主導権
一郎は、水色の空間の中で気を失っている武を見つめていた。その一郎の頭の中ではもう一つ魂から声が聞こえてきた。
――それほど物部武と会いたかったのだな。一郎よ。ここまでで篭鬼まで失ったぞ。
「どうだろうな? 本当に篭鬼は武を連れてくるつもりだったのか……?」
――ふふふ。そう疑うな。
「もうそろそろこの俺の肉体に留まるのは限界なんじゃないか?
――お前と一緒にいてなかなか楽しかったぞ、一郎よ。だが、我が僕達は諦めんぞ。そもそもお前もこのタケミカヅチに勝てるかどうか……。
「こうなった以上はあなたの力も存分に使わせてもらう」
――ふふふ。さらばだ、一郎よ。また来世で会いにくるといい。
一郎は消えゆくイザナミへの言葉を聞き終え、空を仰ぎ頭上を流れる両陣営の位置を確認した。その空の中にはまっすぐ飛んでいく白い小柄な人影が見えていた。
その人影は、一郎が創った世界から人間の世界に向っている者ではない。高天原からきた影康だった。
影康は、超人機関の中央作戦室がある施設の屋上に降り立ち、屋上では富樫局長をはじめとする者たちが出迎えていた。
「富樫。ついにこの時がきたにゃ」
「物部武はすでに鬼塚一郎の世界にいます」
「後はあの子たちにゃ」
富樫に案内され、影康は共にエレベーターへ乗り込んだ。
「もし万が一、物部武が鬼塚一郎に同調するようなことになれば、また違う結末を迎えることになってしまいます」
「それはないにゃ。武殿に限ってそれは断じて。我々は武殿を信じるしかないのにゃ。そしてここにおる鍵となる存在にゃ」
「ええ。その者たちはすでにここにいます」
「それと、鬼塚一郎の父はどうなったにゃ?」
「昨日、根の堅洲国で死にました」
鬼塚一郎の情報を秘密裏に超人機関に提供していたのは一郎の父親だった。
扉が開くと松岡が待っていた。
「お久しぶりです。影康様」
今度は影康と富樫を松岡が案内していく。その案内の先にいたのは松岡のクラスの生徒たちだった。
「見ろ、赤松! あの猫様は」
「武が来る前に来ていた神使の方だな」
ざわつく生徒たちのところへ先に松岡が駆け足で向かってきた。
「局長と神使である影康様がいらっしゃる。お前たちはこのままでいい」
動揺する生徒たちの中で揺れることなく一筋に視線を送る二人と松岡は目があった。
瑛美子と瑛理子だった。
「橘、来栖。君たちの力を借りなくてはならない」
「それは神様のためにですか?」
生徒たちの中でその言葉の意味を理解していたのは、錠だけだった。
「そうだ……。生徒の君たちには言わなくてならないことがある」
その言葉で松岡に生徒たちの視線が集まる。
「タケミカヅチノカミはすでに高天原をお降りになっていられる。タケミカヅチノカミは物部の体に宿されており、物部が高天原に行った際にその魂を宿されていたんだ」
一同は声を上げた。転校生として現れた武の体に神の魂が宿されていたという事実は、超人の少年たちでも衝撃である。
「でも神使の猫様があの時、武が鬼に襲われて本当に危なかったと言ってましたが」
「その盗み聞きは武と親密になるであろうお前たちに武が救出されたことが計画的であった事実を悟られないようにするためだった」
「それではすでに武が襲われることもわかっていたということですか?」
「そうだ」
「それは武殿には申し訳なかったと思うにゃ!」
甲高い大きな声で影康が言った。
「だが、鬼塚一郎に対抗するためには武殿しかいなかったのにゃ」
小さいながらも堂々と生徒たちの方へ向かって来る影康は、瑛美子と瑛理子の前で止まった。
瑛美子と瑛理子は首を下に大きく傾け、影康と目があった。
「我は影康にゃ」
「初めまして、影康様。わたしは瑛理子で」
「わたしは瑛美子です」
「お主たちが可能性を実現する力を持つ者たちだにゃ? 武殿は今鬼塚一郎と戦っておる。もう今頃は自分の宿命を知ってしまっているかもしれんにゃ」
「影康様。わたしたちなら武君を助けることができますでしょうか?」
「うぬ。お主たちの力が、武殿の肉体からタケミカヅチノカミの魂を解放し鬼塚一郎を打ち破り、世界をこの危機から救うことができるにゃ」
影康の後ろに富樫が来た。
「君たちに与えられた能力。その力で物部武の体の中にある魂を解放しなくては、イザナミの力を持つ鬼塚一郎が創ったあの異世界からの危機を回避することができない」
二人の少女はお互いの顔を見合わせた。
「富樫局長。わたしたちの気持ちは一緒です」と瑛理子が応えた。
「ありがとう。しかし、君たちの能力は未知数だ。自分の身に危険があると思ったら、無理をしては駄目だ」
「はい。……ですが、なぜ武君はそのような使命を背負うことになったのでしょうか?」
「それは、康成様が決めたにゃ。イザナミの魂が鬼塚一郎の肉体を手に入れてしまったためには、それに対抗する神を高天原から降臨させる必要があったにゃ。そしてそれに自分の子孫である武殿を選ばれたのにゃ。とうてい、見ず知らずの人間を選べなかったのにゃ」
「そして、あとは彼本人がそれを受け止めるかどうかだ」
松岡は瑛美子の表情が強張っているのを気づいた。彼は初めてそのような瑛美子の表情を見た。
「橘? ……どうした?」
「……隊長。物部君は、自身の内にあるタケミカヅチノカミの魂に気がついています」
「橘とやら! その力で武の状況がわかるのかにゃ?!」
「はい……。ただ、物部君は今……」
「な、何があったのにゃ!」
「それを解放させるか選択を出来ないでいるのです……」
希望が見えかけた矢先のその知らせに、一同は静まってしまった。