表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
96/108

16.夜明け

「それであの、どうなったの?」

 雪菜は上目遣いに問うた。その顔を可愛いなと思いながら、涼は首をかしげた。

「どうって?」

「だから、結婚」

「あ、そうだった。いいんだろうか」

「私は最初からいいって言ってるじゃない」

「でもあれだよ? 義理とはいえ死神が兄で、核が甥ってことになる。僕も地獄で番人やってた男だし、いいの?」

「そう言われるとちょっと敬遠しちゃうけど、あなたのことは好きだもの。しょうがないわ」

 また可愛いこと言ってると思いつつ、涼は照れて視線をそらせた。

「物もまともに見ることができない男だよ?」

「そんなの気にしない。今までだって何も気にしなかったわ——あ、でも、どうして地獄で働いてたの?」

「ああ、それはね、どういうわけか地獄だとまともに見えるから」

「なによ。すごく真面目な動機じゃない」

「そう?」

「そうよ」

 そんなこんなで、二人はめでたく挙式することになったのだが、話が広まると職場で少し変化があった。「少し」と言うのは、以前からその傾向があり、それに拍車がかかっただけだからである。

「雪菜様だって? どうやって取り入ったんだか」

「そんな暇があったら、もっと仕事をこなしてもらいたいねえ」

 仕事が遅いという点での陰口はいつも叩かれていたが、ここへ来て文句の種類が増えたのだ。世界が反転して見えるせいで、人一倍努力しても七割程度の仕事量しかこなせない彼の痛いところである。天位五という立場は尊重してもらえるものの、「実力が伴わない」とすぐに揶揄されてしまうのだ。

「仕事の要領は悪いくせに、女の扱いは上手いとみえる」

 そんな厭味と共に渡された書類を黙って受け取り、涼はうつむいて仕事をした。自分は言われ慣れているからいいが、そのうち雪菜にまで火の粉がかかるのではないかと思うと、心配になっていた。

 だが結婚の話はトントン拍子に進み、会場の設営も順調で、あっというまに当日を迎えた。

 その日。涼は新郎席にいながら顔を引きつらせていた。雪菜の友人席に上位天位者や神界人のそうそうたる顔ぶれが並んでいるのは当然なので仕方ないとしても、自分の親族席に沙石一家がいるのはやはり異様だったからだ。最初は紹介してもらえないことに腹を立てていたが、こうなってみると赤の他人のふりを貫いたほうが良かったかもしれなかった。

 しかも特別な日だからと贅沢に使っているロウソクは、地獄から調達したものである。燭台に乗せているとはいえ、そのロウソクの連立は見慣れた景色に見えた。それこそ地獄で式を挙げているような錯覚を憶える。

 おまけに克猪の実弟であることを知らなかった多くの者が唖然としているのを見て、涼は居心地が悪くなり、思わず雪菜に小声で謝った。

「なんか、ごめんね」

「……なにが?」

「いや、せっかくの式なのに、妙な雰囲気で」

「そう? 私は気分がいいわ」

「え?」

 涼がやや驚いて横を向くと、雪菜はまっすぐに前を見たまま微笑んでいた。涼は皆が「自分のように無能な男が沙石家の一員であることを信じられないでいるのだろう」と思ったが、雪菜には分かっていた。「克猪や沙石と等親の近い涼が只者であるはずがない」と恐れていることを。

 雪菜は障害のことを知らなかったが、涼が誰よりも真面目に努力していることを知っていた。その姿勢はいつもまっすぐで誠実だった。ゆえに仕事の要領が悪いという部分だけとらえて馬鹿にしていた者を疎ましく思っていた。「なぜ彼らは理解しないのか——」と。

 しかし彼らは今、当惑しつつも理解したはずである。仕事の要領を得ないのは、何か特殊な能力のためではなかろうか。そうでなければ天位五という枠に収まっているはずはない。否、そう考えれば地位と見合うではないか、と。

 実際は物の見え方が特殊なせいで仕事の要領を得られないのだが、雪菜は彼らの誤解を良しとした。彼は自らの欠点を克服すべく努力した人であるから、相応の評価を得て然るべきだと思うからだ。

