第百七十六話 異世界へ
黒い飛竜。
それがこの世界に戻ってきたのは10日程前のことだった。
大量の黒い魔物を引き連れ、海に浮かぶ孤島にぽっかりと開いた大穴から溢れ出てきたのだ。
その前にも異常なまでの魔素を感知し、それにともなって幾つかの巨大生物が動き出すなど、色々と異常な事態が起き続けていた所に、これらが現れた。
空の孤島に住む神竜と呼ばれる、この世界に人類が生まれる前から存在する竜種。
彼らから一匹の独裁者が出ようとした時……、星が壊れる寸前までの激しい戦いが起きた。
それは黒い若い竜が、先代の皇竜が亡くなった時に自分がその座につこうとしたことから始まったことだった。
彼は仲間の竜達を殺し、皇に連なるものたちをも喰らい、相手の心を支配する力を得て自分に楯突くものたちを排除しようとした。
当然自分の味方は少なかったわけだが、その力を使い、次々と有力なものたちが彼の下に付き、更に新しい生命を誕生させて自分の兵として扱った……。その結果、大陸の形を変えるほどの攻撃力を持つ者達がぶつかりあうことで、地表は地獄と化し、竜たちは大幅に数を減らしていった。
ついに絶滅すらも見え始めた時、世界と世界を結ぶ通路に彼を追い込み……その扉を封印することによってようやく世界に平穏が訪れることとなる。
黒い飛竜……アスモデウスという名を持つ彼は、この世界から切り離され幽閉された。
戦いによって傷ついた神竜はその疲れた身体を癒やすために長い眠りにつき、大地はゆっくりとその姿を取り戻していく。
長い時間が経ち……アスモデウスの作り出した生物たちはこの世界に元々居た獣などと交わり、魔獣や魔物として進化し、妖精やドワーフやエルフなど古来の種が出来上がる。
さらに時が経ち、人類が別な世界からやってきて定住し、獣人など様々な種がこの世界に広がることとなった。
傷ついた神竜達は自分たちよりも小さく、しかし賢い彼らの動向を見守りながら暮らしていたのだ。
一度、一匹の炎を司る神竜が激怒し……幾つかの種が消え、人類もその数を大幅に減らしたりなどもしたが、それ以外は至って平和だった。
しかし……今、それが長い時を経て戻ってきてしまった。
眠りに付いていた神竜を操り、自分の味方として取り込み……ミール大陸と呼ばれる場所へと舞い降りたのだった。
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ミール大陸南部、オルズテア王国。
海の大穴……竪穴式大洞窟と呼んでいるそこを管理している国だ。
この大陸の北部、人が住むには環境が厳しい程に寒く、一年を通して雪に覆われた場所に黒い飛竜……アスモデウスが現れた。
それも大量の魔物と、数匹の神竜を従えて。
オルズテアの少年王、リリアン・ラスト。
インキュバスという魔物に生まれながらも、人族との共存を選び、その優しさと強さ、そして知識によって僅かな期間で王に上り詰めた。
実際の所はミール大陸というそれまで確認されていなかった大陸の一国を獲った時に、そこを押し付けられる形で王になったようなものだが。
それでも他の国よりも豊かに、そして強い国へと育てている。
つい最近も北部で暴れまわったアスピドケロンと名付けた巨大な山の様な亀の魔物を倒し、その後処理などで疲れていた所にまた襲撃があり、自身の今までの幸運の反動が出てきたのではないかと疑っているくらいだった。
「現在、戦う力を失ったかつての連合国はオルズテア、パックス、フラマブールへと避難を開始しております」
「巨大飛空艇リンドブルムは高度を上げ洋上で待機してあります」
「エクスカリバーを含め、全ての砲台の用意完了しております」
「各国のガルーダとフレズベルクもこちらへ向かっております」
「兵たちの士気は十分、戦いのときを待ち望んでいる。いつでも行けるだろう」
ここはオルズテアの王都、アヴァロン。
その王城で緊急の対策を取っているところだが……ここ最近の異変続きで対応に慣れているせいか、部下たちの行動が早い。
今回は相手が強大な力を持つ神竜であり、操られた神竜も敵となっている為油断は全くできない。
