いわゆる異世界というもの
木々が生い茂る森の中。そこはうっすらと木漏れ日が差し込む場所だった。
大地はしっとりと湿り気を帯びており、そこには様々な植物が群生する。また、小動物が静かに木々や地面を駆け抜ける。
人の手が入っていない大自然、そこには無秩序のようで秩序のある風景が形成されていた。
そんな場所において、一人の女性が地面に寝そべっている。
寝ているのだろうか、彼女は身じろぎをしながらも起き上がる気配なく、体は少し土に汚れていた。
だが彼女は汚れていても目をみはるほどの美人で、注目せずにはいられない気配をまとっていた。
──
ええと、確かこれから街に行くんだっけ?
昨日知り合った両親と友人から依頼を受けて、先日読んだ漫画の登場人物と一緒にネットゲームの友人が経営している店でクエストの報告をするはず。
それから俺がソードを盾と話しあわせて勝った方にリンゴを食べさせ……
そこで意識が少し浮上してきた、ええっと、うん、眠い、おやすみ。
今見ていたあまりにも支離滅裂な光景は夢なのだろうなとぼんやりと考えながらも、そこから意識を覚醒させようという意思はなく、再び微睡みの中に沈んでゆく。
だがその前にどこかに蹴り飛ばしてしまった毛布を被り直さなくては、俺は夏だろうが関係なく、毛布を被って寝る。何かに包まれていないと安心できないのだ。なくても眠れるが、あったほうがより気持ちよく寝ることができる。
それでも暑いと寝ている間に毛布から抜けだしてしまうことがある、でもそれはいいのだ、寝るまでの安心感が一番重要なのである。
だから目を開けず、足の感覚だけを頼りに毛布のありかを探す。
もぞもぞ、もぞもぞ
近くにない、遠くまで蹴飛ばしてしまったのだろうか、俺は割りと寝相はいいほうなんだけど。そんなことを頭で考える。
それにしてもなんだか肌寒い、お腹のあたりはスースーするし、足もなんだか冷たいものに触れているようだ。ベッドからはみ出て、木枠の部分に触れているのだろうか。
むにゅ
身じろぎをしたときに、胸板の下で何か柔らかい物が潰れる感触がした。
ざらり
そういえば、毛布を探している足の触感が伝えてくるのは、マットレスではなく、まるで地面のようではないか?
それどころか、今俺が横たわっている場所そのものが、いつも感じる低反発素材のマットレスのそれではない?
「んん?」
疑問を感じた俺は、もっと眠っていたいという衝動をなんとか振り切って、体を起こす。
だがそれでも完全に覚醒したわけではない、半分目を瞑ったまま、ぼんやりをしているだけだ。
とりあえず目をこすろうと腕を上げ、顔に手を近づけたところで
ゴチンッ
「いてっ」
おでこに硬いものがあたったようだった。
その痛みで少し目が覚めた俺は、そのあたったものをじっくりと見つめる。
「んんん? 籠手?」
それは自分の腕にひっついている黒い籠手だった。当たり前だが、寝る前につけるものじゃない。
「えっ!?」
そこで一気に目が覚めた。
何かがおかしい、俺はこんなものをはめて寝た覚えはない。なんでこんなものがついているんだ?
未だ重いまぶたを強引に開いたことで、陽の光に目が痛むが、それを無視して自分の体を確認する。
俺が寝る前に身につけたのは綿のパジャマ、そしてズボン、下着はトランクスで、それも綿製品だ。それだけである。
だが確認した自分の体はどうだ、肘から手の甲までを包む籠手、同様に膝から足首までを覆う脛当て、腰巻のようなもの、そして、サラシの巻かれた胸。
それはサラシが巻かれてなお自己主張の激しいもので、締め付けられていなければ中々の大きさを誇るだろう。いわゆる巨乳という奴だ。
胸。
……胸!?
「なんじゃこりゃああああああああああああああああ!?」
思わず絶叫してしまう俺、確実に近所迷惑だ。だがそんなことを今の俺にはどうでもいいことだった。
「はっ?えっ?なんだこれ? え? 何、どうなってんの? 俺に胸? しかもなんだこの格好、意味わかんねぇ、ってオイ! よく見たら髪も長いぞ? うおっ、めっちゃサラサラしてる、俺の髪じゃねえ! いや、そもそも」
そこで俺は周りを見た。
自分の部屋じゃなくて、どこかの森の中にいるみたいだった。
……
「って、どこだよここは!?」
誰も答えてはくれない。風にさらさらと揺れる葉擦れが聞こえるだけである。
「わけわかんねえええええええ!!!!」
俺の絶叫だけが周りに響いた。
数分間混乱しまくった後、俺は少し冷静になった。そう、まずは色々なものを確認するべきだ。
まずここ、俺の部屋じゃない、以上。
そして俺、何故かファンタジーに出てくるような防具? を身に着けている。
最後に、
俺、女になってる?
