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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十二章 激動
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07【帝人】その四

 世の終わりには、すべてを失う。では始まりには何を得るのだろうか。


 仄暗い空の一点の輝き。それは星ではない。肉体を捨て、永遠の時を選んだ魂の世界だ。その光に惹きつけられるように大地は浮上し、明るさを増してゆく。と同時に強い風が吹きつけ、大量の霧が発生した。

 やがて空を割るような轟音が鳴り響き、地を裂くような振動が身体を突き抜けた。大気は波打ち、世界は明滅する。

 窓から空を見上げると、光と風が薙ぎはらう霧の隙間から月が見える。神界から受ける光を反射する黄金の満月は、視界をほぼ埋めてしまうほど大きい。

 誰もがそれを仰ぎみるように燈月も目を見張ったが、すぐに総毛立って思わずカーテンを閉めた。その行動を咎めたのは沙石である。

「なんで閉めるんだよ。見えねえじゃん」

 鷹塚の屋敷の一室である。顔ぶれは、燈月、沙石、帝人、桜蓮、麗、空呈、灯紗楴、永治、光治の九名全員だ。この歴史的瞬間を共に迎えるため集まったのである。しかしカーテンを閉じられては元も子もない。

「しっかり目に焼き付けるんじゃなかったのかよ」

「すまん」

「謝ってねえで開けろよ」

「俺が部屋を出てからにしてくれ」

「は?」

 沙石が眉をひそめても、燈月は構わずさっさと部屋を出た。

「なんだあいつ」

 小首をかしげながら背を見送った沙石に、帝人はため息を送った。

「察しろ」

「なにを」

「狼なんだろう?」

「あ? まさか満月で変身するとか言うなよな」

「言わん」

「じゃあなに」

「狼といってもただの狼ではない。生身で神界へ上がれるほど格のある銀狼だ。この世で受けた姓名を見ても、月を司る者であることは確かだ」

「え、マジで?」

「神界からの光に影響を受けている。天上界を浮上させている私と、衝撃に耐えねばならないお前たち核同様、燈月殿も踏ん張り所というわけだ」

 沙石は唖然とした。月といえば太陽の次に位置する存在である。太陽を司るのが大御神で、月を司るのが燈月なら、燈月は神界人でなくてはおかしい。

 沙石の思いを透視した帝人は微かに笑った。

「そのあたりは定かではない。当人の記憶になく自覚もないのなら、私には確かめようがない。真実は界王のみぞ知る」


***


 天上界と神界の衝突による衝撃は丸一日続いた。そして衝撃が収まると、上空より垂れ下がった光の帯が坂道を形成した。神界への道である。地上へ降り注ぐ光は空気を清浄化し、どこからか響いてくる笛の音が、傷ついた大地を癒す。その崇高さに人々は頭を垂れ、神々は胸に手を当てた。

 大講堂の前に現れたという神界への道を視察するため、帝人が鷹塚の屋敷から赴くと、上位天位者らはすでに集まっていて、帝人に一礼した。みな先んじて確認したのだろうと思い、帝人が「どうだ?」と尋ねると、全員首を横へ振った。

「触れることはかないません」

 彼らが言いながら手を伸ばすと、幻影に触れるがごとくすり抜ける。

「どれ」

 と言って、今度は帝人が手を伸ばした。すると容易く手応えを感じた。帝人は試しにと、空呈にも触らせた。それから数名の者に試させてみて、結果的に一位の神と核のみ触れられることが判明した。

 そうこうしていると、天上より光の帯を伝って降りてくる者があった。白く長い髪と、漆黒の目の中に光る金色の輪が印象的な青年である。桔梗色の異世界の衣装を身にまとっている。徳の高さを物語るように内側からは輝きが溢れていて、見上げる上位天位者らの膝は自然に折れた。

 その男は、帝人と視線を合わせて言った。

「これより天上界は神界の支配下に置かれます」

 帝人は目を剥くように男を凝視した。

「なんだと?」

「金の鳳凰のお告げです」

「金……?」

「新世界の始まりには金の鳳凰が、終わりには銀の鳳凰が現れます。金は界王の右側に従い、銀は左側に従います」

 帝人が眉間にしわ寄せると、燈月がやって来て肩をつかんだ。

「彼は大龍神です」

 何度か聞いた名に、帝人は動揺した。大龍神といえば、核が神界へ旅立つとき笛の音で導くという、核の中心人物というべき神である。つまり燈月は、遠回しに彼の言葉が偽りではないと言っているのだ。