更に、大量の魔物たちは異常なまでの適応力を見せ、近づく者を消滅させる謎のブレスを放つものまで居た。
お陰でアスピドケロンの脅威から立ち直らせようと頑張っていたケントルムドムズという国は完全に崩壊してしまったのだ。
「はあ……なんかもう、これで終わりにしてほしいよ……」
「陛下。お気持ちはよくわかりますが、今それどころでは」
「大丈夫、分かってるから。避難に関してはそのまま続行。もう国の領土とか言ってる場合じゃないからフラマブールのハーティア王と相談しながら最優先でお願い。兵士たちは最前線での陣地構築と防衛を。各国と協力してこの大陸から外に出る前にアスモデウスを叩くよ」
各国が揃うまで後2日。
揃った所で航空戦力と海上戦力、そして全ての種族が集結したこの戦いがついに始まる。
今、アスモデウスは神竜を仲間にするために力を使ったため、少し休んでいるだろうということは同じ神竜でボクの知り合いでもあるエアから聞いている。
敵に回ってしまった神竜は2匹。巨大な炎龍と、地殻龍。
どちらも眠りについている無防備な状態で操られてしまったため、アスモデウスに完全に従ってしまい、洗脳を解くにはアスモデウスを殺す必要がある。
オルズテアを偽物の魔王とやらから奪還する時以上に困難で、きっとこちらも無事ではすまないだろう。
「ボク達が倒れたら、多分もうあれを止められない。ここはなんとしてでも食い止めなくちゃダメなんだ。その為にどれだけの犠牲が出るのか、見当もつかない」
そこに褐色の肌の幼女が現れる。
こんな見た目ではあるが、このオルズテアの元王女であり、リリアンが助け出した後そのまま妻として迎え入れた。
希少種である竜人であり、神竜のエアを祖とする。
「リリアン、王達が来ておるぞ。妖精王ティアもやる気じゃな」
「ああ、フレイア。分かった、すぐに行くよ。……じゃぁ、皆。無理はしないで。危険と判断したら撤退するのは恥じゃないからね。体勢を立て直して、作戦を練って、何度もそれを繰り返してでも勝利を掴もう」
部下たちが部屋を去り、フレイアとリリアンの2人が残る。
そして、その直後2人の姿が消えた。
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ミール大陸北部、最深部。
アシュメダイは焦っていた。
テンペストが来る。それまでに最強の手駒を用意しなければならないのだ。
故郷であるこの世界に到着してすぐに、近くにあったこのミール大陸へと降り立ったのには訳があった。
ここにはこの世界において地殻龍と双璧を成すとある魔物が眠っていたはずだったのだ。
その魔物が一度動き出せば、大地は揺れ、枯れはて、圧倒的な力によって押しつぶされていく。
大きさは山一つがそのまま動き出したかのような物で、見た目は亀。その見た目のまま崩山亀と呼ばれていた。
弱点らしい物は特に無く、甲羅は何者の攻撃も通さないとも言える程に堅牢。
近くに寄ることすら出来ず、かつてアシュメダイですら仲間に従えることは叶わなかった。
もう一つの地殻龍は常に地下深くで眠っているために見つけること自体が困難であり、その為に今まで仲間にできたことはなかったのだが……この崩山亀の活動によって地表近くまで来ていたため、今回は初めて意識を奪うことに成功した。
しかし……地殻龍は居たものの、肝心の崩山亀が見当たらない。
あれが居ればこの近くを広く守らせることが出来た事もあり、攻め込まれる心配もほぼ無くなる予定だったはずなのだが。
地殻龍と違って重力を操る力は非常に強力であり、攻撃にも守りにも使えるという万能な能力であったのだ。
色濃く崩山亀の残り香が有る場所へ来てみれば、巨大な球体が一つ転がっているのみであり……。
その周りに人間たちが守りを固めていただけであった。
つまり、考えられないことであるが……崩山亀は彼らによって殺されたということ。
最強とも言える手札を一つ失ったというだけではない。
それを打ち破ることが出来る戦力がこの世界には誕生しているということが脅威だった。
思い当たるのは自分の加護を付けて監視していた一人のインキュバスであり……彼もまた、テンペスト達に似た技術を用いて居ることは確認している。
