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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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07.雷鳴

 大講堂が置かれた状況について天上界の民は無論、固唾を飲んで見守っている。応援に駆けつけることができない以上、帝人が出した声明に従い、理想郷の維持と回復を願って祈るよりほかないのだ。

 しかし、それは百も承知で「自分たちにも何かできないか」と頭をひねる連中もいた。元陸軍大佐で最終的に将軍まで上り詰めたサウス・ウィビーンこと唐市。元海軍大尉でのちに少佐を務めたマチルダ・マイセンこと梓。元空軍少将でのちに大将に就任したディモンズ・バーンこと関亜(せきあ)束尚(そくしょう)。元空軍大尉ケイト・ゴールデンでその後も今も束尚の妻こと関亜成々(なな)である。

 束尚は赤毛で無精髭を生やした男、成々は小柄で愛らしい女性だ。

「まさか鷹塚の双子がロスレイン兄弟とはね」

 成々が驚きの声を上げつつ、一杯のコーヒーを飲んだ。大通りの脇にあるカフェテラスで、四人はひとつのテーブルを囲んでいる。

「まったく、前回も騒ぎの中心だったが、今回もまた派手にやってくれたもんだ」

 束尚は冗談半分に吐き捨てたが、そこは唐市が厳しく指摘した。

「あいつらも被害者だ。永治は洗脳、光治は拉致られて浄真界に送られたって話だ」

「永治ってのは兄貴のほうだろ? 奴が洗脳されるようなタマかよ」

「確かな情報だぞう?」

「そうよ。現にグラスゲート・キングを英雄視してたし、カーマル将軍には絶大な信頼を寄せていた。洗脳されても不思議じゃない」

 梓が言うと、唐市は胸を張った。

「ほら、元カノがこう言ってんだから間違いない」

 束尚は眉を歪めて身を乗り出した。

「そのグラスゲート・キングとカーマル将軍と例の支配者ってのは、本当に同一人物なんだろうな?」

「こっちの記憶はあやふやだけどな。長官の口ぶりだと、たぶん」

 束尚はしかめ面をして背もたれにもたれた。

「だったら余計、洗脳なんて考えられねえ」

 唐市は目を丸めた。

「なんで」

「ファウストは頑固だ。良く言や信念がある。史上最悪のマフィアを壊滅させて、あのどうしょうもねえグラスゲートをひっくり返した上に、GPも六軍も退けた男が本当に悪党だって言うなら、奴も刃を向けるだろうがよ」

「きっと変わっちまったんだ。昔は昔、今は今だろ?」

 唐市が唇を尖らせると、束尚はニヤリと笑った。

「てめえはあん時と少しも変わっちゃいねえな」

「なんだよう」

「変わらねえと思うぜ? ファウストも。奴は何を信じて突き進めばいいか冷静に分析し、選択できる男だった。だから洗脳なんかじゃねえ。自分の意思で支配者の傘下に加わったんだ」

 唐市は青ざめた顔で束尚を凝視した。

「俺たちが悪だって言うのかよ?」

 束尚はおどけた様子で肩をすくめた。

「さあね。そうは思いたくねえが、戦争において敵は悪、味方は正義だと信じたいのが人間の心理だ。どっちが本当の悪党かだなんてドンパチやってる最中は分からねえ。もしかしたらどっちも正しくて、たまたま敵に回っただけかもしれねえし」

「潜入捜査ってことは考えられないか? 味方のふりをして隙を狙ってるとか」

「あり得る。だが、どうにも割り切れねえ」

「なにが」

「第二地球を救ったのはセフィラってことになっているが、奴の能力は破壊だ。ロストフィラデルフィアを消滅させたあとの始末までできるわけがねえ。永治の再生能力も当時はなかった。となると、地球を修復したのは十中八九カーマル将軍だ。そんな野郎が俺たちをおびやかしてるなんて想像がつかない」

