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プロローグ 狼集団

 私は知らない。自分が何者なのか、どこから来たのか。

 私は知らない。親が誰なのか、どんな血筋なのか。

 私は知らない。自分の本当の名前すらも……。


 断片的に覚えているのは、燃え盛る建物。

 あの日私は全てを失い、今の仲間と出会った。


「ソフィ!」


 仲間がつけてくれた名前、私はそれしか知らない。

 だから知りたいと思う。本当の自分を、本当の母親を。


 これは全てを失った私が記憶を取り戻し、一人の魔女として生きていく物語だ。



✻✻✻



「きゃっ、狼!? それにしては大きいような……」


 私達は中級冒険者パーティー「狼の集い」。

 いつものように拠点である王都に近い森で魔物討伐をしていた。

 けれど、今まで遭遇したことのない魔物が行く手を阻み、気がつくと包囲されていた。


 遭遇は初めてだけれど、冒険者ギルドにある魔物について描かれた本の挿絵で見たことがある。

 あれは……


「銀色が混じった灰色の毛、赤い目、狼より一回り大きな体……間違いない、グラオヴォルフだ!」

「うそ!?」


 上級冒険者パーティーが束になっても討伐が困難とされる魔物、グラオヴォルフ。

 一体でも危険なのに、それが五体もいる。


 それに、魔力感知が得意な私は、近くに同じ個体が四体潜んでいるのを感じ取っていた。

 合計九体、勝算がないのは勿論のこと、全滅すらありえる状況だ。


「ソフィ、救援信号を出してくれ!」

「もう放った」


 私は真っ先に魔法で土の球を生成し、上空に放って破裂させた。

 救援要請、けれどそれに応えてくれる人はいるのだろうか。


 近くに冒険者がいたとしても、相手の正体がわかれば逃げ出すだろう。

 助けに入ったところで無駄死にするだけ、ならば街に戻って戦える人を呼ぶべきだ。


 けれど、私達は囲まれているから逃げることもできない。

 そんな絶望的な局面でもリーダーのルドルフは大剣を構えた。


「よぅ、俺達は『狼の集い』。どっちが本物の狼か、決着をつけようぜ」


 無造作に伸びた銀髪と昏く淀んだ赤い瞳は、奇しくも相手の色と酷似していた。


「おりゃあ!」

「ふん!」


 前衛の二人が各々の武器で攻撃する。けれど、刃は通らないし打撃が効いているようにも見えない。

 私も杖に魔力を込め、土の球や土の矢、槍などで援護するが、いずれも強靭な毛に阻まれて傷一つつかなかった。


「なんだよコイツ、蹴っても殴ってもびくともしないぜ!?」

「剣も同様だ。……魔女なら有効打の一つくらい見つけろよ」


 ルドルフが私をチラリと見て毒を吐く。

 私に向けられる視線には殺意が籠もっていて、彼がいかに魔女を嫌っているのかがよくわかる。

 けれど。


「ソフィ」

「あン?」

「私が魔女かどうかはわからないけれど、一纏めにしないで。私は私、他の誰でもない」


 魔女だからこうと勝手に決めつけられるのは気分が良くない。

 人間は誰しもこういうものと決めつけるのと同義だ。個性を尊重すべきだろう。


 私の指摘にルドルフは舌打ちをし、グラオヴォルフに斬りかかった。

 けれど、途中で剣が止まる。毛が硬くて斬ることができないのだ。


「ソフィ、砂埃で視界を奪うのは……」

「狼型の魔物は嗅覚が優れているから、意味がないでしょ」

「あの毛をどうにかしないと……水で濡らすのはどうだろうか?」

「あの数を濡らすだけの水をどうやって用意するの? 私は水魔法を使えないし、もう一人は回復魔法で手一杯」

「……みたいだね」


 頭脳兼盾使いのカイは小柄で細身だ。魔物の攻撃を正面から受け止めるのは難しいけれど、冷静に魔物を分析して弱点を見つけてくれる。

 けれど今回は相手が強すぎて対抗策が浮かばないようだ。


 唯一の救いは、グラオヴォルフが積極的に襲ってこないことだろうか。

 私達の様子を窺っているのか、弱ったり隙を見せたりするのを待っているのか、いつでも倒せるから油断しているのか。


 理由はわからないけれど、そのおかげで回復が間に合っている。

 けれど逃がすつもりはないようで、包囲網が緩むことはない。このままでは私達の体力や魔力が尽きて敗北するだろう。


「クソッ……」


 ルドルフの苛立った声に呼応するように、彼の体内で魔力が暴れ出す。

 魔力が身体中に巡り、腕や脚の筋肉が盛り上がる。


「これでも喰らえ!」


 ルドルフの渾身の一撃がグラオヴォルフの首を両断……しなかった。

 負荷に耐え切れず、大剣が折れてしまう。


「なっ!?」

「兄さん、危ないっ!」


 ルドルフが折れた剣に気をとられているところに、グラオヴォルフが迫る。

 カイが叫んだけれど、回避が間に合わず足に噛みつかれてしまった。


「ぐわあぁぁぁ!」

「兄さん!」

「アニキ!」

「ルドルフ!」

「リーダー」


