街へ
白い光が滑り続ける水平線の向こうにはかつて住んでいた街がある。その街が見えないのはこの世界が球体だからだと思っていたのに、その常識は変わってしまった。
それでも全てが変わってしまったのではない。ただ自分の意識が変わってしまっただけなのだと武は思った。
武たちを乗せたバスは新夢の島の学校と街を往復するシャトルバスで、海岸線を進んで街へと向かっている。
「いい天気いい天気!」と到着が待ち遠しく錠が言った。
錠は街の情報誌を改めてチェックし武に案内するコースを考えている。
武は素直に錠のその気持ちが嬉しかった。
二人の後ろに座る赤松は今日の日差しを快く思って外を眺めている。
もちろん他の生徒たちも乗っていて、このバスが生徒たちにとって島の街のエリアに向かう交通手段だった。車の通りが少ないこの新夢の島の道路を走行するのはストレスがとても少なく、ゆったりとしたリゾート地のような錯覚をしてしまう。この道を他に走るのは、超人機関の人間が運転する車両やこのバスのように超人機関の施設と街を往来するシャトルバスぐらいだった。
「とりあえず、昼は根の堅洲国の料理を食べて、あっちで有名な甘い物を食べよう!」
錠の頭の中ではその料理とデザートの美味しさが甦る。
思えばその好物は武が転校してきた以来食べていなかった。
「やっぱりそんなに美味しい?」
錠の表情に思わず武は聞いた。
「いや美味しいってモンじゃないよ! 最高だね!」
「確かに美味いな。俺も街に行くなら食べたくなる」
錠につられて赤松も言った。
思わず武の口の中にだ液がひろがる。それを飲みこんでから武は聞いた。
「黄泉坂のある街は根の堅洲国の人たちが沢山いるんだよね?」
「そうだね。そのお店をやっているのも根の堅洲国の人さ」
と錠が答え、続けて説明する。
「根の堅洲国の皇族は国譲り神話のオオクニノヌシの子孫だからね。だから根の堅洲国の人々はずっと昔に枝分かれした人間たちになるよ。それにその前にはスサノオノミコトが治めていらっしゃったから、スサノオノミコトの系統の国ということになる」
「俺がご先祖様に会うまでは、国譲りをしたオオクニノヌシの子孫はもういないと思っていたよ」
「それが通説だったね。だから富樫局長の会見には皆驚いただろうね。だけど、だからこそ母さんが根の堅洲国の出身の俺も存在するわけで」
武は一郎のことを思い出して聞いた。
「人魂の人も沢山いるのかな?」
「うん、それに獣人の人も沢山いる。やっぱり、この芦原の国と黄泉の国の間にある世界だからね。いろんな人が暮らしているし、いろんな文化があるんだよ」
根の堅洲国に存在する文化に触れることができる数少ない場所が、この新夢の島である。ここは江戸時代の出島であり、明治時代の横浜だった。
バスが街の中へ入っていくと、道を歩く人々の姿が普段見ている景色の人々とは違うことがわかる。
道を歩く人の恰好は服の袖口が洋服よりも大きかったり、靴の先が二つに枝分かれしている靴を履いた者もいた。顔こそはまだ人間の顔しか見かけないが、肌の色に少し見慣れなさを感じた。
綺麗に区画された街並みは美しく、影のかかるところがないのは超人機関によって管理をしっかりとされているからだろう。
バスが止まり三人は街の歩道に降りた。
意気揚々と案内をしてくれる錠に二人が続いて進んでいく。
驚きながら街を進むのは武だけではない。向かって来る人の中には、超人機関や根の堅洲国の企業の人間らに招待された者たちがいた。彼らは黒目を回転させながら道を歩いている。
武はそれよりは自分はマシかと思ったが、意識しなくてはいけないと思った。
自分を先導する錠の姿は、学校を案内する時と変わらない余裕がある。それは自分さえも安心することができる頼もしさがあった。この街のことは超人機関の大人たちよりも知っているように武には思えた。
「錠と一緒にくれば安心だね」
「いやあ、まあね。けど僕も黄泉の国との境になる地域には行ったことないね」
「それは行ったことある人なんて限られているだろう。鬼が住んでいるし、それに黄泉軍の部隊だっている」
赤松は当然のことを言った。
「そうそう。鬼とはいえ人間と敵対していない鬼たちだっているけど、黄泉軍がいるのが問題なんだよ」
錠も当たり前のことを言った。
「敵対していない鬼たち……。鬼の国ってどんなところなんだろう」
武の疑問に二人は説明で答えなかった。鬼の世界である黄泉の国のことは授業で習っている学生たちだが、それを実体験したことはない。
それは彼らにとっても未知なるところであり、自分たちでもあのように目を回して歩く者になりかねない。だが、それが体験するということなのだ。
まだ太陽が頭の真上にこない頃、空は青く広がり太陽は燦燦としていた。