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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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12.大いなる愛

 核一同が戻って来るのを、十九階へ続く階段下で待っていた帝人、燈月、空呈は、全員が肩をそろえて下りてきたのを見て、驚きと安堵の表情を浮かべた。

「よく無事だったな」

 帝人は沙石の腕を軽くつかんだ。沙石は暗い顔でため息ついた。「そりゃそうだよ」と言いたいのを必死にこらえているのだ。痛みは全部、青衣の男が引き受けているのだから、無事で当たり前だと。しかしこれ以上深刻な災害をもたらさないためにも、口をつぐむしかなかった。泰善には強気な態度を取ったが、その意向を無視することもできなかったのだ。

 対する帝人は訝った。説明は下手くそだが、沙石は寅瞳と違ってなんでもかんでも思ったことや起きた出来事は必ず話す。ゆえに、ひと言も発しないことに違和感を覚えた。

 帝人はほかの核にも視線を流し、その心を窺った。だが不可視になっている。青衣の男はよほど帝人の透視能力を警戒しているのか、それとも仲間内で疑心暗鬼に陥ることを期待しているのか、と疑った。だが沙石の性格は心得ている帝人だ。黙って引き下がるつもりはなかった。

「何も答えないところをみると、相当なことがあったようだな」

 腕をつかむ手に力を込めて問うと、沙石はギクリと肩を揺らした。

「私にも言えないことなのか」

 沙石は帝人の目をまっすぐに見つめた。旧天上界の頃から数えると、恐ろしく長い年月、苦楽を共にした友人である。欺くべきではないと、沙石の心は大きく揺れた。

 そこへ大龍神が割って入った。沙石の苦悩を察して助け舟を出したのだ。

「結晶石を——提示されたのです」

 帝人は目を見開いた。

「……なんだと?」

「青衣の男は、従えば猶予を与えると。その約束を果たすために我々を呼び出したのです。結晶石によって我々の加護の力を解放し、これから起こる災害を緩和させる機会を与えようというわけで」

 帝人は沙石を見据えた。

「そうなのか?」

 沙石は目を泳がせた。大龍神がギリギリ嘘ではない言い訳をして取り繕っても、動揺は抑えきれなかったのだ。

 朱の紋様のことも、結晶石のことも、男の真の目的についても、そして理想郷確立の真実も——すべてが胸をえぐるように痛い。

 沙石は拳を握り、必死に悲しみを押し殺そうと抗った。だが目頭が熱くなる一方で、耐えきれなかった。

「沙石様」

 寅瞳は心情を察して声をかけた。しかしそれがかえって張り詰めていた心の糸を切ってしまったようだ。沙石の目から涙が溢れた。

「こんなの……間違ってる」

 沙石はまっすぐ前を見た。

「オレたちは、何のために生きてんだ? こんなに胸が痛いのに、どうして生きることに執着するんだ? こんな想いするくらいなら、理想郷なんて夢見るんじゃなかった」

「沙石」

 帝人は驚き、当惑した。

「一体、何があったんだ。正直に話せ」

 沙石はゆっくりと、帝人に視線を戻した。理想郷を確立した男である。その罪に対する苦しみと悲しみは己のつらさの比ではないだろう。そう思うとまた、青衣の男が記憶や歴史を改ざんした意図が見えてきて、悲しくなった。

 五人の核の心をとらえたあの男が、神々に愛されていなかったはずはない。だからこそ忘れなくてはいけなかったのだ。単純に流転の理を排除するためだけでなく、未来永劫消えない傷を覆い隠すために。理想郷を確立する者の心を救うために。

「なあ、オレたちはもっと選べたんじゃねえか? あいつがオレたちのために死を選んだように、オレたちも——」

 沙石はそう言いかけて、ふと脳裏にチリチリとした感覚で記憶が蘇るのを感じた。ほんの断片であるが、今ある気持ちとよく似た感情だった。

「やっぱり忘れられない。忘れたくない」という想いを、青衣の男にぶつけている。それはいつのことだったか分からないが、確かに訴えている自分がいる。何かほかの方法があるはずだという気持ちを捨てきれずに。

 沙石は勢いよく振り返り、階段を駆け上がった。突然の行動にみな一瞬唖然としたが、すぐに慌てて追いかけた。

「どうしたんだ!? おい! 止まれ!」

 帝人の制止も聞かず、沙石は最上階まで一気に走って、まだ自分の部屋にいるはずの青衣の男をつかまえるため、けたたましくドアを開けた。

 すると青衣の男は左腕の袖をまくった状態で長椅子に横になっており、シュウヤがその腕に両手を乗せていた。シュウヤは体勢を崩さないまま振り返り、沙石とその後ろの連中を怪訝そうに見やった。

