全身全霊
一郎の創った世界では二人の怒号が響き渡っていた。
両者は異世界の東京をその翼を使って駆けながら、全身全霊をかけて体に宿された莫大なエネルギーを存分に使い、目の前にいる最大の敵にぶつけている。
高速で空を駆け、両脚で大地を踏みしめて戦い絡み合う二色の色は、遠くの景色から見事に鮮やかな光の線に見えていた。
武は一郎をめがけて何本もの稲妻を撃ち放ち、一郎は球体の空間を創りだしてその稲妻をはじき、武を押しつぶすためにさらに大きな空間を創って武に飛ばしてきた。
一郎は恐怖していた。攻撃の撃ち合いをしていると徐々に距離を詰められていき、やがて刃を抜いた武が刹那の瞬間に白刃を打ち込んでくる。隙をみて距離をとってもやがてまた距離を詰められる。
今までに感じたことのない恐怖の感覚。誰を前にしても、それが例えどんなに強力な国家を治める鬼であろうとも、この感覚を感じさせる存在はいなかった。
だが、その存在は一郎にとって一番の友人だった。鬼の世界に来てからの友人もいたし、王族としての許嫁の相手もいたが、今まで一番楽幸福だった思い出を共有したのは、物部武に違いはなかった。
それは武も同じだった。武の記憶の中で失ってしまった友達たちとの思い出のさらに先にある一番幸福だった思い出の友人、それが鬼塚一郎だった。
だが、今や人間を滅ぼそうとする存在になってしまい、この場で打ち倒さなくてはならない存在になってしまった。
「武! その程度の甘い詰めかたでは俺を仕留めるなどできるものか!」
翼を使って空にとどまる一郎は天から武に怒鳴りつけた。
「お前こそ次が逃れられると思うな!」
武が空に向かって稲妻を打ち放ち続け、飛び上がって距離を詰めてから刀を抜き一郎の横顔に向かって打ち込んだが、一郎の刀がそれを打ち止めた。
「一郎! 意外と技術の鍛錬を怠っていたんだな! その力に頼り過ぎているんだ!」
「黙れ! お前こそ一辺倒な攻撃の組み立てだ! あいかわらず真面目なんだよ! 一挙動一挙動が!」
刀のつば競り合いから両者が離れた時に一郎の右脚が武の首に目掛けて突っ込んできた。
武は刀を収納し、その脚を掴み大きく上方に振り上げてそのまま一気に地上に降下して一郎の体を地面に投げ飛ばした。
鉄くずの煙が上がりコンクリートが砕ける音がしたが、一郎の体は健在だった。そして体制を整えた一郎が、すぐさま打ち込んだ右拳は武の顔面をとらえた。
応戦する武は、右腕から一郎の顔面に横打ち(フック)を打ち込み、一郎の顔面を揺さぶった。
次第に格闘戦になり、二人は殴る蹴るの応酬になったが、強大なエネルギーを肉体に持つ両者の顔面は腫れることもなく、骨も砕けることがなく、そして退くことなく打撃し続けた。
だが、次第に一郎の肉体には限界が近づいてきた。身体こそ砕けなかったが、肉体が許容できるダメージの量をオーバーし始め、ついに一郎は吐血をした。
この時に初めて一郎の劣勢を確認できたが、武はすでに一郎を上回っていると自覚していた。
だが、そこで攻撃を止めることなく、一郎の態勢を崩してから一郎を投げ飛ばした。
駅だったと思われる瓦礫の山に投げ飛ばされた一郎は、すぐには立ち上がれずゆらりと体を起こした。
「一郎……。もうやめるんだ」
「やめろ……だと? 俺は目前に目的の達成を控えているんだぞ。
イザナミの力がこの世に現れることで、それに対抗する神が現れることなどこの世のバランスを考えれば予想できていたことだ。いくらタケミカヅチが世界の衝突を止めたとして、いくつでも世界を創ってみせる。それを何度止められようとも、度重なる世界の衝突の影響に生身の人間がそれこそ耐えられることはないだろう……」
「だが、一郎。お前は俺に勝つことはできない」
一郎は反論をしなかった。一郎の表情は苦しく対照的に武は顔に何ら苦しみがない顔をしていた。
「じゃあ聞こう!! 今のお前は俺の命を奪うことに迷いを感じている。お前がそうしないのなら、俺は黙示録を実行するだけだ!」
先ほどの武の決意に満ちた顔とは変わって、たしかに今の武の顔に迷いが生じている。
タケミカヅチを借りた武の力は予想を上回り、一郎と戦っているうちに打ち勝つことが決して困難ではないと知ってしまった時、それがかえって勝つことへの必死さを失わせていた。