 雪菜は言った。

「あなたは天位五にふさわしい神よ。胸を張って」


***


 そのころ泰善はシュウヤを連れて地獄に来ていた。ロウソクをごっそり持って行かれているのには驚いたが、今は不必要なものなので、とりあえず目をつむった。

「ここで何するんだ?」

「ここは負の力のみで構成されている。現在の天上界に足りない力だ」

 シュウヤは眉をひそめた。

「それで?」

「天上界に吸収させる」

「——え? そんなことして大丈夫なのか?」

「理の螺旋をいじるよりは安全だ」

 シュウヤは青ざめて、こめかみに冷や汗をかいた。

「そこが基準?」

 泰善は苦笑いした。

 元理想郷の世界に負で構成される世界を組み込むという技を試したことがないので、結果がどうなるか分からないからこその基準である。予想に反して簡単か、想像以上に困難か——しかしそれでも理の螺旋に触れるよりは安全だと断言できるのだ。

「足りないものを補う。それしかできないのが現状だ」

「もし、それでもダメだったら?」

「回収する」

 シュウヤは悲愴な顔をした。泰善はまた世界が負う傷を請け負おうというのだ。死には至らないが死んだほうがマシと思えるほどの苦痛を受ける覚悟なのである。

「危険……なんだろうな」

「おそらく、失敗は許されない」

「思い直してやめるって選択はないのか?」

「綿密な計算をしてイメージトレーニングもした。基盤はできている」

 なるほど、そのための「考える時間」かと、シュウヤは納得しつつもうなだれた。界王の想像は具現化する。一粒の砂ですら泰善の思考によって生まれた。天上界のみならず、全ての世界の構造を熟知しているのは泰善のほかにいない。ゆえに地獄という異世界を天上界へ吸収させるための基礎は想像の段階でやっておかなければならないのだ。

「俺を連れて来たってことは、失敗した時に何かすることがあるからだろ?」

「もちろんだ」

「何」

「負担の量が分からない。身辺に究極浄化の神域を作っておいてくれ」

 つまり深手を負った場合の治療役に回れということだ。この世の全てを創造した男の台詞としては随分と慎重で頼りない。これは自分も相当の覚悟で臨まなければならないだろうと、シュウヤは気を引き締めた。


***


 それからまもなくして、宴もたけなわな披露宴会場の空気が一変した。世界の異変に真っ先に気付くのは核だ。中でも天上界の核の中心的立場にある沙石は背筋に悪寒が走るのを感じて、けたたましく席を立った。

 椅子の倒れる音に驚いて肩を揺らした楓は、「何やってんのよ、もう」と注意したが、沙石は一点を見つめたまま動かない。

「ちょっと……大丈夫?」

 隣に座っていた麗が尋ねると、沙石はわずかに唇を動かして言った。

「なんだ、これ」

「え?」

「何かが近づいてる」

 するとほかの核も、急に立ち上がって背筋を伸ばした。

「あ、ホントだ」

 と妝真が言い、

「なんでしょうね、一体」

 と大龍神が相槌を打ち、寅瞳は真っ青になり、桜蓮は不安そうに視線を泳がせた。

 彼らの疑問に答えたのは本日の主役、沙石涼だ。

「地獄だ」

 その一言に皆の視線が集まった。

「地獄が引っ張られてる」

「それ、本当なのか?」

 沙石が聞くと、涼はうなずいた。

「間違いない」

 涼は負のものに敏感である。地獄の番人として長年培った勘だ。それでなくとも、底なしの闇、慟哭と苦悩、灼熱と極寒の世が放つ気は邪悪に満ちている。分からないはずはなかった。

 その時、テーブルの上の物が小刻みに震え始めた。地震だ。それは小規模だが長く続いた。二分経ち、三分経ち、五分経ってもおさまる気配を見せない。グラスや皿がぶつかり合う音が会場を支配し、人々の顔は緊張に固まっていた。

 重い空気を破るように声を発したのは沙石だ。

「地獄って、今どうなってんだ?」

「無人。何もないよ。ロウソクもいただいたしね」

 涼が何気に燭台を指差すと、沙石はギョッとし、燈月がサッと青ざめた。

「おい、まさかこれが原因じゃないだろうな」

 燈月の指摘に、涼は肩をすくめた。

「まさか」

 答えた瞬間、ドンッという音を立てて突き上げるような大きな揺れが襲って来た。みな反射的にしゃがんで身を守ったが、揺れが大きかったのは本当にその一瞬で、あとはシンと静まり返った。

