減少と過去
四十一階の扉の前に立つと、扉を開ける。部屋の中はまたしても薄暗い。
「安全地帯ってだいたいどのぐらいの頻度で出てくるんだ?」
「そうだなー、だいたい五階?六階?ぐらいかな、けど、信志が来る前は二階上がったらで出てたな、あん時はラッキーだったな」
純は笑いながら蓮花に肩を組む。それに対して蓮花は少し恥ずかしそうに赤面せていた。
そして何もない虚無のようなこの空間で、数時間が経った頃にはみんな壁に背中をあずけ腰を下ろしていた。
「人落ちてこないよなあ」
「そんなに落ちてきてもらっても困るんだよな、残りの武器も残り三個だし、生身の人間が戦える相手じゃないからな」
沈黙の中、信志と純の会話が響く。誰一人喋らないのは俊哉のこともあるかもしれないが、それ以上に何も無い空間に長時間いることは辛いことなのだ。それゆえに体力を消費しないように、自然と誰一人喋らなくなるのかもしれない。
二人の声が響くなか、突然の光。それを合図にみんなは立ち上がる。開戦の合図だ。
「うわ、何ですかあれ」
大広間にはすでに敵生物が存在している。全身緑色、片手には鈍器の様なものを持ち、一メートル弱の身長。
「あれはゴブリンね、個々の力はたいしたことないんだけど数が多いからやっかいなのよね」
「前と同じで考えたら百八十匹ってところだな、ノルマは一人三十匹だけど、俊也はどうする?」
「ぼ、僕も皆の役に立ちたいです!だから、頑張ります!」
「よーし、じゃあ、行くぞ!」
純のかけ声と共に六人全員は声を上げて一斉に走りだす。
ゴブリンたちはみるみるうちに減っていく。時折俊也が危ない時があるが蓮花や純のフォローでなんとか回避している。そして、数十分が経った頃には全てのゴブリンが灰と化していた。
「あー、疲れた。やっと全匹倒したよ、もうだるいよ。」
「純さん助けてもらってありがとうございます。蓮花さんもありがとうございます」
「さてと、瓶も回収したし、そろそろ次の階に行きまーーー」
その時、純の声をかき消すように破壊音が鳴り響く。辺りを見回したが何一つ破損したものは見当たらない。
まさかと思い上空を見いやると……。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私は、山寺理沙、十七歳の高校二年生。一つ上には学校の中でも人気な先輩の彼氏がいます。けど、そのせいもあり学校では他の女の子からいたずらをされることがあります。
今日もいつもと同じく朝からスリッパがありません。
(今日もくだらないことしてるな)
そう思うのも、毎朝の恒例行事だから仕方ないのです。とりあえず毎日持って帰っている体育館シューズを履いて昇降口を抜けて教室へと行きます。
「あらー?今日も上靴履いてるんだ」
そう言いながら近づいてくるのは友達……、とはいかないけど、同じクラスの子のエリちゃん。その横にはフミちゃんとミクちゃんがいます。
「校則じゃスリッパ履かないと行けないんじゃなかったっけ?」
「ごめんね、今日もスリッパ無くなっちゃったみたい」
私は今日も笑顔で答えました。でも、分かってます。スリッパが無くなった理由はこの三人、先輩との関係を羨んでの行動です。
毎日私がそんな対応するものだから今日も相変わらずのしかめっ面でした。
「行こ、つまんない」
そう言い残すとエリちゃんたち三人は別の女の子の元へと行きました。これで朝二の恒例行事は何とか突破です。
そこからは普通の女子高生活です。基本、絡まれるのは朝と放課後、といっても放課後に先輩と一緒だとエリちゃんたちはいい顔をして何もしてきません。
でも先輩は今日、体調を崩して早退をしました。先輩を使うような行動はしたくないのですが、これでは放課後がまた面倒に……そう考えるだけで憂鬱でした。
放課後になってすぐに家へと帰ろうとした時にやっぱりエリちゃん達に呼ばれました。そして、決まって人気の少ない旧校舎に連れていかれます。
「あのさぁ、私先輩の事好きだから、もうぶっちゃけ別れてくんない?」