「理想郷が崩壊の危機に直面してるのは、将軍のせいじゃないって言うのか?」

「さあね。支配者は流転の理の祖という話だ。単純に考えれば、自分の世界を取り戻すために侵略して来たっていうのが定石だろう」

「だったら!」

「だがそれだとカーマル将軍の像と噛み合わねえ。むしろ理想郷が崩壊し始めたから来たってするほうが、しっくりくる」

「助けに来たって言うのか?」

「ああ」

「じゃあどうしてそう言わないの?」

 梓の問いに、束尚は大きくため息ついた。

「さあな。ただ、俺たちがすでに将軍の策にはまっているんだとしたら、このまま理想郷の維持と回復を願って、祈るしかねえ」

「くそっ! せめて第一居住区に入れたら」

「どうするんだ?」

「そりゃ、永治に会って真相を確かめるに決まってる」

「奴あ天位五だろ? よしんば第一居住区に入れても、大講堂の十九階なんて不可能だ」

「だよな」

 唐市は脱力してテーブルに突っ伏した。その途端、旧友たちが息をつまらせたような雰囲気を感じて頭をもたげた唐市は、テーブルの脇に立つ人物を見上げ、大きく目を見開いた。

「永治!」


***


 永治はこの二ヶ月あまり、ベランダへ通じる大きな窓からいっときも目を離さず椅子に腰かけていたが、界王の努力のおかげで当分夜は来そうにないと思い、ふと立ち上がった。その足で部屋を出て、隣室の泰善を訪ねるためだ。

 青衣で全身を覆った泰善の前に片膝ついた永治は言った。

「第二居住区に用事があります。往来の許可をください」

 泰善は青衣の下で目元をしかめた。

「簡単に言うな」

「ください」

「何故だ」

「もう一度、旧友に会っておきたいのです」

「——サウスか」

「はい」

 泰善はしばらく迷った。彼らには記憶の接点があるからだ。地球上の歴史や記憶を改ざんする際、ブレッド・カーマルという偽名も抹消する予定だったが、完全に消すことができなかった。関わりすぎたからだ。

 自分のおこないのほとんどをシュウヤの業績とすることで記憶の擦り合わせをしたが、どうしても矛盾が生じるところがある。すべての辻褄を合わせるためには、やはりブレッド・カーマルという存在が必要だったのだ。

 しかしそのせいで永治は記憶を取り戻した。いや、それがなくともいずれ思い出したかもしれないが、今回の決定打になったのは間違いない。ゆえに、これ以上ブレッド・カーマルに関わった者たちと交流の場を持つのは好ましくないと思うのだ。

 だが天上界が危機的状況に陥り、永治が命を捧げなければならない時が来るとしたら、今生の別れを告げる機会はおそらく今しかないだろう。

 ここで往来を許すのは危険かもしれなかったが、泰善は永治の立場をそのように慮って承諾した。命を差し出す覚悟があるのなら、相応の対価を与えねばならないと考えるからだ。


