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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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01.確立

 そして五十年。神界による支配の時を経て、帝人は真に神の頂点へ立った。大いなる技であらゆる世界を天上界へ吸収し、次元を極限まで引き上げ、完全なる神代の世界を実現したのである。

 気が付けば、誰もが頭をたれていた。人はもちろんのこと、天位者も神界の神々も、核を務めた者も、核の中心となって世界を見守り続けた大龍神も、そして最古の神であり、浄真界の神として最も崇高な立場にあった寅瞳さえ、帝人の前で頭を下げた。

 それは心からの敬意だ。一位を得るまでの経験と、この五十年の努力に対する労いである。

「かつてこれほどまでに理想郷の確立という夢が現実味を帯びて目前に迫ったことはないでしょう。ひとえに、一位を得た貴方様の大変な努力と決意の賜物です」

 大龍神は述べ、帝人を見守る群衆の中に引き下がった。

 その日、雲は筋状に流れていた。広大な大地と大海原を大気が包み、生命の巨大なうねりが鼓動を高めていた。

 機が熟したことを悟った帝人は、大講堂の中庭に設けられた祭壇へ進み出た。祭壇は円形に切り出した御影石を磨き上げたものである。直径はおよそ五メートルだ。

 中央に立った帝人は両腕を広げ、空を見上げた。筋状の雲の隙間から漏れる柔らかな光は辺りを照らし、大小様々な光球が宙に踊る。見守る神々は、理想郷の訪れを予感した。悠久の年月、あらゆる者が待ち望み、目前にしては敗れた夢——それが今ようやく叶おうとしているのである。

 しばらくすると、帝人が見上げる空の彼方からひときわ大きな光を放ち、降りて来る者があった。界王こと飛鳥泰善だ。

 一九四センチの身の丈の中に惜しげもなく費やされる美はあまたの芸術を蹂躙し、価値を失わせる。驚くほど均整のとれた身体。見る者の魂を瞬時に奪い去るほどの美貌。それはまさに美の結晶である。

 何度見ても唖然として見とれてしまう究極の人を前に、帝人は固唾を飲んで片膝ついた。

「理想郷を確立し、この世界より流転の理が排除され、貴方に関する記憶のすべてが奪われようと、我々の愛が永遠(とわ)に貴方のもとにあらんことを」

 帝人が述べると、泰善はうなずいて答えた。

「俺が見てきたものがこの世のすべて。俺の思考になり得なかったものは存在しない。至高の神から地底の塵に至るまで、森羅万象はこの愛のもとにある」

 それから互いはしばし視線を重ね、沈黙した。最後の決断と覚悟である。

 帝人は息を止め、緊張で固まった両腕を前へ差し出した。泰善はその上に左手をかざし、右から左へ撫でるように動かした。すると帝人の両手に橋をかけるようにして、長剣が現れた。銀河を散りばめたような紋様が印象的な漆黒の剣である。

「これはこの世のありとあらゆる者の死だ。この身に預けるといい」

 帝人は顔を上げて泰善を見つめた。その目は動揺している。この剣をもって何をなせと言っているのか、漠然と理解したからだ。「あらゆる者の死」を泰善に負わせることは元より承知だ。が、このような方法であるとは思いもよらなかったのだ。

 泰善は微笑んだ。

「俺は死なない。迷わず貫け」

「し、しかし」

「単なる儀式だ。流転の理を排除するという行為を体現することによって、停止の理を効率よく反映させることができる」

「もっとマシな方法はないのですか」

「ない」

 帝人は沈痛な面持ちで目を伏せた。

「トラウマになります」

「忘れる」

 事もなげに告げる泰善を帝人が睨むと、泰善は苦笑した。

「死のない世界を手に入れるということは、それだけの対価が必要なのだ」

「死を免れるということは、それほど罪でしょうか」

「人は生きるために生まれ、生まれ変わるために死ぬ。肉体の死を恐れて免れた先には悲しみも苦しみもない代わり、生誕の喜びもない。魂の休息もない。流転の理が俺の中で絶対的な支配力を持つかぎり、それに逆らうことは罪と言える。しかし、それでもお前たちは選ぶだろう。愛する者を失わぬ世界を。そして二度と望むことはないだろう。いっときの別れに嘆き苦しむ世界など。ゆえに俺は、許すことで逃すのだ。この許しは、お前たちが理想郷で至福を見出した時に報われる」

 寛大すぎる言葉に、帝人の心は大いに揺れた。

 死を恐れたことがある。別れを悲しんだこともある。だが愛する者とは必ず巡り会えた。それは界王が常に新しい世界を用意し、慈悲の心で導いてくれたからだ。その存在を無視することなどできるはずがない。望まぬことなど不可能だ。だがこれからやろうとしていることは、それらの否定だ。

「……本当に、これが正しい道なのでしょうか」

 帝人の問いに、泰善は穏やかな笑みで答えた。

「正しいことはいくつもある。その中からひとつを選ばなければならないだけだ」

 泰善は簡単に言うが、それは難しい選択である。どちらかが不正解というなら事は容易い。だがどちらでも正解となると——

 そこまで考えて、帝人は首を横へ振った。

 いや、本当はもう決まっている。理想郷を確立することが夢であり、みなが目指してきた道なのだ、と。

 心を鬼にして、柄を握りしめる。その手は少し震えた。剣を界王へ向けることはためらわれるが、やらない訳にはいかない。「これはあくまでも形だけの儀式だ」と帝人は自身に言い聞かせ、ゆっくりと立ち上がった。

「よろしいですか?」

 帝人は泰善を見据えて問い、泰善も帝人を見据えてうなずいた。

 漆黒の剣は泰善の胸に向けられた。心臓を貫くイメージである。想像だけでも耐え難いことではあるが、そうしなければ理想郷は誕生しないのだ。

 決別と旅立ちの時である。

 帝人は構え、剣を突き出した。剣先が泰善の胸に軽く当たる程度の距離感である。だがその瞬間、泰善が一歩踏み出した。帝人はギョッとして腕を引きかけたが、遅かった。泰善が刃をつかみ取っていたのだ。帝人が引かぬよう、しっかりと。

 剣は泰善の胸を貫いていた。手に伝わるその感覚に帝人は真っ青になった。しかしそれとは対照的に、泰善の表情は穏やかだった。

 大きな光の塊と、無数の光の玉が体の内側から放出される。と同時に泰善の姿は幻影のように薄れ、消えていった。それが死だと悟った帝人は、心の底から嘆き、悲しんだ。

 この世が失われても界王は死なないとは言うが、それは魂の話である。流転の理において、その肉体が失われないということは決してない。魂は始点界へ帰り身体を再生するだろうが、一度死んだという事実は永遠に残り、命を奪った者が誰であるのかという真実も永久に変わらないのだ。

 帝人は未来永劫消えることのない罪に胸が押しつぶされそうになった。こうまでして叶えなければならなかった理想郷とはなんなのかと自問した。だが答えを持つ者はもうここにはいない。

 涙を拭って顔を上げた時には、何故泣いていたのかも分からなくなってしまうだろう。忘却の力が世界を包み、そして去ろうとしている。巡るものはいま時を止め、影は色を失くして光に溶けた。理想郷という世界が開かれたのだ。

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