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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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10.朱の紋様

 最近姿を見なくなった父親のことを、日頃クソ親父だと思っている沙石もさすがに気にした。沙石は二階にいる母・楓を訪ねて所在を聞いたが、楓は首を横に振った。

「知らないわよ? ていうか、女房ほったらかしてる旦那ってどうよ」

「そんなの知るかよ」

「あんたは麗ちゃん大事にすんのよ」

「してるって。つか大丈夫かよ、夫婦仲」

「ん、まあね。大丈夫じゃない? ああいう人だっていうのは分かってたし」

「どこが良かったんだ?」

「ルックス以外何かある?」

「聞いたオレが馬鹿だった」

 沙石はさっさと踵を返して立ち去った。その足で最上階にある克猪の部屋を訪れ、ドアを叩く。近頃ではこれが日課だ。

「おーい! いないのかよー!」

 とはいえ、返事があったことはない。不在は承知の訪問だ。

 ところが、この日は返事があった。

「うるさい。何度も来るな」

 ドア越しに言われた沙石はいっとき唖然としたが、じわじわ怒りが湧いてきた。

「てめえ! さてはずっと無視していやがったな!」

「それがどうした」

「どうしたじゃねえ! ふざけやがって! どういうつもりだ!」

「意見の相違だ。俺はここの連中と肌が合わない。むろん、お前ともな」

「だからって顔見せねえってどういうことだよ! 天位二だって自覚あんのか!」

「貴様に言われる筋合いはない」

「オレは自分にできることを一生懸命やってるし、てめえの息子だ。筋合いなら充分あるぜ!」

「一生懸命やればいいというものではない。ついでに断っておくが、お前を育てた覚えはない」

「あーそうだな! でも世間的にはガッツリ親子なんだよっ! てめえが出てこねえ理由は絶対オレに聞かれんの!」

「適当にはぐらかせ」

「やってたよ! でももう限界」

 一応ごまかしてはいたのかと克猪は感心し、しばしそんな息子のために思案した。だがここで自分の口から真実を話しても、絆や信頼など皆無に等しい間柄だ。何を言ってもいまいち説得力に欠けると思った。先にも述べた通り、育児は妻に任せきりで育てた覚えがないからだ。そこで、遠回しに助言することにした。