「なんだ? うるさいな」

 沙石は頭にのぼった血を少し下げた。

「何やってるんだ?」

「痛みを緩和してるに決まってるだろ? おまえらが調子に乗って請け負うから」

「そいつが引き受けてんの知ってたら、やらなかったぜ!」

 沙石の怒鳴り声で、泰善がふっと目を開けた。眠っていたらしく、まだ眠そうな目で視線を流す。その様子の美しさに空呈と燈月は一瞬で石化し、帝人は息を止めた。

「……どうしたんだ?」

 泰善が気だるそうに問うと、沙石は背筋を伸ばして答えた。

「今さっき、ちょっとあんたのこと思い出した」

 泰善は右手の甲を額に当て、軽く目元を隠した。

「それはマズイ。第二居住区と第三居住区の間にも境界を設けるか」

「それってどういう効果があんの?」

「流転の理が波及するのを遮断できる。だが万能ではない。天上人の意識がこちらへ偏れば流転の理は力を増し、停止の理は崩壊する。だからといって境界で遮断し続けると流転側と停止側の圧力の差が生じて、大地が割れる。とても危険だ」

「どうにかなんねえの?」

「やってはみる。お前たちの加護の力を利用すれば、最悪の事態は避けられるだろう」

 沙石は少しホッとして、しばし何か考え込み、再び口を開いた。

「核を治癒できるんだったら——つーか、そもそもその右目が結晶石と同じ働きをするんだったら、あんたも加護の力、持ってんじゃねえの?」

 泰善は右手を額からのけて、沙石を睨んだ。そこでようやく帝人、燈月、空呈の存在に気付き、身を起こした。

「どうしてその三人を連れて来た」

「え? あ、悪い。夢中で駆けて来たから」

 沙石は頭をかいた。つまり無頓着だったというわけだ。

 泰善は、帝人、燈月、空呈の順に見据えた。三人は凄まじい美貌を前にして思考をほぼ停止させていたが、朱の紋様には注目していて、沙石が何に対して傷つき、涙を流していたのか悟っていた。ゆえに言葉も失っていた。

 泰善にとっては絶望的な状況である。天上界における最重要人物のほとんどが己に対する敵意を喪失したのだ。たとえどんなに流転の理を抑え込み、核の加護の力を利用しても、停止の理の崩壊は止められないと判断せざるをえなかった。

 泰善は沙石に視線を戻した。

「やれるところまではやる。だがどうにもならなくなった時には、ここに残さなかったものを残そう」

 沙石は首をかしげた。

「残さなかった……もの?」

 泰善はゆっくりうなずいた。

「ただし、あまりお勧めできない。避けられる道なら極力避けよう」

 ちょっと期待した沙石は、ガクッと肩を落とした。

「なんで? それでどうにかなるんだったら、してくれよ」

「手の施しようがないという段階で使うものだ。避けるに越したことはない」

「あ、まあ、そうかな?」

「そうだ。とにかく、話はこれで終わりだ。さっさと出て行け」

「なんでだよ。せっかくだから帝人にも、あんたのこと分かってもらおうぜ?」

「相変わらず馬鹿だな、お前は」

「んなっ! なんだよ!」

「敵対しろと言ってるのが分からないのか」

「それはできねーって言っただろ!?」

「帝人は最高位だぞ。影響力を考えろ。停止の理を維持する最後の砦だ。俺が制圧したらおしまいだろう」

「オレは帝人を欺くような真似したくねえ。間違ったことなんか、絶対やらせたくねえんだよ」

 泰善はため息をついて立ち上がった。一九四センチという長身の中に惜しげもなく費やされている美が視界にあらわになると、みな身体を強張らせ、足を踏ん張った。気を失いそうな衝撃に耐えるためだ。

 そんな中、泰善は迷いなく帝人に歩み寄って、胸ぐらをつかんだ。

「俺が排除されるか、貴様らが昇華するか。ただそれだけの問題だ。痛みは切り捨てろ。情は完膚なきまでに殺せ。罪は俺が許せば許される。傷は忘却によって消し去られる。俺は理想郷を得るための過ちを認めると言った。今もその心に偽りはない」

 真正面から見据えられた帝人は、異なる輝きを放つ両眼に魅入られ、綴られる言葉に支配された。表面上は乱暴だが、言動のひとつひとつに込められているのは寛大さと愛だ。そして胸ぐらをつかむ力強い右腕とは裏腹に、荷物のようにぶら下がっている左腕には、無数の朱の紋様がある。深い慈愛の心をもって他者の痛みを請け負わねば描かれることのない紋様が。

 このような悪はない——そんなただ一つの真実が、帝人の魂を揺さぶった。そして確信した。沙石を深く傷つけたものの正体を。

 帝人は己を拘束する泰善の右手首をつかんだ。

「見くびらないでもらいたい。理想郷確立の際に起こったことはまんざら覚えていないが、あの時、私は悟った。この世にはたったひとつ、命よりも重いものがあると。それを犠牲にして得る価値のあるものはないのだと」

 泰善は眉をひそめ、帝人はつかんだ手に力を込めた。

「それを取り戻すためなら、この命は消えてもいい」

 泰善が目を見開いた瞬間、空を裂くような爆音が鳴り響き、大地が揺れた。みなバランスを崩して転んだり尻餅をついたりしたが、泰善は立っていた。帝人もつかまえられているおかげで、なんとか姿勢を保っている。

