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忘却の魔女の旅路  作者: 楠木遥華
第一章 全てを忘れた少女
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4.黒衣の剣士

「グラオヴォルフだって?」

「うそ!?」

「えーと、なんだっけ?」

「レオの馬鹿! ルドルフの足を噛んだ狼だよ!」

「あぁ、あいつか! ぶっ飛ばしてやるっ!」


 拳を振り回して飛び出そうとするレオをカイとエマが押さえつけた。


「なにすんだよ!」

「あたし達じゃまだ敵わないよ!」

「可能なら全力で逃げるのが一番だ」

「お前らはアニキのカタキを討ちたくないのかよ!」

「そりゃ討ちたいよ、あたしだって! でも、全員が無事じゃなきゃ駄目なの。だからこの遠征で力をつけてから再挑戦するの、わかった?」


 エマの涙ながらの言葉にレオが振り上げた拳を下ろす。


「……わーったよ、逃げればいいんだろ?」

「それは無理。既に目視できる距離にいる」


 私が指差した先には、いくつもの赤い光が夕闇に浮かび上がっていた。今更走っても追いつかれるだろう。


「おいおい、まじか。本物のグラオヴォルフじゃないか。俺に構わず逃げろ! と言いたいところだが……」

「僕達が逃げたせいで村が被害に遭うのは見過ごせません。村の外に誘き寄せるので、アルバンさんは村の人達に外に出ないよう注意してくれませんか」

「あぁ、わかった。無事に帰ってきてくれよ」

「善処します。……皆、西へ!」


 カイの指示で私達は村から離れていく。グラオヴォルフがすぐそこまで迫っているのを魔力感知で感じる。振り返ると恐怖で足を止めてしまいそうだから、必死に仲間の後を追った。

 けれど、私達の行く手を遮るようにグラオヴォルフが二体現れる。左右に一体ずつ、後ろに二体。いつの間にか囲まれていた。これでは先日の戦いと同じだ。火魔法が二度も通じるとは思えないし、このまま終わってしまうのだろうか。


 前回と違うのは、ここが山の中ではなく村の近くだったこと。王都近郊でグラオヴォルフが出たことで警戒する騎士や冒険者が増えたこと。


 何者かが頭上を飛び越え私達とグラオヴォルフの間に降り立った。黒で統一された服装で、男か女かわからない。剣を抜いて大地を蹴ったかと思うと、目の前のグラオヴォルフ二体の首が宙を舞った。三、四と続けざまに倒れていく。

 残った二体が尻尾を巻いて逃げ出していく様を見て、黒衣の剣士はフンと鼻を鳴らした。剣に付着した血を振り払い、左腰の鞘に収める。そのまま振り返ることなく立ち去ろうとした。


