超人
武が白狼に連れられてきた場所は、武の先祖である康成の屋敷だった。
康成は神楽殿の右を通って奥へ武を通した。康成についていくと、先には奥行が10mで幅が30mほどの真っ平らな石畳が広がっていて、一対のテーブルとイスがあった。
康成は、下げている刀をテーブルに置いてイスに腰かける。康成が下げている刀が右腰にあることを武は不思議に思った。
康成が、武の前に手をかざすとその手からエメラルド色の雫がこぼれて出た。
すると、武の目の前に康成が座るイスと同じイスが現れた。
「これは?!」
武は目を見開いて驚いた。目の前で起こることが常識では考えられないことが続いているが、それでも一つ一つに驚くのは仕方がなかった。
「これは、私が持つ空間に収ってあったものだ。物を収納する空間にな。これは後に教える」
武は、康成にそのイスに座るように促されて座った。
白狼は、神楽殿にあぐらをかき膝に頬杖を立てあごをのせて座っている。似た顔同士が顔を向き合わせて座っている光景に、白狼はますます面白くなって口元の両端がさらに上がっていた。
まず康成が、武に話したのは愛と真心を人間に与えた姉妹の女神たちの神話だった。この神話を語らなくては武の今の状況を説明することはできないからだった。
「超人ですか?」
「まずその前に説明しなくてはならないことがある。『ククリの力』についてだ」
「ククリですか?」
武は聞き慣れない単語を聞き返した。康成は説明を続ける。
「神世と呼ばれるすべての世界、神の誕生の源でありエネルギーのことだ。このエネルギーは可能性の力であり、この世で起こりうる現象を実現させる力だ。そして物質を創造することも消滅させることもでき、また空間を創ることもできる。
神はこのエネルギーを使い、世界を創り、そして全ての万物を創造した。だから植物、動物、人間、万物の生きるものにはこのエネルギーが流れている。
人間が超人となり、このエネルギーを使えるきっかけとなったのはククリヒメノミコトとキクリヒメノミコトの姉妹の女神たちを守らんとする事か始まり、そのためにこのエネルギーをククリの力と呼ばれている。そして、生きていく為の力、今と未来を結びつける、括り(クク)つける事からそう呼ばれるようになった」
「それは生命に必要なものということなんでしょうか?」
「そうだ。世界はその力によってこの環境を整えている。また神々が悪神や黄泉軍と戦うための力でもある。
姉妹神を巡る戦いの中で、この力を通常の人間より多く体に取り込むことで人間の能力を超越した人間が現れた。それが超人だ。神に近い能力と力を得た超人は、すなわち神業としての空間を操る術を手に入れ、この世に起こりうる現象を実現させる能力を手に入れた」
康成はさらに超人について説明した。
「人間が超人に成り得る条件は大きく二つある。一つは祖先の中に超人の人間が存在していたことだ。もう一つは、ククリの力と超人の存在を知る、もしくは接触したことがある人間だ。そして私は超人だった」
武はその言葉に緊張を覚えた。心当たりのあることを恐る恐る口に出した。
「じゃあ僕の体の変化は……?」
「お前は無意識のうちに超人としての力が目覚めつつある」
「意識をしていない無意識のうちに……」
「鬼を最初に見た時、恐ろしいと思っただろう。それが無意識だ」
武の問いに対して丁寧に答える康成の言葉で、武の解決できないでいた自分への疑問が少しずつなくなっていき、自然と心が落ち着くようになっていった。武は無意識のうちに精神状態が変化したことを意識した。
「人間の心的構成は、意識と無意識に分けられる。意識の中には、自我が存在し五感がある。だが、意識はその構成の中では一割ほどでしかない。一方、無意識の中には、本能、普遍的無意識、個人的無意識が存在し、その構成の大半を占めている。つまり人間の精神状態や行動に大きく作用するのは意識的なものよりも無意識的なものなのだ。
そしてお前は鬼たちに襲われることによって無意識にその力を開放させた」
「では、僕に闘える力があったのもご先祖様が超人であったからですか?」
「そうだ。それにそれは私も同じだ。
姉妹神に愛と真心を与えられた人間たちの中で、女神たちを守るために悪神と鬼に立ち向かった超人の中に我らの祖先がいたのだ。それは原始超人と呼ばれている」
「ご先祖様のさらに前のご先祖様……」
「ここは、高天原だと聞いたな?」
「はい。先ほどあの方から」
「白狼さんとでも呼べばいい」と、後ろから白狼が話に入ってきた。
「ここは、神の住む世界、高天原だ。そして私はお前と同じ人間であり超人だったが、雷を司る神となってここに住むようになった」
「か、かみ、神様ですか?」
言葉を詰まらせる武を相変わらず白狼は面白そうに見ていた。
「お前さんのご先祖様は、雷様の仲間入りをしちまったってことよ」
「そういうことだ。私のように神になった超人はいる。いきさつはいろいろとあるのだが、それはまた今度話そう。本題はなぜお前が命を狙われたかだ」