 帝人は仰天しつつも、泰善を見据えて言った。

「素晴らしい平衡感覚だ」

「伊達に世の中を支配しているわけじゃない」

「なるほど」

「それより、よくも言ってくれたな」

「……なにを?」

「お前は俺のために死ぬと言った。最高位であるお前の意思は民の意思だ。だから俺は新世界を創造しなくてはならなくなった」

 それはシュウヤと交わした約束の執行である。「全ての民が自分のために死ねるというなら考える」という発言の力だ。民のことを思って理想郷を叶えた帝人なら決して選択しない道だと信じて、言霊が持つ効力を相殺しなかったため、成立してしまったのだ。

 一方、帝人は驚きのあまり唖然とした。

「新——世界?」

「どう考えても不可能な世界だ。そんなものをまともに動かすための方程式はおそらくない」

「方程式?」

「理の螺旋に記される文字だ」

「理の螺旋……だと?」

「この世のすべての源となる理、理を形成するための理だ。流転の理を停止させるとか、停止の理を流転させるなどという問題の比ではない。失敗すればあらゆるものが無に帰る」

「あらゆる、ものが?」

「俺を除く、すべてのものだ」

 そんな衝撃的な会話を恐ろしい揺れの中で聞いていたシュウヤは、奥歯を食いしばりつつも叫んだ。

「つか! お前でも失敗するのか!?」

「当たり前だ」

「それってどんな?」

「幼少期に、遊び半分に宇宙空間を創っていたら、とんでもないことになった。まあ、まだ要領を得ていなかったのが原因だがな。詳しくは言いたくない」

「こわっ! お前のガキの頃とかスゲエ興味あるけど、めちゃくちゃ怖い!」

「とりあえず今は、崩壊の進行を止めよう」

「ど、どこまで壊れた!?」

「今ので一気に流転の理に転じた。一刻を争う」

「策は!?」

 泰善は帝人を放して寅瞳へ歩み寄った。

「守護石を持っているだろう」

 寅瞳は床に身を伏せた状態でポケットに手を入れた。

「はい」

「出せ」

 守護石を受け取った泰善は、手の平に乗せた状態で腕を前に差し出した。すると守護石は紺色の光を放ち、徐々に大きくなっていった。数分後、直径二十センチ大の球体になると、今度はゆっくりと変色し、やがて淡い緑色の輝きを放ちはじめた。

 沙石、寅瞳、大龍神、妝真、桜蓮の五人は目を見開いて凝視した。

 それが結晶石の原料となる石であること、すなわち守護石は結晶石の欠片であることを知ったからだ。

 完全な結晶石へと変貌を遂げた守護石がひときわ強く輝くと、五人は自分たちの意識が泰善の眼から結晶石へ移ったと感じた。

「すぐに加護の力を波及させろ」

 彼らは表情を硬くして気を集中させた。

 かつてないダメージだ。もはやあらゆる大災害がいっぺんに襲ってきたというレベルを越える。大気が悲鳴を上げ、空が軋み、大地が砕けている。うまく加護が及ぶのか、癒しの力は働くのか——彼らはとても不安になった。が、泰善の左腕に目が行くと、泣き言など吹き飛んだ。朱の紋様が濃さを増すと同時に大気が次第に落ち着き、傷付いた大地が修復されていくのを感じる。何がおこなわれているのかは明らかだ。不安に思う暇があるなら、全力を尽くすべきだった。

 数十分後、ようやく揺れがおさまり皆が立ち上がると、泰善は天井に向かって声を張った。

「ナイル」

 すると天井をすり抜けるようにして青い鳳凰が飛来した。泰善が纏っていた青衣と同じ色の美しい鳳凰である。鳳凰は泰善が差し出した手の先で翼を広げた状態のまま静止し、泰善が、

「持っていけ」

 と言うと、翼を羽ばたかせ、長い尾に吸い付かせるようにして結晶石を持ち去った。

「……どこ持って行ったんだ?」

 しばし茫然と見ていた沙石が問うた。

「世界の中心に決まっている」

 泰善は答え、近くの椅子に腰掛けた。

「とりあえず今は様子を見る。核の力でどこまで維持できるかお手並み拝見といこう」

「え!? どうにかしてくれんじゃねえの?」

 泰善は沙石をジロリと睨んだ。

「この事態を招いた責任はお前にもある。新世界の目処がつくまで、どうにかもたせろ」

「いつつくんだよ」

「分からん」

「わ、分からんって! オレたちが折れたらどうすんだ!?」

「その時はさっき言った方法を使う」

「だから! それでどうにかできるんだったら使ってくれよ」

「お勧めできないと言ったはずだが」

「どうなるんだ?」

 泰善は沙石の質問を無視してシュウヤに向いた。

「シュウヤ、光治を迎えに行け」

「え? いいのか?」

「天上界は完全に流転の理に支配された。離しておいても無意味だ」

「分かった」

 ここで首をかしげたのは帝人だ。

「離しておくことにどういう意味があったのだ?」

 答えは、沙石が開けっ放しにしていた扉のほうから返った。

「説明は、俺がします」

 そこにいたのは、鷹塚永治だった。

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