「そんな馬鹿なっ!」
ありえないありえないありえないありえない
頭のなかにその言葉だけがぐるぐると巡る。だってそうだろう、俺は昨日まで間違いなく男だった、いっちゃなんだが痩せ過ぎのひょろっとしたもやしっ子だった。それでもちゃんと男の顔をしていたし、もちろん身体的にも男だった。
だが今はどうだ、細く引き締まった体に、自己主張の激しい胸、下腹部についても……その、あるべきものが、ない……声も甲高くなっていた。
しかし冷静に自分の体を見なおしてみると、どこか見覚えがある。何故だろう?
そういえばこの籠手やら脛当てやら、そもそもこのサラシが巻かれている胸も、どこかで見ていないか?
「あっ!」
思い出した、そうだよ、これは俺がやっていたネットゲームのキャラクターとそっくりなんじゃないか?
一度頭を振って、落ち着くために自分が覚えていることを思い出すことにする。
俺がやっていたネットゲーム……<<オルタネイティヴ エピック>>はMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)だった。
簡単にいえば、作られたゲームの世界で多くの人間が一緒に冒険したりするわけである。
昨今では進化してきた仮想空間に関する技術のおかげで、ディスプレイと向き合ってやるゲームだけではなく、体の動きを機械に認識させたり、逆にゲームの中で自分の体を動かせるようなゲームも増えてきた。俺がやっていたのは後者のタイプのゲームだ。
とはいえこのゲームの中で自分の体を動かすという技術は完璧なものではなく、自分の意識を体から切り離して、完全にゲーム空間に投影するようなことはできない。あくまでも感覚の主体は自分の体にあって、そこの何割かがゲーム内で動かせるというレベルだ。
よく「現実世界の感覚とゲームの感覚が同時に存在している」などと説明される。
初心者はその意識の切り替えがうまくできずに、ゲーム内のキャラを動かそうとしたら現実世界の体が動いてしまったりする、その逆もまた然りだ。
だが慣れてしまえば現実世界でポテチを食いながらゲーム内で全力疾走したりすることもできるようになる。まぁ、飲み食いをしながらゲーム内で複雑な動きをするのは結構難しいのだが。
俺はそんな体の感覚を半分投影した仮想空間でプレイしていたのだが、ゲームにおいて胸のあるなしなど意味はない、だからそこら辺に関する感覚はほぼ設定されていなかった。そんなものにリソースを割くくらいなら、より重要な手足の感覚などを鋭敏にさせたほうが良いのである。つまり見た目だけ女、というやつだ。
そもそも、何故女キャラを使っているかと言われると「ゲーム内で男の顔なんて見たくない、可愛い女の子を使いたい」という言葉に尽きる。
いや、これは俺がそう思っているだけで、全ての男がそうだと言っているわけではない。もちろん美化されたイケメンを使いたいという男はいるだろうし、逆に渋いおっさんやら、良い感じに年を重ねた老人を使いたいという人もいるだろう。
でも俺はそうじゃなかった。多分、俺以外にもそういった人は結構いたと思う。ネットオカマ、略してネカマという存在もいる。男性がネット上で女性を装う行為だ。俺はそういうことをしていたわけじゃない、見た目は女性キャラクターだが、女性らしく振舞ったことなどない。一人称は「俺」のままだったし、性別を聞かれたら男だと答えていた。理由を聞かれるとちょっと恥ずかしかったが、素直に「イケメンじゃなくて可愛い女の子を使いたい」と伝えていた。
そしてその使っていた女キャラクターが、今の自分に似ているわけだ。装備は確かに俺がログアウトする前につけていたものと似ているように見えるし、髪の長さも多分これくらいだったと思う。鏡を見たわけじゃないからまだわからないが、顔も凛々しい美女になっているのではないだろうか。
これはゲームのキャラクターになってしまったと断言できる情報ではないが、一つの目安にはなると思う。まずはそこから色々なことを考えていこう。
体の感覚が鮮明過ぎる……というより、まさに自分の体になっているからとても違和感があるが、今は我慢するしかない。
「よし」
一声出して俺は立ち上がる、まずは状況を確認しなければ。
「ええと……」
とりあえず自分の体を確認する。装備についてはさっき見たからいい。自分の体がどうなっているのか確認するべきだ。
