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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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02.理想郷

 宇宙に散りばめられた星々は、それより先の向上を見ない魂なき岩石の塊である。この有限世界にあって魂を持つ星は、理想郷と呼ばれる世界のみだ。虫や動物はいない。彼らのうち、ある者は大我(たいが)をなし人へ転生したが、ほとんどは自然界に吸収され、精霊となった。今は大地と植物と水が、神を敬い支えている。究極の調和と融合を果たし、永遠の命とともにあるのだ。


 天上界は神界と統一した後、あまねく世界を吸収し、巨大な星となって有限世界に君臨した。もとの天上界のおよそ十倍の規模である。中心地は理想郷確立の地である大講堂だ。

 この大講堂はかつて三大種族と呼ばれた使族、魔族、神族の政権の舞台であった宮殿、城、神殿を合体させた施設として建立されたのがはじまりだ。ゆえに、おもな役割は種族政権の中心人物における住居兼職場である。上位天位者が増えるたび増設を繰り返したが、それは今も変わらない。

 現在は二十階建てで、十九階には五位以上の神々が種族の区別なく居を構え、最上階には一位と二位、神王や獣王、大龍神や大御神が在住している。


 このように途方もなく大きな世界へと成長を遂げた理想郷では、大規模な区画整理もおこなわれた。種族は多岐に渡り、これによる区別は混乱をきたし平等を欠くため、明確に定められる天位によって区別された。

 大講堂より半径千キロ圏内は、天位四十九位以上の居住区。そこからさらに千キロ圏内ごとに、天位五十位から百位、百一位から三百位、三百一位から千位と整備されている。千一位以下の天位者は、それより先から真裏にあたる極点までが居住区だ。それぞれ大講堂から数え、第一居住区、第二居住区、第三居住区、第四居住区、第五居住区と呼ばれている。所在地がどこかで、おのずと身分が知れるようにもなっているというわけだ。

 実際、天位が低く穢れの多い者はより清浄化された中心地へ足を踏み入れることが物理的に不可能である。かつて神界へ入れる者が限られていたように、魂の階層によって拒まれるのである。

 一方、上位天位者はどの居住区へも往来可能だが、守護石を持つ必要がある。守護石は紺色の宝玉で、身につけた者の身辺を浄化する働きがあり、浄化段階の低い地へ赴く際の負担を軽減してくれるのだ。

 この細かい区分は、大講堂内でもある。地上に近い階と天上に近い階ではまた、浄化の度合いが異なるからだ。つまり、より高く、より洗練された層へ入ることが可能な者は、それだけ崇高ということになる。

 理想郷が始まってそのことを痛感した天上人は、これまでよりいっそう上位天位者を敬い、核を尊ぶようになり、神王である寅瞳の前では額突いた。ことに昔、大講堂へ核を置くという問題について反対していた者たちは、卑屈なほどひれ伏した。寅瞳はいつも困った顔をしていたが、沙石が「当然だし、あいつらもそうせずにいられないんだから、やらせておけよ」と言うので、とりあえず放置している。

 寅瞳は理想郷確立の際、浄真界を捨てて神界へ降りた。浄真界というところは完全なる流転の理に支配されていて、天上界とはひとつになり得なかったからだ。

「理想郷の確立前に、神界へ降りておけよ。まさか永遠に一人で生きてくつもりじゃないだろ?」

 と言われたことも影響している。当時の寅瞳は半分とどまることを考えていたが、沙石の言葉に従った。ほかの誰かにも諭されたような気もするが、そのあたりは覚えていない。とにかく皆といることが自分にとっての幸福なのだと選択したことは確かである。

 その際に一度捨てた「寅瞳」という名を拾い、過去世の名を捨てた。捨て去られた名はもう誰も思い出すことはない。すべては、流転の理の渦に飲まれて消えたのだ。苦しみも悲しみも、死も——今は遥かに遠い昔のことである。


