褐色の美少年
5月の連休を過ぎた頃の陽気は気持ちがよく、この金鵄夢の島学院に流れる潮風は涼しくて気持ちがよかった。この時期になると、制服の上着の着衣は自由になり、シャツだけを着る生徒も見られてきた。高等部の職員室の前に立つこの少年、来栖 錠も学ランを着ないで登校していた。
少年はとくに意識することなく職員室の前で窓枠に手をつき佇んでいただけだが、その姿は様になっていた。少しはねっ毛ではあるが、綺麗に整えた黒髪の流れはよく光を反射していて、目は大きくて丸く、鼻先は高かった。
そしてこの少年が他の生徒違うことは、肌が褐色であることだった。二の腕のシャツの端から前腕にかけての褐色の腕が光によってブラウンに輝き、露出している立体的で影のある肌を見るところ、筋肉質であることがわかった。
廊下の先の階段から一人男子生徒が現れ、それに錠が反応した。
「ジョー。すまん、遅れた」
「いいよ、そんなに待ってないよ」
錠の周辺の人間は、「じょう」という発音ではなく、「ジョー」の発音で彼のことを呼んでいた。
錠を呼んだ男子生徒の名は、赤松忠といい、この生徒は少年というより青年というべき顔立ちだった。骨太でがっしりとした体格で胸板に厚みがあり、頭は短髪で、噛む時に使う頬の筋肉の筋が目立っていていた。眉がはっきりとした直線の形であり、そしてその目には目力があった。
「入るか?」
「いや~それがなんだか立て込んでそうなんだよね」
職員室の中の話し声が外にも聞こえたが、二人の聞き覚えのない甲高い声がよく喋っていた。
顔を見合わせた二人は、ゆっくりと引き戸のドアに手をかけて少しの隙間をつくり、その隙間から中を覗いた。部屋の中では、猫が喋っていた。
正確にいうと、二本足で立ち衣服を着ていて日本語を話す猫が喋っていた。
「とにかく、超人狩りなんてものがあってはいかんのにゃ! もし白狼があの場にいなければ手遅れになっていたかもしれんのにゃ! お前は子供たちを教育する役目があるが、今はこの超人狩りをなんとかしなくてはならないのにゃ!」
二人は、そのよく喋る猫に驚いた顔をしていたが、べつに猫が喋るからではなかった。
「あの猫の方は根の堅洲国からきた妖怪か?」
「うーん、でも写真では見たことない服を着てるな」
「文句を言われているのは、松岡大尉だぞ」
松岡大尉こと松岡 弘とは、猫に文句を言われている軍服を着ている男の名前で、この学校の子供たちにククリの力のコントロールの仕方を教育する教官だった。また超人狩り対策本部にも参加しているため、松岡は超人機関とこの学校のパイプ役をしていた。
猫はやっと話すのをやめ、足早に錠たちが覗き込むドアへ向かってきた。
二人はまずいと思ってドアから離れて、廊下の曲がり角まで走っていき隠れた。
松岡が外まで見送りをすると言うと、
「お前がこっちにいると言うから本部から来ただけで、私にそんな気を遣う必要はないのにゃ!」
と言って見送りを断って職員室を出てきた。
廊下に出た猫は、にゃあにゃあと独り言を言っていた。その猫がどこに行くのか気になった錠は、赤松に合図して後をつけた。
「まったく! 本当の本当に危なかったのにゃ! 超人機関の人間も確かに対策をしているが、武殿は本当に危なかったのにゃ。それに武殿は助かったが、殺されてしまった者たちは可哀想にゃ。こうなった以上は、ククリの力のことを人間の社会に発表するのは仕方がないことにゃけど、超人機関は対応しきれるにゃろうか」
猫は大きくため息をついた。
二人は猫が何を話しているのか断片的にしか聞こえてこなかったために、徐々に距離をつめようとしていた。そんなことも気に留めず猫は歩き続け、やがて玄関を出た。
「さて、富樫のところはさっき行ったし、もう高天原に帰るにゃ」
すうっと猫の体が浮き、一呼吸おいた後、一直線に空に上がっていった。
やがて二人の視界から猫は消えてしまった。
猫が空を飛んでいったことについても、この二人は驚かなかった。禊の力を利用する者は、神の力として飛行できる能力(龍の姿には成れないが)を有しており、錠は13歳の時から、赤松は14歳の時からこの学校に通い始め、ククリの力の使い方を学び続けていた。
二人は少しの間空を見ていたが、赤松が先に声を出した。
「行ってしまったな。少し聞こえてきたが、どうやらそろそろククリの力や超人のことを世間に発表するらしいな」
「うん。あの猫さん高天原に帰るって言ってたから、高天原から来たんだね!」
「どうやらあれが、神使の方らしいな。というと、やはり口にしていた武とか言う名前が、今度来る転校生のことか」
「そうみたいだね! 楽しみだなー」
「やっぱり楽しみか?」
「だってそうだろ? 鬼に殺されかかったところを神使に助けられて、しかも高天原から転校してくるんだぞ。そんな人は見たことないからね」
「そうだな。確かに俺も会ってみたいがどんなやつだろうな」
「今日のことは姉さんに話してあげよう」
「瑛理子さんにか?」
「ああ。転入してくる日が楽しみだな」
褐色の美少年――来栖錠は、明るく好奇心の旺盛で精悍な少年であり、武がこの学校に転入してくることを楽しみに待っていた。そして、筋肉隆々――見るからに熱血漢――赤松忠もまた、武の転入を楽しみにしていた。この二人にとって、特に錠にとっては、超人の存在が超人ではない人間の社会への発表が近づく緊張よりも、武が転入してくることへの楽しみの気持ちが優っていた。