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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十章 抑止
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10【帝人】

「おまえたちの憎しみは壊された。これをもって罪を許し、今生に別れを告げろ」

 死神の声がした。なんにしろ、許すということが成仏の鉄則だと言うのである。恨み辛みは今生への未練となるのだ。

 魔物たちは顔を上げ、死神を見た。漆黒の衣をまとい大鎌を持つ者は、きっと恐ろしい姿に違いないと、おそるおそる覗く。

 しかし、フードが風に揺れて素顔がさらされると、魔物たちは驚き、しばし戸惑った。プラチナブロンドにエメラルドグリーンの瞳——その姿は、かつて神と崇めた者と同じ姿をしている。人体にありし時、絶え間なく注がれていた加護と慈愛。それに刃向かうことなど考えもしなかった日々。

 魔物たちは輝ける時代を思い出し、後に訪れた地獄を振り返って落涙した。

 闇に心を侵食された日、救いを求めてさまよっていると、強烈な光が目の前に現れた。これさえ手に入れれば救われるに違いないと無我夢中で奪い合ったが、身を裂かれる時、光の正体を知って愕然とした。

 奪おうとしていた光は、サンドライトの命だったのだ。

 大切な核の命を奪おうとしていた己。肉体だけでなく心までも獣に成り下がっていたのかと絶望した瞬間の、激しい罪悪感と嫌悪感。

 あの日から延々と続いた苦しみが今、終わろうとしている。

 魔物たちは死神を見つめた。赤褐色に濁っていた瞳が、黒曜石の輝きを放つ。呪われた肉体を脱ぎ捨て、人魂として昇天を迎えるのだ。

〝……サンドライト様〟

 むろん死神はサンドライトではないが、姿が生き写しであるというだけで、彼らには有難かった。


***


 二人の旧友を思わぬ形で失った帝人と沙石は、しばらく感傷に浸りたい気分だったが、溜まりに溜まった仕事の処理に追われて、とてもそれどころではなかった。

「北側の復旧工事は終了した。そっちはどうだ?」

「東側は損傷ひでえから、まだかかりそう」

「資材の確認をして、不足があれば申請は空呈殿へ直接するよう指示しておけ」

「オッケー」

 やることは復旧作業の指示だけではない。政そのものが魔物騒動で停滞していたため、上位天位者は一人として休む暇などない。署名捺印する書類だけでも、うず高く積み上げられている。帝人は事務室の机の上を見て、げんなりした。

 そこへ寅瞳がやって来て、

「手伝いましょうか? 捺印くらいならできますよ?」

 と言った。帝人はいっとき眺めておいて、首を横へ振った。

「いや、大丈夫だろう。それより燈月殿のところにいたほうが……」

「いいえ。あちらは人手がありますし、私がいてもすることありませんから」

「そうか。では言葉に甘えよう」


 それから、書類整理を開始して小一時間たったころ。寅瞳が言った。

「こんなことを申し上げるのもなんですが、今回のこと、参考になりましたね」

 帝人は手を止め、寅瞳の顔を見た。

「というと?」

「一位の神になられるご予定でしょう?」

「ああ、まあ」

「飛鳥様は、魔物にされた人々をお救いになりたいとお考えだったはずです。そしてそれは、ご自分でもできたと思います。にもかかわらず帝人様に任されたのは、もちろん、そうする権利があるとご判断なされたからでもありますが、将来——最高位に立つ帝人様に、ご自分がなさってきたことを経験させようと思われたからじゃないでしょうか」

 帝人はやや目を見開いて、思慮深い寅瞳に関心を寄せた。

 確かに、界王のない世界で一位の神となれば、ほとんどの裁決を任されることになるだろう。たとえその対象が、どんな相手だとしても。ゆえに、苦渋の決断を今させることは、非常に意味のあることだ。

「……さすがに、八十億年も一世界の核として生きた神だ。目のつけ所が違うな」

 敬意を表すると、寅瞳は頬を紅潮させた。

「い、いえ、そんな、私なんて、ただ無駄に長く生きただけで、大したことありませんよ。ただそうじゃないかなって思ったことを言っただけで」

「いや……」

 と、帝人は寅瞳の心と記憶を目に映した。

 まっすぐに、正直に生きた輝ける魂。しかし時々、なにかにひどく怯えている。それはおもにラズヴェルトに負わされたトラウマだと思うが、もうひとつ引っかかりがある。傲慢にならないのは核としての性質であるが、その謙虚さは少々度を越していると思うのだ。

 原因はどこにあるのか。

 帝人は天位三の宝玉によって研ぎ澄まされた透視能力を用い、寅瞳の魂にある遠い記憶を探った。

 そして、グランシールが誕生して間もない頃までさかのぼった時、色あせて音の途切れた映像が見えた。魂に刻まれる記憶はどんなに古くても、たとえ思い出すことが不可能なものでも、劣化することはない。それがひどく乱れていたので、帝人は驚き、思わず立ち上がった。

 寅瞳は、キョトンとして帝人を見上げた。

「どうかしましたか?」

「あ……いや」

 帝人はイスに座り直した。しかし、寅瞳の記憶から目をそらすことができなくなった。

 読み取ることのできない記憶は、界王によって消し去られたものである可能性が高い。だが記憶の順序から見ると、グランシールに初めて誕生する前のものだ。とすると、これまで最古の世界だと考えられていたグランシール以前に別の世界が存在していたことになり、寅瞳の魂は天上界において最年長ということになる。