***


 ところで、昨今はどの居住区でも来月にひかえた第七世代開幕へ向けてお祭りムードにわいている。理想郷は歳月に限りがないため、一億年を一世代としてくくり、新世代を迎えるための祝賀祭がもよおされるのだ。つまり、全民を巻き込んだ久方ぶりの大きな祭りである。

 この頃になると、上位天位者は遠方へおもむく機会が増す。パレードをおこなう道の整備や利用において、許可を与えねばならないからだ。


 天位五の鷹塚永治(たかづかえいじ)は本日、第四居住区へと足を運んでいた。天位十五位の天位者が大通り沿いの家々をまわり、パレード時の通行許可書を作成しているのだが、一軒だけ注意しなければならない家があるせいだ。

 永治は小さな家の戸を叩いた。一人暮らしに手頃な大きさの、石造りの簡素な建物である。通りの名は「日の射す街道」。理想郷確立以前からあった中古の住まいだ。

 この家の注意すべき点とは、家主の男である。その者は天位零という特殊な天位を持っているにもかかわらず、第四居住区に住み続けているという変わり者で、この世で唯一、究極浄化を使う。

 究極浄化とは文字通りの意味を表す言葉で、すべての穢れを微塵も残さず浄化してしまうという凄まじい力である。使い方を誤ればこの世を昇華し、なにもかもを光に変えてしまうという恐るべきものだ。

 当然、野放しにはできないうえ、大講堂の最上階へも到達できる身分であることは確認済みのため、相応の扱いをしなければならないのだが——みなこぞって大講堂への入居を勧めてみるも、当人は頑として動こうとしない。自力で浄化できることから守護石を必要としないのも一因だろうが、なかなか厄介な男だ。そのため十五位の者では力不足ということで、天位五の永治が対応に出向いた次第なのである。

 さておき、その家は玄関の戸を開けるといきなりダイニングだ。小さな住居はだいたいそうしたものなので気にはならないが、住んでいる天位者が釣り合わないのは、やはり気になる。部屋数も少なく、右手に書斎、左手に寝室と、たったこれだけだ。

「何度来ても狭いですね」

 ダイニングに通された永治は、家主に向かって言った。亜麻色の髪、紺青色の瞳。名はシュウヤ。種族的位置づけは神界人である。和装と呼ばれる格好が主流だ。

 一方、永治は混血種で上位天位者という立場があるため、濃い緑の丈長外套を着ている。見た目が軍服っぽいので、元軍人の彼にはお似合いだ。

 だがこの二人、起源はどちらも地球である。しかも縁あって長い付き合いだ。

「ほっとけ」

「すみません。とりあえずサインしてください」

「はいはい、ごくろんさんっと」

 手早く署名したシュウヤを、永治はしばらくじっと眺めた。嫌でもその視線に気づかざるを得ないシュウヤは、怪訝そうに眉をしかめた。

「なんだ?」

「いえ」

「なんだよ」

「ちょっと、昔のことを思い出しまして」

「昔?」

「地球でのことを」

「ああ」

「つらいことばかりでしたが、今となってはいい思い出です」

「……そうか。まあ、ここじゃ弟と生き別れなんてことにはならないんだから、元気にやれよ」

「ええ。そのつもりです。それでは」

 永治は一礼して踵を返した。シュウヤは、理想郷の世でそんなに古い話を持ち出すなんて珍しいやつだと思いながら見送った。

 とはいえ、かく言うシュウヤも内心は昔のことばかり思い出している。いや、昔のことばかり考えて来たのだ。この六億年もの歳月、想いを馳せるのはいつも理想郷確立以前の世界だった。今では誰も語ることのない、流転の理が支配する美しい時代——


***


 一週間後。

 シュウヤのもとに、今度は杉沢英路(すぎさわひでみち)が訪ねてきた。彼は神界人の竹神を祀る法力師として有名で、徳の高い坊主であったが、神界へ上がることはとうとう叶わず、修行の末に天位を得た。そのためか身なりはシュウヤと同じ、おもに白い着物に袴である。見た目年齢的な部分も差はなく、互いに三十前後の風貌だ。

