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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十一章 回顧
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02【古代編】その弐

 清玲長を睨みつつも、帝人は寅瞳の気持ちを尊重して気を鎮めた。

「分かりました。言い争いはやめましょう。しかし、それでも貴方を連れて行きます」

 寅瞳はハッとして、清玲長を見た。退学したがっていたにもかかわらず、清玲院から離れて暮らす不安をよぎらせたのであろう。

 そんな心情を敏感に感じ取った帝人は、苦笑した。それこそが神王としての防衛本能ではないかと考えたからだ。ただでさえ加護にエネルギーを消耗する神王が清玲院を出るということは、半ば死を覚悟せねばならない。

「私がここへとどまっても構いませんが」

 仕方なく譲歩すると、寅瞳はキョトンとした目で瞬いた。清玲長などは、すっかり目を丸めている。自分が何度言っても出て行ってしまう賢者が、一人の少年のためにとどまろうというのだから、青天の霹靂だったのだろう。

 帝人は清玲長を見据えた。

「私の推薦でこの子を候補生にします」

 賢者の推薦を蹴ることなどできようはずもない清玲長は、額に汗し、硬い表情で目をそらせた。

「勝手にしろ」


 しかし悪い噂が一人歩きした。

 神王が自身に加護の力を施せないのは周知の事実だ。それを利用して賢者を騙し候補生に上がった、などという陰口が蔓延して、寅瞳は非常に肩身の狭い想いをした。

 だが意外にも、清玲長の推薦する例の候補生が現状を救った。

「ぼく、レイルっていうんだ。よろしくね」

 彼が寅瞳に手を差し伸べたことで、周囲は口をつぐんだ。レイルはそれほど信頼厚く、人気者であったのだ。

「ぼく、実は玲官長になりたいんだよね」

 レイルが言うと、寅瞳は驚いた。

「えっ、でも神王かもしれないのに」

「うーん、周りが期待してくれるのは嬉しいけど、違うと思うよ」

「どうして?」

「加護を感じる気がするから」

 寅瞳はポカンと口を開けてレイルを見つめた。

 加護というものは感じようが感じまいが、万人が受けている。そして誰でもハッキリと感じるようになるのは、やはり十三の歳を越えてからだ。レイルはまだ十一だが、もうなんとなく感じているというのである。

「いいな」

 寅瞳は思わず本音をもらした。レイルは目を丸めた。

「え?」

 寅瞳はレイルから視線を外して、目を伏せた。

「僕もみんなと同じように加護を感じたい。全然、特別じゃなくっていいんだ。たくさん走りたいし、飛び回りたい。だから時々、この身体が嫌になる。僕自身が自分のことを嫌いなのに、周りが好いてくれるはずがないって分かっていても、本当に嫌なんだ」

 苦悩に歪む横顔を見て、レイルは震えた。寅瞳が言っていることは真実だと分かったからだ。ゆえに、

「元気を出して」

 と声をかけた。

「ぼくは好きだよ。だから友達になりたいって思ったんだ」

 寅瞳は驚いたようにまばたきしたあと、微笑んだ。

「ありがとう」

 レイルも微笑み返した。しかし心の中では、もし寅瞳が神王なら、こうして気安く発言することは許されなくなるだろうと思った。

 神王とは、この世で最も尊き魂であり、敬うべき対象である。それでなくとも無償の愛を受けて、民は感謝の気持ちでいっぱいなのだ。返しても返しきれない恩をどうすればいいのか。人々は未だに模索している。だからせめて清玲院に祀り、御身を守ろうと精進しているのだ。

