三、狂気と真理
―あんた、名前は。
刻まれた記憶には、もう既にフィルターが掛かり始めている。思い出の中でリクはただひたすらに美しい。
―名前ぐらい言ったって構わねーだろ。
私の沈黙をリクは笑って許した。
―ま、いいや。
愉快そうにそう言っただけだった。留めた笑みのまま夜の街を振り返った彼の茶髪に、雑多なネオンの色が滑る。つまらない街だと彼は言ったが、その街は間違いなく彼を引き立てていた。散らばった光の中で、彼の乱雑な振る舞いが映える。しかし傍目にいくら魅力的に映ろうが、リクはいつもその照明を持て余すように脇道に入っていた。閉鎖的な路地がどこより落ち着くらしかった。
影を落とした横顔はまるで、まだ見ぬ映画のワンシーン。
心の底であの影が晴れることを望んでいた。
彼を抱きしめる腕を持つひと。
叶わないと確信が深まるほど、その祈りは反比例する。
逃げ切る力をくれるひと。あなたがいたなら。
季節が過ぎても、時の概念が無い死神は感傷には浸らない。リクの死も過ぎ行く日々の一片でしかない。そんな論理で何が救われるでもない。移り逝く時の外で、私は彼の影を追う。
彼が欲しがっていたものが、とてもささやかだったことを私は知っている。
死ぬことなんて何とも思っちゃいない。その言葉の下に隠して、いつの間にか忘れてしまったものは決して、価値のないものなんかじゃない。
この辺で殺されとくのも、手間が省けていいな。
リクがそんな風に思っていたことを知っている。
生きてても死んでても大した変わりはない。
冷めた目で生きていたことを。
そうして彼の望み通り。
OK。そう言いたげな笑みを湛えて後ずさり一歩しなかったことも。
彼は知らない。私の左手が震えていたことを。息を無くした彼の側で、蹲ることさえ出来なかったことを。