***


 そんなわけで永治は、カフェテラスでたむろしている唐市らの前にフラリと現れた。向こうからやって来るとは思いもしていなかった四人は、口をあんぐりと開けた。

「お前! どうして」

 唐市が立ち上がって指差すと、束尚がその腕をつかんで下ろした。

「天位五を指差すな。相変わらず無礼者だな、おまえは」

 彼の様子とセリフからすぐに誰か思い当たった永治は、遠慮なく近くの椅子を拝借して輪に加わった。

「ディモンズ・バーンか。久しぶりだな」

 束尚は苦笑いした。

「今は関亜束尚だ。よろしく」

 永治はうなずいて、視線を成々へ向けた。束尚はそれを見てすかさず紹介した。

「ケイト・ゴールデンだ。今は成々と名乗っている。関亜成々だ」

「そうか。腰を落ち着けたんだな」

 しみじみと受け答える永治につられて唐市はうなずきかけたが、ハッと我に返ってテーブルを叩いた。

「——て、何のどかに話してんだよお! 俺の質問に答えろ! 第一居住区とこっちは往来できないんじゃなかったか?」

 永治は目元をしかめて唐市を見やった。

「許可をもらった」

「誰に!? いったい誰に許可もらえば通れんの?」

「元帥に決まってるだろう」

「って、カーマル将軍?」

「ああ」

「将軍が例の支配者って本当なのか?」

「もちろんだ」

「つか、そんな簡単にもらえんのか?」

「元帥は慈悲深い方だ。今後、会える機会が巡って来ないかもしれないという可能性を考慮してくださったのだ」

 唐市と束尚、梓と成々の四人は、訝るような目で互いに視線を交わした。永治が本当に洗脳されているのかどうか疑っているのである。

 独特な空気を読み取った永治は皮肉げに笑った。

「元帥が、人を洗脳しなければならないような小物ではないことくらい、覚えているだろう」

 唐市はゴクリと息を飲んだ。

「けどよお」

「ついでに言っておくが、理想郷の理が崩壊するきっかけを作ったのは俺だ」

 思わぬ爆弾発言に、四人は仰天して固まった。しかし永治は気に留めず淡々と述べた。

「光治はそのために浄真界へ送られた。流転の理を欲する俺の念を弱めるためだ。元帥の的確な処置がなければ天上界はとっくに地獄と化しているだろう」

「ちょ、お前、何言って……」

「それでも俺は、この気持ちを止められない。間違っていると思わないからだ。もう一度、四季を感じられたら、もう一度だけ夜の世界を見られたら、未練はない。今は分からないかもしれないが、その時が来れば、みな思うだろう。どうして何年も、あの美しい世界から離れて生きていられたのかと」

「永治!」

 唐市が両手で強くテーブルを叩いた。友人を正気に戻したかったのか、これ以上狂った思想を聞きたくなかったのかは分からない。だが永治はどちらでも、その両方であっても構わなかった。それが嘘偽りない事実だからだ。

「俺は正常な記憶を取り戻した。だからこそ世界がまともでないことに気が付いた。死を恐れるあまり、この世を与えたもうた大いなる愛を切り捨て、殺した罪がどれほど重かったのか——」

 永治はゆっくりと席を立ち、四人を見つめた。

「真実を知った時、天上人は死ぬほど後悔するだろう。けど、お前たちには後悔してほしくない。だからどんな状況に陥っても元帥を信じていてくれ。決して敵意など向けないと約束してくれ。俺はただ、それを言いに来た」

「……しかし、敵対するように仕向けているのは将軍なんじゃないのか?」

 束尚が言うと、永治は「さすがディモンズ・バーン、分かっている」とでも言いたげな明るい笑みを見せた。

「支配力を抑えるために煽っているんだ。元帥は支配も崩壊も望んでいない。そもそも、神と人の願いを聞き入れて理想郷を確立するよう促したのは元帥だ」

「なんだと?」

 束尚は思わず立ち上がった。

「どういうことだ? ひょっとしてお前、以前の支配者をこの世から排除したっていう方法も覚えてるんじゃ」

「ああ。だがあれを実現するのはもう不可能だ」

「どうして」

「元帥は、この世の死を集めて剣を造り、最高位に持たせ、自分を貫くよう命じた。あらゆる死を請け負わなければ己の身を滅せないからだ。そして流転の理を排除するという強い意思を体現しなければ、理想郷を確立するエネルギーも生まれない。だからこそ……。しかしその死は消化されてしまった。取り戻すことはできない」

 束尚は腕に力を入れて拳を握った。

 他人の死を請け負うという行為がどういう意味なのか、天上界に来て学んだ。それは核としての資格を持つ、非常に慈愛精神の高い神にしか成し得ないことだと。

 生きとし生ける者すべての死を請け負える精神とはどういうものなのか——束尚は想像するだけで気が遠くなった。

 永治の話が本当ならば、天上界に生きる者はみな、かつての支配者の犠牲と大いなる愛の下に生かされていることになる。そこに刃を向ける行為がいかに愚かで罪深いことかは、教わるまでもない。永治がわざわざ「後悔してほしくない」と告げに来た衝動も理解できる……そう、理解できる。

