第八十一話 ニール、倒れる
「写本師の仕事と言うのは始めてみましたが……こんなにも正確で早いものなのですか!」
「テンペストは特別だよ。これが普通だとは思わないほうがいいね、トーマス」
「だな。テンペストは頭の中に全て覚えてからそれを書き出しているんだと。しかも正確で文字の乱れも無し!人気が出るわけだ」
「絵も上手いんだよね。ボクにはとても真似出来ない位。後、王立図書館からペン貰ってるんだっけ?」
「はい。速記がエンチャントされたペンです。これのお陰で更に早く書き上げることが可能となっています」
「凄い……としか言いようがないわ……。この地図、あそこで見ていたものよりも歪みが少ない」
研究所に戻って持ち帰ったものを調べていく。
テンペストはあの場に描かれていた魔法陣や魔術式、そして地図を紙に写している。
初めてみたトーマスとクレアは当然のように驚き、その見事な技に見入っていた。
大陸名は書いていないが、やはりこれは地図だ。
この星の何処かにある、この場所へと浮遊島はいつでも行けるようにしていたのだろう。
しかし……そもそも石版に掘られている上に、あまり正確ではないその描写は少し問題がある。
もう一度、あの場所へ行って石版の置かれていた台を調べなければならないだろう。
もしかしたら分解しなければわからないかもしれないが、非常に使い勝手のいい航行管理システムであろうことは確かだ。
「地図だけではなんとも言えませんが、この石版が置かれていた台座の技術を利用できれば、色々なことができそうです」
「例えば?」
「自動操縦はあの浮遊島で実証済みです。遠隔で逆に自分の機がいる場所を表示できるような物が出来れば、管制塔の方でのそれぞれの機の管理が出来ます」
「ああ、なるほど。あぁそうだ、忘れていたけどテンペスト、浮遊に関する魔法を魔法陣に落とし込んでくれないか?」
「分かりました」
パソコンを模した装置へと向かい、記述を開始する。
しかしこれを知らないトーマスとクレアには何やら変なボタンをただ押しているだけのように見える。
「あの……今カストラ卿が使っているものは?」
「見たこと無いよね、ボクも初めてみた時はもう、驚いたよ。あれはこういう魔法を扱いたいとか、こういう動きをさせたいといったときにそれを打ち込むことで魔法陣と魔術式へと変換してくれる魔道具。……で、今やってるけどほら、薄い金属版に魔法陣が彫り込まれているよ」
「早い……!これはどうやって!?」
「変な描き方をしているのに円がこんなに綺麗に……これは一体何なんですか!」
「先程ロジャーが説明した通りです。まだこの技術は未完成ですが、こうして新しい魔法が出来たときに魔法陣などに直すという目的でも使用できます」
実際、これだけでも物凄い技術だがまだ出すつもりはない。
これのお陰で大きなスペースを専有していた魔法陣のブロックがとてもコンパクトになり、結果として全体的な大きさも小さく、そして動作を決定するための機構を入れる場所を選ばずに済む。
わずか数分で出来上がったその魔法陣は大体10センチ四方というかなり小さな範囲に収まっている。
本で書き込まれている物よりも若干小さいくらいのサイズだ。
当然刻み込まれた文字ははっきりと、そして狂いなく綺麗に整列する。
「……美しい……」
「その丸を付けているところを、両手の親指とかで触りながら魔力をゆっくりと通していってみて下さい」
「こう、ですか?博士、これはどういう意味が……なっ!?」
「トーマス!?あなた、浮いて……」
「うん、大成功のようですね。ゆっくりと魔力を抜いて下さい」
1m程浮かんでパニックになっていたようだったが、言われたようにゆっくりと魔力を抜き、尻餅をついて地面に降りた。……落ちたと言うべきだろうか?