 帝人が黙して見上げると、大龍神はおもむろに懐より横笛を取り出し、唇に当てた。すると妙なる調べが辺りに響いた。そこからもたらされる癒しの力は絶大である。

 深い慈愛と温かな癒しに人々は落涙して地にひれ伏し、上位天位者も深く額ずいた。長の地位にある者も、二位を胸に抱く空呈も膝をついてしまうほどである。だが帝人は屈しなかった。核の加護を感じることには慣れている。まして一位を受けた時に感じた界王の愛に比べれば、いまさら魂を揺さぶられるものではない。代わりに周囲の反応に戸惑っていると、大龍神が笛をしまい、優しく微笑みかけた。

「神として、最も偉大な力を与えられた方というのは、貴方で間違いないようですね」

 帝人は眉をひそめた。

「最も、偉大な? 一位が?」

「いいえ。確かに天位一位は核に匹敵する力ではありますが、最も偉大とは言えません。私が申し上げたのは、貴方が生まれながらに持っているその力、透視能力のことです」

「——初耳だが」

「界王はあらゆる力を有します。中でも人の心を見極める能力は、他に与えてはならないとしたほど重要な能力です。魂の選別には欠かせませんからね。貴方はそれを与えられた意味を知り、これから自覚していかなければなりません」

「と、言うと?」

「今は神界の支配下にあるこの世界を、いずれは神界ごと治め、真に神の頂点へ立つことが望まれます」

 帝人は大きく目を見開きながら、完全に言葉を失った。

 長いこと苦しめられた能力だ。しかし今は自由に制御できる。それは天位一位を得たからに他ならない。ただそれだけのことだと思っていた。だが真実はそれほど生ぬるいものではなかったのだ。

 すべては界王の計画である。それはキール・マークレイとして生を受けた時から始まっていた。過去の記憶を封印されたまっさらな状態で透視能力を与えられ、知らず神への道を歩まされていたのだ。

 帝人は息を飲み込み、拳を握って声を絞り出した。

「なぜ私が」

 大龍神は静かにうなずいた。

「賢者であった頃の貴方を、大変高く評価されたのです」

「何も成し遂げられはしなかったと思うが」

「いいえ。貴方はいかなる時代のいかなる世界でも、神を見出しました。それは貴方に守られた核が証明しています」

 帝人はうつむいた。そしてふと、ある記憶が蘇った。アンダーコートの惨劇である。銀色の炎に追われ、身を焼かれる人々の姿を、帝人は確かに透視した。村を出る決意をした少年の背を尾行する村人。その前に立ちはだかる美しい男。漆黒の髪に始点界の青の瞳——男は言った。

『俺は終わり。世の終点。俺は死。生きとし生ける者の死。俺は流転の最後。すべてを閉じて消し去る者。俺は界王の半身。左を司る終焉の象徴』

 村人は立ち去ろうとするキールを執拗に追い、殺そうとしていた。ゆえに界王の怒りに触れ、焼き殺されたのである。彼らに対する慈悲のない裁き。それを視たキールは憎しみを焼かれた。サンドライトに諭されてもなお胸にわだかまっていた復讐心を根絶させられたのである。

 界王は、キールがこの残留思念を目にする未来を予想していたのだ。そこでサンドライトと共に行くよう道を示したのである。

「界王様の信頼を裏切ることのないように、ご精進ください」

 大龍神の言うことに、帝人は沈痛な面持ちで目を閉じた。

 信頼に答えれば、界王はあらゆる者の死と苦しみを抱えて記憶から消え去る。この理不尽を受け入れることは永久に不可能だろう。それを承知の上で綴られた台詞は、言った本人の心を傷つけると同時に、帝人の胸を深くえぐった。

