油断も隙もない
寿音は目の前で起こっていることが全くわからなかった。信志はごく普通の人間で、金ダンにある武器を使っているだけ。ただそれだけなのになぜか、自分と同じ闇の力を持っている。それに聖騎士とほぼ互角に戦っている。
だが今突如として、聖騎士という存在がこの場から消え去り信志がその場に倒れ込んだ。
「信ちゃん!」
聖騎士の気配が全くと言っていいほどなくなったことで、寿音は信志に近づいた。肉体が限界を超えているが、命に別状はなさそうだ。
信志を抱き上げるとすぐさま治療を始めようとした。その時 、コン と何かが頭にぶつかった。
「いたっ」
見ると、床に転がっていたのは一枚の金貨だった。金貨は一枚また一枚と次々に落ちてくる。時折金の塊がそのまま落ちてくる。
「金塊にぶつかったら危ない気をつけろ!」
純はやはり臨機応変だ。仲間の事思い喋ったのだろうが金貨やら金塊やらを拾い集めていた。
みんな大量出血で体に力が入らないが、最後の力を振り絞り落ちてくる金を全てかわした。
「収まった……のか?」
通り雨のように一時大量に降り注いだが、それ以降はピタリと止まり、頭上に視線を向けるが落下物を確認することはできなかった。
「危ないところだったわね」
蓮花は頭から多少出血はあるものの平然としている、ようだったが膝が笑っている。
寿音は頭上から落ちてくる金をかわしながら、信志を治療に勤しんでいたおかけで、信志の傷は目に見えるものではほとんどなくなっていた。
「ん、何がどうなったんだ……?」
寿音が治療したことで、戦いを終えた戦士は覚醒した。
「信志君があいつを倒したのよ」
そう言って近寄ってきたのは蓮花。
「信志さん本当にありがとうございます。僕体が半分になった時死んだと思いました」
それに続いて俊哉も近寄ってきた。その後も純、悠亮の順番に信志の周りに集まってくる。
みんなに向けられる視線は温かく、無我夢中だったが、守った甲斐があったというものだ。
「信志のおかげで全員が無事に済んだよ本当にありがとな」
リーダーとして、感謝を述べる純は深々と頭を下げる。
「ただ皆を守りたかっただけだよ。あんまり覚えてないけどな」
感謝されるほどのことでもないと心から思えたのは、これが人生で初めてな気がした。
本当に心の底から、守りたいと思える人に出会えた。それだけでも信志は嬉しかった。
「ところでさ、俊哉に聞きたいことがあるんだけど」
頭を上げた純の第一声が俊哉への質問。信志は直感だが悟った。今からする質問は不意打ちで仲間を殺すということについてだと。
純の顔色が少し変わったように見えた。唐突の純の質問に俊哉は首をかしげた。
「何ですか?」
「四十階でみんなが風呂に入ってた時に先に上がったけど、何してた?」
純のストレートな質問に俊哉と寿音以外の三人は固まった。
「上がってからは少し散歩してましたよ」
苦笑いしながらいかにも、この人は何を言っているんだという表情を作るが。
「もう一回聞くぞ、何してたんだ?」
「だ、だから本当に散歩してたんですって!」
純のいう作戦にしては強引なやり方だと違和感を覚える。言葉責めだけではなく、純は槍を手に取ると俊哉の胸元に突きつけた。
「じゅ、純さん、こんな物騒な物はしまって下さいよ」
俊哉は額に汗をかきながら両掌をした純に向けてぶんぶんと振る。
槍は脅しで、刺すことはないとわかっている。わかっているのだが、どこかいつもの純とは違う気がする。
「俊哉、お前があの夜電話してたのはわかってるんだ」
核心につくセリフを言ったところで、俊哉の頬がピクリと動いたのが見えた。だが子役。すぐに表情を作り直して言い返す。