武が飲み込みきれない情報が続いたが、康成は間髪を入れずになぜ武が鬼に襲われたのかを話し始めた。
「今いるこの世界は高天原。お前がいた人間の住む世界は芦原の国、そして鬼が住む黄泉の国の三つの世界があり、全く異なる世界だ。そしてその世界の間にもいくつかの世界が存在している」
三つの世界の名前は、日本神話に登場する名前だった。ただ武はその名前は、どこか古の地域を指す意味だと思っていたが。
「なぜ多くの人間たちが、ククリの力と神、鬼そして存在する複数の世界のことを知らないのか。その原因は夫婦神の対立なのだ」
康成は、白狼に確認の目線を送った。
「人間に寿命が与えられ、そのために鬼が作られたってのは、さっき話してやったよな?」
武は了解の返事をした。
「鬼が人間を滅ぼそうとするのは、生まれて与えられた宿命でもある」
「それで僕を殺そうと?」
「ちょっとそれは、また違うんだな。超人が現れることは、奴らにとって願ったりなことだ。お前が超人となれば、それに合わせて強力な鬼が現れる」
白狼は、その理由を勿体ぶるようになかなか口にしない。口を挟む割には要点を言うのは康成に任せていた。
「その対立はこの世界に均衡するバランスを生んだ。つまり、人間が生まれる分だけそれを殺す鬼が現れる。そして超人が現れれば、強力な鬼が現れる。さっき、人間が超人に成り得る条件の一つに、ククリの力と超人の存在を知り、接触することがあると話したな?」
「はい。僕とは違う場合としての条件ですよね?」
「そうだ。かつては超人ではない人間もこの世界の成り立ちを知っており、神も鬼も超人も知っていた。だが、お前が生まれる500年前ほどから100年間続いた戦の際、数多くの超人が現れたがそれに合わせて強力な鬼が現れた。結果として戦いは拡大してしまい、多くの人間が命を落とした」
康成はまだ説明を続ける。
「その結果を踏まえて、人間側は戦争の規模を拡大させないため鬼と戦える超人と鬼と戦う能力がない人間を区別しようと考えた。今後生まれてくる人間たちにはククリの力や超人の存在を隠し、その存在を感じとるような無意識であっても認識させないようにした。また鬼たち側は鬼同士の種族間の抗争もあって、数多くの超人が現れる事も、強力な鬼が現れるのも都合が良いと考えた。そのため超人以外の人間たちを襲うことをしなくなり、戦いは芦原の国と黄泉の国の中間に位置する世界の根の堅洲国で起こるようになった。
そして人間の一般社会と隔離されたところでは超人たちによって鬼に対抗する組織が結成され、根の堅洲国に防御線をつくり鬼と戦い続けてきた。その組織は名前を変えてきたが今では超人機関という名前だ」
「それが、ククリの力を知らない理由……」
「だが、5年前から鬼たちの活動が変化し、その均衡したバランスを全く考えもしない行動をし始めた」
「5年前ですか? あの地殻変動あった年の」
5年前は、武が事故に遭遇した事故である地殻変動があった年だった。
「そうだ。あの地殻変動以来、鬼は超人として能力が芽生え始めた人間を殺す超人狩りを始めた」
「超人狩り……」
「それを助けたのがこの俺だよ」
白狼の言葉の後、少し間をおいてから康成は説明を再開した。
「そして超人狩りに参加する鬼の数は次第に多くなり、被害が大きくなった」
「僕もその対象になって襲われたということですか?」
「その通り。本来、それから守るのが超人機関の役目だった。だが、超人としての力の開花は急激に現れるはずにもかかわらず、お前の力の開花はとてもゆっくりと進んでいたために能力としてはまだ人間の領域だったお前に気がつくのが遅かった。そこで白狼をお前のところに遣わした」
「やつら全員ぶった斬ってやったからな。その仲間のやつもきっと武坊にやられちまったと思うんだろうな」
白狼は自慢げに言った。
「武よ。お前が人間の世界に帰れば引き続き命を狙われるだろう。しかし、人間はこの高天原で夜を迎えることはできない。夜が来るまでの残された時間は、人間の世界の時間にしてあと10日間」
白狼に対照的に康成の語尾は、力強く締められていた。
「の、残り10日間ですか……?」
「そうだ。武、理不尽に思うかもしれないが超人となった以上は、鬼と戦わなくてはならないのだ」
武は襲いかかってきた鬼の形相を思い出し息を飲んだ。
「選択は二つに一つ。このまま夜を迎えて命を失うか。それとも私から鬼と戦うための術を10日間教わり、元の世界に戻り超人として鬼と戦う。どちらかだ」
5年前の事故から始まった武の周辺で起きた不思議な現象は、5年の歳月をもってここに集約していた。あの事故に巻き込まれてしまったことはたしかに不幸であったが、この少年は、二度も死を目前にしながら生を得ることができた幸運の持ち主だった。
鬼と戦うことは超人の宿命であり、また超人の血統を持つ人間が超人になる可能性を持つこともその血統の宿命。ただそれは武が、無意識の中では知っていても意識の中では答がなかった疑問の解答だった。
「ご先祖様。僕は、例え命を狙われるリスクを負っても人間の世界で生きたいです。超人として鬼と戦う術を教えてください!」
