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殺意を見る 綾瀬真

 「ねえねえ、聞いた?」

 「え?何の話?」

 「1組の川瀬ミコさんの話」

 「あー、あの。入院している子でしょ?」

 「そうそう、その子。彼女ね、亡くなったらしいわよ」

 「え?それ本当?」

 「本当、本当。1組の子から聞いたんだけど、何でも先週辺りから容態が悪化したらしくて、それで亡くなっちゃったんだって」

 「え?でもさ、普通同級生とかが亡くなったらさ、学校が何か言うんじゃないの?例えば『1組の川瀬さんが亡くなりました。黙祷』みたいな?」

 「うん。でもさ、彼女もともと身体弱くて、この学校にも一週間もいないうちに入院しちゃったらしいのよ。だからさ、そんなに面識の無い人だからさ、学校も無闇に人の死について言いたくは無かったんじゃない?」

 「ふーん、確かに私彼女の顔とか知らないしね」

 「そうそう。高校生って情緒不安定な時期じゃない?受験とか何とかでさ。まあ、うちらはまだ入学して数ヶ月しか経ってないけど、いえむしろ入学して数ヶ月で人が亡くなりましたっていう話は何か嫌じゃん?まあ、学校側の思惑は結局はわからないけどさ、そういうことなんじゃないの?」

 「そうなら、ちょっとひどいよね」

 「私らが死んでも何も言われなかったりしてね」

 ……そう会話する彼女らに目をやる。彼女らの会話は良い。内容は他人の不幸をネタにしているので決して褒められたものではないが、しかし彼女らの会話にはアレは動かない。

 全くの他人の話であるから、本人たちは特にその矛先を向けることは無いのだ。

 つまりこれが俗に言う『当り障りの無い話』。

 僕はそれを見ていると安心する。前述したとおりその内容は決して褒められたものではないのだけれど、それでも彼女らはこの時間、少なくとも突然喧嘩をし始めるということはなさそうだから。

 それに比べると……

 「なんだと!」

 あちらはもう限界が近そうだ。

 片方は拳銃、もう片方は鞘に入った刀。銃は撃鉄が引かれていたし、刀も鞘から半分ほど抜かれていてその刃を見せていた。

 やれやれ、と僕は思う。

 僕はその一部始終を見ていたから、それがどうやって発展していったのかは全て知っていた。女の子たちの会話を聞きながらしっかりチェックしていた。

 発端は何でもない。ただのアイドルか何かの話。

 本当に簡単で単純な話だ。

 片方の男がそのアイドルが好きで、もう片方の男のほうはそのアイドルに対して否定的な意見を持っていた。それだけの話だ。

 で、その二人がそのアイドルのことについて会話していたのだ。

 結果は予想通り。

 アイドルの熱狂的なファンである名倉が、アイドル否定人間の船越の悪辣とも言えるその意見に黙っているわけが無く、殺意丸出しで怒りだし、そして船越の方もそれに答える形になってしまった。

 幸いまだお互い傷つけ合ってはいないものの、しかしそれも時間の問題のよう。

 先程の名倉の怒鳴り声からして彼の我慢の限界点はもうすぐであろう。

 その大きな声でクラス中の人間が彼らに注目している。

 ちなみに僕はその前から注目していたのだけど……それは余計なことだ。

 いつの間にか当り障りの無い会話をしていた彼女たちも会話を止めて、やはり同じように彼らに注目していた。

 「もう一度、もう一度今の台詞を言ってみろよ、船越!!」

 たかがアイドルなのに名倉は顔を真っ赤にしながら言った。

 よっぽどそのアイドルのことが好きなんだろうなぁ。ちなみに僕はそのアイドルのことについては好きでも嫌いでもない、つまりはどっちでも良かった。余計なことだけど。

 「もう一度どころか何度でも言うよ。僕のいうことは事実だからね」

 そう言って少しずれた眼鏡をくいと直す船越。今どき格好つけてそんな動作をするのは彼だけだろう。ちなみに僕も眼鏡をかけている。

もしも僕の眼が右目だけならばそれはいらないのだが、左目があるのでそれが必要だった。ちなみに今はかけていない。何故なら僕にとって眼鏡はフィルターと一緒だから。今は見るのが必要だから、それはいらないのである。