「電話なんてできるわけないじゃないですか。何言ってるんですか、僕だって怒りますよ」
俊哉は怒ったように頬を少しだけ膨らませた。
しかし純の次の言葉に俊哉は絶句する。
「悠亮、信志、蓮花、それに俺も寿音ちゃんだってそのことは知ってるんだぜ。最後の最後で油断したところで俺たちを殺すってな」
俊哉は両目を大きく開け口が少し開いているのにも気がついていないようだ。確信した。全員がそう思った時に俊哉が吐血した。
初めは口の端からちょろちょろと流れていただけだが、咳き込むように一斉に吹き出してくる。
「……え?これ、僕の……血……?なん……で……」
俊哉の服の中心には空洞ができており、絶え間なく鮮血が流れ落ちていふ、周りにいた者全員がここで何が起こったのかわからなかった。
たった一人の除いては。
「すまんな俊哉。俺は、俺たちは死ぬ訳にはいかないんだ」
それは純。純が何をしたのか全くわからなかったが、確かにわかったことが一つ。それは、純が仲間を手にかけたということだ。
純の性格上好き好んでした訳ではないと思ったが、リーダーの目は、今までのお調子者とは一変して、冷徹になっていた。
「お、おい純!ここまでする必要があるのかよ!?俺たちにはもう瓶が無いんだぞ!」
信志は立ち上がり純に怒鳴った。
「そうよ純!何でもこれはやり過ぎーーー」
それに続いて蓮花も純に訴えかけようとしていたが。
一瞬蓮花と純の間で何か光ったように見えた。それが何を意味するのかかろうじてわかった時には、俊哉は崩れ落ちていた。それに加え蓮花の足元にも血溜まりができ始めている。
「なん……で」
蓮花も俊哉と同じくその場に倒れた。
俊哉と比べて蓮花の体に空いている穴の方が大きく、内臓器官はすぐに活動を終え、大量出血で絶命した。
「お……おい!純!何やってんだよ!!蓮花は何もしてないだろ!?仲間じゃねぇのかよ!」
純はただ黙ったまま視線を合わせなかった。そして、一言だけ信志に向かって言った。
「信志、俺はお前と同じだよ」
純は顔を上げるなり矛先を信志に向ける。そして一筋の閃光が目に見えた時には、終わっていた。
腹部に強い痛みを感じ視線を落とすと、服がじわじわと赤色に染まっていく。
「信ちゃん!?糞野郎、ぶっ殺してやる」
寿音が以前のように、見た目に似合わず汚い言葉を言い放ち信志の前に立つと、今にも純に飛びかかる勢いだったが。
「動くな!!」
純の槍先はまだ信志に向いていた。一撃で信志を沈めたそれは、寿音の行動次第で二撃目を放つと物語っている。
純は冷や汗を流しながら、ため息をつく。
「まだ助かるかも知れないのに俺を殴って無駄死にさせるのかよ」
純は頬を釣り上げ完全なる悪党面で寿音を見た。そして全てに勝ったかのように、高笑いを上げる。人間とは思えない豹変ぶりに、信志の危険を避けるために動きたくても動けなかった。
動けば信志が死ぬ、それを避けることが最優先。と思っていたが、眼下に流れ込む血を見て、寿音は戦慄を覚える。
恐る恐る振り返ると、血溜まりにうつ伏せる信志の姿があった。寿音は信志に近づきすぐさま治療を始めるべく右手をかざす。
その時、純の後ろには大きな扉が開いていた。複雑怪奇な文字が刻まれた扉を、押し開ける純に向かって殺気を込めて睨みつけた。
だからこそ見えたのだろうか、歩き出した純の額から雫のようなものが垂れた。そんな気がした。
そのまま純と悠亮は扉の中に入って行き、二人が入ると扉は閉まり、その姿を消し去った。
腹部にズキズキとした痛みを抱えながら静かに瞼を持ち上げると、痛みの発信源の上には寿音がうつ伏せに乗っかっていた。どうやら仰向けになって寝ていたらしい。
「起きて」