「待って!」


 エマの声に剣士が足を止めて振り返る。暗がりで分かりづらいけれど、二十歳前後の青年だった。無造作に伸びた黒髪から覗く藍色の瞳。端正な顔立ち。


「……なんだ」

「あっ、えっと……」


 低くてよく通る声は感情が読めない。エマが一瞬びくりとしたけれど、ぎゅっと拳をを握りしめて口を開いた。


「た、助けてくれてありがとう!」

「助けた覚えはない。グラオヴォルフを追っていたら、偶々お前らがいただけだ」

「うぅ、でもお礼がしたくて……あたしは中級冒険者パーティー『狼の集い』の回復魔法使い(ヒーラー)、エマ! あなたは?」

「……ヴェラットだ」


 男――ヴェラットの名乗りに息を呑んだのは誰だろうか。


「ラットさん?」

「ヴェラットだ」

「長いからラットさんでいい?」

「……好きにしろ」

「ラットさんは独り(ソロ)で冒険者をやってるの?」

「……エマ、ちょっといいかな」


 エマは恐怖より好奇心が勝ったらしく、ヴェラットに質問する。それを制したのはカイだ。


「どうしたの、カイ?」

「あの人は冒険者登録してからたった一月で、しかも独り(ソロ)で上級冒険者に登りつめた人だ」

「すごい人だね!」

「静かに、話はそれだけじゃない。実は彼が冒険者になる前の経歴を誰も知らないんだ。一部では闇社会の人じゃないかと噂されている」

「ええっ!? そんな悪い人には見えないけど……」


 ヴェラットをチラリと見て首を傾げる。


「噂の真偽はともかく、どんな人かわからないからあまり近づかないでほしい」

「あたしはわかったけど、レオは聞いてないみたいだよ?」

「えっ?」


 改めてヴェラットに視線を向けると、目を輝かせたレオが話しかけるところだった。


「よぅ、ラット! オレはレオだぜ、よろしくな!」

「……ヴェラットと言ったはずだが」

「あんたって強いんだな、アイツを一撃で倒しててビックリしたぜ!」

「俺が強いだと? 寝言は寝てから言え。俺より強い者は五万といる」

「そうなんか?」


 グラオヴォルフを目にも止まらぬ速さで四体倒したのに、なぜかヴェラットは自分が強くないと思っているらしい。彼が強くなければ誰が強いと言えるのだろうか。


「なぁ、今度手合わせしねーか?」

「断る。お前と俺とでは力量差が歴然だ。話になるまい」

「だったら、ラット対『狼の集い』ってのはどうだ?」

「一対四だと?」


 ヴェラットが私達を見て、フンと鼻を鳴らした。


「いくら雑魚が群れたところで無駄だ」

「やってみないとわかんねーだろ」

「ならば今やってみるか?」


 ヴェラットの纏う雰囲気が不意に変わった。空気中に鋭利な刃がいくつもあるような錯覚を覚える。射殺さんばかりの殺気に、私は思わず息を呑んだ。


「ひいっ! ムリムリムリムリ」


 腰が抜けたのかエマがその場にへたり込んだ。


「エマは僕が守る」


 勇ましく盾を構えるカイは全身震えていた。


「おりゃ! あれ?」


 唯一立ち向かったレオだけれど、攻撃をあっさり躱され相手の手刀で伸びてしまった。


「戦意を捨てていないのはお前だけか」


 私の背後からヴェラットの声がした。いつの間に移動したのだろう。ここまで距離を詰められて初めて、相手の魔力を感知できた。


「降参する」

「だろうな。お前らは連携ができていない。これで中級とは冒険者の質が疑われるな」


 刀を鞘に戻してヴェラットは私達に背を向け歩き出す。やがてその姿は闇夜に消えて見えなくなった。




✻✻✻




 街道から外れた道なき道を、ヴェラットは魔物を一刀両断しながら歩いていた。不意に一筋の風が吹いて足を止める。風はつむじ風のように渦を巻きながらその場に留まっていた。自然ではない、魔法によるものだ。


「あの女、本当に魔女なのか?」


 彼は一人呟く。否、つむじ風の中から返事があった。


『あぁ、そうさ。まだ自覚してないようだけどねぇ』


 掠れた女の声だ。


『来たる大戦のためにあの子には本来の力を取り戻す必要がある。アタシ達がそのきっかけになるのさ』

「お前を退けるほどの力が眠っているのか、そのソフィとやらには」

『あぁ、あの子の生まれは格が違うからねぇ』

「……そのような実力があるようには見えなかったが」

『まだ目覚める前なんだよ。己の正体に気づいたら大化けするだろうねぇ。ククッ、今から楽しみだよ』


 女の声を聞いても、ソフィが自分より強くなるとヴェラットは信じられなかった。魔力の多さは確かだが、それ以外に取り柄がないといった印象だ。


『ま、アンタにもそのうちわかるさ、嫌というほどにね』


 渦が崩れ始める。報告の時間の終わりが近づいているのを示していた。


「……俺はいつか必ずお前を殺す」

『へぇ、四百年生きた「谷の魔女」を倒せる日が来ると思ってるのかい?』

「あぁ」

『とんだ大馬鹿者だねぇ、でも嫌いじゃないさ。アタシの支配下に置かれながら逆らう奴なんて滅多にいないからね。アンタがアタシを殺しに来る日を楽しみに待ってるよ』


 渦の回転速度が増し、不意に爆ぜて消えた。もう女の声も魔力も確認できないと断じたヴェラットは、歩みを再開する。故郷であるレヴィンを目指して。

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