鬼気マーチGUY
ある日の放課後。
学園メガネクイーンこと風紀委員長・美野さゆきが誰もいない廊下を歩いていると、近くの教室から男子の話し声が聞こえてきた。
「で、持って来たか?」
「はい」
まず聞こえてきたのがこれだ。
さゆきは、
(何か、持ち込んできたわね)
と瞬時に考え、踏み込みたい気持ちを抑える。
物品を取り押さえないとはぐらかされる可能性がある。風紀委員長とはいえ、学校への通知なしに生徒の鞄の中身を無理やり暴く権限はない。
美野さゆきは身を屈めて扉に耳を寄せた。
「んじゃ、一緒に出そうぜ?」
「いいっすね」
どうやら中にいる二人は先輩後輩の間柄らしい。
「せーの」
という掛け声と共に、机に何かが置かれる音がした。
(この音は……、プラスチックのケースかなにかかしら? 少し大きいかも)
音から物品を想像し、美野さゆきは眉根を寄せる。その疑問が踏み込もうする足を止めた。そして、
「うわっ。先輩このバイブ、デカ過ぎないですか!?」
後輩らしき男子の発した言葉に美野さゆきの体は一瞬、石のように硬直した。
(ちょ、学校にナニ持ち込んでるのよ……ッ!)
しかし、扉の向こうで学園メガネクイーンと恐れられる風紀委員長が、耳まで真っ赤にしているとは露と知らない男子二人は話を続ける。
「すげーだろ? アメリカからの輸入品だぜ」
「でも、こんなデカいのこっちに合わないんじゃないっすか?」
「まぁな」
(えええっ! 使ったことあるわけ!?)
思わず、叫びそうになって美野さゆきは口を押さえる。そうして踏み込むタイミング逸してしまった彼女は耳を傾け続けてしまった。
「つーか、そう言うお前のはゴムばっかかよ?」
(ゴゴゴゴ、ゴム!? ばっか、て……そんなに種類あるモノなの?)
見えないことと、未知の世界の知識に美野さゆきの妄想は加速していく。
「一つも入ってない先輩がおかしいんすよ……」
(ひ、ひとつも? 将来のこと考えてんの! ……ってなに考えてるの私はぁあああ!?)
綺麗な長い黒髪を掻き毟る美野さゆき。
「俺はハード一筋だからな」
「自分、ソフト一筋ですんで」
(教室でなに宣言しあっての、こいつらは!?)
もう顔を真っ赤にして、美野さゆきは脳内でツッコミを入れている。混乱に混乱が重なり、既に自分の役職と責務はどっかに行ってしまったようだ。
「……ゴムって匂いキツくね? 俺苦手なんだよ」
「なに言ってんすか? この匂いが獲物を引きつけるんすよ!」
(えっ、そういうものなの……)
力説する後輩によって、美野さゆきは勝手に納得させられる。もう話に聞き入っていることに自身でも気づいていない。
「いや、まー……人の趣味だからあんまうるさいこと言わないけどよ。ん?」
「どうしたんすか?」
「お前、これもしかして牛革製か?」
(牛革製?)
美野さゆきは頭を傾げる。いや、傾げてしまったと言うべきか。
「あ、よくわかりましたね?」
「見た感じでも質感が違うのがわかるよ。やっぱ食いつきが違うもんか?」
「ぜんぜん違うっすね。このラバーに牛革つけて攻めると最高っすよ」
「……お前もハード使ってんじゃねーか」
(牛革とラバーで、攻めて、ハードって……えっ、そっち方面まで手を出してるの!?)
なぜか、美野さゆきはソレを身に受ける自分を想像してしまい。それに気づくと、恥ずかしさやよくわからない感情で体がカァっと熱くなるを感じた。
「え、ラバーってハードに入るんすか?」
「入るに決まってんだろ? てめー、認識ズレてんぞ」
「そういうもんすか? まぁ自分、基本は小物狙いっすけど、大物狙う時はもっぱらこれっすね」
(お、大物!? 大物ってなに? 何の区分なの!)