 二人の出会いは第一地球の時代で、シュウヤが特殊能力を有するがゆえに修行を必要としたのがきっかけだ。英路はその修行を助けるため師匠となって、共に切磋琢磨した。

 その後は第二地球へ転生し、グラスゲートで子供による子供のための組織を結束。シュウヤをリーダーに据え、マフィアと戦い勝利をおさめた。

 当時の活躍により天位を得るに至った英路は、転生期に天上界を訪れ、理想郷の住人となった。現在は天位四十九。第一居住区の住人とはいえ、天位零のシュウヤとの身分差は大きい。しかし昔からの馴れ合いで親しい付き合いは続いている。何かあればこうして訪ねて来る具合だ。

 シュウヤは「祭が近づくと訪問者が増えるな」とブツブツ言いながら、英路に茶を出した。英路は会釈しつつ、片眉を上げた。

「ほかに誰か訪ねて来たのか」

「鷹塚の双子の兄貴のほう」

「ああ、例の許可書か」

「うん」

「こんなところに住んでいるからだ。本当に大講堂へは移らないのか」

「何度も言わせるな」

「私も言いたくはないがな。こんな家がそんなにいいか?」

 英路はダイニングを見渡した。

「広さは一人暮らしに最適だが、粗末だ」

「簡素と言え。このシンプルさがいいんだ」

 シュウヤは意見し、英路が見渡したあとを目で追った。

「管理も任されてるし」

 シュウヤの呟きに、英路は顔を向けた。

「誰に?」

「秘密」

 無表情に暗い顔で答えるシュウヤを眺めて、英路は眉をひそめた。

 シュウヤはいつ訪ねても決まった曜日にしかいない。一週間の内六日は不在で、どこへ行っているやら皆目見当つかない。それは理想郷確立以前からの話で、今も謎だ。

 不吉な推測をするなら、大講堂を避けて暮らし、週に一度しか所在がつかめないような行動をしているのは、この世に不満を抱き敵対しようという意志の表れかもしれない。

 実のところ英路の疑念は、口にしないだけでほかの上位天位者も思っていた。だが不用意に追求して刺激しないように心がけている。なにしろ特殊な天位を持つうえに、究極浄化を使う。シュウヤが全霊をかけてその力を使う時、この世の全ては浄化され、昇華し、光となって消え失せてしまうだろう。そんなことになっては大変だ。

「とにかく祭事には参加するように」

「結局それ言いに来たのか」

「最高位から直々に賜ったのだ。聞き届けてもらわねば困る」

 シュウヤはため息ついて、髪をクシャクシャとかき分けた。

「分かった。行くよ」

「よろしい」


 シュウヤが祭事に参加するという約束を取り付けた英路は、その報告を怠らず、最高位こと帝人の前に跪いた。帝人は謁見の間の中央の椅子に座り、肘掛に頬杖ついて盛大なため息をついた。

「やっと首を縦に振ったか。まったく、あの男は一体なにが気に入らないんだ」

 英路は恐縮して額突いた。

「申し訳ございません」

「おぬしが謝ることではない」

「いえ、かつての教育者として、責任が」

「いつの時代の話だ。ともかく、真意を探ろうにも不可視の心を持つ男だ。直接会って話をしてみるよりほかない」

 帝人の懸念は、ともすれば最高位の自分と並んで政権を握る立場にあるシュウヤが、そこを敬遠し、第四居住区から動かないことである。周囲の者が危惧するように、世に反感を抱いているだけならまだ事は容易い。が、なんの意図もなくそうしているとなるとややこしい。それはきっと執着という感情以外の何者でもないからだ。