 帝人は静かに目を開き、大龍神へ告げた。

「私は、界王さえも予測のつかない奇跡が起きることを願っている。それは信頼に答えたあとも変わらないだろう」

 大龍神は優しく微笑み、そっとうなずいた。


***


 大龍神との一連のやり取りを寅瞳に話して聞かせると、寅瞳はやや困惑した表情でうつむき、ため息ついた。

 神界の西の祠である。特別に肉体を持って上がることを許された帝人は、さっそく面会を申し出て叶えられたのだ。

「私たちは最後の最後まで、忘却の力に逆らうことはできないと思います」

 相変わらずネガティブだが、穢れを払った寅瞳は誰が見てもこれ以上にないというほど崇高な光を放っている。さすが神王だ、と帝人は目を細めつつ答えた。

「どうしても抗えないだろうか」

「はい。その力を最も欲したのは飛鳥様ですから」

 思ってもみない回答に、帝人は驚いた。

「界王が?」

「飛鳥様は忘れることができません。この世の始まりからの歴史を、一分一秒、寸分たがわず正確に覚えていらっしゃいます。すべてを司る者として、記録しなければならないからです。飛鳥様は忘却の力を振るいますが、ご自分に対して使うことはできません。忘れ去りたいほど、つらく悲しいこともおありでしょうに」

「……慈悲だと言うのか」

 寅瞳は悲しそうに微笑み、うなずいた。

「忘れることでしか癒せない苦しみがあることを、誰よりも分かっていらっしゃるのです」

「苦しむなと言うのか、この私に」

 反発する帝人に向かい、寅瞳は顔を上げ、澄んだ目で見据えた。

「これまで充分に苦しんで来たことはご存知なのです。そのうえ、誰も経験したことのない痛みに晒されるご覚悟をなさいました。忘却は貴方への対価なのだと思います」

 核の成し得なかったこと、誰も手にすることができなかったもの。それを実現する者への祝福が忘却なのだと言う、寅瞳の目には涙が滲んでいた。

「私がこの世に生を受けた時から、飛鳥様は側にいてくださいました。普段は親のような存在でしたが、教師のようでもありました。ですが物心がつき、神としての自覚を得ると、本当は何者であるか理解できるようになりました。この人は神をも超越した揺るぎない存在なのだ、と。それゆえに孤独なのだと。私は、少しでもお力になれればと精進して近くにいられるよう努力しました。しかし始点界に入れないことを知った時、私ではダメなのだと悟りました」

 寅瞳は深くため息をついて顔を横向け、開け放った障子戸の向こうにある蓮の池を眺めた。

「とても残念に思っていた時、私は〝決して覗いてはいけない〟と言われていた湖を覗いてしまいました。そこから地上で苦しんでいるたくさんの人々が見えました。そして私の加護を求める多くの声が聞こえてきたのです」

 湖の底に見えたのは忘却の世界だと察し、帝人は共に蓮の池を見つめた。

「いつしか私は、私を必要としてくれる人々へ心を傾けるようになりました。すると時々、飛鳥様のことを忘れるようになったのです」

 帝人は視線を戻した。寅瞳の横顔はたとえようのない悲しみに満ちていて、胸が締め付けられた。

「神は人々のためにあり、ご自分のためにあるのではないと知ればこそ、人々の存在を知らせたくなかったのかもしれません。いつか知らせる時が来るにしても——飛鳥様はご存知だったのです。私もまた、人々と同じ。自分を忘れてしまう存在なのだと。そのきっかけが、下界にあるのだと」

 寅瞳は蓮の池から視線を外し、涙を湛えた瞳で帝人を見つめた。

「決して覗いてはいけないと言われていたのに、どうして私は覗いてしまったんでしょうか」

 寅瞳の心は界王を裏切ったという後悔に苛まれていた。当時、界王の存在を知るのは寅瞳だけだった。その寅瞳に忘れ去られる界王の苦しみを思うと、自分がとった行動の愚かさにやり場のない怒りを感じるのである。そして界王の内に秘められた痛みは理となって世に紡がれ、形を成して人々をさらに苦しめた。

 界王は思ったことだろう。人々の苦しみを消し去るにはどうすれば良いか。そして模索したことだろう。忘却を幸福に転換する方法を。

 それから何万という年月を数え、神や人々の願いを聞く内に、答えへたどり着いたのだ。

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