「止まったのか?」

 沙石が恐る恐る立ち上がって見ると、会場の端にぽっかりと暗い穴が開いていた。直径二メートルほどの円で、ゆっくりと回転しているように見える。

「あれ何だ?」

 誰に問うでもない沙石の言葉に、近くにいた克猪が視線を追って目に留め、答えた。

「ブラックホールだ」

「ぶ、ブラックホール?」

 沙石は驚き、ブラックホールを凝視したまま後ずさりした。すると上空の遥か彼方から声が降り注いだ。

『親愛なる地の底の管理者よ、その矛をもって凶を貫け』

 沙石は空を仰いだ。

「この声、界王ってやつの声じゃねえか?」

「なんだか分からないけど、仕事しろってことだろうね」

 涼は言って新郎席から離れると、その手に矛を召喚した。黒曜石製の禍々しき形の矛である。常人は無論、高い天位を持ってもそうそう簡単に扱える代物でないことは一瞥で分かる。邪悪なる者を封じ毒を制する一方、この世に災厄を解き放つ力を秘めた恐ろしい矛だ。そのような矛をやすやすと召喚して手にしている涼は、死神の実弟にして核の叔父であるに違いなく、周りをおののかせた。

 涼は意識を集中し、ブラックホールの中心に勢い良く矛を突き立てた。と、そこから凄まじい光が放たれ、中から腕が伸びて来た。腕の主が矛をつかむと涼はギョッとして怯んだが、『引け』という声が聞こえたので素直に引いた。

 矛先と共に現れたのは、声の主とシュウヤである。二人がブラックホールから出て来たことも当然驚きであるが、最も驚くべきは、やはり声の主の美貌であろう。漆黒の艶と至高の輝きを有する常軌を逸した美しさだ。

 矛を引いた涼は完全に硬直し、周囲は石化した。そんな中、シュウヤが呑気に尋ねた。

「この穴どうすんだ?」

「放っておいても自然に閉じる」

「まさかこの年でブラックホール通るとは思わなかった」

 もはや何事もなかったかのような会話をする二人に突っ込んだのは、沙石だ。

「何やってんだテメエら! 説明しろ説明!」

 泰善は首を少しかたむけ、面倒そうに答えた。

「天上界の構造を修復する目的で地獄を使った。上手くいったから、それほど衝撃も影響もなかっただろう?」

「じ、地獄使ったって?」

「これだけの闇に覆われても、理想郷を成した天上界は圧倒的に負の力が足りない。ゆえに補ったのだ。バランスの悪い世界が流動する理の中で存在し続けるのは難しいからな」

 沙石は溜飲を下げて泰善を見つめた。

「そんなに安定してなかったのか?」

 泰善は無言で見つめ返した。それが答えである。

「また一人で請け負ったんじゃねえだろうな?」

 踵を返し去ろうとしていた泰善は、軽く手を振った。

「上手くいったと言っただろう」

 その背を見送ってしまうと、沙石は大きく舌打ちした。

「それって、上手くいかなかったら請け負うつもりだったってことじゃねえか、くそっ」


***


 その晩。

 天上界の人々は崇めるように空を仰いだ。この日ばかりは、みなこぞって屋外へ繰り出した。六億年のあいだ失われていた星空が蘇ったからだ。

 誰よりそれを待ち望んでいた永治もベランダに立ち、静かに空を見上げた。強く輝く星と、細かに散りばめられた星屑の群れ。深い闇の中に煌めく光の大河は、この世を描いた界王の愛に満ちている。

「綺麗だね」

 光治の言葉に永治はうなずいた。

「ああ、美しい」

「俺ね、浄真界でもこの空を見て思ったんだ。兄さんの言う通り、流転の世界は素晴らしいって。つらいことも悲しいこともあるけれど、それを全部飲み込んでくれる愛がある。この世が美しいのは、すべての人が界王に愛されている証なんだって」

「そうだな」

 そして人々は夜明けを見た。水平線から昇る朝日は眩しく、空は真っ青で、流れる雲が白く輝いている。生命が目覚め、息をし、魂を燃やしはじめたことを誰もが感じた。このように生き生きとして美しい世界をなぜ捨ててしまったのか、と後悔するほどに——

「見て、虹だ」

 光治が指差すほうを見て、永治は夜明けの空気を胸一杯に吸い込んだ。

 青空にクッキリと描かれる虹。それは近年の嵐を耐え忍んだ者への褒美なのだろうと永治は思い、完全に消えてしまうまで見つめ続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