両手を肩に置き揺するが、起きる気配がない。信志は痛みに耐えながら起き上がると、動かない寿音のことが気になり顔を両手で挟み持ち上げた。
見ると寿音の顔は真っ青になっており、呼吸も浅く今にも力尽きそうなほど衰弱していた。
「おい、大丈夫か!?」
起き上がって初めて気がついたが、寿音は右手を下にし左手を上に重ねて、信志の腹部の傷口に当てていた。仰向けで寝転んでいた時に治療してくれたのか、頼りないほど小さいが頼りのある手形が残っている。
手遅れに思えるほど気がつくのが遅かった。寿音は聖騎士との戦いで大量に血を流し、魔力の消費も激しかったはず。それなのに信志の傷を治してくれていたとなると、寿音は今魔力不足で生命活動の危機に晒されていた。
信志は咄嗟に寿音のことを、今の寿音の特徴を思い出していた。
人参が嫌いでハート型のホクロの位置も変わりなし、少し甘えん坊で素直でわがままを言わないのは昔のまま。唯一変わったとすればそれは……吸血鬼になったぐらい。
(それだ)
一つ打開策を思いついたが、それをしたら助かるという確信は無かった。無かったが、助かるかもしれないという可能性をみすみす捨てるようなマネはできない。
まず右腕の袖を捲り上げ、手首に剣で浅く傷をつける。そこから流れ出る血を、寿音の口の中へ入れようとするが、顔の周りに付くばっかりでなかなか入らない。
痺れを切らした信志は、自分の血を口に含み口移しで寿音の体内へ流し込む。鉄の味がして気持ち悪くなるが、更に二度三度、寿音が目を覚ますまで繰り返す。
四、五回目で寿音の眉がぴくりと動いたのが目に映った。
「大丈夫か?わかるか?」
「んん……口の中が美味しい」
信志は寿音の言葉を聞くと、急に体が重くなったように感じた。
「目が覚めて第一声でそれなら大丈夫だな」
やっと危機を回避したと思い、安堵したのもつかの間。寿音の事で手いっぱいだったので周りが見えておらず、今更ながらに誰の声も聞こえないことに気がつく。
さきに脱出したのかと思いながら首だけを動かし辺りを見回すと、俊哉、それに蓮花の死体が転がっていた。
信志が気絶する前に見た光景は嘘ではなかったということだ。
「やっぱり純がやったんだよな」
わかっているがわかりたくない、事実から目を逸らすような言葉をつい零した。
「純は……いや、いいわ。とりあえず今は出口が無くなった事が問題なんだけど……」
「どういうことだ?」
「純と悠亮が出たから出口が閉まっちゃったわけ」
紡ぐ言葉を探しているのか、それとも打開策を練っているのか、寿音は腕を組んで首を左右に傾けている。
左から右へ右から左へ行こうとした時。
「あそこに連れて行って良いのかわからないんだけど……まぁいっか。とりあえず付いてきて」
そう言うと寿音はよっこいしょと言わんばかりにゆっくり立ち上がり歩き出した。信志も立ち上がり歩き出そうとしたが周りにいた死体に目がいった。二人の死体は、動揺の表情を残したまま静かに眠っていた。
「寿音がいなかったら俺も……それに、聖騎士との戦いで俺が魔法瓶を使い過ぎなかったら……」
自分の失態のせいで二人の犠牲者が出てしまった。過ぎたことはどうにもならないが、あそこで冷静になっていれば……もっと早くあの力が使えれたらもしくわ……。
「……ごめん」
二人にも、誰にも届くことのない言葉は、弱々しく消えていく。
「てか、どこが純粋に生きるようにだよ。こんなののどこが純粋なんだよ」
自己紹介の時に言われた、純の名前の意味を思い出し悪態をつく信志。
その間にも寿音は歩みを止めることはなく、信志もそれに続き、もう振りかえることはなく追いかけるように歩いていった。