出会いから平凡ではなかった
今では傍迷惑な隣人である彼女、遠浅深雪との出会いは意外にも運命的なものだった。
彼女と今のように頻繁に話すようになったのはわりと最近だったが、出会いはと言うと実は二年近く前の出来事となる。
その年は例年よりも気温が上がるのが遅れたのだろうか、七月の中旬だというのに蝉の姦い鳴き声がつい数日前から始まったかのような新鮮さを感じた。
高校最後の夏休みが始まって数日。僕はいくつかの大学に標的を絞り、OCへ向かうことにしたのだ。今日向かうのは、恐らく数ヵ月後には受験しているであろう大学の一つであり、僕が受けようと試みている中で唯一の国公立大学だった。
他の大学にも訪れたことがあったため、大学の敷地の広さは分かっているつもりだったのだが、国立の大学はまた一回り大きいようだ。驚いた表情を表に出すこと数秒、早急に熱を冷ました僕は高校までの校門とは似つかない洒落た門を潜り、広大な土地を一歩一歩踏みしめるように歩く。
僕は見学に来たのではない。いや、それも目的の一部ではあるのだが、説明を聞き、あわよくば願書も貰っておこう。その程度の心構えだったのだが。そんな僕の思考は説明会の後にあっさりひっくり返ることとなった。
第四棟の二階の教室。高校生だった僕にはその教室が特別広いのだと思ったのだが、どうもそうではないらしく、教室の広さが高校のそれとは段違いであることを半ば強制的に学んだのだった。
中へ入ると冷房が部屋の隅にまで行き届いており、悪意の塊としか思えない雲一つ無き空から降り注ぐ直射日光を全身に浴び続けていた身体は穴という穴全てから汗が噴き出していた。もはや不快感を顔に隠しきれなくなっていた僕は歓喜しながら真下からクーラーの冷風が立ち昇る席を真っ先に確保した――上半身に半袖のシャツを着ていた僕は約半時間後に露出した腕を摩擦で暖めながら自らの服装と席の選択を深く後悔する羽目になるのだが、それはさておき。
説明を聞いている間はかなり退屈だった。かなり前列の席に座したことで机に顔を伏せることも出来なくなっていた僕は、寝ていることを悟られないで済む姿勢を試行錯誤しながら考えていた。
眠気がそろそろ限界に達しそうになった頃、どうやら説明が終わって次は在校生からのありがたい言葉を聞かされるという面倒もとい素敵な行事が訪れた。
『皆さん、受験勉強はどうですか?順調ですか?』
そら来た、第一声からそれだ。もう耳がタコになるほど聞かされた言葉だ。しかし何故だろうか、この在校生のマイク越しに伝わる細い声は途切れつつある僕の意識のそこにじんわりと浸透する。
『皆さんに聞きたいことがあります。受験勉強とは本当に必要でしょうか?』
……は?
一気に意識が現実に戻る。この人は一体何を言っているんだろうか。眠気で定まらなかった視線の焦点を先程まで大学の講師であろう人が説明をしていた場所に目を向けると、知的な美貌を備えた女性がそこに立っていた。
『受験で勉強した内容が役に立つ職業というのはかなり限られています。受験勉強という名目で勉強した内容のほとんどが将来で役に立たない職業につく人がここに居る人の大半を占めるでしょう……それでも受験勉強をしようと思いますか?』
「おい遠浅君!何を言っているんだ!」
先程説明の役目を担っていた人物が遠浅という名の在校生に険しい顔で歩み寄る。それを一瞥した彼女は汚物を見るような目付きで講師をにらんだ後、『以上です』とだけ付け加えて足早に教室から姿を消した。
講師達は呆気に取られている僕らごと、先程の遠浅という人物の発言を素早く流すように早口で後の行事を伝え、説明会は予定より数十分早く終了した。
冷房の効き過ぎていた教室を後にし、参加自由の予定を無視して大学の中のあらゆる建物の中を巡回していた。
――遠浅という人に会ってみたい。会って話の続きを聞きたい。
その一念で先程から数棟は巡っているのだが、一向に姿を現してはくれない。すでに校内には居ないのかもしれない。寧ろそちらのほうが可能性としては高いだろうと思ってはいるのだが、なんとなく諦めることができない自分がいた。
捜索すること約一時間。時計の針が正午を三十分程過ぎた頃、ようやく諦めのついた僕は腹の虫の命令に従って昼食を摂ることにした。
結論から言うと、彼女の姿を見ることはなかった。恐らく帰ってしまったのだろう。説明会での彼女の態度を見ればその方が納得がいく気がした。
「ねえ」
その声は唐突だった。どこまでも青い空の下で――
「昼御飯奢ってくれないかしら」
――彼女は立っていた。