 執着心は剥がしにくい。信念に似て魂に強く根付き、周囲が引き離そうとするほどしがみつく。

 帝人は深刻な表情で顎をつまんだ。

 あの家へ居座るにしても、鷹塚の双子に頼んで新築同然に造りかえれば良いものを、古いままの姿で残し続けている。おそらく思い出があるとかいう理由だけではないだろう。六億年もこだわっているのだ。絶対にそれだけであるはずがない。では何があるのか。

 帝人は静かに目を閉じた。

 あるとするなら、流れて消える世界へのノスタルジーだろう。

 時に刻まれた壁の傷や色あせた柱には、物としてあることのはかなさと憂いがある。過去には輝いていたであろうとおぼしき面影は、まるで老いてゆく人のようだ。

 シュウヤがそれらのものに恋い焦がれているとしたら。

 脆くて切ない、淋しくて物悲しい、そんな情緒を求めているのだとしたら。

 帝人は不吉な予感がして瞼を上げ、宙を見据えた。すると、

「別になんも考えてねえんじゃねえの?」

 と、不意に沙石が横から口を挟んだ。沙石は現在天位二である。天位一位が一人しか得られない以上、事実上の最終位だ。最終位は最高位が謁見をする場合、同席をする。現在の最終位は空呈を始め、沙石克猪、沙石崇、燈月、海野拡果、覇碕悠崔、由良葵虎里の七名だ。大御神や大龍神、また核を務めた者たちも大体この位置づけだが、天位によるものではないため同席の任は得ていない。

「では、なぜ我々を避ける」

 神界へ行って天位まで得たシュウヤに関して疑問の多い帝人は、当然な質問をした。つまり神としての位を得るには、神界人になるか天位を得るか、どちらかで済む話だ。それをわざわざ両方手にした理由も計りかねているのである。

「あれって避けてんの? 単にあの家が気に入ってんじゃねえの?」

「それはもちろんだろうが、他にも何かあるかも知れない。少しは人を疑え」

「なんだよ。つーか、理想郷確立して丸六億年経ってんだぜ? なんかする気なら、もうとっくにしてんだろ」

「理想郷は、そう簡単に手を出せる代物ではない」

「じゃあ、手ぇ出さねえんじゃねえの?」

 帝人は沈痛な面持ちでこめかみを押さえた。

「おまえとは議論すべきでないな」

「なんだよー」

 沙石が膨れたところで、英路が一歩進み出た。

「私にできることがありましたら、何なりと。シュウヤ殿の動向には目を光らせておりますゆえ」

 帝人は英路に視線を投げ、軽くうなずいた。

「期待している」

「ははっ」


 謁見の間を出た最終位の七名は、帝人の後をぞろぞろとついて歩きながら意見を交わした。

「強制的に移住させるよりほかないと思うが」

 燈月が言うと、空呈が肩をすくめた。

「究極浄化を使えるということは、場所を選ばないということです。浄化された大講堂の最上階へ住もうが、不浄の極点で暮らそうが、まったく問題ないのですから、無理でしょう」

「しかし社会の調和を乱す。たとえ本人がどうあろうと、理想郷のあり方にそうべきではないか」

 と言ったのは虎里だ。背で言い交わされる内容に、帝人はため息をついた。

「私が憎いのだろうか」

 みなは驚いて足を止めた。

「な、何故そのようなことを」

 帝人は振り返って答えた。

「理想郷を確立したのは私だ。すべての民が理想郷を望んでいると思っていたからだ。しかし、そうではなかったのかも知れない」

 そこへ海野拡果が歩み出た。

「いいえ、すべての民が望んでおりました。望まぬ者は転生期に訪れなければ良かっただけのこと。恨むのは筋違いです」

「拡果殿のおっしゃるとおりだ」

 同意の声を上げたのは覇碕悠崔である。ついで、他六名もうなずいた。それに応えるように、帝人も一応うなずいた。

「……まあ、ようやく重い腰を上げる気になったようだから、とにかく話をしてみよう」

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