自分がどうなったのかよくわからないままに、突然浮き上がって天井が近づいていったのだ、トーマスとしては突然のことで怖かった。
それを真横で見ていたクレアも、使えないはずの魔法を使って浮遊し始めたトーマスに驚愕している。
「まさか……これは魔道具なんですか!?」
「その一部って所だね。これを組み合わせていって、きちんと自分たちでも制御出来るようにしていくんですよ。これはただ浮かぶだけだから真上にしか行けないし、魔力をいきなり抜けば今のトーマスさんのように落ちます。これを制御するための機構はまた別に作っていくわけですが」
「こんなに……小さくて薄い物で……。これ自体は鉄ですか?でも少し違う様ですが……」
「流石トーマスさん、錬金術師だけあって金属にはお詳しいようで。これは不銹鋼と言うものです。主な成分は鉄ですが、クロムやニッケルなどを加えて錆びにくくした素材ですよ。これに刻印してこの様なプレートとすることで安価でありながらも消えることのない魔術回路が作れるわけです」
魔法金属類はちょっと高価な為、不銹鋼……つまりステンレス鋼を使っている。
頑丈で鏡面仕上げにした後にレーザー刻印を施せばそこにはしっかりと緻密な魔法陣が出来上がるのだ。
ちなみに少し見栄えを良くしたいときには、魔力に反応して淡く光る塗料をその溝に流し込んでやれば発動するときに魔法陣が光って浮き上がる。これに関しては通電状態を示すLEDと同じような使い方ができそうなので少し考えているところだった。
「く……これならば陛下が肩入れするのも分かる……。しかし何故なんですか?これをこの領内だけで秘匿しているのは。独占してあなた方だけが利益を得るというのは……」
プレートを見ながら難しい顔をしたクレアが言う。
独占と言われればまぁその通りではあるのだけども。
「ここは私の領地、カストラ領であり、この知識と技術は全て私とサイラス博士、そしてロジャーやニールの知識で成り立っています。独占と言いますが、将来的にはこれを世に流す事は決定しています……が、今はまだその時ではありません。いきなり流した場合職を失うものが増え暴動が起きる可能性すらあります。そのための調整だと思って下さい。それに……独占と言いますが、開発した物を自分の店のみで売っている商人等もあれは独占というものでは?」
「商人ではないカストラ卿がというのは問題では……」
「商人ですがギルドに所属し、売買に関する権利を持っています。それに領主が他の技術者を囲い込んで独占しているなら問題ですが、こちらは一から教育していますのでそれにも当てはまりません」
たまに領主が特定の技術を持った職人や商人を囲い込んで、利益を独占するといったことをする場合もあるが……これは良くない物だ。
他のところでやっていたものを自分の利益のためだけに囲う事は、これは禁止されている。
しかし、自分が開発したものを独占するのは商人や職人としては普通のことだし、そもそもテンペストの領地でやっていることは職人や商人のあり方を一変させる可能性がある物だ。
いきなり全部公開して出してしまうと大混乱は必至だろう。
そこまで考えが至って無かったようでクレアも少しバツが悪そうにしている。
「まぁテンペストその辺にしてあげなよ……。まあ、見ての通りボク達の研究は大分進んでいると言っていいよ。数年……いやもしかしたら百年単位で進んだかもしれない。でもね、これをいきなり出しちゃったら……かなりの人が路頭に迷うことになるんだ。だから少しずつ時間をかけて浸透させていくんだよ、そこは理解して欲しい。それが国王陛下の意向でもあるしね」
「……理解しました。陛下のご意向というのでは仕方ないですね。それに言うことも最もです。早く広めたいとばかり思って考えが至りませんでした」
気持ちは分かるのでここまでにする。
そこにずっと黙っていたギルベルトが口を挟んだ。
「あー、少し良いだろうか?もしかしてその魔道具を使って、この剣に紋章を書き込んだ場合……魔力を通じるだけで発動できるようになる……のか?」
「私も気になる。もしよければ試してもらいたいのだが……」
「使う人の魔力量に応じてある程度は上下しますが、出来ますよ。ギルベルトさんはどんなのが?」
「私もゾーイも遠距離を狙える物が無い。今回の護衛でそれを痛感したのだ、なにか……ある程度距離が離れている者を狙える物はあるだろうか?」
確かに二人共遠距離を狙えずあまり役立てなかったということもあって、気にしていたらしいが……今回の護衛対象がおかしいのであまり気にする必要も無い。
それでも遠距離で先手を取れるというメリットは見ての通り、ということで長距離まで行かなくとも近距離から中距離程度の範囲で複数を相手取れる物をという要求だった。
「ふむ……であれば防ぐのが難しい土属性はどうでしょうね。お二人とも一応ある程度の魔力を持っているということですので何度かは発動できるでしょう」
「土……ですか」