さらにどうでもいいことを付け加えると、船越の眼鏡は黒ぶち眼鏡、僕のはふち無し眼鏡。ちょっと、おしゃれだ。かなり余計なことだけど。

 船越は何の悪びれも無く、しかしそれがまた名倉を真っ赤にさせるんだろうが、言った。

 「彼女はファンのことなんて何も考えてはいないんだよ。そもそも彼女のCDの売り方を見ればそれは一目瞭然。DVDが入った初回版と通常版、二枚をだしてファンにはその二枚を買わせようっていう魂胆。そんなあからさまな売り方をして吐き気がしないわけが無いだろ?本当、彼女はファンのことなんて何一つ考えてはいない。いや、もしかすると金づるぐらいには考えているかもね」

 眼鏡キャラだからおとなしそうに見える船越。しかしその見た目とは反して彼は毒舌を吐きまくる。流石刀。その切れ味は本物だ(まだ切ってはいないけど)。

 「て、てめえ!!」

 名倉が船越の胸倉を掴んだ。

 む、本当に限界点を超えそうだ。彼の拳銃は今にも弾を撃ちそうである。

 このままだと、殴り合いの喧嘩は避けられないだろう。

 先に言っとく。僕にはこの喧嘩を止めることができる。

 だけどそれをしようとは、僕の意思にはなかった。

 彼らには彼らの意志があって、意見し、そして怒ったり、はたまた見下したりしているわけだ。僕がそれを止めるのはエゴってものだろ?

 某ロボットアニメの主人公のように「エゴだよそれは」なのだ。

 そう止める気があれば初めに止めているのだ。

 「わわわ、大変だぁ!ま、マコちゃん、どうしよう!?」

 「……」

 「あわわ、大変!大変なんだよぉ!」

 「……」

 「名倉君と船越君が大変なんだよぉ!」

 「……」

 「今にも喧嘩が始まっちゃいそう。あわわ、どうしよう!どうしよう!」

 「……」

 「あの……マコちゃん?」

 何も返答しない僕のことを怪訝に思ったのか、首をかしげながらもう一度彼女はその名前を呼んだ。

 「……」

 「ま、マコちゃん何でか怒ってる?何で、何で?」

 「……あのねえ、小鳥。僕は何度も言うんだけどさ、そのあだ名やめてくれないか?」

 「え?え?ええ?可愛いのに?可愛いのにぃ?何で?まあいいや。マコっちゃん!マコっちゃん!どうしよう!?」

 ぽか。

 そのお馬鹿な頭を叩いてやった。

 「あう。何で叩くの?何で叩くの?私モグラじゃないよ。小鳥だよ?」

 「お馬鹿な子はモグラ同様に叩かれる運命なんだ」

 「そうだったの?知らなかったな?これで私一つ賢くなったね」

 「確認のためもう一度言っておく。僕は男だ。だけど綾瀬真っていう男だか女だかよくわからない名前のせいで昔はいじめられてたんだ。軽いトラウマだけどさ」

 「そうだったね、アヤちゃん」

 ぽか。

 「あう。また叩かれた?」

 「そっちの名は前の名よりも好きじゃない」

 「可愛いのに?」

 「……」

 「うぅ~、ごめん。マコちゃん」

 「……はぁ~、まあもういいけどね。それで?小鳥は僕に何を言いたいの?」

 言いたいことはわかっているが、だからと言って僕は自分の独断だけでは行動したくはなかった。

 そう、基本的には彼らの喧嘩に僕は無干渉でいたかった。

 「そ、そうだ!マコちゃんに頭叩かれて忘れてたけど、大変なんだよ!すっごい大変なの!?名倉君と船越君が今にも喧嘩しそうな……」

 「それは見ればわかる」

 僕には彼女に見えないものも見えているし。

 「それで、僕にどうしろと?」

 「このまま喧嘩を始めたら大変だよぉ。マコちゃんそういうの仲裁するの得意だから……その……」

 「確かに得意だけど……でもだからってわざわざ危険なことに突っ込んでいく程の勇気は無いよ。触らぬ神に祟り無し」

 「で、でも……」

 クラスの連中も同じことを考えているのだろう。巻き添えはごめん。止めたいと思っても、そう考えれば動くことなどできないのだ。

 それは僕も同じ。巻き添えはごめんだ。それに彼らに干渉しようって言うのはエゴってものだ。

 だけど、それでも……

 「でも、きっと……このままじゃいけないよ。傷つけあうっていうのはいいことじゃないよ。違うかな?小鳥の言ってることって違うかな?」

 小鳥の言うことは綺麗事にしかすぎないけど、でも彼女の言うことは誰よりも人間味があった。

 そう、理屈やらメリット、デメリットなんて考えている僕なんかより、ここにいる誰よりも彼女は純粋だった。だから僕は彼女の頭を叩いたりなんかしていたけど、彼女のことが好きであった。

