対峙
超人機関の長である富樫は、総理官邸に来ていた。
総理とはすでに一年前に会見した以来の関係だったが、富樫がこうして公にこの場所にきたのは初めてであった。
富樫が部屋に入ると、この官邸で自分にできることだけの指示を出した総理は悲壮な面もちで窓から空を見上げていた。
総理としてもこの世界に迫る目の前の危機に、富樫に対して思うことは一年前とは違った。
「総理。品川上空における迎撃態勢は予定通り整います。また、一般人の避難態勢も順調です。総理はこの後、市ヶ谷の中央指揮所へ向かってください」
「富樫局長。もし、あれが落ちてきたらどうなるのだ?」
「……人類は滅亡するでしょう」
「これを回避する方法はあるのかね?」
「あります。そのためにも我々は全力を尽くします」
「お願いだ。どうにかしてこの状況を打開してくれ。もう我々には君たちしかお願いができない。国を代表してお願いをする」
富樫の腕をがっちりと掴んで首相は頭を下げた。
「はい。そのために私たちは、ずっと戦い続けてきたのです。ただ、やはりククリの力の存在を公表しておいてよかったです。そしてその打開策ですが……」
富樫は首相に耳打ちをした。それを聞いた首相は十数秒間も瞬きをしなかった。
その言葉を最後に富樫は、官邸を出て新夢の島に向かった。
武は飛んでいた。その目下には避難する人たちの列が道路にできているのが見える。
自分にとって大切な思い出の中にいた友が引き起こしたものが、自分の頭上にも目の前にも広がり、友の罪深さを受け止めざるを負えなかった。
武の体を動かすのは幼なじみとしての責任感であり、どこかに救いがあるはずと少なからず信じている希望だった。
「ここだ」
武が降り立ったのは、まだ一郎がこの世界に住んでいた時の一郎の家だった。
その家は一郎がいなくなってから、別の一家が移り住んでいたのを以前確認していたが、その表札は『鬼塚』となっていた。
意を決して玄関を入ると、その家には生活感がなく、不思議とその移り住んできた一家が住んでいた形跡もなかった。
武が向かったのは、かつて雨の日にビー玉遊びをした部屋だった。
その部屋の戸を開けると、案の定、床には幾つかのビー玉が広がっている。
「やっぱり、ここだな」
武が落ちているビー玉を一つ拾い上げると、そのビー玉の中には細かな細工が施されていてその空間の中に街が広がっている。
そして床にあるもう一つのビー玉にも同じ細工が見られた。
武は深い深呼吸を一回した。
その手に持っているビー玉を弾いてもう一つのビー玉にぶつけると、鈴を打ち鳴らす音が部屋中に響き渡り、部屋から武の姿が消えた。
第一艦隊が遅延作戦を見事に回避したため、品川から遠くに展開していた艦隊も異常なく品川へ向かっていた。
その艦隊運動を真上から一郎は眺めていた。
「なるほど。遅延作戦は失敗したか」
一郎は瓦礫の平野で椅子に座わっていた。瓦礫の中には、渋谷駅東口の看板がある。
空間母艦の決死の態勢を嘲笑うように、一郎は笑みを浮かべながら空を眺めていた。
「一郎」
その声を聞いて一郎は体を起こした。
「武、来たか。ついに」
武は鋭い眼光で幼なじみのことを睨みつけている。
「本当に簡単なヒントをもらったからな」
「そうだな。わかりやすかっただろう?」
「お前の家に遊びに行った時、出かけようとしたら雨が降った。そこでお前のお父さんが教えてくれたのがビー玉弾きだった。すぐにわかったよ」
「そうか。別にこうなる前でも、俺の家に行けばここに来れたんだぞ」
「お前は俺が高天原に行っている間に俺が住んでいた町にきた。その時にあの家に空間を仕込んだな?」
一郎は、笑いながら右手を頭の後ろにやった。
「すまん。今度ご両親に失礼しましたって伝えてくれ」
「一体何をするつもりだ?……一郎」
一郎は両手を水平に広げて手の平を空に向けた。
「天上降下黙示録。この世界を芦原の国に衝突させ、人類を絶滅させる文字通りの黙示録を起こす」
武の中の最悪の想像を一郎が口に出し、全身の毛が逆立った。
「お前は本当に鬼塚一郎なのか……?」
もはや実力で止めるしかないと覚悟していた武だが、一郎の攻撃は素早過ぎた。
瞬時に武の頭上で武の身体を一飲み出来る程の水色の球体の空間が広がり、武にのしかかってくる。
それを武は、両手で抑えたが、とても抑えられるパワーではなかった。
「武! 少し考える猶予をやる! その中で考えてみろ!」
武は、歯ぎしりをたてながらのしかかる球体を抑えている。もう声も出ないほどまでに追い詰められている。
武のパワーの限界点を超えた時、球体は武を飲み込んだ。
水に飛び込んだように空間の中に飲み込まれると、武の視界には闇が広がった。
「これは、死んではいないよな……?」
武は一郎の空間に飲み込まれたところで意識を失ったと思ったから、意識がまだあることに驚いた。だが、目の前に広がる闇があまりに深すぎて、立っているのか宙に浮いているのかさえわからなかった。
「どこだ……ここは?」
「武」
後方から声が聞こえて武が振り返ると、そこには一郎が立っていた。暗闇の中でどこから差す光なのかわからないが一郎の姿をみとめた。
「ここは、お前の精神の中だ」
「俺の精神? 空間に飲み込まれて……」
「そうだ。俺はお前の頭の中に直接話しかけている」
「……どういうことだ?」
武は一郎の姿に違和感があった。ビルの屋上にいた一郎と先ほどの一郎を比べると、その雰囲気が違う。確かに目の前にいる一郎の言うとおり、武が知っている一郎はここにいる一郎だった。