またこの話……私は好きな人と離れるのはどんな嫌がらせをされても嫌でした。
「ごめんね、エリちゃんの気持ちも分かるけど私、先輩のこと好きだから別れられない」
はい、これも昨日と同じセリフです。そしてお決まり通りに髪を掴まれます。
「はぁ?なんであんたの言う事聞かないと聞けないんだよ。ぶっちゃけ、あんたなんかより私の方が先輩と釣り合うんですけど」
エリちゃんはぶっちゃけマシンか。と、心の中で少し愚痴りながら考えました。スペックを見れば確かにエリちゃんの方が上です。だって可愛いもん。でも見方を変えれば、毎日嫌がらせをするような人が先輩と釣り合うのでしょうか?否、断じて否です!心が狭いのはダメです。
そんな恋とは何か考えていると、呆れたのかエリちゃんたちは立ち去って行きました。
その日はそれ以上は何もなく終わり家に帰りました。自室に上がり、ベッドに飛び込みます。こうするとストレスが飛ぶ気がして気持ちがいいです。
「エリちゃんめんどくさかったなぁ……」
私は小さい頃からオンとオフ、表と裏がハッキリしてると親しい人からよく言われてます。
家では、オフの状態なので気が付かないうちにまるで別人のようになると。それも日頃のストレスなのか……、はたまたもう一人の私が……、なんて、考えても無駄です。自分でもわかりません。
「せっかく手に入れた幸せを手放すわけねぇじゃん」
次の日、校内で何か噂になってるような……今日はやたらと視線を感じるような……。
廊下を歩いていると珍しく先輩に会いました。なので、少しお話をすることに。
「俺さ、考えたんだ。お前がそんな事する訳ないって……。けど、考えれば考える程もう、訳が分からなくなってきたんだ」
訳が分からない…?私は先輩がいきなり何を言うかと思い私こそ訳が分かりません。
「先輩、それってどういう……?」
「お前が、援交してたって……」
「え……」
頭が真っ白になりました。そんな身に覚えがないことを言われても……。
先輩は何か大きな誤解をしている、それにこの視線は……。そう思い弁解しようとしましたが。
「私ちがーーー」
キーンコーンカーンコーン、二年二組山寺理沙さん、至急生徒指導室まで来てください。繰り返しますーーー。
「ごめん」
先輩はそう私に告げると振り返ることなく立ち去って行きました。私はの頭はオーバーヒートして、一瞬で幸せだった日常が壊れ、何もかもが可笑しくなりそうでした。
そんな中でも見えたのが、先輩が去っていった後に出た不敵な笑み。いや明らかにこんなことをしたのはお前だろと、誰でもわかるような笑みを浮かべているエリちゃんがそこにはいました。
そこからは地獄のような生活の始まりでした。その日以来周りからの私への態度は一変、最悪ヤらせて欲しいと頼み込む輩もいました。
そして気が付けばここ、金ダンの中に。でも、不思議と悪い気はしませんでした。それより、気分は爽快です。なぜかと言われれば多分こうです。
次あいつらにあったら壊す。そういう気持ちが芽生えてきたからです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
上空に移した視線の先には、砂埃が待っていた。それを確認したと思えば、小石やらさらにはバスケットボール並の石がゴロゴロと落石してくる。
そして耳の奥に鋭く刺さるような奇声が上がり、砂埃の中から何かが飛び降りた。
それは体長が四メールはあろうかという全身青色のゴブリンだ。しかも、先刻のゴブリンとは違い、盛り上がりを見せる筋肉は本当に戦って勝てるのかと思わせるほどだ。
「親玉登場って訳か、こいつ倒してさっさと次の階に行ってやるぜ」
そう発言した純が先にしかける。素早い動きで親玉の懐に入り槍を突き刺そうとするがその刹那、槍よりも先に親玉の拳が頭部に直撃した。
純は殴られた勢いで飛んでいき地面にツーバウンドほどすると壁にめり込んだ。
「おいおい、なんなんだよ今のは。一撃で、しかも純を……」
「ちっ、くそゴブリンが」