 「違わないよ」

 そう言って小鳥の頭を優しく撫でる。

 「ふわわ、マコちゃんが優しい。でもこれはこれでいい感じ」

 「行ってくるよ」

 僕は彼女に甘い。付き合ってるからとかそういうのもあるけど、それ以上の理由は彼女には純粋でいて欲しいからだ。

 だから、彼女の前では僕はまともな人間になる。

 僕は席を立って彼らに近づいた。

 「だいたい、彼女の歌だってコンピュータで細工されたような歌ばかりじゃないか?そんな歌手が……」

 今は船越の言葉攻めの番のようだった。

 ここが本当に限界点。彼の言葉が終われば、おそらく名倉が船越を殴るだろう。

 そうなれば、収拾をつけるのは困難になる。しかしここで不用意に止めに入っても彼らの矛先が僕に向くだけだ。

 だから僕はそれを右手で回収した。

 誰にも見えない。僕しか見えない。

 途端二人の表情に変化が訪れる。

 「あ、あれ?何で」

 「何だ?この……何とも言えないような感覚は」

 まるで憑き物が落ちたかのように、今まで敵意を剥き出しにしていたのが嘘のように、その表情は穏やかになっていった。

 落ち着いたようなので、僕は二人に話し掛けた。

 「あー、えーっとさ」

 「あれ?綾瀬?いつの間に?」

 「いつの間に君は近づいたんだ?」

 「そんな細かいことは気にしないでさ。第三者の僕が言うのも何だけどさ、喧嘩するなよ」

 「……」

 「……」

 「友達、だろ?確かに大事なものをバカにされて心穏やかになれるわけが無いってわかるけどさ、でもさ人には好き嫌いがあるんだよ。君が好きなものを彼が好きだという保証はない。君とそのアイドルが知り合いっていうなら話は別だけど、会ったこともないんだろ?すごくドライに言うけどアイドルなんて所詮は他人だ。他人のことで友達と争うなんてちょっと違うとか思わないか?」

 「う、でも……」

 「それと、いくら自分が嫌いだからってその意見を一方的に言うのもよいセンスとは言えないな。さっきとは逆の言葉だけど、君が嫌いだからって彼は嫌いだということはないんだよ。君がもし大事にしているものをバカにされた時どんな気分になる?最悪だろ?最悪なはずさ。怒らないわけが無いだろ?」