少しがっかりした様子のゾーイだが、見た目こそかなり地味ではあるものの土魔法は使いこなせば強い。
それはテンペストのストーンバレットの威力を見れば分かることだし、広範囲となればスパイクを地面から生えさせるだけで敵は前進できなくなる。
何よりも詠唱なしで遠距離から何かが飛んでくるでもなく、突然ぬかるんだり鋭いトゲが生えてきたりすれば相当慌てることだろう。
なので少しだけサイラスが再現してみせると、なるほどと言った感じで納得してくれた。
結果、ギルベルトがスパイクを。ゾーイがストーンバレットを選択した。
ただし魔力量などを含めて足りないところがあるため、テンペスト並みの威力は出ない。
それでも魔力を通じるだけで詠唱も必要としないと言う時点で相当なアドバンテージとなるだろう。
なお、狙いは剣を打ち出したい地点に向けてやるだけだ。
「接近戦になってもうまく使えば……例えばギルベルトさんであれば、打ち合いをしているときに相手が踏み込むタイミングで使うと勢いを削げます。ゾーイさんは突きと共に射出するだけで間合いをごまかせるでしょう」
「それは素晴らしい。では、使わせてもらうぞ。……これは少ないが対価として支払う。ただでやってもらうとなれば後々面倒なことにもなりかねん」
そう言って差し出された革袋はずっしりと重かった。
臨時収入として計上しておこう。
魔術師と錬金術師の二人は飛翔の魔法を覚えられたことで手を打ってもらう。使いこなせるかどうかは別問題だが……。
「そういえばカストラ卿は、この魔法を使って何をするつもりなんでしょうか?」
「飛翔ですが、この魔法は浮遊島を見ての通り空を飛ぶ事が出来る魔法です。現在私達の方で研究している推力を使ったものとは違い、別の方法で浮いて空中の一点で停止することも可能なため水平移動などに向いているのは確実です。……なので、まずは私の領地で交通手段として使えるかどうかを検証し、可能ならばそのまま領地を広げるのにも使おうと考えています」
どうせこの魔法自体はもう国に知れてしまったということだから、特に隠す必要もなければそのうち勝手に広がっていくだろう。
移動に関するものであれば出し惜しみしないほうが、このハイランドという特殊な地形では有り難いので、地上を走るオルトロスと空中を移動する新しい機体があれば大分移動が楽になるだろう。
主にカストラ領の。
山だらけの土地しか無いのならば、その山を使って土地を作り、移動手段は空中を飛べば良いのだ。
後はその座標と航路を固定する方法が見つかれば定期便が無人で行えるだろう。
大出力のマナを取り込む機構も合わせれば浮遊島のようにずっと浮いていられることになる。
浮遊島にはまた明日にもう一度行くことになるので、このまま全員この研究室で宿泊することになった。
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「ここ、研究室の中……なのよね?」
「間違いないと思うけども……」
トーマスとクレアは研究室の隣に併設された宿泊棟へ案内され、その景色の変貌ぶりに驚いていた。
研究室への廊下は殺風景だったのだが、その廊下を渡りきって扉を開けた瞬間、そこには広いホールが広がり中央には小さな噴水まである始末だ。
サイラス的にはどうせ建てるなら、ということでちょっとした高級マンションを想像して設計したためシンプルながらも普段使う分にはかなり豪華であることは間違いない。
さらにその奥の方へと続く扉からは、独身寮もつながっている。
「テンペスト様、コリー様、人数分の部屋は確保しております」
「突然だったのですが大丈夫でしたか?」
「はい問題ありません。ミーティングルームも使用可能です」
最上階は5階だ。ここから更に上に拡張出来るが、部屋数がそこまで必要ないので問題ない。
1フロアに10室、最上階は4部屋となり、全体的に豪華になっているが……当然テンペスト達が泊まるときを見越したものだ。
1部屋につき4~6人は泊まれる広さがあるが全て使って2人ずつ割り当てられた。
「では皆様、ご案内する前に装備品は全てフロントでお預かり致します。館内での武器の携帯、使用は厳禁、魔法の使用も禁止とさせていただいておりますのでご了承下さい」
それぞれ個室へと案内されて鎧を含めたすべての装備を預ける。
当然ながら厳重に保管され、保管されている間に簡単なメンテナンスも行ってくれる。
研究所の職員であれば無料で使用出来、そうでない人達でもお金を払えば泊まることが出来るし、館内に設置された食堂や物販コーナーなどで買い物もできる。
ロゴ入りのタオル、バスタオル、コップ、歯ブラシ、石鹸、櫛のアメニティーセットが人気商品となっている。少々高いものの高品質でお得なこのセットは女性ハンターなどから特に支持を得ていた。
残念ながらパイル地は開発出来ていない物の厚手で水の吸収が良く、すぐに乾くそれはハンターのお供としても優秀だ。
