09【使族編】その弐
翌日。飛鳥泰善は厳戒態勢の中、宮殿へ招かれた。
出迎えと案内を任されているのは再挧真だ。身長一八〇センチ。鳶色の瞳と栗色の髪で、切れ長の目の神秘的な面差しである。彼は土万妝と交際中の天位十位の神だが、目立つような行為は自粛中である。代表の季条に疎んじられているからだ。
今回の出迎えも「季条様の嫌がらせだろうな」と思いつつ、遂行している。
(強力な魔剣をおさめて魔族政権を押さえつけている高名な封術師なんて、きっとロクなもんじゃない。それでも頭を下げて迎え入れなくちゃならないんだ。十位の僕が、無天位者に……)
彼は屈辱に震えながら、到着した馬車の扉を開けた。
「お待ちしておりました」
と、心にもない台詞を吐きながら会釈する。そして顔を上げ、悠然と地に降り立つ泰善を見た。とたん、息を止めて舌を巻いた。
至高の輝きと艶やかな闇、あらゆる至福ときらびやかな夢、あまたの星と可憐な花々——この世の美を網羅しても飽き足らずに究極まで至り、さらに超越した美貌である。
再挧真は瞬く間に心を奪われた。泰善はそんな再挧真を静かに眺めた。
「たかが封術師一人、おまえが出迎えとは、おおげさだな」
ふと発せられた声は心地よく、再挧真はすっかり虜になった。
「あ……、あの、天位十というのは形だけで。使族において僕の立場など、たいしたことはないんです」
「そうか」
泰善は眉をひそめ、ひと言返した。
三女神は庭園にテーブルとイスを用意し、普段のお茶を楽しむようなスタイルで泰善を待っていた。庭園にある方々のベンチには天位四の十二名の女神らが二、三人ずつ固まり、ささやき笑いつつ、興味本位で事の成りゆきを見守っている。
「謁見の間のほうが良くはなかったか」
季条があからさまに不機嫌な顔で意見するも、拡果はすましたまま紅茶を飲んだ。
「こういう時は、余裕があるように演出したほうがいいのです」
「しかしな」
「季条、往生際が悪うございますよ」
拡果がたしなめたのと同時刻、再挧真が泰善を連れて来た。
「お待たせいたしました」
再挧真の言葉に顔を向けた女神たちは、ハッと目を見張った。季条すら例外ではない。
その際立った美貌——異常なほど均整のとれた身体に常軌を逸するほど秀麗な顔を持つ飛鳥泰善は、美しい女神ばかりの園を一瞬のうちに無味な背景へと変えた。
あまたの美女を愛でてきた然しもの季条も、泰善の美貌にみとれて唖然呆然とした。
「……この世の者とは思えぬ」
彼女はつぶやき、口を閉ざした。それを最後に誰もが沈黙し固まってしまったので、再挧真が泰善にイスを勧めた。季条の真向かいである。
「あの、どうぞ」
「ああ」
「紅茶をお召し上がりになりますか」
「いや結構」
「毒など入っていませんよ?」
「俺は葡萄酒しか飲まない」
「あ、ではすぐにご用意いたします」
「必要ない」
「しかし」
「おまえが給仕などする必要はない、と言っているんだ」
「えっ……」
泰善の声はどこか淡々としていながら熱を帯びていて、再挧真は戸惑った。
「なにかお気に障りましたでしょうか」
「そうだな」
と、泰善が季条を見据えると、季条は気圧されて背筋を伸ばした。
「なんだ」
季条はやっと声を発した。男性を前に意識し、緊張したのは初めてのことだった。彼女は女をのみ愛しているが、泰善はまるで別物だと感じたのだ。異性を心から美しいと思うのは、この後にも先にもないだろうと。
「おまえは天上界で最も早く天位を得、三位まで上り詰めたと認識している」
「そうだ」
「だが目は節穴のようだ」
「なんだと」
「あまり再挧真を邪険にするようなら俺にも考えがある」
泰善の言葉に再挧真は驚き、季条はこめかみを引きつらせた。
「考えとは?」
「このたびの件を含め、使族の依頼はいっさい受けない」
「御仁は再挧真と知り合いか」
「いや。俺はよく知っているが、再挧真は知らない」
季条はチラと再挧真を見やった。再挧真は黙って首を縦にふった。
「では、なぜに再挧真をひいきする」
「ひいきなど。俺はただ立場にふさわしい扱いをしろと言っているんだ」
「しているつもりだが」
「どうだか。再挧真をただの天位十と思っているだろう?」
「違うのか」
「違う」
断言した泰善を、再挧真は急に青ざめた顔でみつめ、思わず二人のあいだに割り込んだ。
「今日は聖剣のお話で呼んだのです。僕の話はいいでしょう」
「良くない」
泰善は再挧真を睨んだ。
「昔、空呈と仕事をしていたことがある」
再挧真はビクッと肩を揺らした。空呈とは再挧真の兄である。
「おまえの話をよくしていた。傷ついているのは分かっている。しかしだからといって、隠しておいても癒えるわけではないだろう。……空呈はおまえに会いたがっている」
再挧真は硬い表情でうつむき、拳を握った。
「鷹塚の敷居は高すぎます。僕には」
その名に、三女神は神経をとがらせた。鷹塚といえば天上界一の富豪だ。種族はおもに神族だが、中には使族や魔族の者もいる。異種族間で婚姻を結ぶことに抵抗がないという変わり者の一族としても有名だが、問題なのは、彼らが経済を動かしているということだ。上位天位者の再挧真が関係者だというのなら、いずれ政治への影響は避けられない。注意が必要である。