 「た、確かに」

 僕は明らかに矛盾しているであろうことを二人に諭した。

 「お互い反省するべきことはあっただろ?じゃあ二人ともお互いに謝って、仲直りしちゃいなよ」

 「……」

 「……」

 しばらく二人は黙ったが、やがて船越の方が言った。

 「悪かったよ。言い過ぎた」

 「い、いや。こっちだって。ちょっと怒りすぎたな、すまん」

 はぁ~、やれやれ。ひとまずは一件落着。

 落ち着いたところで僕は拳銃の撃鉄をそっと戻し、刀を鞘へと収めてそれを元に戻した。

 喧嘩が仲裁されて興味がなくなったのか、クラスメイトたちはほぼ一斉に元もおしゃべりを開始した。

 僕はその役目を終えたので彼女が待っているその席へと戻った。

 「お疲れ様ぁ!」

 「本当、疲れたよ。朝から妙な労働をしてしまったね」

 「格好よかったよぉ、マコちゃん」

 「だ・か・ら……あぁ、もういいわ」

 「相変わらずの解決っぷりだね。マコちゃんに解決できない事件なんてないんだね!」

 「事件じゃないし……それにまた卑怯な手を使わせてもらったからね。それで、彼らも聞き分けが良かったんだよ」

 「小鳥には見えないよぉ。それ。どう目を凝らしても見えない」

 「当たり前だよ。普通はそれは見えない」

 そう、それを視認できる人間なんて聞いたことがない。

 「人の殺意なんて、普通は見えないんだよ」


 僕がそれを見えるようになったのは、確か六歳の頃。

 それまでは普通に殺意なんて見えなかった。見えなかったから普通に過ごしていたし、その時は小鳥のように純粋だったと思う。

 そう、戦隊モノのヒーローのような正義感があった、はずだ。

 何故、僕はそれを見えるようになったのか。その原因はわからない。見えるようになった直前の記憶、それが僕にはないのだ。

 何かあったのか?それとも何もなかったのか?ともかく六歳のある日を境に僕には人の殺意が見えるようになった。

 それは人によっていろいろな形をしていた。

 剣だったり、槍だったり、拳銃だったり、ライフルだったり……いろいろ。

 それが人の頭の上でふよふよ浮いている。ふよふよと、何の悪意もないかのように。

 しかし、いざその人が殺意を向けたならば、それは攻撃を開始する。

 肉体には影響はないものの、それは精神を傷つける。

 僕も昔不注意で剣の攻撃を受けたことがあったが、アレは痛かった。

 それ以降僕は他人の殺意が怖くなった。

傷つけあうことは怖い。

僕は自分の殺意は見ることはできないが、しかしもしもそれが人を傷つけることがあったなら……だから、僕は基本的には人見知りだ。

表面上はうまく付き合っても、決して心の奥までは見せない。自分の領域には入らせない。だから友達はいても親友はいない。

僕の眼のことを知っているのも家族を抜かせば、小鳥だけだった。

小鳥……小宮山小鳥コミヤマコトリ

彼女の友達は「コッコ」と呼ぶ。僕は恥かしいからそんな名で呼べない。

小鳥と僕の付き合いは長い。

僕が殺意を見ることができるようになる前からの友人。そして今は彼女。

小鳥は純粋だ。

僕という異端の傍にいながら彼女は彼女のままで、純粋にあり続けた。

それだけが僕の唯一の誇れるものだった。僕自身のことではないけれど……彼女の存在が僕にとって救いになったことは事実だ。

本当に感謝しているよ、小鳥。

でも頼むからマコちゃんと呼ぶのはやめて欲しい。アヤちゃんは禁句にしてほしい。

僕には殺意が見える。

彼にも彼女にも……皆それは持っている。

それを相手に向けて平気で喋る。見えていないし、お互いに気付いていないから平気で喋る。

僕には殺意が見える。

うんざりするほどに見える。

僕はそれが見えるから人間が嫌いだ。

平気でそれで傷つけあう人間が嫌いだ。

気付かずにそれを使う人間が嫌いだ。

でも一番嫌いなのは、それが見える僕自身だ。

僕は怖い。

いろいろと怖い。

殺意を向ける人間が怖い。

人と話すのが怖い。

人と接するのが怖い。

いろいろと怖い。

でも、一番怖いのは……

殺意なんてものが見える、狂っている僕自身だ。

僕は……僕は……

「ん~、もしかしてマコちゃん上の空、かなぁ?」

「……」

「マコちゃん?お~い」

「ん?あ、何?」

「何じゃないよぉ。折角ゆっくりとお喋りしているのに……マコちゃん何にも聞いてないでしょ?」

え、僕と小鳥は今喋っていたのか?全く記憶にない。

おそらく適当に相槌をうっていただけなんだろう。

「そ、そんなことないよ。ちゃんと聞いていた」

とりあえず月並みの言葉を返す。

ここで小鳥に「じゃあ、私が何を話していたか言ってみてよぉ」とか言われたら絶対絶命であるけど。

「じゃあさ、小鳥が何を言っていたか、復唱。聞いていたんならできるよね、できるよね?」

「……」

絶体絶命。

確かに聞いていない者に対してその攻撃は絶大な威力を誇ることは間違いない。

しかしね、小鳥……僕と君は何年付き合ってきたかわかっているか?

僕は小鳥の扱いには慣れているんだよ。

「できるよね?できるんだよね~?」

「ああ、まかせておけ」

僕は大げさに自分の胸を叩いたりなんかした。おかげで少し息が詰まった。全く余計なことをしてしまったものだ。

「あれのことだろ?」

「あれって?何?ダメだよぉ。今日は誤魔化されないよぉ。いつもみたいにあれて言えば、私が今まで話していたことをポロリと言っちゃうと思ったら大間違いなんだからぁ」

「何!?いつの間にそんなスキルを!?」

「うふふ~、学ぶことが人間にとっては大事なんだよぉ」

そうやってニヤリと笑う小鳥さん。

その勝ち誇った表情。なんかむかつく。

小鳥は僕にいじられるようなキャラなのに……これじゃあ逆転してしまうじゃないか!

