プレリュード
武たちの部屋では、テーブルの上に3人がそれぞれ自習と予習道具を広げていた。どれも車の運転に必要な知識の教材ばかりだった。超人の青年たちは、不測の事態に備え、18歳未満でありながらも自動車の運転能力が必要とされていた。
2日前から、学校の隣にある自動車操縦訓練場でその授業が始まっていた。
明日に備えて予習をしている内容は、運転においての法律、規則について。早く終わらせようといそいそとペンを走らせている。彼らにとって覚えることは苦ではなかった。
三人のペンが走り終えると、武が声をあげた。
「ねえ、松岡教官から明日の朝に、職員室に来るように言われたんだけど」
「松岡教官に?」
「もしかしたら学生隊の話かもしれないね。この前俺たちも呼ばれたけど、学生隊については、教官が選抜した生徒に声をかけているみたいだから生徒全員ではないって。自分でいうのも何だけどね」
「まあ、武ならその話でも不思議じゃないな。授業で見てきたけど、つい最近超人として開花したようには思えないしな」
「しかも、もう鬼と戦闘済みだしね」
「あれは、ただ襲われただけだよ」
「それがあるのとないのは、決定的に違うところだよ」
「俺とジョーのこの部屋に来た理由は、学生隊のことを見越してもかもしれないな」
「俺は……、もしその話なら俺は参加を希望するつもりだけど、二人は?」
「ああ。僕もそのつもりだよ」
「俺もだ。みんなを鬼から守りたいからな。ここにいるみんなは、鬼からこの世界を守りたいと思っていると思うぞ」
「みんなその気持ちは前から一緒だよね。それにこの能力を生かしたいし」
武は明日職員室で話される内容がいかなるものか気になっていたが、自分が高天原で決意した気持ちと二人が同じであることに安心し、頼もしく思った。
翌朝。武は、錠と赤松よりも早く部屋を出て、職員室へ向かった。この時間は、まだ生徒の姿はあまり見られず、誰とも顔を合わすことなく職員室に着いた。
「1年4組。物部武、入ります」
ノックして入ると、デスクに座っていた松岡が、こちらへ向かってきた。
「おはようございます」
「おはよう。さっそくだが、隣の部屋に来てもらいたい」
松岡は、職員室から繋がっている応接室に武を通した。
二人が向かい合ってソファーに座ると、松岡は話を始めた。
「物部君。今日君に話したいことは、禊の力の発表後に増加するだろう超人狩りに対して学生隊を新設させることについてだ」
「それは僕たち生徒が、鬼と戦うということですよね?」
「そうだ。以前に経験したと思うが、芦原の国に侵攻しようとする鬼たちと戦闘することになる。学生隊は前線ではないが、超人狩りを阻止するために展開する部隊の予備戦力だ。それに参加してもらいたい」
錠と赤松が言ったとおりだった。
武の本心としては、すでに参加したい気持ちは固まっていたが、はたして戦える実力が自分にあるのか。
「僕は戦力になるでしょうか?まだここにきて数日しか経っていませんし……」
無謀な人間だと思われたくなかったら、即答せず質問で返した。
「君の持つ能力、そして禊の力をコントロールできる技量は、鬼に対抗するだけのものが十分にある。君には学生隊の中から早いうちに作戦に参加してほしい」
「わかりました。鬼と戦うことはご先祖様と約束をしていました」
「ありがとう。宜しく頼む」
松岡は肩から力を抜いて、座りなおしてからまた話を進めた。
「その康成公から何かいただいてはなかったかな?」
武は返事をしてから収納空間からヒイロガネで造られた太刀を取り出して松岡の前に両手で差し出した。
「これです。高天原を出発する時にいただきました」
松岡は丁寧に両手で受け取ってからその鞘を少し抜きその白刃を確かめた。
「素晴らしい太刀だ。今後、作戦に参加する際もこれは大事にしておいた方がいい」
「ですが、戦う時にはこれを使うことになるのではありませんか?」
「作戦に参加する前には武器が授与される。もちろんヒイロガネで造られた太刀も与えられるから、これはお前が生命の危機を感じた時に使うようにした方がいい。奥の手というものとしてだな」
松岡はまた丁寧に両手で武の胸に戻した。
「話は変わるが、最後に君と確認したいことがある」