(グランシールに初めて核が降りた日に神界が形成され、その後、サルビアと天上界が築かれた。それが天位から授かった神の英知だ。だが寅瞳殿にそれ以前の記憶があるなら、それまでの世界はどうなったのだ? その時代に生きた者たちの魂はどうなった。なぜ記憶から消す必要が——理想郷を叶えたのか? いや、まさか)

 帝人は首を軽く振った。

 理想郷を叶えたのなら、寅瞳は未だその世界にいて、ここにいないはずである。ならば閉じられたと推測するのが自然だ。そして寅瞳だけが転生することを許された。ただし、記憶を消して。

 神や天上人の転生には前世の記憶がつきものだが、あえて省かれたのだ。しかし、いかに褪せてノイズのひどい映像であっても、残ってはいる。

 帝人はそこから何か読み取れないかと、意識を集中した。きっとそこに、今の寅瞳を形成するものがあるに違いないと確信するからだ。

 長きに渡り核を務めた身でありながら、自信も誇りもない寅瞳。それが帝人には納得いかないのである。むろん前向きな部分もある。だが謙虚さとは別に、己に価値をまったく見出していないという欠点も持つ。

 これは今のうちになんとかせねばならぬ、と帝人は思った。誰もが持つ、当たり前の自信を取り戻して欲しいのだ。この天上界を沙石と共に支えるのなら、なおさらである。


***


「え? 消された記憶?」

 沙石は眉をしかめた。その日の夜、相談があると言って帝人が部屋を訪ねてきたのだ。

「オレ、疲れてるから休みたいんだけど」

「分かっている。しかし大事なことだ」

「つったって、超昔のことなんだろ? あいつの性格がいまさら変わるとも思えねえし、忘れてんならいいじゃん」

「現在の性格に影響しているのなら無視できない。それに、もし私が見たアレが界王に消された記憶だとしたら、理想郷を叶えた後に我々が失う記憶も、潜在意識の奥深くに残ると予想できる」

 沙石はハッとした顔を向けると、帝人がうなずいた。

「完全に忘れないで済むかもしれない」

「だけど……かなり劣化してんだろ?」

「まあな」

「何が見えたんだ?」

「実はほとんど何も分からなかった」

「おい」

「しかし興味深い。グランシール以前の世界など、精霊としての神も存在せぬ時代だ。寅瞳殿がどのような立場にあったのか、気になるところだ」

「んなこと気にしてねえで、目の前にある仕事に専念しろよ」

「それは時間が解決する。いまさら焦っても仕方ない」

「んじゃ、おまえの悩みもそのうち界王が解決ってことで、ハイ、おやすみ」

 沙石は「付き合ってられっか」とばかりにベッドへもぐりこんだ。帝人は軽くため息ついて部屋を出た。


 自室へ向かって廊下を歩くさなかも、帝人は考えていた。丈夫で明るく前向きと言えば聞こえはいいが、だいぶん粗野で大雑把な沙石と違い、寅瞳は繊細でか弱く、頼りない。核としての実力は遥かに上だと思うのだが、それでも心もとないのだ。その違いの大きな要因は「性格」だろうが、それだけでは片付けられない何かがあると。

 そうしてふと、寅瞳の部屋の前で燈月を見かけた。なにやら深刻な表情で、扉を見つめている。いつ失うか分からない漠然とした不安が感じ取れる。

 帝人は声をかけてみた。

「大丈夫か?」

 燈月はやや驚いて顔を向けた。薄暗がりの中、浮かび上がる二つの月。その双眸に帝人は一瞬、絶句した。


 燈月の一番古い記憶は、狼の姿を借りた神にも等しい高級霊である。人が足を踏み入れぬ森に住まい、美しい自然に囲まれ心穏やかに暮らしていた、気高き魂だ。それが揺らいだのは、核が降臨すると告げられた時だ。

〝グランシールの唯一絶対神——それは失われし世界の遺産なのか〟

 と銀狼は訝るように目を細めた。

〝この世界にある魂はみな新しい。誰も彼を知らぬ。俺も知らぬ。そんなところへやって来ようというのか。再び傷つけられるかも知れぬというのに。そうなれば、この俺も傷つくやも知れん。闇の感情に流されるやも知れん〟

 そして燈月の記憶は、グランスウォールとの出会いへ飛んだ。

 白い髪と黄色の瞳。控えめで目立たぬグランスウォールだったが、燈月ことセリアス・ランドールは神たる者の品格を感じ取っていた。

〝古の神よ。なにゆえ真摯なる眼差しに希望を宿す。かつての世が昇華するまでにどのような辛酸を舐めたか、見て来たわけではないが、俺は知っている。叡智の水がそれを教えた。この世とて、その時が訪れるまでに大いなる災厄をもたらすかも知れない。それでも人々に与えようというのか。加護と、永遠なる理想郷の夢を。俺は東司教となって支えになれるのか。かつて貴方を影で守り続けた、賢者のように〟


 帝人の胸がざわめいた。燈月の切実な想いに揺らいだのか、同調したのかは分からないが、身につまされるような苦しみに心が痛んだ。そして己の過去を振り返る時、唐突に、天位一位を任されようとしている訳と、いま沙石が傍にあることの意味を悟った。

 まるで正反対の核を見守るという経験——そう。全ては経験なのだ、と。

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