「……つかぬことをお聞きするが……ここで敵に襲われたりなどした場合はどうすれば良いのだ?」
「ご安心を。たどり着けるかどうかがまず怪しいですから」
「……深くは聞かないでおく」
ギルベルトの疑問も最もだが、基本的に警備システムは厳重だ。
特に出入り口では必ず通る廊下が既にその機能を果たしているのだ。もし攻撃の意志があるものが入ってくれば入り口が閉じて廊下に封じ込められるだろう。
最上階である5階へとエレベーターに乗って登ってきたみんなにそれぞれ鍵を渡していく。
部屋番号が書かれているが2人……一箇所は3人に対して1個ずつだ。この辺はホテルなどと同じようにしている。
「では、今お渡ししたものがそれぞれの部屋の鍵となります。部屋割りはテンペスト様、ニール様は501号室、コリー様、ロジャー様、サイラス様は502号室、トーマス様とクレア様が503号室、ギルベルト様とゾーイ様は504号室です」
「えっ、男女ペア?」
「俺の所は男3人だけどな。まあ良いだろ、中にはいれば二部屋あるのと変わらんからな」
「ギルベルト様となら特に問題ありません」
「ボク……いいの?テンペストと一緒で?」
「もう今さらだろう、お前ら……」
ちなみにトーマスとクレアは研究などで寝泊まりするときに2人で休憩などもしているので特に気にしていない。
気にしているのはニールだけだった。
が、とりあえずこういうことが出来るようになる程度には信頼されてきているということだ。
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一番広い部屋である501号室にテンペストとニールが二人きりになっている。
無駄に緊張してソファに背筋を伸ばして座っているのがニールだ。
「……ご迷惑でしたか?」
「いや!?全然!……むしろボクと2人の部屋とかみんな反対するんじゃないかと思ってたんだけど」
「みんなはああ言っていますが、きちんとニールのことを信用すると言ってくれています。問題ありません。なのでそう固くならないで下さい」
「あ、いや、なんというか、2人きりだからちょっと緊張して……。うん、いつも通りに……でいいんだよね?」
「はい、そうしてくれると助かります」
一応、リラックスしてみたけどもまだ少し落ち着かない。
既に告白もして返事ももらっているのでそこまで緊張する必要もないとは思うのだけども、嫌われるような行動をしてしまわないかと気が気じゃないのだ。
と、扉をノックする音が響き、サイラスが来た。
「あれ?博士どうしたんです?」
「作ったは良いけど説明する暇がなかったものでね。丁度良く2人がここにいるもんで使い方を説明しようかと。……これからマギア・ワイバーンで出撃することが多くなるに連れ、そして魔導騎兵を動かす時にも重要な事だ」
そう言うと透明な細長い管を取り出した。
片方は同じような素材の袋が取り付けられている。管はかなり柔らかいようだ。
「導尿カテーテルです。これを取り付けることによって小便であればこの袋の中に溜め込むことが可能です。そしてこちらは同じスライムから作った潤滑剤ですね。うまい具合に麻酔成分も含まれていたので色々と使いようがあります」
「導尿……カテーテル……?ってなんですか?」
「この管を尿道から膀胱まで入れるんですよ。中は中空になっているし、魔力を通じることでスライムが勝手に自分で抜けないように奥の方で支えてくれます。量産できるようになったら医療現場などでも使うことになるでしょう」
「尿、道……ってそれまさか!」
「そうですね。エイダ様が居る時なら彼女に頼むことも出来るのですが、居ないときのほうが圧倒的に多いですから。手が離せない時、テンペストの身体の世話をすると言ったのはあなたですよニール。恥ずかしがったりしていないで覚えて下さい。……当然ですが、とてもデリケートなところなので間違っても乱暴に扱わないように。ただでさえある程度の痛みなどはあるものですし、体内に挿入するものなので事前に清浄魔法で手とこの管を綺麗にしてもらいます」
テンペストがニールを見ている。
当然、しなければならない措置であると認識しているテンペストは全く気にしていないが。
「でも……」
「私が居る時なら良いですが、緊急時にはオルトロスを動かすのはあなたですよ。そのときにテンペストの身体もそこに放置されるわけです。覚えて下さい」
「わ、分かったよ……。うん、分かった。とても大事なことだもんね」
そういう事です。と大きく頷いてサイラスがニコリと笑う。
「テンペストの全てはニール、あなた以外には見せたくないのでしょう?」
「はい。……じゃぁテンペスト。それで良い?」
「私はいつでも。上手くやってくれると信じていますね」
そしてサイラスによってイラスト付きで簡単な講習を受け……鼻血を流してぶっ倒れたのだった。
自分で挿入しなきゃならない人も居るらしいですけど、すげぇ痛そう……。