小さく吐き捨てた悠亮は、大剣を地面と平行になるように体の横で構え、親玉の周りを周りながら様子を伺う。相手の隙を狙いながら三周半、いきなり軌道を変えた悠亮は側面から突っ込んだ。
構えた大剣はそのまま、横薙ぎにフルスイング。そして爆発するが、親玉は平然と大剣を握っている。
爆発しても腕が少し黒くなる程度で済むところ、異常な筋肉の壁が硬質なことがよくわかる。
親玉は掴んだ大剣を離そうとはせず、少し考えるような間を置くと、大剣を悠亮ごと振り回し壁に向かって走り出した。
純が伸びていた壁に向かって走り出した親玉は、なんとか上半身だけでも起きてきた純の上に悠亮を叩きつける。
この短時間の間にすでに六人の中の最高戦力とでも言える二人が倒されてしまった。
(この状況は非常にまずい、勝てるのか……?いや、勝たないと先には進めない。けど、どうやって?純も悠亮もやられた、どうしたら……)
不安が募る。足がすくむ。信志は自分では気づかないうちに半ば諦めていたのかもしれない。
その絶望の塊とも言える親玉が一歩ずつ信志、蓮花、理沙、俊哉の方へと歩みを進めてくる。
「みんなよく聞け」
親玉と純との距離が十分に離れた頃に、純が叫んだ。
頭からは血を流し、吐血したのか口元を拭う動作をとりながらなんとか起き上がって見せた。
「今回は相手が悪すぎる、安全地帯からのこの敵だ、気が緩んでたのも仕方ない。この階は鍵を使って次に行く、次からは戦略をたてて挑む!だから……扉に向かって全力で走れ!」
純は喋り終わったと同時に地を蹴った。それに続いて悠亮も走り出す。
それを見ていた信志、蓮花、理沙、俊也も遅れをとったが走り出した。
だがそんな簡単には親玉は許してくれないだろう。親玉こそ一番遅れをとっていたが、案の定後から追いかけてきていた。
素早さではこちら側が少し劣る。そこで蓮花は光の玉を出して弾幕をはる。正直あの筋肉ダルマに期待は薄いが、親玉に大量の光の玉が命中する。
だが、やはり効果は無いようだ。次いで信志は危険を承知で少し減速して三人の後ろに来ると、剣を全力で振り地面を叩きつける。
考え上では地面が崩れて足場が悪くなるはずだったが、あくまで考えの域で止まり、地面に亀裂が入るだけで特に効果は無く終わる。
(まぁ無理だわな)
遅れていたピッチを戻し全力で走ると、扉まであと少しとなった。扉の中には純と悠亮の姿が確認できる。
全力で走った、走って走って階段を駆け上がり、時折踏み間違いをしそうになるがつまづかないように走り抜ける。
なんとか扉の内部に入り込むことに成功した信志は、残り三人の安否を確認するために振り返った。それと同時に蓮花が入ろうとする、が理沙の速力の遅さに親玉が追いつきそうになり、登りきる前に振り返りざまに特大の光の玉を親玉の手前に叩きつけた。
硬質な筋肉で守られている親玉に直接攻撃しても無駄だと判断したのが正解だったのか、親玉は崩れた地面に足を取られて減速する。
その間に俊也が扉の中に入る。あとは理沙はだけで扉を閉めることができる。階段に着くと、二段飛ばしでテンポよく登ってくるが、最後の数段の所で親玉に足を掴まれた。
親玉は三回ほどの跳躍で階段を上ってきていた。理沙はそのまま引きずり下ろされそうになるが、とっさに俊也が自分の鞭を理沙に巻き付けた。
とっさの機転に救われる理沙だが、親玉の力が強すぎるせいで俊也まで引きずられていく。その様子を見て信志、純、悠亮、蓮花の四人は俊也を支える。
五人で理沙を引っ張るとさすがの親玉でも力負けしたのか、少しづつ引き上げられていく。
あと少し、あと少しで全員が無事にこのフロアを抜けることができると思ったその時、突然柄と鞭の部分が外れた。誰しもが予想しなかったいきなりの自体に、両者は同時に後方に倒れるしかなかった。
そして、思考回路が戻った時にはすでに理沙の悲鳴が聞こえてきた。
「い、嫌だ、死にたくないよ……。私は、私はあいつらに仕返ししてやらなくちゃいけないのに!なんで、なんで私だけこんな惨めでーーー」