仕方ない。ここは綾瀬真、本領発揮で小宮山小鳥いじりを決行しよう。

一瞬で思いつく、小鳥いじりのビジョン。

あまり他人は好きじゃないけど、ここではそれを利用しないことには小鳥いじりは成功しない。

「……ちゃんと、聞いていたよ」

「……本当に?本当かなぁ?」

僕は最後に小鳥にチャンスを与えた。

「僕の言うこと……信じられないかな?」

「うん」

即答だった。

レスポンス時間、約0.2秒。

何も迷うことなく回答してきやがった。

そういう態度ならば、僕も容赦はしない。

「じゃあ、会話をそのまま再現するけど……本当にいいの?後悔しない?」

「もう!そんなこと言って本当は覚えていないんでしょ?小鳥はそんなことお見通しだもん」

確かに覚えていない。というより知らない。

それは事実だ。でもね小鳥。世の中には知らなくてもどうにでもできることっていうのはあるんだよ。

君はまだ純粋で知らないようだから、僕が今日、今この場でそれを教えてあげよう。

うん。僕って本当にいい彼氏だ。

「あれは、三分前ぐらいの話だ。突然に小鳥はこう僕に切り出した。『ねえ、マコちゃん?マコちゃんの今日のお昼ご飯のデザート、何かな?何かな?』」

「え?」

「僕は応える。『いや、柚子がお弁当を作ったから知らないけど……多分入ってないんじゃないかな?ほら、デザートって大抵冷えたものが美味しいじゃないか。お弁当の中に入れるとお弁当の熱で中途半端に温められてあまり美味しくないと思うんだよ、僕は』」

ちなみに柚子とは僕の妹のこと。母がいない綾瀬の家で家事担当が柚子なのだ。僕とは年が三つ離れていて、この間中学に入学したばかりのナイスガールだ。きっと将来はいいお嫁さんになること間違いない……こう言うとシスコンみたいだな、僕って。

「そんな僕に小鳥は憐憫の目を向けた。『可哀想なマコちゃん。お昼ご飯にデザートがつかないなんて。可哀想だね、可哀想だね』僕は訊いた。『ということは、小鳥はデザートを持ってきたのか?』彼女は満面の笑みを浮かべながら、『うん』と元気よく応えた。果たして小鳥は何のデザートを持ってきたのだろうか?気になった僕は『デザート、何を持ってきたの?』と訊いてみた。すると彼女は、その満面の笑みから何の表情を変えることもなく言ったのだ。『えっとね、サルの脳みそのシャーベット!!』」

最後の台詞のみ大きな声で僕は言った。

その異様な言葉にクラス中の人間が僕らの方に視線を向けた。

「え、えぇ!えぇぇええ!?」

「僕は驚いた。そうだろ?驚かないわけがない。サルの脳みそのシャーベット!?そんなゲテモノ料理見たこともないし、もちろん食べたいとも思わない。普通の人間ならそう思うだろ?でもさ、相手はあの小鳥だ。どうだいみんな?あの小鳥だったら、この小鳥だったらそれはありえると思わないか?」

教室が『ざわざわ』と騒ぎ始めた。

「そんないくらコッコでも……」

「い、いえ。コッコならないとも言い切れないわ。あのコッコよ。このコッコ」

「そ、そういえばコッコの今日の鞄、やけに大きくない?」

「え?もしかして……それって……」

「そのまま入っているんじゃない?その……サルの頭が」

「きゃー!!」

もう教室は大パニック。僕の嘘を全て真に受けていた。

仕方ないよね。普段の小鳥の行為がおかしいからこう言う結果を招くんだよ。

せいぜい僕を敵に回したことを後悔するんだな、小鳥。

「ちょ、ちょっとみんなぁ!冷静になってよぉ!すぐ考えればマコちゃんの……」

おっと。小鳥、君には発言権を与えさせるわけにはいかない。

小鳥の言葉の途中で僕はまた大げさに言った。

「でも、もしかすると僕の聞き間違いだったのかもしれない。だってそうだろ、みんな?いくら小鳥だって、仮にそれを日常茶飯事で食べていたとしても、それを学校にまで持ってくるなんてそんなの常識人のやることじゃない。小鳥だって最低の常識ぐらい有しているはずだ。僕は小鳥をそう信じた。そう信用し信頼した」