「焦竜と地殻龍をこちら側に置いたとは言え、このままでは心もとない……」
自身の攻撃力自体は他の神竜程にはない。
元々持ち合わせているのは命を生み出す力と他の者達を操る力。どちらも自分の力だけでなんとかなるような他の神竜に比べて攻撃手段に乏しい。
ある意味で攻守最強と思われた者を撃破するような者達が居る場所で、テンペストがこちらに迫っているのだ。
はっきり言ってこんな状況など計算外でしか無い。
「あれは……我にどうこう出来る存在などでは無い。これを……作らねばならんか」
握っていた手には例の爆弾がある。
作るだけの材料は、今いる場所から近い所に無尽蔵にあり、作るための人材はすでにその知識を持ち帰っているのだ。
奇しくもその場に強力な重力場を発生させるという、崩山亀と似たような攻撃手段を得ている為数があればそれだけ使いやすいものになるだろう。
そして恐らく、あれに対抗しうる攻撃手段もこれか……そうでなければあの全てを分解するブレス以外には無い。
アレが来る前に、そしてこの世界に現れた脅威が来る前に、戦力を整えねばならないだろう。
アシュメダイ……この世界においてはアスモデウスと呼ばれる彼は手始めに脅威となりえる神竜を従えるべく、焦竜に命じて各地に居るはずの残り3匹の神竜へと向かわせたのだった。
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世界は戻り……ハイランド、カストラ領。
ついにニールはシルフと名付けられた新型機の操縦をマスターした。
……と言ってもセイカーはもちろんのこと、練習用のプロペラ機よりも簡単で扱いやすい機体だ。
習熟するのに然程時間はかからなかったが。
「シルフはどうですか?ニール」
「操縦しやすくて僕には丁度いいよ。セイカーみたいに動くわけじゃないし、平坦なところなら高度を一定に保てるし」
「一般人でも簡単に……というコンセプトで試作まで作っていたものですからね。空を使った荷物の移動と言うものを考えた時、サイズ的にもこれくらいが丁度良かったんですよ」
シルフに一緒に乗っているサイラスが説明してくれる。
元々は魔導車の上位互換として、地形に左右されず、何処にでも着陸できるサイズの乗り物として開発を続けていたものだ。
大半をレビテーションによって操作し、速度が必要な時には加速用のエンジンを点火する。
扱いが簡単になったがその分機動性を犠牲にしたため、空の安全が確保された状況で使うのが普通だ。
だが今回はニールが乗り込み、ある程度自衛が出来る状態にしておかなければならないのだ。
その為武器を積み込み、飛竜程度ならば相手をできるようにしておいた。
「では武器の操作を。基本的にこの機体はわざと旋回の反応を鈍くしてあります。小回りを利かせたい時には速度を落とすしかありません。空中で静止した状態であれば後ろを向くにもそれほど時間はかかりませんからそこは慣れてください」
「うん。……えっと……標的を確認。セーフティ解除」
目の前に浮かぶレティクルは自分の目線と合っている。
操縦桿のボタンを押し込めば……。
ガトリング砲が火を吹き、標的を木っ端微塵に吹き飛ばした。
「良いですね。固定した的ならばもう安心です。まあ、動くものに関してはやったことが有るので問題ないでしょう?」
「いや……どうだろ……動く的作れないの?」
「流石に今は高すぎるので……撃ち落とされればゴミになるわけですから」
「あー……」
そもそも今のところ無人で自在に動く的と言うのは作れていない。
それが出来るのは恐らく今のところテンペストなのだろうが……。
的となる小さな機体を作るにしても、少々難しい。
有人で的を引っ張るという方法もあるが、慣れていない者がそれを狙って実弾を撃つと言うのは流石に危険だ。
とは言え、動き回る敵に対して照準を合わせる方法自体はニールも何度もやっている。
何度か繰り返しているうちに覚えるはずだ。
「……ともかく、これで問題なく行くことが出来ますよ。ニール、必ずテンペストを連れて帰ってください」