 聖職者は、その中心に立てる。誰にとっても最高の夢だ。レイルがなりたいという玲官長などは、清玲長や賢者と共に神王の側近として働ける、得難い地位である。

 寅瞳を見ていたレイルは急に、

「ぼく、勉強しなきゃ!」

 と言った。寅瞳は目をしばたたかせた。

「え?」

「君と友達でいるためにも、玲官長にならなきゃ!」

「え、え?」

「これからぼく、部屋へ戻って予習と復習やるね! じゃあ!」

 勢いよく去って行ったレイルを見送りつつ、寅瞳は困惑した。


 二人の様子を物陰から見守っていた帝人は、微笑ましくもあったが、妙な気分でもあった。清玲長がレイルを推す気持ちがよく理解できたからだ。

 レイルは本当にまっすぐで優しく、努力家である。その点、寅瞳は気弱で内気で非常にネガティブだ。周囲が訝るのも当然だと思ってしまう。しかし今の様子で、レイルも寅瞳に何か見出したようだ。神王でしかあり得ない、何かを。


 それからしばらく経ったある日。

 帝人やレイルの気持ちとは裏腹に、寅瞳に対する周囲の反発が再び高まった。レイルがあまり寅瞳ばかり構うので、やきもちを妬いた生徒もあっただろう。だが単純に見比べて、どうしてもレイルのほうが神王らしかったのだ。何をもって「らしい」と判別するかは微妙だが、神王がどんなふうであったかなど、記憶も記録もない世では仕方ない。

「レイル、もうあんな奴に構うのやめろよ」

 候補生たちは一斉にレイルへ助言した。

「具合が悪いなんてさ、絶対演技だよ」

「あんなに何にも取り柄のない奴が神王なんてさ、正直、信じられないよ。運動は疲れるからダメなんてフリ、いくらでもできるし」

 レイルは心底困った様子で、肩をすぼめた。

「あれが演技だなんて思えないけど」

「レイルは優しいから。だけどアレは絶対、演技だよ。騙されてんだよ」

「でも」

「もうやめてくれよ。レイルがそうやってアイツのこと信じて、裏切られた時に傷つくんじゃないかって思うと、俺たちもつらいよ」


(演技……なのかな? 本当に?)

 レイルは周囲の友人の気遣いを理解していた。彼らが根拠もなく寅瞳を悪く言うはずがないと信じたくもあった。だが寅瞳のことも信じたいのである。しかし寅瞳を信じれば友人が傷つき、友人を信じれば寅瞳を裏切るのではないかというジレンマに襲われる。いったい自分はどうすればいいのかと、レイルは参ってしまった。

 そのせいで、レイルは無意識によそよそしくなった。寅瞳はそのことをひどく気にした。

「やっぱり僕、ここを出たほうがいいのかもしれません」


***


 繰り返しだ、と帝人は思った。

 核の摂理が理解されないあいだ、寅瞳は神殿を出るべきだと考え、沙石と一緒に風の荒れ狂う外へと身を投じた。

 昔とは違うと言ったが、寅瞳は変わっていない。あの頃と何も変わっていないのだ。


***


 レイルが十三の誕生日を迎え、玲官長の証である紋章が左手の甲に現れた時、帝人は十二歳になる寅瞳を連れて清玲院を出た。

 レイルが神王でなかった以上、賢者が推薦する候補生を相応に迎えるのが筋だと止めた者もいたが、ここ二年、風当たりのきつかった寅瞳の精神状態は深刻で、出ていかざるを得なかった。

「たとえ覚醒したとしても、僕は清玲院に戻ってくるつもりはありません」

 寅瞳はキッパリと言った。

「誰もが神王を心待ちにしているかもしれません。でもそれは僕ではないんです。称号がなくても人に好かれているレイルと、称号を得なければ認められない僕の違いは大きいです。たとえ称号を得て認められたとしても嫌々祀られるのは、つらいです」

 帝人はため息ついて、肩を引き寄せた。

「それは誤解です。みな、その身に受ける加護に対して純粋に感謝しているのです。貴方からいただいているものだと分かれば、貴方という人を誤解していた者の目も覚めるでしょう。ですから、必ず戻ってくると誓ってください。でなければ、ここを出て行かせるわけには参りません」

