第百四十九話 英雄は英雄のままで
「ーーーー!!」
「ー!」
深く暗い淀んだ世界に浮かんでいる感覚。
体が重い。
立っているのか寝ているのかも分からない。
頭はぐらぐらと波に揉まれるようにはっきりせず、その中に誰かの声がガンガンと響く。
水の中で音を聞いているような、くぐもったその音は意味をなさず、ただの騒音として捉えていた。
しかし、それが怒鳴り声と自分を呼ぶ声であると認識した瞬間、急速に意識がはっきりしてゆく。
くぐもった音は激しく抵抗するヨックの声と、自分の名前を呼ぶリーベの声へと変わり何事かと飛び起きる。
だが飛び起きた瞬間に猛烈な吐き気と目眩を感じてベッドから落ちた。
「ディノス様!急いで逃げましょう!」
「逃げる……?どういう……」
「今、ヨックが敵を……!」
と、ドアの外が一気に騒がしくなりヨックが吹き飛ばされてドアを突き破って来た。
ぐらぐらと揺れる視界と吐き気をこらえつつ見やれば、そこに立っていたのは帝国の兵士だ。それも暗殺専門の。
「貴様等どういうことだ……!?」
「それを言う必要はない。お前はここで死んでもらう」
「何だと!」
意味がわからない。ここまで帝国に尽くしていたのに?
殺される理由がない。
「何故ですか!ディノス様は帝国のためにずっと……!」
「その通りだ。だが……お前は力を持ちすぎたのだ。一人の持つ戦力としては少々過剰だ」
「何を……それは全て帝国で使えるようにと……」
「危険なのだよ。確かにお前はよくやってくれた。目障りなエフェオデルすらも潰してくれたのだからな。……だからこそ、もう必要ないのだ、英雄は。軍を相手にできる個人など、制御が効かなければ脅威にしかならん」
言葉が出ない。
つまりは俺が裏切った場合に危険だから排除するということか?
元から余所者だから余計に危険だと判断されたのか……?
「……そもそも、何故立っていられる。予め毒への対策でも取っていたか?しかしまあ、何も出来まい」
「ディノス様!早く逃げっ……!」
気を失っていたヨックが立ち直って兵士の1人に掴みかかる。
しかし、全てを言い終わらない内にその首に剣が突き立てられた。
大量の血を流して崩れ落ちてゆくヨック。
悪い夢を見ているかのように何も出来ない自分。身体は重く意識はあっても視界は歪んでいる。
「ヨック!!」
すぐ横でリーベが叫ぶ。
窓の方へと突き飛ばされ、振り上げられた剣はリーベを切り裂いた。
「やめろ……!!」
尚も抵抗しようとするリーベの首を撥ね、兵士が迫る。
「貴様……!!何ということを!!」
ずっと、最後まで付いてきてくれた者達があっさりと殺されてしまった。
「いやぁぁぁっ!!!」
「……キール……!!」
少し離れた場所でキールの悲鳴が聞こえ、突如聞こえなくなる。
「全ての部屋を見終わりました。生き残りは居ません」
「貴様等ァァァ!!」
「吠えた所でフラフラではないか。おとなしく眠っておけば苦しまずに死ねたものを」
死んだ。自分の周りに居たものたちは全員死んだ。目の前のこいつらに……いや、ホーマ帝国という国に殺された。
裏切られたのだ、と理解するまでに大分時間がかかった。
最初のうちこそ内側から……と企んでいたものの、今は寧ろここに落ち着くのも悪くないと思っていたところだった。
国を強くして、それを見守ることを人生としようかと思っていた。
何よりもこの帝国は性に合っている部分が多かった。
だが……利用されているということなどは全く考えていなかった。
今まで散々自分達の国がやってきたことだったではないか。何故気づかなかったのか。何故警戒しなかったのか。
しかし後悔した所でもう遅い。
既にヨック、リーベ、キールの一番近しいものたちは死んだ。
その他のメイド達も死んでいることだろう。
生き残りはいないと言っていた。
「大人しくなったか。運命を受け入れろ」
顔を隠しているが、ニヤニヤと笑っているのが分かる。
運命を受け入れろ?ふざけるな。裏切り、全てを奪ったこいつらは許せない。
「受け入れる……つもりなどない!!」
「何?」
『炎竜、やれ!』
命令を出すと同時に窓の外へと飛び出す。
ガラス片が皮膚を切り裂くがそんなことはどうでもいい。
周囲が明るく照らされ、先程まで居た部屋が大爆発をおこし……、ディノスの身体は炎竜によって地面へと叩きつけられる前にキャッチされる。
『不死隊、居るのか?』
『炎竜とともに駆けつけました。少し前から主の様子がおかしいと感じた為、独断で行動してしまったことをお詫び申し上げます』
『いい、……助かった、礼を言う。お前たちが来てくれていなければ……死んでいただろう』
『……もっと、早く到着すればヨック様、リーベ様、キールやその他の付き人などもお守りできたかと思うと』