少年の顔に先ほどまであった暗さはもうなく、顔色は明るく、光を浴びている鼻翼につやがでていて、透き通った表情になっていた。
「鬼に対する恐怖の情動をコントロールしたか……。超人の起源は、愛とまごころを与えた姉妹神であり、超人は善良な精神を有し、良知へと至らん」
「は、はい?」
「天地創造の神話があるだろう? この神世が生まれた時、万物の源となった二つのエネルギーが生まれた。そのエネルギーこそがククリの力だが、二種のエネルギーが生まれたのだ。つまり天と地ができたとは、一つの存在が二つの存在への枝分かれしたという意味であり、この枝分かれは永遠に今なお続いている。
姉妹神から愛とまごころを与えられた人間は、善良な精神を持った。その精神が姉妹神を黄泉軍から守ろうと決意させ、その人間を超人にさせた。つまり超人は愛とまごころの姉妹神から生まれたのだ。姉妹神から与えられた穢れなきククリの力は、起源である姉妹神と繋がらなくてはならない。姉妹神の精神へと近づいた良知を持たなくては超人にはなれない。ただ肉体的に超越した存在ではない」
「超人は精神的にも……」
「いや、その精神が肉体も能力も超越させるのだ。お前のその勇気は確かにものであるし、至誠を感じることができる」
康成の表情に自分の子孫の言葉を嬉しく思う気持ちが溢れている。それは武にも白狼にもわかった。
「ならば、芦原の国に帰る前に鬼との戦い方、ククリの力の使い方、そしてコントロールする方法を習得しなくてはならない。それをこの私がとことん教えてやろう! 体の禊の力を自由に使えるようになればこの空も飛び、駆けることができるのだ!」
「あの、気になることがあるんですけど聞いても良いですか?」
「なんだ?」
「ご先祖様は、英語をご存じなのですか? それにご先祖様がご存命の時には存在しない日本語も使っておりますけど?」
「私は、神だ。例え私が死んだ後の事でも人間の世界の知識なら知っていて当然であるし、お前に説明してやるのだからお前がわからない言葉を使っても意味がない。だから私はお前にわかりやすいように言葉を選んで説明しているんだ。Do you understand?」
武はその厳格な姿に対照的な言葉にぽかんとした顔をしてしまったが、康成の言葉で思い出したことがあった。
「そういえば、鬼たちは日本語を話していましたが、彼はなぜ日本語を?」
「それは、鬼を創ったのがイザナミノミコトだからだ。そのために人間と同じ言語を持っているし、人間と同じ技術を持っている。ちなみに鬼たちは禊の力を『むすびの力』と呼んでいる。結局は同じ技術に行き着いているのだよ」
武を襲った鬼たちが、日本語を話したのはそれが理由だった。
「でもご先祖様はなぜ刀を右腰に差していたのですか? 武士はふつう左腰に差すのではありませんでしたか?」
「左手は神聖さを持ち、神聖な場では左手を利用する。そして鬼は右利きが多い。だから超人は有利に闘うために利き手が左手になる努力や両利きになる努力をしてきた。またかつての人間社会では右腰に刀を下げている者が超人であるという常識があったのだ。まあ私は元来左利きだが」
武はその言葉に納得し、自身が左利きであることが遺伝であるとの確認ができた。
「それとお前の両親のことだが心配はない。白狼が仕留めた鬼の死体を確認した超人機関の人間たちがお前の両親に事の事情を説明しているはずだ」
「両親にですか?」
日常からかけ離れた環境の中で両親や現実的な問題を武は忘れてしまっていた。
「ですが両親に事情を話しても理解できないと思いますが」
「武よ。お前の両親も超人だ」
「……え?」
「20代後半から30歳頃に超人として戦う力を失う者は多い。そのため両親ともに引退をしたが兵だった。そして引退し、超人機関を離れた人間は子供にも禊の力のことを話すことはできない。仕方がないことだ。両親を恨むなよ」
武は、父は右が主体の両利きで母は左利きであったことを思い出した。
納得ができようも無い事を康成は淡々と説明し続けた。それに対して最大の疑問を武はぶつけた。
「では、ご先祖様が神になったとはどういうことなんですか? 今は生きているのですか? それとも……」
武の質問に康成は大きく息を吸ってから応えた。
「ごもっともな質問であるな。よかろう」
この宙を浮く屋敷に向かって風が流れ込んできた。
「おーい、武坊。こっちに来な」
察した白狼が武を神楽殿に来るように呼んだ。それに従って武は白狼の側に向かった。
康成は武が十分に距離を取った事を確認して目を閉じた。
やがて一瞬の光が起こり、武は思わず目を瞑った。
そして目を開けてみると、そこには大きな白い龍の姿があった。
それは龍の姿へと変わった康成であった。
「龍?!」
武は思わず声に出した。
「そうだ。これが神、すなわち龍となった私だ」
その堂々たる姿は人間を超人を超えた存在である事を武にわからせた。
そして天に構えるこの屋敷が龍のための屋敷である事を理解させた。