妄想迸り、冷静さ皆無。
普段の彼女を知るものなら、目を疑うに違いない醜態だった。
「ふぅん、俺はこいつだな」
「さっきのバイブじゃないんすね?」
「あんなん、ただのコレクションだ。コレクション」
「言い切ったすね……」
「別にいいだろ。つか、俺が好きなのは美野なんだよ」
(え…………)
猥談の中での突如の告白に、美野さゆきは頭の中は真っ白になった。
「あぁ、好きっすよね先輩」
「一目惚れだったね。シャープなスタイルによ」
「私そんなにシャープじゃないし!」
バァンッ、と叩きつけるようにさゆきは扉を開けた。大きく呼吸をし、それと共に人並み以上の胸が前後する。
「むしろ痩せたいんだけど!」
と余計な願望を言った美野さゆきは二人を見た。
教室の中央付近の席で、二つの平たいプラスチックケースを広げ、美野さゆきを見開いた目で見つめ、時間が止まったように動かない。彼らにしてみれば、持ち込み物を厳しいことで有名な風紀委員長に現場を見られたのだ。しかもなぜか顔全体が真っ赤で、髪も息も乱れている。
固まるな、というのがおかしい。
「な、なに言ってんだ?」
少しして先輩らしき男子が口を開く。
「なにって――――へ?」
そこで、ようやく美野さゆきは二人の男子ではなく、その二人の持っている物を見た。
後輩らしき男子が持っているのは、ぶよぶよした黒い物体。
先輩らしき男子が持っていたのは、細長い小魚みたいな人工物。
彼女は背骨が急に氷柱に変わったような感覚を味わいながら、ふらりと二人に近寄る。すると、机の上にある二つのケースには二人が持っているのと同じ様な物が収められていた。
「これは……?」
一転、表情の抜け落ちた顔で尋ねる美野さゆきに、男子二人は緊張した面持ちで答える。
「ブラックバス釣り用のルアー……」
「……っす」
「…………………………」
長い、長い沈黙が訪れる。
「お、おい。どうしたんだよ?」
先輩男子がそれに耐え切れずに言った。
美野さゆきは無言のまま、ケースにある一際目立つ大きなひし形っぽいルアーを指差す。
先輩男子は自分のケースにある物を指差されて困惑したが、美野さゆきの指が一向に動かないのを見て、説明を求められている事に気づいた。
「こ、こいつはバイブレーションって言って水の抵抗で震えて、中のビーズが震える仕組みなんだ。ソルトルアーとも言うけどな。これはアメリカで一メートルオーバーとか馬鹿でかいバス用に使われる奴で日本にいる奴には合わないけどな」
緊張からか正式名称で答え始め、途中から朗々と語り出した先輩男子。好きなものの話が出来るのが嬉しいらしい。
続いて、さゆきは後輩男子のケースのルアーを指差す。
「これはワームっす! ミミズとか、エビとかに似せたルアーなんすよ。基本樹脂で作られたものが多いっすけど、僕が今持ってる奴は牛革で作られててちょっと高価なんすよ!」
先輩を見て、緊張を解いたらしくテンション高めで後輩男子は答えた。
「……ゴムって?」
「先輩はソフトルアーが嫌いなんすよ。だから、ゴムって揶揄するんす。あ、ソフトルアーってのは樹脂や皮で出来た柔らかいルアーの総称っす。先輩が持ってのがハードルアーって総称で、プラスチックや金属とか木で出来てるっす。あっ、ソフトルアーにもバイブレーションみたいに細かな名前があるんすよ!」
「匂いが付いてるのは、魚を引き寄せるため?」
「その通りっす」
「ラバーは?」
「あぁ、これっすね」
後輩男子は自分のケースから黒い頭に黒い剛毛と紫色の柔毛が生えたようなルアーを取り出した。
「ラバージグって言って、簡単に言えば重り付き釣り針にゴム製の毛を生やしたようなものなんすけど、ここにブラシが付いてるっすよね」
と、後輩男子は黒い剛毛を撫でる。
「このブラシは、ちっちゃいバスがラバージグのを飲み込めないように作られてるんすよ。だから大物用って言われるっす。ブラシがないのもあるっすけど、基本的にブラシが多いほど大物向けで、中には自分で改造してブラシ増やしちゃう人もいるっすね」
後輩男子の説明に頷きもせず、さゆきは先輩男子が持つ細長いルアーを指差した。
「これは?」
「ミノーだよ」
「え?」
「ミノー。ハードルアーの一種で、細長い小魚を模したタイプのルアーだよ。口ん所にアクリル版があるだろ? これが水の抵抗で沈む仕組みになってんだ。アクリル版の大きさで沈む深さも名前も違っててよ。これは浅い所を攻めるフローティングミノーって……聞いてんのか?」
途中から心ここに在らず、という調子で聞いていたさゆきが気になったのか、先輩男子が聞く。
「うん、もういい」
そう言うと、ふらふらと危ない足取りで扉に向かおうとする。そこで後輩男子は正気に戻り、
「え、没収しないんすか」
「馬鹿、余計なこと言うな!?」
続いて先輩男子が気づいて後輩に怒鳴った。
そんなやり取りを、どこか遠くで聞くような感覚を覚えながら、美野さゆきは振り返らずに言う。
「次持って来たら、没収するからね……」
全く覇気のない言葉に、知らず知らずの内に雑魚(目的でない魚の意)を釣り上げた二人は何がなんやらわからず、お互いの顔を見合わせた。
その夜、美野さゆきは顔を枕に押し付けて声なき叫びを上げ続け、それから一週間ほど釣られた後のブラックバス(一週間は餌を食べないで過ごす)のようにおとなしかったという。