 絶叫する彼を助けに行きたいけれど、その余裕はない。

 盾使いのカイは二体のグラオヴォルフに押し倒され、武闘家のレオは闇雲に拳を振るい、回復魔法使いのエマは捨て身の攻撃をするレオの治療にかかりきりになる。

 そして私は、一体のグラオヴォルフに狙われていた。


「土の壁」


 壁をせり上がらせるも突進で破壊され、


「土の礫(つぶて)」


 破片を飛ばすも傷一つつかず、


「土の穴……っ」


 落とし穴を作るも飛び越えられ、


「土の棘」


 鋭利な棘を突き出してようやく進行を止めることができた。


「すごいよ、ソフィ! “まじょさん”みたい!」

「魔女さん?」


 エマの興奮した声に振り返ると、カイと相手していた内の一体が彼女に迫るのが見えた。


「エマ、後ろ」

「え? きゃあぁぁぁ!」

「エマっ!」


 エマの悲鳴にカイが跳ね起きる。盾でグラオヴォルフを殴って、彼女の前に割り込んだ。


「エマには傷一つつけさせない」

「カイ……」


 小柄で頼りない背中だと思っていたけれど、今日だけは大きく感じた。

 それでもグラオヴォルフの攻撃を受け止めることはできないだろう。


 ルドルフに噛みついていた一体が加わり、合計四体のグラオヴォルフが私達三人を包囲する。

 彼らが動く前に攻撃をするには、杖に魔力を込めていては遅い。

 無意識の内にそう判断した私は、手から直接魔力を放った。


 本来はただの魔力攻撃。

 なのに、放たれた魔力は炎になって燃え上がり、私達を守るように広がった。 


 突然の炎にグラオヴォルフが初めて後退り、包囲網に穴が空いた。


「皆、逃げて!」

「お、おぅ!」


 呆気にとられていたのは仲間達も同じだけれど、私の一声にはっとして走り出す。

 ルドルフは自力で走れそうにないのでレオが担いだ。


 振り返ってもグラオヴォルフは追ってこない。

 けれど、


「増援が来る」

「へっ?」


 茂みに隠れて機を窺っていた残りの四体が進行方向を遮った。

 獲物を逃がす気はなさそうだ。


「っ!」


 不意に全身に怖気が走った。

 頭から血が引き、呼吸が止まる。


 今までに感じたことがないほど膨大な魔力。

 姿が見えないのに恐怖すら感じる。

 どこにいるかはわからない。全方位から睨まれているようにも目の前にいるようにも思える。

 得体の知れない何かが近くにいるのは間違いなかった。


 私は魔力が多い方だと自負しているけれど、今感知した魔力とは比較にならない。

 大人と赤子、天と地ほどの差がある。

 これほどの魔力の持ち主、もしかしたら……


「え、なんで逃げるんだよ?」


 レオの声に思考を遮られる。

 グラオヴォルフが何かに怯えたように尻尾を巻いて逃げ出していった。

 拍子抜けしたような顔をするレオ、そっと肩を下ろすカイ、「よかったぁ」とその場に座りこむエマ。


 誰もあの魔力に気づいた様子がない。

 今は私も感じないけれど、背中に残るべたついた汗と鳥肌の立った腕が気のせいでないことを告げていた。


「ソフィ、どうしたんだい? 顔色が悪いように見えるけど」

「いつも通りじゃねーか? ってか、コイツが顔色変えることあるんか?」

「鈍感なレオは静かにしてて。……ソフィ、大丈夫? 具合が悪いの?」


 カイとエマが心配した様子で私の顔を覗き込む。

 あの魔力についてどう説明すればいいか考えていると、何かが近づいてくるのを魔力感知が拾った。


「誰か来る」


 金属同士がぶつかり合う音を立てながら現れたのは、騎士団の人達だった。


「救援要請をしたのは君達か!?」

「魔物は……今はいないようだな」


 ようやく危機が去ったのだと実感した途端、体に力が入らなくなってその場に崩れ落ちてしまう。


「ソフィ!?」


 駆け寄る仲間達の姿がかすむ。

 体内の魔力がほとんどない。

 身体が芯から冷えていく。これが噂に聞く魔力枯渇かと思いながら、私の意識は落ちていった。


 初めてのはずなのに既視感を覚えるのは何故だろう。意識を失う寸前、そんなことを考えた。




 目が覚めたのは二日後の朝だった。


「ルドルフ、パーティーを抜けちゃったの」


 仲間からルドルフがパーティーを抜けたことを知らされた。

 夜明けと同時に南門を出て、その後の足取りは掴めていないらしい。


「あたし達が『狼の集い』と呼ばれるようになったのはルドルフがいたからなのに……これからどうすればいいの?」


 私が気を失っていた間の出来事を話したエマは、そんな弱音を吐露した。

 いつも前向きで天真爛漫な笑みを浮かべている彼女はどこにもいない。


 ご飯作ってくるね、と弱々しい声で言って部屋を出ていくエマ。

 けれど、私が食卓につく頃には笑顔が戻っていた。


「ソフィ、海に行こうよ!」

「は?」

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