「はい。何でしょうか?」
「君は、鬼塚一郎を知っているよな?」
松岡の口から出た名前に、まさかと思って武の息が詰まった。
そして息の流れを整えてから返事をした。
「……はい。幼なじみです」
「うん。その鬼塚一郎なんだが、今は、母親の国であった鬼の国の一つガネイの国の王子であることも知っているかな?」
「それは父から聞きました。……一郎は今どうしているのでしょうか?」
「彼が王位を継承してから、彼の国はなかなか活発に活動をしている。鬼の集合国家である百鬼連合国家の中でも、その頭角を見せ始めている」
黄泉の国には、鬼のそれぞれの種族の国が集合した連合国家がある。昔より人間に対してだけではなく、鬼同士の種族間の争いが絶えなかった。
だが、この百鬼連合国家が誕生したことによって、種族間の争いは治まり、鬼たちの結束は強くなったために超人機関は危機感を持っていた。
「君が高天原にいた間に、自宅に鬼塚一郎が訪れたことはすでにご両親から聞いている。もしかすると、今後、君の前に現れることになるかもしれない」
「教官。一郎は何をしようとしているのでしょうか? まさか、鬼たちのようにこの世界や自分たち人間に危害を加えようとしているのでしょうか?」
「それはわからない。だが、鬼の中でも我々に危害を加えない鬼もいる。それにまだ鬼塚一郎が王子になってから、彼の国の者が人間に危害を加えた情報はない」
「そうですか……」
松岡から一郎の名前が出た衝撃は武の頭を大きく揺さぶり、授業が始まってもその心の振れ幅はまだ残っていた。
結局、午後の操縦訓練場でもそのことで頭がいっぱいになった。
訓練場では5台の車が稼働していて、生徒一人ずつ順番で操縦をしている。
その順番の待ち時間、武は一郎のことを錠たちに話していた。
「へえ。幼なじみが鬼の国の王子様ね」
「でも、その幼なじみが王子になってから、まだ人間に危害を与えてないんだろ?」
「そうらしい。けど注意するようにと」
話の輪には、錠と赤松の他に瑛美子と瑛理子、そして早奈美もいた。
「武君。その人、鬼塚って苗字よね?」
「うん。そうだよ。鬼塚一郎」
「あれー。うーん……」
瑛理子は、その名前に引っかかる点があった。記憶を巡るために、眉の間に線を立てて目をつむって考えてみるが答えが出ず、双子として共通の記憶を持つ錠に確かめた。
「ねえ、錠? この人の名前覚えてない?」
「いやあ。……わからないな」
「そう……」
「おおい、赤松。次はお前だよ」
「お、じゃあ先に行ってくる」
赤松以外は、すでに初めての操縦訓練を終えていた。この自動車訓練は、どのような環境においても自動車を操縦できるようにするため、マニュアル免許を取得する訓練であった。オートマチックの訓練より難しいために超人の青年たちでも簡単にはいかなかった。
この中で一番上手く操縦できたのは、錠と瑛理子だった。二人は以前に根の堅洲国で車を操縦したことがあり、その経験ですでに操縦のイロハは知っていた。
武は、初めてにしてはなかなか上手くこなし、瑛美子はまずまずといった感じで、早奈美はあまり上手くいかなかった。
早奈美の運転を見ていたから、赤松にも少しみんなの心配の眼差しがいったが、武ほどではないがコースを巧みに回っていた。
「赤松。大丈夫みたいだな」
「そうだね。早奈美ちゃんを見ていたから心配したけど」
「うう、すみません」
「大丈夫よ、早奈美。初めてだもん。明日はもっと上手くいくわ」
「ありがとう。瑛美子。でもエンストを起こしちゃったし」
「ごめんごめん! エンストは普通に起こるものだし、俺も姉さんも要領教えてあげるからさ!」
2人が早奈美に構っている中、まだ武は頭の中で一郎のことが気になっていた。
「どうしても気になる? その幼なじみの人」
「うん。やっぱり、この前家に来たのは、何か意味があったに違いない」
「……そうね。いよいよ明後日、世間に禊の力の存在が公表されるけど、もしかするとその後に、その人はまたアクションを起こすかもしれないわ」
「俺もそんな気がするよ……」
その次の日、政府から様々なメディアを経由して、明日午後12時30分に日本政府より重大な発表があるとのニュースが世界に駆け巡った。