「もちろん。それに……前に行ったあの世界、あそこでテンペストを呼び戻す方法なんかが見つかるかもしれないし。博士の世界は僕達の世界とは全く違った技術があったんでしょ?向こうにもそういうのあるかもね」
「なるほど、そういう可能性もありますか」
どちらかと言えば、この世界に近い雰囲気ではあったが。
知らない魔法なんかがあればそれだけでも収穫だと思うのだ。
それに言葉がわかるようになれば、向こうの世界にあるダンジョンケイブなども見つかるかもしれない。
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「では……行ってきます」
「はい。我ら使用人一同、テンペスト様のお帰りを心待ちにしております」
「きっと連れて帰るから……。それまで、領地の方をお願いします」
ニール、ヴァルトル、ニーナ、そしてテンペストを連れて出発する。
4人を載せたシルフはゆっくりと浮かび上がり……徐々にその速度と高度を上げていった。
地上を走るオルトロスよりも早いシルフだが……ぶっ続けで操縦することは出来ない。
ニールも体力は多いわけではないし、一日中飛ばす等ということは不可能だ。
行ける所まで行って、その場所で静止させておけば中で狭いながらも暮らすことは可能だが……外で休めるならばその方が楽だ。
「とりあえず……島の位置は幾つか分かっているから、そこまで行って今日は休もう」
「それが良いでしょう。初めて動かす物ですから、無理はしないほうが良いでしょう。島ならば私が獲物を取って来ることも可能ですから……」
「あ、私も料理の時はお手伝いいたしますヴァルトル様。必要な調味料などがあったら言い付けていただければ」
「では、ニーナ殿には料理の手伝いを頼みましょう」
様々な荷物は殆どが屋敷の倉庫へ置いてきている。それから取り出すのはニールでは有るが、ニールはそこまで料理が得意ではない。
必要なものを選んでヴァルトルへ渡すにはニーナが居たほうが良かった。
その後特に飛竜などに遭遇することもなく、順調にハイランド上空を飛び続けていると……。
「……む?ニール殿!すまないが一度ここで降ろしてもらえんか?」
「え?まだ海にも出てないけど……。ここで?魔物の気配も有るみたいだけど」
「その魔物が欲しいのです。……あれは美味いですよ?」
「……!今すぐ降りる!」
上空からその魔物を見つけたのは相当な視力であると言わざるを得ない。
気配を読むわけではないが、その動き方などでヴァルトルは大体の動物を見分けることが可能だ。
森のなかに微かに視えたその魔物は、今の時期脂が乗っていい具合に美味な食材となる。
ただし、毒腺を持ち、下手に殺せばその毒腺を傷つけて食えなくなる。
その為大抵のハンターには食用不可と思われていたりするわけだが。
降りられそうな所に着陸し、ヴァルトルを降ろす。
「ほんとに一人でいいの?」
「ええ、問題ありません。では」
軽鎧を着込み、身長よりも少し長い位の槍を持ったヴァルトルが森に向かって駆ける。
その速さは尋常ではなく……動線に居た他の魔物たちもあっという間に斬り伏せて行った。
キラリキラリと光を反射するヴァルトルの槍。
それがまるで昼間の星のようにニールには見えたのだった。
「ヴァルトル様って……すごくお強い方なのですね……」
「知識としては知ってたけど……戦っている所を見たのは初めてだよ。強いなんてもんじゃない。攻撃が全然見えないよ……。煌槍のヴァルトルって二つ名の意味が一発でわかった」
「確かに……戦っている時に周りにキラキラとした光が……」
「あれ、槍振ってる時に太陽の光が穂先に反射したやつだよ」
なんだか分からないが、ヴァルトルに気がついた魔物が近寄った瞬間、煌めきが見えて魔物が両断されているのだ。
一瞬すぎてさっぱりわからない。
接近戦を主にする戦い方は、ニールを含めてテンペストもコリーもあまりすることはないし、したとしても前衛などとまともに戦えば負ける位だ。
そんな人たちの中でもヴァルトルは頭一つ抜けている気がする。
しばらくしてヴァルトルが戻ってきた時には、内臓を抜かれた魔物3体を括り付けて引きずっていた。