「そうよね……いくらコッコでも……あのコッコでもそれはしないよね」

「よかった。全ては綾瀬君の勘違いだったんだね?」

「うん。僕もそう思った。聞き間違えて勘違いをしたのか、勘違いをして聞き間違えたか、どっちかわからないけど僕が間違えたんだと思った。でもさそれは僕がそう思っただけで真実じゃない。僕はまだ確認していなかった。だから小鳥に聞いたんだ」

ここで一旦間をおいた。演出だ。

騒ぎを大きくするための、人の心を惑わすための演出だ。

「『小鳥……ごめん。今の言葉よく聞こえなかったよ……悪いけどさ、もう一度小鳥のデザートを教えてくれるかな?』。これは聞き間違いだ。僕の勘違いだ。だから小鳥は違う答えで応えるはずだ。それは林檎かもしれない。蜜柑かもしれない。もしかしたらアイスかも。でもアイスだったら昼までには溶けてしまうか……でも小鳥だったらそれも何とかするかも。あぁ、シャーベット。これが一番ありえる答えだ。サルの脳みそなんてそれこそ僕の単なる聞き間違い。彼女は何かのシャーベットを持ってきたのだろう。前半がよく聞き取れなくて『×××××のシャーベット』と聞こえたところを僕が勝手に、僕の脳内が勝手にサルの脳みそと訳しただけなんだろう。きっとそうだ。そうに違いない。僕はそう言い聞かせながら彼女の応えを待った。小鳥は『あれ?聞き逃しちゃったのかな?聞き逃しちゃったのかな?』といつもの様子で言った後、さっきの笑顔で言った」

また、間をおいた。

ごくりとクラス中の人間が息を飲んで僕の話を聞いている。

外野で、「みんな何でそんなに真剣に聞いているの?何で?何で?」と小鳥が騒いでいるけど、外野なので彼女の声は誰にも届かない。

「『小鳥の今日のデザートはね、サルの脳みそのシャーベットなんだよぉ』」

「きゃー!!」

再びクラスが大パニック。

「や、やっぱりコッコは持ってきていたのよ!あの鞄のふくらみは現実だったのよ!!」

「でも、そんなもの何処に売っているの!?そんなのスーパーでも売ってないよ!?」

「バカね!あのコッコよ!コッコなら……何とかしてくるに決まっているじゃない!!」

「何とかって……どうやって!?」

「裏の山から……狩って来るとか?」

うーむ、彼女ら話を大きくしてくれるのはいいんだけど、如何せんわかってない。裏の山から狩って来るなんて現実感がない。

仕方ない。僕が助け舟を出してやるか。

「そういえばさ、僕最近ニュースで見たんだけど……」

基本的にこのクラスの連中はニュースなどを見ない。だからどんなはったりを吐いてもオッケイ。

「え?な、何?」

「結構前の話だけど、日光のサルが人を襲うってニュースあったじゃないか。人の持っている食料を目当てに人を襲うっていう話。だけどね、何故か最近はそれがないんだって」

「え?え?どういうこと?」

「うん。その時は番組で調査して結果、単純にサルの数が減ってきたっていうことで終わったんだけど……よくよく考えたらそれって妙じゃないか?だって何で彼らの数は減ったんだ?彼らに天敵となるような存在はなかったんだ。地域の住民や観光客だって困ったなぁとは思っていただろうけどさ、基本的にまあ子供のいたずらと一緒だ。ちょっと質の悪いいたずらだ。それがまた話題にもなるしさ、だから特には動かなかった。そしてサルたちエサにだって困っていなかった。人間が提供してくれるんだから。それなのに何故最近になってその数は減ってきたのだろう。天敵もいない、エサにも困っていない、何故そんな状況でサルのその数は減ったのだろう?僕はその時はわからなかった。でもさ、こう考えれば謎は解けるんじゃないか?彼らにはやはり天敵がいた。自分たちを喰う存在などこの平和な世界(この場合は日光を指すよ)にはいないと思っていたが、そう思っていたのはサルと僕らだけで、それは存在したんじゃないかと……つまり」

またまた、一旦間をおく。

ゴクリ。誰かが唾を飲む音が聞こえた。そのぐらい僕らの空間は静かだった。

若干一名、未だに弁解をしているものもいるが(もっとも小鳥が言っていることが正しいのだけど)、そんなもの僕らの空間には侵食できなかった。

完璧な世界。語り手と聞き手の完璧な世界。

僕らはそれに酔っていた。どうしようもないくらい酔っていた。

さあ、恐怖の言葉を聞くがいい!