『……良いのだ。間に合わなかった事を怒るつもりはない。怒りをぶつける相手は他にいる』
死霊術によってアンデッドたちと繋がっているディノスには、別棟付近へと飛んできていた炎竜とそれに乗る数体のアンデッドの行動が分かっていた。
出来すぎたタイミングだとは思ったが、いつもの幸運なのだろう。
他の皆を助けられればと思いはするが、全力で来ていることは知っている。
どうあがいても間に合わなかったのだ。
『……魔鎧兵を回収したい。出来るか?』
『場所は何処でしょう?』
『城の前の広場、屋外にある』
『ならば……ディノス様、お手を』
炎竜の手から背中へと乗り移る。
背中に乗っていたのは3人のアンデッド。と言っても人間と大差ない見た目をしている。
やや血色は悪いように見えるが。
指定した場所には魔鎧兵が膝をついて置いてある。
警備は殆どおらず、むしろ爆発の起きた別棟へと人が集まっているようだ。都合がいい。
そのまま炎竜が急降下して魔鎧兵を掴むと一気に上昇していく。
弓矢も大砲も届かないところまで上がれば、少々寒く息苦しいが安全だ。
さて、無事に脱出できたとなればこれからどうするかが大きな問題だろう。
また1人になってしまったものの、不死隊は残っている。
それに付随する魔物も。炎竜も配下に居るこの時点で以前とはまるで状況が違う。
まずは……。
『最初に落とした砦、そこへ向かう。あそこはある程度整っているところがあるからな。不死隊はクラーテルから出して橋を落とさせた後全力で砦まで移動させろ』
『仰せのままに』
良いだろう、帝国の選択がそういうことならば……徹底的に抗ってやる。
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砦へ行ってまずしたことは休息だった。
何よりも身体に残る毒をなんとかしなければならない。
未だに人が居ないこの場所は隠れているのには十分な場所だ。
そのうち偵察などが来る可能性はあるが、身体を落ち着けられる所となるとここくらいだろう。
残った屋敷のベッドに横になり、毒消しと水を持ってこさせる。
盛られた毒が何だったのかは知らないが、恐らく睡眠薬や麻痺毒だろう。
そのまま死に直結するものであれば既に死んでいたはずだ。
何故そのようにしなかったのか……どうせ、何かしら理由をつけて反乱を起こそうとしていただのと発表するつもりだったのだろう。
恐らく今、実際にそういう扱いになっているはずだ。
その時に毒殺よりは実際に切りつけていたほうがそれらしい……という感じだろうか。
どうでもいいか、はっきりしていることは帝国が裏切り、自分の残した全てを奪おうとしているということ。
不死隊の存在がばれていなかったのは良かった。
お陰でこうして助かることが出来たのだから。
「おい」
『ここに』
「……呼びづらいな。お前の名はなんという?」
『ライムントと』
「ではライムント、これからのことを指示する」
さしあたって必要なものは武器と弾薬だ。
今ある戦力は不死隊と自分の乗る魔鎧兵のみ。
魔鎧兵の武器はメイスと大砲だが、肝心の弾薬は無い。魔鎧兵用とはいえ大砲があったことは色々と有り難い。
一から設計しなくて済むと言うのはそれだけで時間を節約できる。
しかし、迎え討つにしてもここは既に帝国に知られている位置だ。
帝国が知らない別な所を拠点にしたい。
そして空からは分からない場所にあることが望ましい。
「できるか?」
『……1つ最適な場所があるかと』
不死隊長のライムントから提案された場所を聞いてディノスは笑いがこみ上げる。
なるほど、どの道自分達はそこに篭もる事になるのかと。
恐らく防衛はされているだろうということだったが、既に長であったアシュメダイは居らず奪うなら今のうちだろう。
何よりも、そこは黒い魔物の居た場所であり、その先はまるで別な世界へと来たような場所になっているという。
「好都合だ。俺が動けるようになり次第、そこへ移動したい。その前の殲滅と制圧は任せるぞ」
……黒い魔物……。
アシュメダイか。力を貸すと言っていたな。
ならばそれは今だろう。
このエフェオデルを支配しつつ、ホーマ帝国を滅ぼす。
エフェオデルは国を作るための足がかりとして礎になってもらう。ホーマ帝国を滅ぼした後は……ああ、あの連中を滅ぼすのもいいだろう。
こちらには知識がある。向こうだけの特権ではないことを見せてやればいい。
黒い魔物は俺ならばもっと上手く扱えるだろう。
特に竜系のブレスは強力だ。あれが味方として使えるならば……いや、それだけでなくあれを武器として扱うことが出来るならばどんなにいいだろうか。