「誤解……なんでしょうか」

 寅瞳は呟いて、うつむいた。

「そうだとしても、どうして誤解は生まれるんでしょうか。忘却の力が僕たちの心を引き裂くなら、この残酷な世の中に真の救いなどないのかもしれませんね」

 帝人は眉をひそめた。

 確かに試練とはいえ、どうしてそれが忘却の力なのか。だがそれゆえに、神王の加護は人々にとっての救いなのだ。


 帝人は、これまで拠点としていた自分の別荘へ寅瞳を置いた。清玲院から遠く離れた最南の地である。穏やかな気候で自然豊かな場所なので、療養にも良い。

 寅瞳は、別荘の近くにある砂浜と、浅瀬が続く海を気に入った様子で、とても喜んだ。しかし遊ぶ時間はほんのわずかだ。海水に足をつけて数分ばかり夢中になっているだけで、すぐに息を切らしへたばってしまうからだ。

「もっと遊びたいな」

「ご無理はなさいませんように。休憩しながらお遊びください。浜も海も逃げたりしませんよ」

「そうですね」


 しばし時は緩やかに過ぎた。寅瞳は浜辺で遊び、疲れて寝てしまった。砂に敷いたシーツの上で、安心したように休む姿を見守りながら、帝人は水平線に視線を投げた。果てしなく広がる空と煌めく海面——いつまでもこうして平和な時が流れていればいいのだろうがと、やや憂える。


 が、やがてその日は訪れた。

 寅瞳は十三の誕生日を迎えて高熱にうなされ、額に紋章を浮かび上がらせたのだ。帝人は看病しながら、電報を打った。

 さなか、寅瞳が小さく呻いた。

「……飛鳥様」

 目尻から涙が流れた。深い悲しみが襲っているのだと分かったが、それ以上のことは、当時の帝人には知り得なかった。


***


 忘却。自己嫌悪。苦しみと悲しみ。

 これらのキーワードを結びつけるのは界王だろうと、帝人は考えた。だがやはり、どう結びつくのかは想像ができない。あの時の寅瞳が、何を思って清玲院から遠ざかったのか。なぜ泣いたのか。表向きな理由とは別に、本人も意識しない中で感情を突き動かす何かがあったのではないか。

 いろいろ模索してみるが、見当がつかないのである。

 その話を沙石に持っていくと最初は驚いていたが、最終的に「まだ言ってたのかよ」と文句をたれつつ、面倒そうに答えた。

「うーん。その時の寅瞳ってさ、界王のこと、今よりよく知ってたんじゃねえの?」

 帝人はじわりと目を見開いた。

「なるほど。着眼点がいい」

「え? マジ?」

「ああ。お前が適当に言ったのは分かっている。しかしいい線をいっている。おそらく当たりだ」

「ちぇーっ。褒めるんなら、ちゃんと褒めろよな。で? どんなこと?」

「寅瞳殿は忘れてしまっているから確かめようがないが、当時、義務こそなかったものの、理想郷を叶えるということが何を示しているのか理解していたとしたら、いろいろと納得がいく」

「つまり?」

「忘却に支配されていた世界は、寅瞳殿次第で割と簡単に理想郷を叶えられたに違いない。だがそうしなかった」

 沙石は口を半開きにしたまま、帝人を凝視した。恐ろしいことを語られる予感に、背筋が寒くなったのだ。

 帝人は沙石の心情を察しながらも、話を続けた。

「あの体力で加護を与え続けるのは苦痛だっただろう。それでも寅瞳殿は生死を繰り返しながら、理想郷には目を向けなかった。しまいには清玲院を出て神王という立場をも放棄しようとしていた。常に民と界王を天秤にかけて迷っていたのだ。が結局、界王を選んだ」

「それ……って?」

「流転の世を望み、民のすべてが神格を得る時を待ち、世界を昇華させたのだ」

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