すぐにニールが血を流し、皆で解体を始める。
「……凄い切り口です……まるで最初から付いていたかのような……」
「何、長年の訓練の賜物です。料理をするようになってから特に効率のいい捌き方を出来るようになっていきました」
「そういえば……この傷、捌く時にナイフ入れる所だ……」
要するに……この魔物は戦いながら血を失い、健を切られて動けなくなった所で眠るように死んでいき……こうして解体されているのだ。
まだ暖かい魔物の身体は血にまみれているが、肋骨も外されており、骨盤は割られ、基本的な解体で皮を剥ぐ前の段階まで済んでいる。
そのまま皮を剥いで綺麗に洗えば質の良い皮が手に入る。
肉を削いで骨は料理に使う部分を残して全て燃やして埋め、頭も処分すれば後に残ったのは見た目にも美味しそうな生肉の塊だった。
「今日はいい素材が手に入りました。夕食は期待していてください」
「正直、すごく楽しみだよ……。肉だけ見てもすごく美味しそう」
「こいつは癖は少しありますが、揚げると肉が柔らかく味付けが必要ないほどに美味いのです。倉庫にある野菜と合わせてさっぱり目に仕上げてやればいくらでも食べたくなるでしょう」
もう想像しただけでお腹が空いてくる。
でももう一つ忘れてはならないのがテンペストだ。
テンペストは自分で食べることが出来ないため、喉にチューブを入れて流動食を流し込んでやっているのだ。
サイラスによって導尿カテーテルと同じように新しい栄養の取らせ方として、テンペストで試験をしながら研究が進んでいた。
まあ、大体は完成しているのでただの経過観察みたいなものになっているが。
そのおかげもあってかテンペストは筋肉が落ちてきている以外に、栄養が取れずに痩せていくということもなく至って健康なままだ。
そしてこの流動食は旅の間はヴァルトルが作る。
様々な野菜などを使って栄養をしっかりと取れるというメニューに従って、見た目はあまり良くないがテンペストが生きていくのには十分な食事が一日一回。
いつになったら美味しい食事を取れるようになるのかと思わなくもないが……。テンペストが戻ったとしてもしばらくは肉などは食べることが出来ない。
それでも回復してからゆっくりと帰ってくるつもりなので、その途中で食べれるようにはなるはずだ。
肉を綺麗に洗って冷凍した後に倉庫に送り、シルフに乗り込み……最初の宿泊地である島へと向かった。
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ヴァルトルの料理に舌鼓を打ち、島で採れた新鮮な果物を食べて休む。
ニールはテンペストの世話をしていた。
ニーナがやるといっても、こればかりは絶対に譲らなかったのだ。
「テンペスト、おまたせ」
排泄物を綺麗にして、導尿パックを交換する。
簡易シャワーでテンペストの身体を綺麗に洗ってやり、髪を乾かし、体中にオイルを塗り込む。
身体が固くならないようにと、全身くまなく解してやり、手足を動かして簡単な運動をさせてやった。
床ずれが出来ないように、数時間ごとに身体の位置を変えてやるのは流石にニーナにしてもらっているが、それ以外は大体ニールがやっている。
下の世話であっても嫌だなどとは一言も言わず、常に清潔を保つように努力している。
テンペストが目を覚ました時に不快な気分にさせないように。
服を着せて整えた後、またベッドに横にしてやり……ニールも眠りについた。
移動を続けて3日目。
目的の島に到着した。2日目は洋上で一日を過ごしたが、特に魔物が出ることもなくとても平和だったし、この島に到着するまでも特に何もなかった。
でもここからは違う。
向こうの世界へと行けば、まず森の中を進まなければならないし、そこは魔物たちが大量に居る場所だ。
アラクネを出したくても道はなく、以前使った小屋に到着するまでは徒歩で移動することになるだろう。
砂浜を歩き、目的の風穴へと進んでいく。
じりじりと照りつける様な日差しのなか、唐突に涼しい風が感じられると、そのすぐ近くにその入口が口を開けている。
「ほう……ここですかな?」