作るにしてもアンデッドだけでは難しかろう。
手先の器用なものや鍛冶を行えるものたちも必要だ。
やはり好きに使える場所が無くなったというのはかなり痛い。
人材確保、資源確保、ここの国の人間からすればディノスは敵であり、そんな相手に対してまともに協力するやつなど居ない。
だが……エフェオデルという国は少し面白い考え方をしているのだ。強いものが長となる、というのがそれで、強いものに付き従うという構図ができている。
であれば、エフェオデルの生き残り達を反論が出ないほどに叩きのめし、手足のように使ってやればいい。
この身体がまともに動くようになったらすぐにでも動かなければならないだろう。
ここに帝国が来るまでそう時間はないはずだ。
脱出は見られていないはずだが、居なくなったとなればこちら側に来ていることは想像がつく。
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翌日、既に日は高く誰もいない都市を照らしている。
「……ライムントか」
『ここから近いところにドワーフのいる坑道があります。彼らの協力を取り付けられればさしあたっての武器などに関しては問題ないでしょう。もう一つ、黒い魔物の洞窟は部隊の一部が向かっています』
「命令以上の働きだ。良くやった」
身体を起こして立ち上がる。
既に目眩と吐き気は消え、毒消しはよく効いてくれたようだ。
坑道は山の麓にあり、その眼前には深い森が続いているという。
なるほど、そこを支配できれば鉱物資源はこちらのものか。更に言えばドワーフが手に入る。
「では向かおう。だがその前に……使えそうなものは全て持ち出すぞ」
店や工房などにはまだ物がある。
食糧や武器などはあらかた持っていったが、それを作る道具や材料などは意外とそのまま残っているのだ。
そもそも、ここは一旦帰ってから改めて見ていくつもりだったのだから当然だろう。
もう一つの小都市に関してもできれば見ておきたい。
あそこはまだ手を付けていない。物資も残っているだろう。
一箇所にまとめた後は持てるだけ持って移動だ。
魔物達が居ると荷物を大量に持たせることが出来るので相当楽になる。特にタラスクや炎竜などの大型の魔物となればなおのこと。
魔鎧兵でも人では持ち上げられないような物を持つことが出来るし、馬車などを連結させて引っ張っていくことも出来る。
数台の馬車分の物資を運び坑道まで行けば、外に出ていたドワーフに出会った。
隷属の首輪をはめられた彼らは少々痩せこけているようだ。知っているドワーフの姿ではない。
「……奴隷なのか?」
「オメェらがやったんだろうが!今度は何だ!」
「俺はエフェオデルの者ではない。……そしてエフェオデルは滅ぶ。お前たちを奴隷から解放すると言ったらどうするね?」
「ほう……?隣国の連中か?それにしては後ろの奴らはエフェオデルの鎧を着ているが?」
「彼らはアンデッドだ。死霊術師でね、倒した相手をこうして使わせてもらっているわけだ。……これからも数は増えていくだろうよ。それで?どうする?」
アンデッド、と言った時に顔をしかめたが、エフェオデルに思うところはあったのだろう。
無理やり従わされているようでかなり恨みがあるようだ。
これは丁度いい。
それを利用させてもらおう。
「……あいつらは俺たちを眠らせてこんなものを着けやがった。それから開放してくれるっつーんなら協力してやってもいい」
「ふむ……それでは取引といこう。俺はお前たちを開放し、エフェオデルの生き残りを叩くための武器や防具などを作ってもらいたい」
「俺達は……そうだな。奴らの苦しむ顔が見れればいい。だがまたこんなものを取り付けるつもりなら協力はしねぇ。……そのデカイのは何なんだ、さっきあんたはこれから出てきたが……」
魔鎧兵が気になるようだ。
職人としても鎧を纏った巨大な人型は気になるようで、色々と細かく聞いてきた。
作り方は簡単であることを教えれば、見返りにそれを一つ欲しいと言ってきたので許諾する。
味方になってくれるならば協力はしよう。
今は少しでも味方が欲しい。
「それで?他にはどれくらいの人数がいるんだ?」
「ここに居るのは半数という所だ。少々特殊な理由があってな……まあ、エフェオデル滅ぼし支配するつもりなのは変わらん」
「まあ、いい。正直怪しさしかねぇが、これを着けているより悪いこともあるまい。面白そうな事もできそうだ。……外してくれ」
隷属に関する魔法は元から知っている。解除するための物も当然知っている。
だが今回の場合は特に、かけた本人がすでに死んでいるようで抵抗もなく簡単に外すことが出来た。
流石に全員は無理だが、明日には終わらせられるだろう。
