06.暗中模索
帝人は連日に渡って五位以上の天位者および同格の神界人を招集し、対策会議を開いた。しかし相手はかつての支配者と言うだけあって、古典的な技は通用しない。そればかりか物質を全く別の物に変えてしまうので、対抗しようにも手立てがなく、話し合いは難航した。
そもそも理想郷確立の際、どのようにして以前の支配者に打ち勝ったのか記憶にないのが問題である。復讐の機会があることを想定して忘却の力でもって記憶から排除し、同じ手を食わぬよう用心した——と考えるとますます厄介だからだ。理を支配し、物質を変換させ、忘却の力をも操るとなれば、もう手強いというレベルではない。勝機は限りなくゼロだ。
「方法さえ思い出せればな」
帝人は丹念に己の記憶と他者の記憶を読み解いた。が、手掛りはなかった。支配者があったことの記憶すら見当たらないのである。しかも最古の記憶を持つ寅瞳がとても動揺しているので、そちらのほうがやたら気になった。彼は光治が浄真界にいるという事実に関し、いろいろ思うところがあるのだ。
郷愁と哀しみ。その地に生きた時代が幸福であればあるほど募る想い。
寅瞳の記憶の中に浮かぶ洋館は、いったい誰が建てたのか。帝人は首をひねった。浄真界で寅瞳は一人きりだったと思っていたが、立派な洋館である。あまり器用ではない寅瞳本人が建造者とは考えにくい。では浄真界の様子に詳しいシュウヤが建てたのか。いや、と帝人は首を横へ振った。そのような才はあの男にはないと確信しているからだ。すると可能性として残るのはかつての支配者だという男である。
寅瞳のために建てられた家。寅瞳のために作られた世界。そう考えると、寅瞳にとって青衣の男がどういう存在であったか、おのずと答えが出る。寅瞳の動揺はそこから発祥しているのだ。本人に自覚はないが、心のどこかで青衣の男を討伐する話し合いに拒絶反応を示しているのは間違いない。
だが現に理想郷は確立した。寅瞳も浄真界を捨てた。青衣の男を見限ったのは事実だ。とすると、その迷いはきっと寅瞳の優しさだろう。帝人がそう結論をつけたところで、悠崔が挙手した。
「魔剣を使ってみては」
帝人はわずかに眉をひそめた。悠崔が言う魔剣とは、言わずと知れた雪剛の魔剣のことである。封じるのに手こずった恐るべき剣だ。
「安全に扱えるのか」
「心得ております」
「では聖剣も役立てられるのでは」
と意見したのは季条だ。
「雪剛の魔剣ほどではないが、力になれるやもしれぬ」
「ならば神剣も」
そう言ったのは烈火である。それぞれの剣の持ち主が提案したことで、反対する者もない。だが雪剛の魔剣と泉の聖剣、それに森林の神剣を用いるとなると、仕掛ける側も相応の損害を被るだろう。何の効果もなかった場合、悲惨だ。
帝人はしばし悩んでから、首を縦に振った。
「まあ、無駄かもしれないがやってみよう」
***
光治の部屋の扉周辺には厳戒体制が敷かれた。魔剣、聖剣、神剣は、いずれも抜くと強烈な風を起こすため、すでに流転の理の支配が及んでいる大講堂での使用は慎重にしなければならない。
帝人が軽く手を上げると、燈月、沙石、虎里、拡果の四名が周辺に結界を張った。直後に悠崔、季条、烈火の三名が剣を抜き放つ。結界内はたちまち竜巻の中のごとく凄まじい風に巻かれたが、上位天位者たちは怯まず扉に挑んだ。強行突破である。
三剣の威力によって扉が砕かれた瞬間に、帝人と最終位の七名、それに聖剣と神剣を持つ季条と烈火が乗り込んだ。帝人は弓矢、空呈、燈月、沙石、虎里、拡果の五名は刀、克猪は大鎌、悠崔は雪剛の魔剣である。古典的な技が通用しないのは承知だが、天位の力を集中させるには武器を手にするのが最も効率が良い。それに今回は魔剣、聖剣、神剣の力がある。相手が怯めば古典的な技でも通用するかもしれないという、かすかな期待もあった。
ところが青衣の男は、怯むどころか破られた扉の先に待ち構えていた。表情は分からなくても、こちらの行動はすべて見透かしているという態度は見て取れる。
悠崔は「分かっているならば」と恐れを押して進み出た。
「覚悟」
風を纏う剣を振りかぶり、渾身の力を込めて斬りかかる。だが青衣の男は不動のまま、片手で刃を受け止めた。
「小賢しい」
青衣の男は刃をつかんで悠崔の手から魔剣を取り上げ、素早く柄を握ると、下から上に向かって空を斬った。