声は少しづつフリーズアウトしていく。恐怖と絶望でろれつが回らないのかと思ったが、その正体はもっと近くにあった。
信志が視界の端に捉えたのは、扉を閉める俊哉の姿が見えた。
ゴブリンに掴まれた足は痛い、だけどそれよりあの子の顔が、あの時のエリちゃんと同じ顔になっているのがわかる。
徐々に閉まる扉、そして、エリちゃんに対する憎悪に加えて、さらに増していく憎悪、恐怖、絶望は、大好きだった俊哉が与えてくるもの。そのせいかいつしかオンとオフのスイッチも壊れ始めていた。
「え?ちょ、俊也君開けて!開けてよ!開けろっつってんだろ!おい!糞ガキが!!!」
そして完全に扉が閉まった。
かすかに聞こえる声は純の声だろうか、それよりもゴブリンの唸り声の方が大きい。ここでは純がリーダー、その純に媚び打ってれば安全かと思い込んでいたが、馬鹿だった。忠告されていたが、警戒してるつもりでいたが、俊哉がこんなにも早く、それも大胆に行動を起こすのは予想外だった。
「壊されたものは戻らない……、砕けたガラスのように同じピースは見つからない……」
自分でも何を言っているのかさっぱりだ。だけど、もう割り切れた。ここで死ぬ事に悔いはあるが、もう、疲れた。そう思い理沙はゆっくりと目を閉じることにした。
「おい、俊也、てめぇなんで閉めた!理沙ちゃんがまだ残ってたじゃねぇかよ!」
純は俊也の胸ぐらを掴む。ギラギラと力強い眼光を放つ純は、相手が小学生だということを忘れているのか、今にでも殴りかかりそうな勢いだ。
「え、いや、ぼ、僕は……」
戸惑った様子を見せる俊哉は、銃剣道でに掴まれた胸元に手をやると、自然か演技か、その瞳からは大粒の涙が垂れ落ちてきた。
「俊也君は確かに悪いけどそんなに攻めないで。味方してる訳じゃないだけど、理沙ちゃんの事は本当に悲しいんだけど……」
「ちっ、くそ」
純は短く吐き捨てて壁に寄り掛かりながら座り込む。
ここにきて今まで引っかかっていたモヤモヤがわかった。ここに来てたから、ドラゴンと戦ってる時に感じだ違和感の正体。あれは理沙だ。
あの時理沙は純をベタ褒めだった、そして今の純も理沙の事で頭がいっぱいになっている。理沙は純に媚売って常に守ってもらいながらここを出ようとしていたと予想できる。
そしてさっきのあの言葉あれが理沙の正体。これでモヤモヤが晴れてすっきりしたが、落ち着きはしなかった。
それはあの時の俊也が扉を閉めたのは驚いたが、それ以前に明らかに理沙を置き去りにしたのが信志にはわかった。
柄との連結部分が力に絶えかねて外れたんじゃなくて、外したんだ。俊哉のすぐ後ろで支えていた信志だから見えたが、柄にある一箇所を力強く押し込んでいるのが、不自然な親指の動きが目に付いた。
その後すぐに連結部分が外れたので、間違いないだろう。それはおそらく俊也の奥の手だろう。
だが、これを今言ったところで俊哉はさらに混乱したように見せるだけで、証拠もない以上どうにもならない。信志は俊也の方を見るとまだ泣いている。さすがは子役。
数時間が経って寝ている人もちらほらいる。さすがに疲弊していた信志も眠りについた。
深い深い闇の中で、一筋の光が指す方に声が聞こえる、遠く、だんだん近く、間近で、信志。呼ばれて起き上がると目の前には純がの姿が見える。
「大丈夫か?すごいうなされてたぞ」
「あ、あぁ、大丈夫だ、心配させてすまんな」
と、発言したとほぼ同時に辺りが明るくなる。
「早いな、結局みんな動揺して作戦も何もたててないのにな」
一人減って広く感じる通路を進み五人は先の部屋に行く。だがそこには何もいなかった。気配すら感じない。
(また地中か?いや、壁から出てくるのかあるいは……)
そんなことを考えている時、五人の先に黒い影のようなものが浮かび上がってくる。その影は地面にあるが次第に人の形へと変わっていき、地面から浮き出てきた。
「なんだありゃ、今まで見た事がないタイプだな」
純でも見たことがないということは、今まで以上に警戒する必要がある。が、影を正面から見ていると何か喋ってる……?