外してやった彼らは喜んでこちらを迎えてくれた。
アンデッドの元エフェオデル兵は少しおっかなびっくりというところだったが。
坑道の中は……想像以上に広く、魔鎧兵に乗っていても特に問題なく移動できるだけの広さはある。
ただしこれは入口付近だけで、奥に行けばそれなりに狭くなるという。
そして、一番驚いたのは坑道に見せかけた通路を通ってゆくと、その先には巨大な空間が広がっていたことだ。
「これが俺たちの住処だ。エフェオデルの連中にバレないように少しずつ作ってはここで準備をしていた」
「準備?」
「戦争のだよ。武器と防具を作り、子を産む。……俺達は子供に戦わせようとしていたのさ……」
隷属の首輪がある以上、逆らうという行動ができずに居た。
その為に首輪のない者達が必要だったのだ。
手っ取り早いのは子供を産み、育てていくこと。
ひっそりと行う為にもこうした隠れ家が必要で、少しずつ少しずつ拡張を重ねていたという。
ドワーフという長命種だからこそ出来る事だろう。
「ならばその子達の責務は俺達が肩代わりしてやろう。お前たちもやるだろう?」
「……首輪のせいで鬱憤が溜まってんだ、それをぶつける相手が欲しかった所だ」
「流石はドワーフ。……では、俺の持つ技術と知識を教えよう。そして俺とともに来い。国を……いや、この大陸を統べることも夢ではないだろう」
□□□□□□
その夜、坑道を出て外の空気を吸っていると、またあの影が降りてきた。
……アシュメダイ。エフェオデルの元長であった黒い竜。
『案外早かったな』
「お前は俺の何を知っている」
『国に裏切られ、仲間を殺され、失意の元ここにたどり着いたことなら知っているぞ?』
本当に、どこから見ているのだろうか。
まるでその場にいたかのように状況を語りだす。
「……やめろ」
『ふむ。それで……お前はどうするつもりだ?復讐か?それともここで逃亡生活を始めるのか?』
「見ていたなら知っているだろう?復讐だ。俺をコケにした奴らは皆殺しにしてやる」
ニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべながら黒竜が問う。
そんなものは考えずとも答えはすでにあるのだ。
ホーマ帝国も、エフェオデルも、ハイランドもルーベルもコーブルクも。全て滅ぼしてやる。
『あぁ、良いぞ。そういうものが見たいのだ』
「しかし、俺だけでは流石に力が足りん。……力を貸せ」
表情が乏しいはずの竜の顔だが、何故か笑っているのを感じる。
楽しんでいる……。少々腹が立つが今の俺の力だけでは何も出来ない。数という暴力の前に個人の力は小さすぎる。それこそ、黒竜のような力があれば話は変わるのだが。
『契約は成った。我はお前に力を与え、お前は目的を達する。……見学させてもらおう』
「悪趣味なやつだな……。お前が自分でこの世界を統べれば早かろうに」
『ただの暇つぶしだ。本命は別にある。少々小うるさい奴らが居なくなるまでの、暇つぶしだ。我の力をそのまま使えば確かに簡単だろうが、それではつまらん。だからこうして少しの力を与え、その者がどう歩んでいくのかを見るのだ。なかなか面白いぞ?』
暇つぶし……こちらにとっては一大事であっても特に気にならない程度の事象ということか。
本当に腹立たしい。
以前の長は、このアシュメダイによって強化された只の人間だったそうだ。
仲間から見捨てられ、骨と皮になっていた者に力を与えて復讐させた。
その後、エフェオデルを支配させていたが、そこで帝国へちょっかいを掛けてしまったのだ。
知識もなく、いじめられていただけの者を器にしたのが間違いだったと語っている。
『弱いものがどのようにのし上がり、そのように振る舞うか……それが見たかったが自滅の道を休みおったのだ、全く詰まらん。……その点お前は面白い。その怒りと恨みをお前の知識と力で何処まで対抗できるか楽しみだ』
「気に入らないな……。だがまあ、力さえ手に入ればいい。……神と呼ばれていたことがあったと言ったか」
『こうして目の前に出た時にそう思ったのだろうよ。既にその者も治めた国も無くなっているが』
「神か……どちらかと言えばお前は言葉巧みに力を欲するものたちを誑かす邪神の方が似合っているだろう」
『邪神か、なるほど気に入った。……また会おう』
そう言ってまた唐突に居なくなる。
目の前にあったプレッシャーが消えて一息つくと、坑道へと戻る。
……戦争の始まりだ。
ディノス「信じていたのに裏切られた。もう誰も信じねぇ」
少し前のディノス「ハイランドの連中とかまじでムカつく。帝国いい感じのとこだし利用するだけ利用して乗っ取ってからぶち殺しに行こう」