「そう。少し入ると上に向かって穴が開いているんだ。そこから向こうの世界へと行ける。位置とかは僕が分かるから大丈夫だよ。座標の記録が出来るように博士がシルフに色々取り付けてくれたからね」
簡易の異世界用地図が出来るはずだ。
と言っても、地形を記録するのではなく、単純に座標をプロットするだけのようなものなので大まかな位置しかわからない。
後は都度書き込んでいくしか無いが、無いよりは全然良いのだ。
「えっと……これに乗って上まで行けるよ」
「これはなんですか?ニール様」
「レビテーションを使った簡易昇降装置。皆まとめて上に上がっていけるから丁度いいんだ。これを巨大化してエレベーターを作るつもりらしいよ」
「ハイランドと外界を繋ぐあの大きなものですか。また便利になりそうですな……本当にニール殿達は誰も思いつかないことを次々と……」
「大体テンペストと博士なんだけどね……。さ、行こう。皆乗って」
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久しぶりに来た異世界。
鬱蒼と茂った巨大な樹。
空を覆い尽くす葉。
そして……黒い魔物が居た。
「なんで!?」
「お二人とも私の後ろへ!」
世界が切り替わった瞬間、近くに魔物の気配を感じ取り、警戒はしていた。
しかしそこに居たのは見覚えのある魔物だったのだ。
ニールが動揺して初動が遅れたものの、ヴァルトルが即座に動いた。
あっという間に細切れになって死んでゆく魔物たちを見ながら、ニールは混乱している。
「な、なんで……なんでここにこいつらが?」
「ニール様!どうされたのですか?あの魔物がなにか……?」
「ニーナ……ああ、ごめんちょっとびっくりして……。あの魔物、テンペストと一緒に異世界に隔離されたやつが連れていた魔物なんだ……最後に洞窟の中で嫌というほど見た」
でも、なんでここにこんなに居るのかがわからない。
ゴブリンのような見た目のそれは、ニール達を囲むように迫ってきていた。
ちらりとヴァルトルを見やると、特に危なげもなくつぎつぎと斬り伏せてはいるが……いくら強くても体力は有限だ。
ニーナとテンペストの入った箱を近くに寄せると、周囲を取り囲もうとしている黒い魔物たちを焼き尽くした。
「……これ以上はこの付近には居ないようですが……」
「うん、僕の方でも気配を感じない。でも、完全に気配を消せるやつが居るから気をつけて。目でも見えないから……」
「ふむ。気をつけよう。……さて、移動しますかな?」
「そうだね。後、移動しながらだけど……ちょっと言っておきたいことがあるんだ」
ヴァルトルに魔物の事を説明する。
テンペストとコンラッドが封じ込めたはずの脅威。
精霊の予言と、その危機の元となった物。
「その、黒い飛竜とやらは私らの世界からは居なくなった……。でもその世界はここではなかったのでは?」
「そのはずなんだ。ここじゃない。だけど僕は見たことのない技術や魔法で空間を繋げることが出来たりしないかなって思って来てみたんだよ。……テンペストと2人で旅行するつもりでもあったし……」
「しかしこの魔物が居るということは……黒い飛竜がここに居る、もしくは居た事があるということになりますな……」
もしも、今ここにその黒い飛竜が居るとしたら……。テンペストもそれを追って来ているかもしれない。
居たことが有るというだけであっても、ここに通じる通路が見つかる可能性があるということだ。
どちらにせよ、ニールにとっていい情報であることは確かだが……今から行こうとしている街に行っても情報収集は困難だろう。
それでも少しずつ言葉を理解していけばきっといつかはテンペストにたどり着ける。
そう信じているのだ。
意外とテンペストまでの道のりは遠くない。
ニールはそう確信した。
少年王、リリアン・ラストの冒険はノクターンにあります。
が、18禁の上にこの物語と同じくらい長いです。
同じ名前で活動しているので気になる方はどうぞ。
そしてヴァルトルの実力がついに。
引退したとは言えかつては最強クラスの戦士であったので無駄に強いです。
さて、本当に残り話数が少なくなってきました。
頑張ろう。