「核の活動について、俺と周囲の見解は相当に違う。そのズレを修正するにはどうすればいいか、考えている」

 沙石は瞬いた。

「へー、んなこと考えてたんだ。で?」

「俺が核に言いたいのは、治癒を施すことが本当に本人のためになるのか、よく考えろということだ」

「なるだろ? 元気なのが一番だ」

 克猪はこめかみが痛くなって唸った。

「この単細胞」

「なんだとこのヤロー」

「お前の考えが間違っているとは言わない。だが万人に適応すると思うな。時には怪我や病が魂を磨く試練となることもある。見極めが大切だ」

「……なんだよ。たまにマトモなこと言いやがって」

「今はとにかく、やたらと請け負わないほうがいい」

「なんで」

「理由を知りたければ、青衣の男を訪ねろ。俺が言えるのはそれだけだ」

 結局ドアは開かれないまま会話が終わった。沙石は妙な気分で髪をクシャクシャかきわけながら、寅瞳のところへ行った。


「——て、親父が言ってたんだけど」

 寅瞳は眉をひそめた。

「訪ねろと言われても、入れてくれないんじゃないですか?」

「だよな」

「それに、できることなら会いたくないです」

「だよな」

 そこで会話が途切れた二人は、しばらく目を点にして互いの顔を眺めた。そしてかなり間があいてから、寅瞳が反応した。

「え、もしかして行ってみようとか思ってます?」

「アハハ、なんかあんなふうに言われると気になるじゃん」

「ほかの方を誘ってくださいよ」

「却下されるに決まってんじゃん。頼むよー。オレ一人でもいいと思ってたんだけど、よく考えたら、なんかあってもいろいろ説明できねえし」

 寅瞳は大きくため息ついた。

「今回だけですよ?」

「悪いな」


 というわけで一応部屋の扉を叩いた沙石だが、中から返事はなかった。

「またこのパターンかよ」

「あ、でも鍵かかってないですよ? 入ってみますか?」

 寅瞳はノブを回して少し開けてみた。沙石はそれをちょっと意外に思って瞬きした。

「お前って結構大胆な」

「そうですか?」

 二人はひそひそと会話しながら中へ入った。居間には誰もいない。

「外出中ですかね?」

「不用心だな」

「奥に行ってみますか?」

「ここまで来たらな」

 二人は奥まで行って寝室のドアを静かに開いた。窓辺の近くに天蓋付きのベッドがある。そこに横たわる影が例の男だと直感的に悟った二人は、固唾を飲んだ。

「声、かけてみますか?」

「なんでだよ。寝てるんだったら、顔見てやろうぜ」

「え?」

「気になってたんだよな」

「目的変わってませんか?」

「いいのいいの」

 小声でやり取りし終わると、二人は忍び足で近づいた。が、その足はすぐに止まった。ベッドのカーテンは中央が少し開いていて、男の左腕が見えたからだ。

 おびただしいほど刻まれた朱の紋様。密集して描かれているのでパッと見分からないが、目を凝らすとひとつひとつの紋様に覚えがある。

 これまで核が請け負っては消えていった紋様だ。そうと分かるのは、その時々の怪我や病気の種類と程度によって、濃度と形が決まるからだ。核ならば、一度描かれたものはたとえ刹那でも目にすれば忘れない。どのように描かれるか観察し、これから請け負う際の参考にするという一連の流れを、ほとんど無意識にやるからだ。

 しかしどんなに似通った怪我や病気でも、紋様がまったく同じになるわけではない。参考になる程度には似るが、寸分違わず一緒ということは決してないのだ。もしそんなことがあるとするなら、いったん誰かが請け負った痛みをさらに請け負った場合だろう。だが核が核を治癒できない以上、それはあり得ない——はずだったが、男の腕に刻まれた朱の紋様は、そんな常識を覆していた。

 二人は絶句し、その場に縫いとめられたように動けなくなった。崖下に滑り落ちたとき無傷だったのは、停止の理が働いたおかげではないと確信したからだ。むろん、治癒活動においても同様である。

 憎たらしいセリフを吐いた男は、深い慈愛の心が必要な力でもって、人知れず核の痛みを請け負っているのだ。それが物語る真実は経験したことのない衝撃だった。

「……出よう」

 沙石は言って寅瞳の腕を引き、なるべく物音を立てないように部屋を出た。


 廊下を行きながら、沙石と寅瞳はしばらく無言だった。溢れそうになる涙を必死にこらえていたからだ。しかし自室のドアを開ける時、沙石は耐えきれずに吐き捨てた。

「ちくしょう」

 寅瞳は唇を噛んでうつむいた。

 克猪が伝えようとしていた真意があまりにも残酷で、二人はしばらく立ち直れそうになかった。

「あいつ、本当はオレたちを……」

 沙石が言いかけると、寅瞳が首を横へ強く振った。

「やめてください!」

 寅瞳の目から、こらえきれない涙がこぼれた。

「そうだとしても、どうすればいいんですか?」

「オレたちが騒いだってどうしようもねえんじゃねえか? 核の痛みを請け負うなんて尋常じゃねえことやるような奴だぜ?」

「……どうして敵対しなければならないんでしょう」

「それだな」

「え?」

 沙石は拳を握って胸を叩き、ニッと笑った。

「確かめようぜ」


***


 数時間後。

 沙石と寅瞳は再び青衣の男が占拠する部屋を訪れた。ドアをノックすると今度はシュウヤがいて、すでに何事か察しているように二人を招き入れた。

 青衣の男こと泰善は、頭部から全身を青衣で覆った上に黒い手袋という相変わらずな出で立ちで、一人用のソファに腰掛けていた。足を組んで肘掛に片肘を立て、顎のあたりに軽く指先を当てている。その傍らにシュウヤが立った。

