45.森の魔女
「はぁ……はぁ……」
「その程度かしら?」
「……火の槍」
炎が集まって細長い形をとろうとするけれど、先端が尖っていない。
土魔法ならば難なくこなせる形状変化を、火魔法だと上手くいかない。練習をしてこなかったせいなのか、土と違って絶えず形が変化するからなのか。
土魔法で事足りるから、と今まで火魔法を使わなかったことが悔やまれる。
けれど、仮に火魔法を極めたとしてもあの黒い靄に攻撃が当たるとは思えなかった。そもそも実体はあるのだろうか。
不意にひんやりとした何かが私の頬に触れて身震いした。黒い靄が私の真横に移動し、手の形をした部分が私の頬を撫でる。
「あたくしの身体はここにあるわ。あなたがあたくしの防御を崩せないだけよ」
「触らないで!」
腕で払ったときには靄は姿を消していた。部屋のどこかにまた現れる。移動する瞬間が見えないけれど、転移魔法を使っているのだろうか。
「悲しいことを言うのね。あたくしはあなたの祖母なのに」
悲しいとは微塵も思っていなそうな声の調子だ。
いや、それよりも。今何と言っただろうか。
「祖母?」
「えぇ。七番目の娘、アテナの子。それがあなたの出自よ」
あれの言葉に耳を貸してはいけないと頭ではわかっているけれど、初めて母親かもしれない人の名前を聞けた。でも、魔女は基本的に二つ名で呼ばれていて本当の名前を隠すから、その名を聞いても心当たりがない。
「アテナが来るにはまだ早いから、今のうちにあなたを捕まえておきましょうか」
不穏な言葉を口にして、黒い靄が近づいてくる。数歩後退ったけれど、壁に背中が当たってしまう。扉までの距離を目で測ろうとしたら、目の前に靄が現れた。
「っ!」
「さぁ、ゆっくりおやす……」
「蔦を思いっきり伸ばして!」
靄の言葉を誰かが遮った。振動がするかと思ったら、複数の蔦が床を貫通して黒い靄を拘束する。私は一本の蔦に跳ね飛ばされた。
「大丈夫? 手荒な真似してごめんね」
声の主に抱き止められる。どこか懐かしい感じがする声に、私は顔を上げた。
深い森のような緑色をした瞳、優しいけれどどこか哀しげな笑み、黒くて真っ直ぐな髪。
「かあさん?」
エマの話に出てきた魔女かもしれないと思ったのに、口をついて出てきたのは別の言葉だった。
「残念だけど君を産んだことはないよ」
返ってきたのは否定の言葉。自分の母親でないとわかっているはずなのに、なぜ私はそんなことを聞いたのだろうか。
「“まじょさん”?」
「十年くらい前までそう呼んでいた子はいたね」
今度は肯定の言葉が返ってくる。やはりエマに魔法を教えた魔女だ。
「でも、魔女はいっぱいいて区別がしづらいから、『森の魔女』と呼んでほしいな。まぁ、自称森の魔女も何人かいるんだけどね」
「波間の魔女の妹?」
「サシャのことかな。……うん、そうだよ」
どうやら“まじょさん”は森の魔女のことで、波間の魔女の妹のようだ。点と点が線となって繋がる。
けれど、国外追放されたはずの森の魔女がどうしてここにいるのかはわからなかった。
「どうしてここに? 何で私を助けてくれたの?」
「なんだか胸騒ぎがしたんだ。自分の半分が消えてなくなるような、そんな感じ。ドラッヘ山脈からフリートベルクを見下ろしたらサシャの結界が弱まっていたから、いてもたってもいられなくなってここに来たんだ。それに、誰かを助けるのに理由なんて必要ないよ」
「……お人好し?」
「よく言われるよ」
おとぎ話の悪役たる魔女らしからぬ発言に、思わず笑みが零れる。けれど、森の魔女は表情を引き締めて前を向いた。視線の先には複数の蔦、けれど拘束していたはずの黒い靄がいない。
「君がさっきまで戦っていた相手は誰かな?」
「波間の魔女は『災厄の魔女』と呼んでた」
「え、亡くなったはずじゃ……」
森の魔女の認識も私と同じらしい。けれど、話している途中に何かに気づき、口を閉ざした。
「サシャ……波間の魔女は亡くなったんだよね?」
「ん。災厄の魔女らしい影に殺された」
「……じゃあ、あれは闇魔法が見せる幻影か」
「あれってどれ?」
森の魔女が見つめる方を見ても、黒い靄しかない。「あれだよ」と彼女が手の平で示したのは黒い靄だった。
「あれは実体のある黒い靄。正体は不明」
「……黒い靄? わたしには波間の魔女に見えるけれど」
「形は人型。土も火も試したけれど攻撃が効かない」
「災厄の魔女ってことでいいのかな」
私と森の魔女が見ているものに違いがあるような気がするけれど、森の魔女は黒い靄を災厄の魔女と断じたようだ。その言葉を聞いた靄がふふっと笑う。
「偽物と見抜けるなんて驚きですわ、エリザベート」
声と口調が波間の魔女とそっくりで驚いた。森の魔女の顔が険しくなる。
「その姿と声を今すぐ止めてくれないかな。あんたがサシャを殺したんでしょ?」
「えぇ。余命幾ばくもない命だもの、殺して利用した方がよろしいわ」
「……もう話さなくていい。あんたがわたし達を同じ人と思ってないことはよくわかったよ」
外壁を破壊して蔦が部屋の中に侵入する。黒い靄を今度こそ捕まえたと思ったけれど、するりと抜けて別のところに姿を現した。
今度は床から蔦が出てくる。全て森の魔女の魔法だけれど、普通三階から生やせるものだろうか。
いや、それよりも。これ以上穴を開けられたら床が崩壊してしまうかもしれない。
「森の魔女」
「今、災厄の魔女を捕まえるのに忙しいから後にしてほしいな」
「これ以上やると、建物が壊れる」
「あっ」
私の注意は少し遅かったようで、蔦によって床と壁が壊され、私と森の魔女は階下に落ちた。