 束尚は思って、永治を見据えた。

 なにひとつ矛盾はない。これまでに感じていた違和感も、疑問も生じない。それは己の魂が真実の記憶を持っていて、永治の言葉とピッタリ重なったからではないか、と。

「信じていいんだろうな?」

 束尚は問いかけ、永治はまっすぐに答えた。

「もちろんだ」

 束尚は永治の瞳の奥に正気の光を見て、目頭が熱くなった。

 現実は理想郷が滅びるかもしれないという危機に直面しているが、真実は深い愛に満ちている。そのことだけで全てが救われたような気分になれたのだ。


***


 永治が大講堂から出た姿を目撃したという者がいたので、帝人、空呈、沙石の三名は帰ってきたところを捕まえようと待ち構えた。といっても話を聞くだけだ。本当に捕まえるわけではない。人数をそろえて強引に拘束するということも考えたが、刺激するのは良くなかろうという意見が集中し、穏やかな対応が求められた結果である。

 むろん帰ってくるという保証はない。だが青衣の男に仕えているかぎり、いつかは戻ってくるはずだ。彼らは何日でも待つつもりでいた。

 しかし待つこと数時間。街へ買い物に出かけていましたとでもいうように涼しい顔をして永治が帰ってきたので、三人は狐につままれたような気分で近寄った。

「何をしに行っていた?」

 空呈からの質問に、永治は素直に答えた。

「昔の知人に会っていた」

「それだけか?」

「ああ」

「何故」

「別に」

 永治が言って横をすり抜けようとすると、今度は帝人が立ちはだかった。

「部屋に戻るのか」

「もちろんです」

「我々の側につく気はないのか」

「申し訳ございません」

 やや伏せ目がちに答える永治の心に、帝人は目を凝らした。しかし青衣の男によって不可視にされているらしく、覗くことはできなかった。

「知人と何を話した」

「個人的なことなので」

 そうして、今度こそ三人の間を抜けた。その背を見送るように眺めた沙石が眉をしかめた。

「……あいつ、なんで天位上がってんだ?」

 帝人と空呈は目を丸め、永治の天位を確かめた。沙石の言う通り、天位四である。

 帝人の胸は嫌な予感に騒めいた。

 天位とは、神としての徳を積まなければ上がるものではない。しかし永治はその徳を積むどころか恐ろしい支配者の配下となった。下がることはあっても上がることなど考えられない。ところが現実は上がっている。

 帝人はこの矛盾に様々な憶測を巡らせた。

 良い想像を働かせるなら、洗脳されているのではなく、傘下に加わったと見せかけて隙や弱点を探しているのではないかと思われる。だが悪い想像を働かせると理由は無限に出てきそうだ。

 最悪だが可能性が高いのは、永治の行動が正しくこちらが悪である場合。しかしそれはどうしても信じ難い。ならば、天位制度そのものを以前の支配者が敷いたとするとどうだろう。青衣の男の意にそう者こそが天位を上げられるとするなら、辻褄があう。

 一瞬、結論が見えそうになった帝人だが、首を横に振った。それだとこちらの天位が下がらなければおかしいからだ。

 帝人は自分の手の平を見つめ、拳を握った。そして、天上人はいったい何を正しく覚えていて、何を忘れているのかという根本的な問題の壁にぶつかった。

 記憶と歴史がどう改ざんされていようと、理想郷さえ守れればいいと思っていたが、本当は理想郷を守ることより、正しい記憶と歴史こそを取り戻さねばならないのではないか。それこそが真の意味で世界を守ることにつながるのではないか、と。

 だが、そんなことを探求している暇など彼らにはなかった。翌日、天空に雷鳴が轟き、鉛色の雲が一面を覆ったからだ。

 大講堂でみなが慌ただしく走り回る中、永治はベランダに立ち、空を仰いで不敵な笑みを浮かべた。そして、やがて降り注ぐであろう雨粒を期待し、胸を躍らせた。

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