開戦。
ギイィィィ……。
耳障りな音を上げて、錆び付いた鉄の扉が開く。首だけ出して辺りを伺うと、高人は指をくいくいと動かした。「よし、来い。大丈夫そうだ」
「うん」
頷いた茉弥が足を蹴った刹那。
「誰だ!?」
その背中に声がかかる。
「しまった、見つかったか! 早く上れマミ!」
高人が叫んだが、茉弥は無視して再び第四甲板に降り立つ。さっきと同じ銃を構える男の姿が、そこにはあった。
「見つけたぜ!! 賞金は俺のものだああああああ!!」
ターゲットを見つけた喜びが先走ったのだろう、怒鳴りざま、動かない茉弥を前に男は小銃を振り回すように撃ち始めた。
けたたましい音が壁で跳ね返り、空気の振幅はどんどん増して行く。
――ったく、派手に撃ってくれやがって……!!
蓋の陰に隠れて弾をやり過ごしながら、高人は増援が来はしないかと廊下を睨んでいた。こんなに音が反響したら、ここで戦闘が始まっている事が分かってしまう。
……茉弥の事など、これっぽっちも心配してはいない。
手持ちの弾を一頻り掃射してしまうと、男は硝煙の立ち込める廊下を前に余裕の笑みを浮かべる。
──なんだ、意外とあっさりしたもんだな。さすがに今のは、
「避けられないだろう、とでも思った?」
「!!」
男は目を見開いた。煙を振り払いながらゆっくりと歩いてくるのは、さっき自分が鴨撃ちにしたはずのターゲットではないか。
「な、なぜ……」
「撃つの、下手すぎ。天井のダクトに掴まってれば、ぜんぶ避けられたよ」
男は、ガタンと小銃を取り落とした。その様子を、どこか愉しげに彼女は眺める。
「あ、弾切れかぁ。んじゃコレ、あげるね」
同時に、ガンという衝撃音が脳天に響いた。
ばたり。
額から血を流し、男は仰向けに倒れた。茉弥の投げた弾倉は、すぐ傍に落ちている。
「……お前なぁ、少しは目立たないように行動する癖を付けろよ」
「やだ」
苦言を呈した高人を一言で黙らせると、茉弥は男の傍に寄った。死んではいないようだ。
──意外と投擲武器としても使えるなぁ、弾倉。
内心呟きながら、男から防弾チョッキを剥ぎ取ると自分に着ける。手にした小銃を、高人に放った。
「……サンキュ」
まだ何か言いたそうだったが、高人は黙ってそれを受け取った。受け取ってから、ふと尋ねる。
「マミ、お前は何か持たなくていいのか」
「拳銃があるからいいや」
これも男から奪い取った拳銃をクルクル回しながら言うと、茉弥も第三甲板へと上った。「早くしなきゃだね。タカト、部屋ってどっちだろう」
「多分、お前が左で俺が右だ。気を付けろ、ここより上のフロアは客船だから一般人も船員も五万といる。見つかったら面倒だ」
「分かってるよ」
茉弥はニヤッと笑って、駆けていった。
――俺が心配してる事とは別の事考えてたな、あいつ……。
ため息の代わりに深呼吸して緊張を解すと、高人も小銃を構えて反対を向く。
と、
「いたぞ!あいつだ!」
正面から鋭い声が飛んできた。と同時に、曲がり角の向こうから武装した男たちが飛び出してきた。手にしているのは、散弾銃か。
――ったく、休む間くらいくれよ。
無表情で小銃を投げる高人。
ブンと風を切り飛翔した銃身は、並んだ二人の敵の顔面にクリーンヒットする。仰け反って倒れる敵を前に、高人は少しずつ手の内に懐かしい感覚が戻ってくるのを感じた。
さあ。戦争の、始まりだ。
ドズンッ!!
突如、鈍い爆発音がプールの脇に響き渡った。
立ち上る黒煙の中、逃げ惑う客たちの背後に、一様に銃口を揃えた男たちがずらりと並ぶ。
「乗客ども全員、大人しくしろ! そうすれば危害は加えない!」
船内中に設置されたメガホンが、がなりたてる。テロ組織「爪燕」のシージャック計画が、ついに動き出したのだ。
「これよりこの船は、我らの指揮下に入る。乗客は全員、一階のセントラルホールへ入れ。次の指示は五十分後、東京の竹芝桟橋到着時に行う」
一方的な命令に、しかし人々は従うしかない。未来への強い不安と絶望感を抱えながら、言われた通りに一階へと降りて行く。
豪華客船「ブリージア」は今、巨大な牢獄兼要塞と化した。
その人の波を掻き分けて走る、一人の少女の姿があった。
茉弥である。
「……バカだね、あいつら。わざわざ私たちに計画をバラしてくれてる」
含み笑いを浮かべながら、茉弥は地面を蹴って角を曲がる。彼らが乗客を退去させてくれたお陰で、船内を走り回るのが容易になった。おまけに銃火器をいくら振り回そうが、無実の人々に害はない。つくづく親切なテロリストだ。
「あった」
207の文字が振られた客室に飛び込むと、
……中は荒らされ放題だった。
「わ、ひどい!!」
思わず叫ぶ茉弥。せっかく綺麗に畳んでいた服はあたりに散乱し、パッと見でも明らかに何枚かが足りない。金目の物なんか、当然のように無くなっている。
襲撃を受けた段階で多少部屋が荒らされるのは想定内だったとは言え、これは酷い。酷すぎる。お気に入りの服を盗まれた茉弥の怒りは、一気に膨れ上がった。
「…………許さない……あいつら、ぜったい許さない…………」
ミシミシと音を立てそうなほどに拳を握り締めると、茉弥はクローゼットの中を覗き込んだ。天井に取り付けられた板を外すと、そこには何かが乗っかっている。アタッシュケースだ。
──あったあった。どうせ気づかれないだろうとは思ってたけど、まさかホントにスルーしてくれるなんてね。
込み上げてくる可笑しさと怒りを堪えもせず、ニヤニヤ笑いながら茉弥はアタッシュケースを開けた。
赤銅色に輝く、長い奇妙な形の銃がそこには横たわっている。手に取り、そっと表面を撫でる茉弥。冷たい感覚が、茉弥の頭を切り替えた。
「また、宜しくね」
ストックを嵌め込みながら、茉弥は優しく声をかけた。返事をする代わりに、ジャキッと金属部品が填まる音が響いた。