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23.子爵領ランメルツ

「カイ、ソフィ! 遅いよ、早く早く!」

「ま、待ってよエマ。少し休まないかい?」

「街を見渡せる絶景があたしを待ってるの!」


 急な坂をものともせず登り、エマは高いところから私とカイを見下ろした。


 普段から鍛えているレオとヴェラット、見知らぬ街を散策するのが楽しくて疲れを感じていない様子のエマ。

 彼らと違って私とカイは慣れない坂道を登るのに時間がかかっている。


「はぁ……はぁ……」

「カイ、大丈夫?」


 坂を登りきってその場に倒れてしまったカイに、私は思わず声をかけた。カイが羨ましげに私を見上げる。


「ソフィはいつもと変わらないね……」

「そう?」

「……いや、平気そうな顔して急に倒れるから油断できないか」

「?」


 カイがぼそりと何か呟いたけれど、私には聞き取れなかった。

 見て見て! とエマが後ろを指差すのにつられて振り返ると、様々な建物が密集した街の奥に海が広がっていた。


「あたし、この街が一番のお気に入りになりそう」

「僕はもう少し坂が少なめな街がいいかな」

「この高低差がいいの! レモンの酸っぱい香りと潮の匂いが合わさって、とってもいい匂い。なんだかお腹が空いてきたなぁ。屋台がいっぱいあるところ、どこにあったっけ?」

「……一番下まで下りた大通りだよ」

「……」


 エマの顔から笑みが消えた。何度も瞬きし、唇の端をぎこちない動きで上げる。明らかに作り笑いだ。


「頑張って戻ろっか」

「エマ、本当にこの街が一番なのかい?」

「……ちょっと高低差が激しすぎかなぁ」


 カイが「ほら、僕の言った通りだ」と自慢げな笑みを浮かべる。エマは少し悔しそうだ。


「坂の上にも食事処はあるはずだが」

「そうなの!?」

「前ここを訪れたときは大通りで食事を済ませたから、どこにあるかは知らぬ」

「そんなぁ」


 ヴェラットの言葉に一喜一憂するエマ。「まぁまぁ」とカイが宥める。


「坂の上にも食事処がないと、ここに暮らしている人達が不便だよ。だから、探せばあると思う」

「でも、あちこち歩き回らないといけないんだよ?」

「街の散策と何も変わらないじゃないか」

「それはそうなんだけど……」


 空腹でやる気が低下したのか、エマはあまり乗り気ではない様子だ。坂を降りて屋台巡りをするのか、どこにあるかわからない食事処を探してこの辺りを練り歩くのか。より早く辿り着けるのはどっちだろう。