まずは体を動かしてみる。腕、足、腰や首など、どこにもおかしなところはない。ゲーム内のキャラクターと現実世界の自分の体では、身長や手足の長さも違ったはずだが、動かすのにそれほど支障はないようだ。まぁ胸と股間の違和感は凄まじいのだが。
続いて周りを見渡して見る、どうやらどこかの森の中にいるらしいが、ここはどこだろう。ゲーム内の話であれば、最後にログアウトしたのは街中だった……はず。少なくとも、こんな森の中ではない。
人のいるところに行くかなと考えて、思いとどまる。その前にやれることはやっておくべきだ。
もしここが<<オルタネイティヴ エピック>>の中だとすれば、試せることはいくつもあるはずだ。
まずはインベントリ、いわゆる持ち物の確認だ。目に見える範囲では自分が身に着けている物以外は何も存在していないが、ゲームの中であればインベントリにアイテムが入っていたはずだ。
「インベントリの起動はほとんど無意識にできたよな」
独り言を呟いて、一つずつ確認していく。
そして、頭のなかでインベントリの起動を行う、と考えた所で、ゲームの中と同じように眼前に半透明のウィンドウがでてきた。
「おおっ」
そこには俺がログアウトする直前に持っていたアイテムが表示されていた。細かい消耗品の数までは覚えていないが、装備類には見覚えがある。インベントリに並んでいるアイテムの中から一つを選択し、慣れた操作で具現化させる。
ピカッと手元が光って、具現化されたのはニンジンである。何故持っていたのか覚えていないが、多分拾ったのだろう。
「インベントリが起動できて、アイテムも出せる、これはますます<<オルタネイティヴ エピック>>の中にいるという可能性が高まってきたな……」
一つ確認できれば早いものである、ステータス画面やスキル画面をぽちぽちと開いていき、それらに異常がないことを確認していく。もう結構な時間やり込んだゲームなのだ、流れるように確認できた。
そしてフレンドリストを見た時、俺は衝撃を受けた。
誰もいなかったのである。
ログインしている、していないという話ではない、リストには誰の名前も表示されていなかった。
名前を覚えているフレンドにメッセージを送ってみようとしたが、新規フレンドの申請も、チャットコールもできなかった。失敗したということではなくそれを “選ぶことすらできなかった”。
そしてそれは、チャット機能にも及んでいた。
ゲーム内では言葉によるコミュニケーションの他に、テキストによるコミュニケーションもあった。
普段ゲームをやっているときではほとんど会話で間に合うのだが、特定の状況ではテキストのほうがわかりやすいこともある。そのため搭載されていた機能である。
だが今は、テキストによる発言はできなくなっていた。そもそもテキストを打ち込むメニューも、それを表示するウィンドウも出せなかった。
同様にギルド(複数の人間が集まって構成するチームのようなもの)機能も使用できなくなっていたし、オプション項目……音量やエフェクト効果の変更なども、ウィンドウすら出せなくなっていた。
そして、半ば予想していたが、ログアウトというボタンはどこにも存在していなかった。
「ははっ……」
それでも期待していなかったと言えば嘘になる。だがその希望は儚く潰えたわけだ。
俺は体から力が抜けてしまい、木にもたれかかる。そして、そのまま目を閉じた。
「一体これは、なんなんだ?」
これ、と表現したものが、自分の体についてなのか、ログアウトできないことについてなのか、この世界についてなのか、それともこれら全てのことなのか、自分でもよくわからないまま、俺はそう呟いた。
自分でもうまく表現することのできない無力感に、俺は打ちのめされていた。
目が覚めて非常に混乱して、それから少し冷静になって自分やゲームシステムについて確認して、そして今、わけのわからない状態だということだけがわかっている。
まるで現実感がなかった。目は覚めたはずなのに、夢のなかにいるようだった。
思考に泥がへばりつき、何も考えられなくなってしまった。まさしく途方に暮れていた。
これからどうしようとか、どうすれば地球に帰れるかとか、そういったことを考える気力がなくなってしまった。
もたれかかった木からずるずると背中をこすりながら座り込み、体育座りした状態で額を膝につけて俺は動けなくなった。
「どうなってるんだ、誰か教えてくれ……」
その言葉を聞くものは、誰もいなかった。