「日光のサルは小鳥によって喰われたと」

「きゃー!!」

クラス大パニックver.3。

ここまでいくと面白い。僕の嘘もなかなかのものだと、ついつい自信がついてしまう。

「きっとそうよ!そうに違いないわ!日光のサルはコッコに喰われたのよ!!」

「そ、そういえば……先週私達さ、コッコを遊びに誘ったじゃない?でもコッコ、『私、用事があるから』って断った。もしかすると……」

ちなみにその日、小鳥は僕と柚子とでテレビゲームをしていたりする。柚子が前からどうしても小鳥とアクションゲームで対戦したいと(僕とでは柚子は勝つことができないため)、せがむので小鳥は友達との付き合いを蹴って僕らとテレビゲームをしていたのだ。

うん、いい奴だ。小鳥って。

でもその真実を僕は彼女らに語らなかった。

うん、僕って奴は、なかなか酷い奴だ。

「……もしかすると、何よ?」

説明するまでもない。

「コッコ。日光までサルを喰いに行ったんじゃないかしら?」

「きゃー!!」

「それで……その日に喰いきれなかった分を今日持ってきていたりしたら?」

「鞄の中には一体何が入っているの!?」

普通に教科書、ノート、そして辞書だろう。今日は辞書を使う授業が多いので、机に入れっぱなしを嫌う小鳥は必然的に大きな鞄にしなければならなかった。

僕はそれを知っていたが、何も口にはしなかった。

皆の視線が小鳥の鞄に集中する。

その視線に耐えられず、小鳥は言った。

「べ、別に普通の鞄だって!本当だよ!本当だよぉ!」

「……」

「う、嘘じゃないよ!サルなんて入ってないよぉ!何なら確認してもいいよ!そうだよ!そうすればわかるよぉ!」

小鳥は鞄を皆の前に突き出した。

皆鞄の中身を恐ろしく思い、一歩小鳥から距離をとった。

「な、何で距離をとるのかな?別に何もないよ?本当に何もないよ?今から開いて見せるよ」

鞄のチャックに手をかける小鳥。

じじじ、じー。

チャックが開く音。静寂の中でそれだけが支配をしている。

その様子をみて誰かが「ひっ」と軽い悲鳴をあげた。

それが引き金となって、

「きゃー!!」

第四次クラス大混乱。

皆一目散に教室から避難を開始した。

「な、何でみんないなくなるのかな?何でもないのに。何でもないんだよ」

ちなみに……引き金となった悲鳴を上げたのは僕。もちろん悲鳴は演技だったりする。


「ひどいんだよ!ひどいんだよぉ!何でいつもそういう意地悪をするかなぁ!今日のは特にひどいんだよ!ふぇ」

半泣きだった。確かにやりすぎた。

おかげで小鳥のあだ名は『人食い(マンイーター)の小鳥』とかついてしまったし。

「すいません。正直やりすぎました」

「『人食いの小鳥』なんて……どっかのライトノベルじゃないんだからぁ!」

「まあ、いいじゃん。そこはかとなく格好いいだろ?『マンイーター小鳥』」

「マコちゃん……本当に申し訳ないと思っている?」

ごごご……

うをぉ、何故か地響きが聞こえるような……プレッシャーか!?小鳥のプレッシャーのためなのか!?