「ん? 狼の集いじゃねぇか。こんな坂の上で何してんだ?」

「ヨハンさんだ! 良かったぁ」

「お、おう?」


 私達に声をかけたらエマに両手を掴まれ、ブンブンと振られているのにヨハンは困惑した顔をしていた。


「この近くにご飯食べられるところってある?」

「おぅ、あるぞ。俺もちょうど飯にしようとしてたところだ。一緒に食おう、ただし自腹だけどな」

「ありがとう、ヨハンさん!」

「これくらい当然のことさ」


 獣人は気さくな人が多いのだろうか。昨日門で会ったばかりなのに一緒に食事して、今日も食事処を教えてくれる。


「今日は門番の仕事やってねーんか?」

「あぁ、今日は非番さ。だからいつも足腰を鍛えるために坂登りしてるんだ」

「それいいな! 後でオレもやってみる!」

「食い終わったらどっちが先に坂を往復できるか競争するか?」

「おぅ!」


 そして、レオ同様筋肉馬鹿で負けず嫌いだ。まだ食事処に着いてすらいないのに、食後に坂の登り降り競争の約束をした。


「着いたぞ、魔物肉を専門に扱う大衆食堂だ」

「……うーん、魔物肉かぁ」


 案内された店を見て、エマが少しがっかりした様子で肩を落とした。


「ん、もしかして苦手だったか?」

「ううん、冒険者だから食べるときはあるよ。でも、最近ヴァルトエーバーの肉を手に入れたばかりだからなぁ」


 猪肉を干したものが加わり、旅のご飯が豪華になったばかりで、さらに魔物肉を食べたいとはあまり思わない。


「ソイツは森の恵みだろ? ここで食えるのは海の恵みだ。魚とか貝とか魔物化した奴を適切に処理して提供してるのさ。魔物肉に飽きた人にもお勧めできる逸品だ」

「そこまで言うなら食べてみようかな」


 エマは魚介類が出されると聞いて興味を持ったようだ。ヨハンの後に続いて、私達も店に入る。


「いらっしゃい。って、ヨハンじゃないかい? よく来たねぇ」

「よぅ、カミラ。今日はコイツらも一緒だ」

「見たところ旅の冒険者かね? ここでは南部にしか出没しない魔物を加工した料理を出してるよ」


 出迎えてくれたのは、猫の耳と尾を生やした獣人の女だった。後でヨハンに聞いた話によると彼女は元冒険者で、自分が好きな海の魔物をどうやったらさらに美味しくなるのか追求したらしい。引退後、海の魔物を食べられる店を開業したのだそうだ。


「わぁ、エビがプリップリで美味しい! レモンの香りもいいね」

「この魚旨いな! ちょっと見た目怖いけど」

「一見、何の変哲のない焼き魚。脂がのってて美味しい。でも、立派な歯だなぁ」

「おかわり!」

「あいよ!」


 見た目がおどろおどろしかったり、鋭利な歯や毒袋を持ったものもあったけれど、身体を害するものは除去され味も昨日ヨハンに勧められた店と遜色ない美味しさだった。


 その後もヨハンが街を案内してくれて、一日中歩き回ってへとへとだった。そんな私達に案内された場所は、


「温泉?」

「あぁ、潮風にさらされると毛がボサボサになるからな。一日の汚れをお風呂で落とすんだ」


 この地域では風呂文化が根づいているらしい。他国から海を渡って流れついたものだとか。

 私達も一日の汚れを落とすために井戸から汲んだ水を全身にかけることはあるけれど、風呂に入るのは初めてだ。けれど、男女混浴であることにエマが赤面した。


「カイ達は先に入っていいよ。あたしとソフィは後から入るから」

「じゃあ、遠慮なく入ってくるよ」


 カイとレオ、ヴェラットは風呂場に行ったけれど、私とエマ、それからヨハンはその場に残っている。


「ヨハンさんも先に入っていいよ」

「男女別で入る必要あるか? 見られたくないところは布で隠せばいいし……」

「いいから早く行って!」

「お、おぅ」


 エマの気迫に逆らえず、ヨハンも風呂場に行く。私は男子と一緒に入っても気にならないけれど、エマを一人置いていくわけにはいかないのでその場に残った。

 しばらく無言で風呂場を見つめていたエマだけれど、ぽつりと私にしか聞こえないほど小声で言った。


「あたし、カイのことが好きなの」

「知ってる」

「だから……ってどうして知ってるの!?」


 目を丸くして私を見た。そこまで驚くことだろうか。


「見ていればわかる。周りの皆も気づいてるんじゃないの?」

「そ、そんなにわかりやすかったなんて……」

「あ、カイは気づいてないかもしれない」


 カイにとってのエマは太陽のような存在らしいけれど、エマにとってのカイがどんな存在かは知らない。カイはエマの好意に気づいていないだろう。逆も然りだけれど。


「……まぁ、そういうわけで裸を見られたり見たりするのが恥ずかしいの」

「孤児院では日常的に見てたと聞いたことがあるけれど」

「勘違いされそうなこと言わないで。着替えや水浴びを同じ部屋でしてただけ。それに、周りの目が気になる歳頃でもなかったし」

「はぁ」


 今のエマは十七歳だ。周りの目が気になるのも当然かもしれない。

 結局男子が帰って来るまで風呂はお預けになった。風呂場には知らない男の人もいたけれど、布で隠していればそれほど気にならないようだ。


「あぁ、さっぱりした!」


 初めての風呂で汚れを洗い落としたエマは、夕日を浴びて輝いているように見えた。昨夜予約した宿に戻り寝具に寝転がる。明日はフリートベルクを目指す旅の再開だ。

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