づけばその感情もすぐに、感じたのか分からなかくなった。
「……そうか、私は人間ではないのか。今まで、人間の時の欲求に囚われていただけなのか。」
「そう。お前ももう分かったはずだ。自分が何者なのかな。まったくヘムのやつ。最近ぼんぼこ数増やしやがって、おかげで俺らの仕事がないぜ。まぁ、別にいいけどよ。」
突然怪物が独り言を喋る。だが私はあまり動じなかった。動じたような気がしたが、すぐにそれは消えた。私は、今自分がとても空っぽになってしまった気がした。
「……私も、お前みたいな姿になるのか? そんな、醜い姿に。」
「はっ、それはお前の新しい右腕を見りゃあ分かる。そしてそれが分かれば、もう変われるはずだ。」
私は右腕を見た。普通に見えた腕だったが、よく見ると小さな鱗のようなものがぽつぽつとあった。私は感じた。竜。そう、私は竜になれる。私は、そう強く思った。
「今、一瞬思った気がするので言っておく。ありがとう。何だかすっきりしたよ。」
「俺はそれを聞いてもなにも思わないがな。しかも助けになるようなことはしていないし。」
「……貴様の名前は何だ。それだけ聞いておきたい。」
「はっ、名前か。あった気もするな、名前。確かアリ……アリ……。……もうアリでいいわ。」
「そうか。貴様の名前はアリか。奇遇だな。私も自分の名前をアリまでしか思い出せない。」
「似てるのかもな。名前が。まぁなんも思わないけど。」
「そうだな。私も何も思わない。」
そんな会話をして、私はアリに背を向けた。背中に感じる確かな感覚に力を込め、私の体は宙に浮く。そして何も考えずに、空へ飛んだ。
※※※
空へ飛ぶと、この島が広く見えた。まるで空に浮かぶ三日月のようにこの島は続いていた。その周りには海があり、ただ一つ丸い島があるだけだった。
丸い島は、三日月の島に比べると汚く見えた。私はその島の方へ飛んだ。するとその島がとてもよく見えた。
丸い島には人間がたくさんいた。子供と一緒に遊ぶ人。楽器を持って歌う人。たくさんの人と万歳する人。たくさんの笑顔と、輝きがあった。
あるところでは戦争が起きていた。銃を叫びながら撃つ人。爆弾を持って敵に走っていく人。追い詰められて、海へ飛び込む人。たくさんの恐怖と、憎悪があった。
私はそれを見て、三日月の島へ戻った。特に何も感じなかった。何も思わなかった。私はただ、翼を動かして、あの島へ向かうだけだった。
人間は、地球を汚すウイルスだ。
少し、そう思った気がしたが、すぐにそれは消えていった。
さて、次の話はエピローグです。