 向かい合わせに立たされた沙石と寅瞳は、泰善の美と威厳を感じさせる所作と姿形に思わず見とれた。覆い隠していても隠しきれないものを感じ取ったのだ。が、

「……なるほど。見たんだな」

 と言われてギクリと肩を揺らした。

「か、勝手に部屋入ったことは謝るよ。や、つか、ここ光治の部屋だし。勝手に入ってんのそっちだよな?」

「そんなことはどうでもいい。貴様らの信念がブレているおかげで、流転の理を境界で断つのに苦労している。せっかく忠告してやったのに、どういうつもりだ」

「は?」

「流転の世は大いなる災いをもたらす。だから足掻けと言ったはずだ」

「も、もちろんそのつもりです。でも」

「でもはなしだ。俺はお前たちにとって厄以外の何者でもない。そこのところをよく理解しろ」

 沙石と寅瞳は得心のいかない顔で眉をひそめた。

「なんで? あんたが本当に災いだっていうんなら、人の痛みを……核の痛みを請け負えるはずねえだろ?」

「広義では善でも狭義では悪になることもある。俺は停止の理という限定された中では排除されるべき存在なのだ」

 沙石と寅瞳は半ば呆気に取られた。そういうことを堂々と宣言している時点で、すでに悪ではないと思うからだ。

「全然意味が分からないんですけど」

「だな」

 そんな二人の反応に、泰善は困惑した。

「どう言えば分かるんだ?」

 シュウヤは、苦笑いした。

「いや、理解してるだろ?」

「どこが」

「こいつらはお前のどこらへんが悪なのか理解に苦しんでるんだ。そりゃそうだよな。完璧に善なんだから。つまりお前の本質を理解したわけだ。敵だって認識させたいのは分かるけど、こうなるともう無理だろ」

「諦めるつもりか」

「だって可哀想だろ?」

「何が」

「分からないのか?」

「いや、お前が思っていることなら分かっている。だがそんな悠長なことを言っている場合じゃないだろう」

 するとシュウヤは表情を硬くして、泰善の前へ出た。

「場合とか関係ない。何が悲しくて憎まれなきゃならないんだ。何が悲しくて、おまえを憎まなきゃならない。みんなおまえに認められたくて天位を目指した。おまえがいいって言うから、理想郷を叶えた。それが真実だ。こんなことになったからって、わざわざ敵意を抱かせるなんてどうかしている。間違っている」

「それで?」

「そ、それでって……なんとも思わないのか!? おまえを悪だと信じて敵意を向けて、憎しみを募らせることが理想郷を守ることだとしても、たとえそれで守りきれたとしても、そうやって得たものに何の価値があるんだ? その罪も、傷も、自覚がないまま刻まれるんだぜ? そんな酷い話ってあるかよ」