「武! 甘く見るなよ! 俺はこの世界をコントロールするためにも力を使用していた! この世界が衝突する段階になれば、お前には負けはしない!」
一郎は、口を結んだまま笑みを浮かべ、後方へ後ずさりして武との距離をとった。
天がさらに頭上の世界に近づいたのがわかった。この世界が衝突する段階に迫った。
すると、一郎から先ほどよりさらに強力なエネルギーを武は体で感じた。その力はどんどん大きくなり、武は再び一郎の力に対して危機を覚えた。
そして両手を天に挙げ、一郎は叫んだ。
「滅びろ! 人間たち! 心の悪を今!精算するのだ!!」
「待て! よすんだ! 一郎!」
すでに一郎の耳には武の声は入ってはこない。
「武! この絶対的な位置が俄然崩れ去るものではない!!!」
一郎がその両手に間に空間を創りだし、胸の前で構えた。
「やめろー!!!」
武は人差し指のみ伸ばした左手を天へ挙げ、右手を胸の前に構えた。
空から降ってきた雷を体にもらい受け、その左手を一郎に向けて人差し指から稲妻を放った。この電撃の名は紫電という。
その稲妻は一郎の創った空間を撃ち破り、一郎の体も貫いた。一郎の肉体のエネルギーもその電撃から身体を守ることができなかった。
一郎の意識は飛んで目を閉じてしまい、両脚で立つことができなくなった。体は前に倒れようとする。
武は一郎に駆け寄り、その倒れる体を支え、両手で肩を掴みながらゆっくりと一郎の体を仰向けに寝かせた。
「一郎! おい! 一郎!」
目を閉じていた一郎は声に反応してゆっくり目を開けた。
「……もう終わりだな」
空にもかかわらず地鳴りのような轟音が響き始めた。武が空を見上げるとさらに頭上の世界へ近づいていた。
「……今からこの世界は落ちる。そしてタケミカヅチにこの世界は破壊されるだろう……。どのみちこの空間は芦原の国と等しい異世界だ。この俺がこのまま死んでも消えることはない。だからどのみち破壊されるだろう」
武はどうしても気がかりである事を聞いた。
「一郎、お前は本当に俺と幼なじみの鬼塚一郎なのか……?」
「……その通りとしか言えないが、どうも信じられないだろうな」
「ごめん……。どうしてもわからないんだ」
「……武。もしまた運命が動き出す事があれば、俺を知る人間たちの所へ行くんだ」
「……そこは一体? その人間たちって……?」
「そう、その時にわかる……全ての仕掛けが動き出した時だ」
それは抽象的な言葉過ぎたが、今にも鼓動が止まりそうな一郎に質問を続けられなかった。
さらに空の轟音が大きくなってきた。そしてちょうど真上には黄金に輝く神の姿が見えていたことに武は気がついた。
「武……。頼みがある」
「……なんだ?」
「ここで俺の体を消してくれ」
「な?!」
「今はもういないがイザナミの魂を宿していた体だ……。神体は必ず争いの元になる……」
武が反論することはなかった。
「わかった。そうするよ」
「……武。挑んではみたが途中ではお前には敵わないと思ったよ。きっとこの先お前は戦いで死ぬことはないだろう」
「これはタケミカヅチノカミが俺に力を貸してくれたからだ。もうお前を倒しただけの力は失ってしまう」
「いや、お前がこの俺に勝ったというのは、紛れもない事実だ。お前は俺に勝ったという可能性を手に入れた。そしてそれは事実としてずっと残る。きっと……大丈夫だ」
「一郎……」
「来世でもお前の友人でありたいな……」
「……」
「……」
一郎は息を引き取った。
武は、堪えていた涙を静かに落とした。幼い頃から一郎には負けることばかりだったが、決して涙は見せまいと思ってきた。
今も変わらず武は堪え続けてきたが、力尽きた一郎のまぶたが閉じると大粒の涙がこぼれていった。
一郎の体は徐々に薄くなり、やがてその姿は細かく分かれていき、一つ一つの雫ようになっていった。その消えてゆく雫よりも武の目からこぼれ落ちる雫の方がうんと重かった。
武の前から一郎の体は消えた。
闘いを終えたが、武の体には破壊されるこの世界から芦原の国へ帰還するために必要なタケミカヅチの力がまだ残っている。
そして瞳にはこぼれ落ちる雫がまだ随分と残っていた。