「みんな、距離を取りつつ囲うぞ」
五人は瞬時に動きあっという間に取り囲んだ。そこで牽制を兼ねて蓮花が光の玉を投げる。狙い通りに飛んでいくが光の玉は着弾することはなくすり抜けた。
「え、なんで当たらないの!?」
驚きの声を上げたのは蓮花、だがそれはみんな同じこと。物理攻撃が通じないとなればどう対処するべきかと、戦略をかんがえていると、それまではただの人型だった影がうねうねと動き、形を変えていき……。
「俺!?」
あろうことか、信志と全く同じ形になった。
「僕はどうしたら……ママはパパに叩かれてパパはお酒ばっかり飲んで僕にもっと稼いで来いって、僕はもっと頑張らないといけないのかな……」
「なんだ、気味が悪い」
「やめて……やめてよ……ママを叩かないで……痛い!痛い!嫌だ、やめて!」
「僕が頑張らないと…僕が…頑張らない…と」
「気味悪いな……なあ、信志」
純は信志の様子を見るなり声を荒らげた。
「お、おい!大丈夫か!?」
信志は何も喋らなかった。いや、何も喋れなかった。思い出したくない、何年も昔の記憶。思い出す度に恐怖や不安、怒りといった負の感情が沸き起こってくる。
「だ、だめだ、こんなに狭いところは嫌だよ、怖いよ、助けて、暗いのはもうダメだ、助けて、痛いのは嫌だ、助けて…助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて…」
「うわあぁぁああ!!やめろ!やめろよ!こんな昔の記憶なんて、もう忘れた記憶なんて、なんで思い出させるんだよ!!やめろおぉぉお!!」
信志は剣を強く握りしめて全力で駆け出した。影に近づくと真上から切りつけるが、影は握っている剣で受け止める。
数秒の沈黙のあと、影は声を発した。
「光君」
その一言で信志は完全に我を失った。無我夢中で剣を振り回す。だが、かわされ、弾かれ、信志の攻撃は一切当たらない。
信志の連撃の最中でも影の攻撃はどんどん信志の体に傷を付けていく。浅く切られ滴り落ちる血、深くえぐられ噴き出す鮮血、動く度に広がる傷口、みるみるうちに信志の体はボロボロになっていく。
いくら耐久性のいい服を着ていてもこれではまるで意味がない。
「おい信志、落ち着けって」
背後から歩み寄っていた純は信志の体を後から掴んで影から引き離す。幸いに影はついてこなかった。
「離せよ!離せ!やめろや!ゴラァ!」
信志が純に罵声をぶつけた時、頬に痛烈な痛みが走る。その勢いで地面に転がり純は信志の胸ぐらを掴み馬乗りの体制になる。
「おい!信志、あの影とお前がどんな関係なのかはわからねぇ、けどよ、ボロボロになっていくお前なんか見たくねぇんだよ。もう無茶すんなよ、自分でもわかるだろその傷じゃダメだ」
純の言葉と、顔面に当たった拳のおかげで落ち着いてきたが、アドレナリンのせいだろうか、みるみる身体に痛みが響いてくる。
皮膚が裂けた跡が痛く、大量に流れ出る自分の血が恐ろしかった。
「ごめん、昔の記憶を思い返しちまって、それでもう、どうしたらいいか……」
マウンドポジションを解除した純のあとから、蓮花が寄りかかってきた。そして、そっとコップを渡してくる。
「これ飲んで傷治して、もう一人で無理しないでね」
「ありがとう」
そう言って信志は液体を口にする。味は甘く、優しさが感じられる味わいだ。液体を飲み干すと傷口が光だし治り始める。
「あと、蓮花重い」
後から勢いよく頭を殴られる。脳みそが揺れて視界がぐわんぐわんと揺れるような感じがして気分が悪くなる。
「こんな時に冗談言うんじゃない!」
怒られているのにこう思うのは変だろうが、信志は少し嬉しくて口元が緩んだ。心配してくれる仲間がいる、昔とは違うからだ。
「みんな、こっからは俺が俺との過去と戦うから手を出さないでくれ」
信志はそう言い残し影の方へ一歩また一歩と歩み始めた。