「すいません。許してください。僕が全面的に悪かったです」

「ぐす。許す」

「僕が真面目に謝ると何でも許してくれる小鳥だった」

「今のは口に出して言うべきことじゃないんだよぉ!何でそういうこと言うかな?何でそういうこと言うかな?」

「まあ、終わったことを愚痴愚痴いうのは男らしくないからやめようぜ」

「何で加害者のマコちゃんがそれを言うかな!?それに小鳥は女の子だし!」

「そんなの見ればわかる」

「何でそんなに態度が大きいのかな?反省してないのかな?マコちゃん、反省してないのかな?」

「反省だけならサルでもできる。反省していないサルは小鳥が喰う」

「食べてない!!」

「さて……冗談はさておき」

あまりいじめすぎるのも可哀想だし真面目な話をしよう。

「それで、さっきは一体何の話をしていたんだ?」

「やっぱり聞いていなかったよぉ。そうは思ったんだけどねぇ」

はぁ、とため息をする小鳥。

僕が素直に聞いていませんでしたといえば、ここまでの大事にはならなかっただろうに。

「他のクラスの子から聞いたんだけどね、あっ、聞いたのはさっきだよ。名倉君と船越君が喧嘩する前」

「聞いた時なんて、別にどうでもいい」

「そうかな?重要だと思うけど。マコちゃんがいいって言うんだったらいいよね。いいよね」

「それで?何を聞いたの?」

「うん。何かね、同じ学年の子が今日マコちゃんのことを捜していたんだって」

「はあ?それが何か?」

「浮気かな?浮気なのかなぁ?」

小鳥が浮気なんて言うってことは、その僕を捜しているのは女の子らしい。

うーん、でも僕って女の子の知り合いなんて小鳥ぐらいしかいないはずなんだけどなぁ。

後は柚子に那美姉。家族も入れると僕の女の子の知り合いなんて三人しかいない。

クラスの女の子とは小鳥と一緒にいると喋ったりもするけど(さっきみたいに)、僕はあまり好意になるようなことはやらないし、またクラスの女子の名前を覚えてなかったりもするのであまり女の子に人気があるってわけでもないだろう。

僕を捜している子。

その子は何が目的で僕を捜しているのだろうか?

「あ、あれ?あれれ?もしかして、もしかして、本当に浮気なのかな?なのかな?」

僕が何も言わないから小鳥は心配に思ったようだ。

「そんなわけないよ。基本的に僕は人間が怖いからね」

傷つけられるのも傷つけるのも嫌だ。

だから僕は小鳥の傍にいる。優しい小鳥の傍に。

「そ、そうだよね……本当に、そうだよね?」

「僕が信じられないかな、小鳥?」

「う、ううん!そんなことないよ!そんなことない!」

さっきとは違い彼女は僕を信じてくれた。

彼女は知っている。僕のことを。僕の眼も。僕の心も。

「でも僕を捜しているなんて、僕に用事でもあるのかな?……参ったな。僕はあまり厄介事は好きじゃないんだけどな」

「何なら私が代わりに受けてあげるよぉ。私だってたまにはマコちゃんの役に立たないとね」

「……」

それが小鳥には代われないことだったら……

小鳥は、そして僕はどうするのだろうか?

「ねえ、小鳥……僕を捜している子って……」

誰?

がららら。

そう聞こうとしたが、担任が教室に入ってきたのでやめた。

「あ、君代ちゃんが来ちゃったね。来ちゃったんだね。残念」

国生君代コクショウ キミヨ。僕らのクラスの担任だ。

年は二十代半ばだろうか(詳しい年齢は知らない。この前、年を聞いている男子を殴っているのを目撃した)?僕が格好いいと認める女性だ。

体育会系だが、音楽教師。コーラス部の顧問で、その練習は野球部よりも厳しいとか何とか。どんなコーラス部だよ。

「ほらお前たち!早く席につかないと私が暴れまわるわよ」

それはクラスの壊滅を意味しているので、みんな急ぎ足で席に戻る。

「じゃあ、またね。マコちゃん」

「小宮山!ラブコメしてないで席に戻る!」

「ふわぁ!も、戻るんだよ!戻るんだよ!」

すたこらさっさ、という効果音が似合いそうに小鳥は席へと戻っていった。

やれやれ。やっと静かになった。

僕は、騒がしいのは嫌いだ(先程あれだけの騒ぎを起こしておいて)。

僕は平穏が好きなんだ。

劇的な変化なんていらない。殺意なんて見える僕はただ、ただ平穏を望む。

「席についたな。うむ。なかなかいいスピードだ。調教すれば現代の若者もこれだけ早く動けるんだよな。人がきびきびと動くこと。それを見るのはなかなか気持ちがいい。ただでさえ、今日は嫌な話を言わなければならないんだからな」

調教という単語は聞き逃して……嫌なこと?

何だろう?何かあったのだろうか?

そういえば、さっき女子が一組の川瀬さんが亡くなったと言っていたからそのことだろうか?

でも、何でだろう?嫌な予感がする。嫌な予感がする。

「体育の八重樫先生っているだろ?ほらサッカー部の顧問の。世話になっている奴は少なくともいるはずだ。まあ、何だ。へビィな話題で言いにくいんだが……八重樫先生が昨日亡くなった」


平穏は終わる。

嫌な予感は当たり、僕はその事件に巻き込まれる羽目になる。

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