 泰善は両手をそれぞれ肘掛に置き、力を込めて立ち上がった。

「ではどうしろと言うんだ。理想郷を崩壊させて昇華しろとでも言うつもりか。連中はもう死ぬことも生まれ変わることもできないんだぞ」

「だから! 奇跡を起こしてもらいたいんじゃないかよ! おまえにしかできないことなんだろ!?」

「簡単に言うな。できれば最初からそうしている」

「頼むから考えてくれ! おまえの見てきたものがこの世の全てなんだろ? だったら想像してくれよ。天上界の民がおまえと生きる、本当の理想郷をさあ」

 シュウヤの熱い訴えに、やや答えをためらった泰善は小さく呟いた。

「死を恐れないなら」

「……え?」

「全ての民が、俺のために死ねるというなら考えてみよう」

 シュウヤは一瞬言葉を失ったが、すぐに破顔一笑した。

「そんなの簡単簡単!」

「なに?」

「顔見せれば」

「見せて……どうするんだ?」

「え? 見せる……だけだけど?」

「は?」

「その顔で〝俺のために死んでくれ〟って言われたら誰も断れないと思うけど」

 泰善は激怒してシュウヤの足を思い切り踏んだ。

「ぐわっ!」

「ふざけるな!」

「お、大真面目だけど」

「まずお前が死んでみるか」

「わわわわわっ! ごめんなさい! もう言いません!」

 討論がはじまって置いてきぼりにされていた沙石と寅瞳は、目をまん丸にして成り行きを見守っていたが、ここでようやく声を上げた。

「とにかく!」

「ん?」

 シュウヤと泰善が注目すると、沙石は咳払いして粛々と述べた。

「なんかよく分かんねえけど、とりあえずこれからどうするか、一緒に考えていきゃいいんじゃね?」

「まあ、そうなんだけどな」

 シュウヤが返事をしたところで、大きな地鳴りが聞こえた。泰善はとっさに沙石と寅瞳の頭をつかんで伏せさせた。

「揺れるぞ!」

 シュウヤも慌ててしゃがんだ。瞬間、ドンッという爆発音のようなものが鳴り、建物が揺れた。大きな揺れである。

「じ、地震!?」

 頭を抑えられながら沙石が誰に問うでもなく言うと、泰善が答えた。

「俺に心を許すからだ」

「んなっ! オレらのせいかよ!」

「そうだ。停止の理を支えられるのは天上人の祈りしかない。停止の理の維持能力が、流転の理の支配力の十万分の一しかないからだ。そんな中で屋台骨とも言える核が二人同時にこちら側へ寄れば、簡単に揺らぐ」

「じ、十万分の一って、おい! 本当にそうならもうとっくに飲まれてるんじゃねえか?」

「だから俺が制御してるんだろう」

「なんだそれ! やっぱいい奴なんじゃねえかよ! 騙しやがって!」

「どうでもいいけど、お前ら舌噛むぞ!」

 大きく揺れ続ける中で言い合っているのでシュウヤが注意すると、

「それもそうだ」

 と泰善は応えて立ち上がり、沙石を無理やり立たせると、左腕を背中側にねじり上げ、短剣を首元へ突きつけた。それを見てシュウヤは目を丸めた。

「何する気だ?」

「他の連中を挑発して均衡を保つ」

 つまり今度は沙石を人質に取って脅すことで敵対心を煽り、地震を治めようというわけだ。

「痛っ! こんなことしたって、どうせ一時しのぎだろ!?」

 沙石は拘束されつつも意見したが、

「一時しのぎでも鎮めなければマズイだろう。行くぞ」

 と返されて付き従わされた。


 泰善は沙石を盾にしてドアを蹴破り、重鎮らが待機する隣室へ乗り込んだ。その場にいたのは帝人、虎里、空呈、妝真、大龍神、桜蓮である。大きな揺れの中で体勢を整えるため、みな膝をついた姿勢だ。しかしその目は見開かれている。短剣を突きつけられている沙石に非常な注意力を払わされているからだ。

「十九階より上は我々が占拠する。みな速やかに退去しろ。従わない場合は、沙石の首をはねる」

「なんだと!」

「まもなくあらゆる災害がこの地を襲う。地震は序章にすぎん。だが俺の言葉に従うというなら猶予をやる」

「なんだと?」

「悪い話ではない」

 いや、悪い話でしかないだろうと思いつつ、帝人は即座に要求を飲んだ。沙石の首がかかっていては受け入れざるを得ない。地震が治ったところで、永治の部屋を除く十九階から上全室を空けさせ、自らも退去した。引きこもっていた克猪もとりあえず出て、楓のところへ身を寄せた。

「崇が人質に取られたっていうのに、対策会議に出席しなくていいの?」

 楓の意見に、克猪は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 ちなみに寅瞳は帝人らのもとへ返された。寅瞳たっての希望があり、泰善もそれがいいと判断したからだ。だが寅瞳は沙石奪還の対策会議にて、こう発言した。

「核の治癒活動をやめましょう」

 会議に居合わせた者はみな目を丸めた。

「どうしたんだ急に」

 帝人に問われ、寅瞳は泣きそうな顔を隠すようにうつむいた。

「これ以上続けたら、私たちは本当に戻れなくなります。どうか聞き入れてください」

「訳を言え」

「言えません」

 帝人は眉をひそめた。

「訳も言えないようなことを聞き入れろとは、らしくないな」

「横暴だということは分かっています。でも、やめなければいけないんです」

「だから何故だ」

 寅瞳は顔を上げた。目からは涙が溢れていた。

「お願いします」

 帝人は寅瞳をじっと見据えた。その心は不可視になっている。流転の理の支配者によって隠されたのは明白だが、どのような目的で隠されたのか測りかねるため、帝人は躊躇した。

 帝人は大龍神、桜蓮、妝真へと順に視線を送った。彼らも困った顔をしていたが、大龍神が、

「寅瞳様がそうおっしゃるなら、ひとまず休止いたしましょう」

 と述べた。核の中心である大龍神が同意するなら、と帝人もうなずいた。

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