すると猛吹雪が発生し、その場にいた者全員が薙ぎ払われた。通常、魔剣は魔族の者には効力を発揮しないが、それは封が施されている場合の話である。「猛吹雪」は雪剛の魔剣が元来持つ力の象徴だ。封印が解き放たれたのは明らかで、そんなものを食らえば魔族とてただでは済まない。
みな背を壁にしたたか打ち付けて床に落ち、しばらく身動きが取れなくなった。久しぶりに感じる痛みが想像以上だったのだ。
帝人も同様に痛みを振り切ろうともがいていたが、ふと誰かの気配に気づいて顔を上げた。金色の糸で刺繍された青衣の裾が揺れている。音もなく近づいて来たそれに、帝人は緊張して身体を強張らせた。何をされるのかと恐れたのだ——が、青衣の男はただ静かに言った。
「忘れているだろうから教えてやろう。この魔剣を悠崔に納めたのは俺だ。聖剣も神剣も同様だ」
帝人は苦渋に口元を歪めた。つまり、元の所有者に振るうという馬鹿馬鹿しいことをしたわけである。
「忘れている、とは」
「俺が関わった歴史は改ざんされている」
「……やはり、忘却の力も支配しているのか」
「無論。俺はこの世の始まりと終わり。万物の超越者。全ての源であり、全てを破壊しうる者。あらゆる能力を有し、頂点を極めている。貴様らがどう抗おうとも、敵わぬ存在だ」
「なんだと」
「手元の武器に頼るなど愚かしい。何のための神格だ」
青衣の男は言いつつ、再び封を施した雪剛の魔剣を帝人の前に置いた。
「雪剛の魔剣は、スノーフィールド全住人の魂を焼いて造った剣だ。寝かせておけ」
帝人は目を見開いた。驚きと共に旧天上界の忌まわしい記憶が蘇り、鳥肌が立った。
「何故……何故そんなことを」
声を絞り出して問うてみたが、青衣の男は答えず、踵を返した。
青衣の男こと泰善が、答えを持たないわけではない。だが理由を説明して理解されるとは思えなかったし、慈悲の心を悟られるわけにもいかなかったので、あえて答えなかったのだ。
化け物になりたくないと願った住民を救済するため、やむなくした処置だった。が、その後どういうわけか人霊に戻りたがらなかったので封じて寝かせた。望めばいつでも人霊に戻してやれるが、どうする——と聞いたところで、おそらく帝人は戸惑うばかりだろう。
しかも今は、流転の理と停止の理がせめぎ合っている最中だ。仏心を暴露して相手の反発心を失うのは痛い。流転の理を支配する身として、その支配力を波及させないための努力は苦行だ。究極の理が他の理を凌駕するという至極自然なことを捻じ曲げるのであるから派生する弊害は当然大きく、それを抑制するにしても修復するにしても、みな負担になる。天上界の民が全力で抵抗する念を利用してこそ、どうにか大講堂内にとどめておけるのだ。
青衣の男は元の位置に立つと、念動力を使って招かれざる客たちをいっせいに部屋の外へ追い出した。そして破壊された扉をたちまち修復し、再び固く閉ざした。
追い出された者たちは唖然とし、帝人は唸った。青衣の男には再生と破壊を司る念動力も備わっていると知り、絶望せずにいられなかったからだ。
「なんだよ……てめえも使えんじゃねえか。なんで永治を洗脳して、光治を浄真界になんかやったんだよ」
「我々が対抗する手段を断つためだろう」
沙石の疑問に帝人が答え、みな沈黙した。鷹塚の双子を懐柔したのは、己が利用するためではなく相手の戦力を削ぐためとなると、いよいよ勝ち目はない。こんな状況で一体何に希望を託せばいいのかと。
「なんという強大な敵だ」
悠崔の呟きに、帝人は唇を噛んだ。
***
数日後。
「必ずかつての支配者を退ける方法があるはずだ。だが肝心の記憶は封じられている。思い出すのは困難だろう。我々は、理想郷を目指した頃に立ち返る必要がある」
という声明を、帝人は発表した。原点に戻り、順を追うことでそこにたどり着こうというものである。
現在、第一居住区とその他の居住区への往来はできないが、情報の伝達は可能である。上の意思は全域に伝えられ、天上人は同じ志を持って立ち向かうことになった。
その力に一番支えられたのは無論、青衣の男こと飛鳥泰善であるが、帝人らは知る由もない。
「いい調子だ。少し骨休めするか」
泰善の呑気な発言に、シュウヤは眉間を寄せた。
「何がいい調子だよ。拒否られてんのに」
「それが狙いだ」
「もういっそのこと支配してしまえ。バランスなんかどうでもいいだろ」
「いいわけないだろう」
泰善は答えて、ベッドに転がった。