ところが泰善は、それ以上に重要なことを言った。
「空呈は、兄弟姉妹の中でゆいいつ父親の違うおまえを最も可愛がった。それは再生の天使だからじゃない。よくわかっているはずだ」
〝再生の天使〟という言葉に再挧真はより身を硬くし、三女神は動揺した。
「再、生の……天使」
再生の天使とは、かつて「その銀色に輝く羽根をお守りに持つと幸運を呼ぶ」として噂になった天使である。しかし特に「欲深い罪人に狙われ幼くして命を落としてしまったが、界王の手によって蘇った」ということでよく知られている。
理を枉げることを忌み嫌う界王がそれを枉げ蘇らせたのだ。天使はことに愛されていたに違いないとして、天上人の尊敬と羨望を一気に集めた。界王の寵愛を受けることは、天位一位を得るに匹敵するほどの名誉であるからだ。
それが再挧真だということに、三女神は驚愕し、ねたみ、畏怖した。だが再挧真は気弱にうなだれた。
「ダメなんです。いまだにあの日のことが鮮明に思い出されて——僕は僕であることを、どこかで認めたくなくて。すみません」
再挧真は頭を下げると、逃げるようにその場を去った。
泰善は季条に向き直り、ため息をついた。
「まあ、こういうわけだ。いきなり立ち直れというのは酷だが、あれには周囲の理解と支えが必要だ。三女神を代表するおまえがそうしてくれると助かるが」
季条はまっすぐに見つめられて、カッと熱くなった。
「再生の天使と分かれば話は別だ」
と言ってテーブルに片肘つき、頭をかかえる。
「すまん、あまりの衝撃が立て続いて、動悸がする」
「では、本題に移っても構わないぞ」
季条は泰善の類い稀という域をも超えた美しい顔を眺めて、はあっと大きく息をついた。
「実は宮廷内の美女を選りすぐって、おぬしを誘惑し、ここにとどまらせようと思っていた。しかしこれでは逆だ。淑女はみな、おぬしに心奪われ身を焦がすだろう。あまり長居されては困る。これから泉へ案内する。聖剣を封じたら、さっさと出て行ってくれ」
季条は立ち上がった。泰善は意外そうにして視線をそらせた。
女神らの案内で木立を抜け泉へと到着した泰善は、渦巻く泉に近づくと強風などものともしない様子で、さっと手をかざした。刹那、風はまたたく間に凪ぎ、泉は静けさを取り戻し、聖剣は泰善の手に握られた。あまりにもあっけなく、あっという間の出来事に、女神たちは何度もまたたいて驚いた。
「もう終わりか」
「終わりだ」
「ずいぶんと他愛ないな」
季条の言葉を受け、泰善は笑みを浮かべると、すっと聖剣を差し出した。季条は眉をひそめた。
「なんだ?」
「受け取れ」
思いがけない言葉に、季条は目を見開いた。
「なっ、いいのか?」
「遠慮はいらない」
「遠慮などしていない。魔神に示しがつかぬのではないか、と言っているのだ」
「魔神にやる魔剣はこれの比じゃない。問題にするほうがおかしい。とはいえ聖剣は聖剣。油断は禁物だ。心して扱え」
「しかし……」
「俺の手元にあっても仕方ない」
季条は恐る恐る受け取った。彼女も長く神として生きてきたが、聖剣を手にしたことはない。柄にほどこされた見事な宝飾。白く輝く刀身。腕にズシリとくる感じがなんともいえず、感無量だった。
右手に柄を、左手に刀身を持つ季条に向かい、泰善はさらに手をかざし刀身の上をなでた。瞬間、刀身には柄の紋様に対となる鞘があてがわれた。
「……すばらしい。本当にもらっても構わないのか。いかに雪剛の魔剣に劣ると言っても、これほどの剣を」
季条はかすかに震える声で問う。泰善は首を少しかしげた。
「魔神には今のところ俺がついている。脅威にはならない」
季条は泰善の顔を見上げた。
「たいした自信だな」
「別に自信があるわけじゃない。真実を述べているだけだ」
「ふん、貴殿の鼻、いつかへし折ってやるわ。美しい男というだけで私の敵だというのに、おぬしの美はすべてを冒涜している。なにもかもを殺す。実現してしまわぬうちに始末するのがいいだろう」
「キツイな。生まれつきのものはどうしようもない。だが俺の美醜をどうこう言って惑わされているようでは神として未熟だ。真にへし折らなければならないのは誰の鼻なのか、よく考えてみるんだな」
季条はいらぬ汗をかいて唸り、泰善を睨んだ。
「私に向かってそのような口を利こうとは、怖いもの知らずにもほどがある。天位三をなんだと思っている。界王が三位にあたいすると定めた神だぞ。思うところがあっても意見は慎むものだ。どのような災いが襲っても文句は言えぬぞ」
すると泰善はスッと自分の唇に人差し指を立ててあてた。
「口を塞がれた者は死人と同じ。だが口を塞がれても、誰がその心まで塞ぐことができるだろうか。そしてその塞がれざる心を、界王が見ないという保証はあるのか。ならばいっそ口にしてみるがいい。真実を語る唇に寄せる耳は持っても、不誠実にかたむける耳はない」
綴る声は心地よく、見つめる瞳は美しく、その仕草は魅惑的だった。それ以上に髄をゾクリとさせるような、畏れに似たなにかを感じる男だ。季条は言葉を失い、えも言われぬ敗北感を味わった。
(魔族が自由にしておくはずだ。この男、まこと、ただ者ではない。このような屈辱を受けても、なぜだろう——憎悪とはかけ離れた感情がわいてくる。惹き込まれる……危険な存在だ)