35.ヴェラットの望み
「……」
「……」
波間の魔女と初めて話した数日後、私はヴェラットと一緒に馬車に揺られていた。
本当はエマも誘いたかったけれど、魔女の呪いに関する話だから他の人には聞かれたくない、とヴェラットに断られた。
「いらっしゃい、ソフィ。そちらの方は貴女のお仲間さんかしら?」
前回と同じ部屋に案内され、前回と同じく椅子に座った波間の魔女が微笑みかける。
ヴェラットの手が剣の柄に伸びたのが見えて、杖を握る手に力がこもった。
けれど、ヴェラットは剣を鞘から抜くことなく床に置いて、その場で片膝をついて跪いた。
「波間の魔女様、お久し振りでございます。元レヴィン男爵の弟ヘルフリート、ただいま参上しました」
流れるように丁寧な口調で話す彼に、私は開いた口を閉じられなくなった。
「顔を上げてちょうだい」
「はっ」
「半年以上前から行方不明と聞き及んでいたけれど、生きていたのですね。二人の兄にはお会いになりましたの?」
「……いえ、諸事情につき会っておりません」
「その諸事情が今回わたくしの元を訪れた動機かしら?」
「はい、その通りです」
下手するとカイよりも流暢な敬語を普段周りを見下しているヴェラットが話していることに驚いたけれど、よく考えればヴェラットは元貴族だ。
男爵の地位は貴族の中でも低い身分だと聞いたことがある。フリートベルク辺境伯家の人に丁寧な言葉で接するのは当然のことだろう。
「一つお尋ねしたいことがございます。ここで話したことが外部――例えば谷の魔女に漏れることはないでしょうか?」
その二つ名を聞いて、波間の魔女は笑みを消した。真剣な眼差しでヴェラットを見る。
「えぇ、領都フリートベルクに張り巡らされた結界は盗聴や監視を防ぐことができます。外部に漏れることはないと約束しましょう。長話になるでしょうから、椅子に座ってちょうだい」
波間の魔女に勧められて、ヴェラットが急に跪くから隣で立つことしかできなかった私も席についた。
「私は谷の魔女の血を飲まされ、その者の支配下にあります。操りを解くことはできないのでしょうか」
「……結論から言うと、今はまだ無理ですわ。ですが、操られた者の血を採取し呪いを解く方法を探っている魔女がいます。その人に血を提供すれば、解決に一歩近づくかもしれませんわ」
「その魔女はどちらにいらっしゃいますか?」
「魔の森よ」
波間の魔女の双子の妹である森の魔女が棲む地だ。
私を育てたかもしれない人。エマが言う“まじょさん”かもしれない人。国外に追放された魔女。
「……その魔女は本当に信用できるのですか?」
「わたくしの妹ですから当然信頼していますけれど、会ったこともない貴方に信じなさいと言うつもりはありませんわ。実際にその目で見て判断してちょうだい」
「谷の魔女を倒したとも聞きます。失礼なのは承知していますが、直接会うのは危険ではありませんか?」
「でしたら会わなければよいだけの話ですわ。操りを解くために行動するだけでも危険が伴うことですもの」
「……」
森の魔女を信じてもいいのか、ヴェラットが悩んでいるように見えた。しばらく目を閉じていた彼は、覚悟を決めた目で波間の魔女を見た。
「魔の森へ行く方法をご教授願います」
「グレンブルクの国境門を出てしばらく道なりに進めば森の入り口が見えてきますわ。けれど、森の奥深くに位置する魔女の館に辿り着ける保証はありません。受け入れるかどうか決めるのは森の魔女ですもの。魔女の首を狙う者なら、気がつけば森の入り口に戻されているでしょうね」
森の魔女は植物を自在に操ることができ、森に入った人を惑わせ奥に行かせないようにしている、と波間の魔女は語る。どうやら一筋縄ではいかないようだ。
ですが、と波間の魔女は私を見る。
「森の魔女は捨て子であるソフィの身を案じていました。ソフィと一緒ならばヘルフリート、いえヴェラットも魔女の館に辿り着けるでしょう」
「……つまり、狼の集いと旅を続けろ、と」
「どうしても会いたいならその方法が一番可能性が高いと言っただけですわ。確実に会えるわけではありません」
結局は森の魔女の気分次第、ということだろうか。ヴェラットは私達をフリートベルクまで案内したら別れるつもりだったのだろうけれど、森の魔女に会うために一緒に旅を続けるのだろうか。
ちらりと彼の横顔を見たけれど、何を考えているのかわからなかった。
「ヴェラットは谷の魔女の支配下から解放されたら何をするつもりかしら?」
「やることは一つです」
――谷の魔女を殺す。
波間の魔女の問いかけにヴェラットは間をおかずに答えた。感情をほとんど映さない瞳の奥に殺気が見え隠れする。
「今の貴方に谷の魔女は討てませんわ」
「……それは承知の上です。ですが、奴に一矢報わなければずっと奴に付き従って生きることになります。谷の魔女は私の主に相応しくありません」
「では、貴方が主にしたいのは誰かしら?」
「それは勿論、国王陛下でございます」
少しの間、波間の魔女とヴェラットが見つめ合う。波間の魔女が一つ頷いた。
「ヴェラットは今でも騎士の精神を忘れていないのですね。貴方の覚悟、しかと受け止めました。手紙で貴方のことを森の魔女に伝えておきましょう」
その言葉にヴェラットが椅子から立ち上がり、その場に跪いた。
「ありがたく存じます」
波間の魔女とヴェラットの貴族のやり取りに、私は一言も発することなく二度目の対面を終えた。