「とにかく、だいぶ楽になったからひと眠りする。何かあったら起こせ」
シュウヤは盛大なため息をついた。
「こんなに身を削って天上界を守ってるっていうのに、誰からも感謝されないなんてな」
「そんなものはいらない」
「釈然としない」
「この世界が無事におさまることこそ、何よりの報酬だ」
「ああそうですか」
不満たらたらの返事をしつつ、シュウヤは泰善の側へ寄って、額に口づけた。
「ゆっくり休んでくれ」
泰善は皮肉げに笑って目を閉じた。
理想郷が確立されてからというもの、死を消化するのに長いあいだ苦しんだが、終わってみればすることもなく、随分のんびりと過ごした。これ以上休むのは怠惰だ。そこを通り過ぎると無気力になる、と思うからだ。
シュウヤと共に暮らした穏やかな日々は、至福であったと言ってもいい。だが今こうして、天上界のことで心休まらぬ日々を送る毎日も、泰善にとっては幸福なのだ。民のためにできることがある、ただそれだけで愛は満たされるのである。
その頃、永治の部屋は本人が帰って来て閉じこもっているため、待機場所を反対隣りの空室へ切り替えた一同が、いろいろと思案していた。
「うーん。一度勝ったっていうのは確かなんだよなあ」
沙石が唸ると、帝人がうなずいた。
「理想郷を確立したということは、そういうことだろう」
「あんな奴に、一体どうやって」
「それが思い出せないから、順を追ってやってみるしかないのだ。実際、当時も手探りだっただろう」
「だな」
「しかし、武器でも能力でも太刀打ちできないとなると」
空呈の意見に、帝人はまたうなずいた。
「それなんだが、あの男の言葉を覚えているか」
「……と、言いますと」
「理想郷を守り抜くという我々の意志があの男の支配力より勝る時、我々が勝利する——と」
「つまり?」
「これは精神の戦いなのかもしれない」
「精神の、戦い?」
「個々の想い、祈り、願い、そういった思念による戦いだ。そう考えると、貴殿のご子息を我々から引き離したことも、より納得がいく。念動力とはそのエネルギーを具現化したものだからな」
「なるほど。あの男にとっては厄介な敵になるということですか」
「なんとか取り戻せればいいのだが」
虎里が言うと、みなため息ついた。
「光治にしか説得できねえんじゃね?」
「弟だけが家族ではなかろう」
そのやり取りに、空呈は沈黙した。もうすでに前世からの家族である光治よりほかに、永治の心を開く術はないと知るからだ。
空呈も灯紗楴も、再挧真や妝、そして妝真も幾度となく扉を叩いた。だが中から返事が返ってきたことはない。洗脳されているとはいえ己の意思はあるだろうから、少しは反応があってもいいものを、まるで不在であるかのようにシンとしているのだ。光治と同じように浄真界へ送られたのではないかと疑ってシュウヤに問うたが、「それは断じてない」という回答だったので、いることはいるのだろう。となると、もうお手上げである。
「どうなんだよ?」
なかなか意見を上げない空呈に対して沙石が聞いた。空呈は間を置いて首を横へ振った。いま永治に期待するのは無理だという結論に達した一同は、いっせいに肩を落とした。
しかし天上人の強い意志が青衣の男の支配力を抑えているのか、大講堂以外では事もなく理想郷の理が保たれている。彼らはそのことを唯一の救いとして、以前の世界を模索した。
***
流転の理の支配力をとどめるための結界は、泰善が拠点としている光治の部屋と理想郷崩壊を招いた永治の部屋に張られているだけではない。十九階全体、その上下階、加えて大講堂全体にも張られ、最後の砦として第一居住区に境界が設けられている。この念には念を入れた泰善の強固な守りによって、理想郷は維持されているのだ。被害が最小限なのは決して天上人の意志の力だけではない。いや、むしろ泰善の偉大な力があってこそ、天上人の意志も意味を持つのである。
それを知る永治は、知ることのできない者を哀れんだ。
彼は部屋で一人イスに腰掛け、窓から見える景色を静かに見つめている。夜を待っているのだ。泰善がどのような解決策を見出すか定かではないが、何かの弾みでほんの一瞬でも訪れることがあるのなら、目に焼き付けておきたいと思うからだ。
願わくは、月光の下に浮かび上がる森を。願わくは、満点の星がきらめく空を。そして叶うことなら、夜風を胸いっぱいに——永治は想像しながら息を吸い込んだ。