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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第九章 追憶
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03【シュウヤ】その壱

 妝真が世を去って日もまだ浅く、感傷にひたりたい昨今ではあるが、そうしてもいられないのが上位天位者である。

 新政を発足させたばかりの天上界において、彼らの忙しさは殺人並みだ。ことに三位、四位の少ない魔族などは過労死しそうな勢いである。だがそれでもどうにか動けているのは、神族と使族のサポートがあり、沙石や寅瞳の加護があるからだ。

 とはいえ寅瞳はまだ五歳という幼い身体で、もともと丈夫でもないので、沙石ほどのフォローができるわけではない。それこそ、週に一度はシュウヤが様子を見に来るほど心配される立場である。

「あまり無茶するなよ?」

 神族長が忙しく働く事務室に立ち寄ったシュウヤが言うと、寅瞳の横にいた燈月が睨んだ。

「大丈夫だ。無理はさせていない」

「なんでお前が答えるんだ」

「こう見えても守り手だ」

「あっそう」

 そのやりとりに割り入ったのは沙石だ。

「そっちも毎週ご苦労だよな。界王の命令?」

 シュウヤは苦笑いした。

「そうだよ。でなけりゃ来るか、こんなとこ」

「え? そんなに空気悪い?」

「悪いね。風当たりが厳しすぎる」

「ハハッ。そりゃしょーがねえよ。アンタが界王の腹心だってこと、もうみんな知ってるし」

「んなこと妬まれてもなあ」

「でも、自分で望んだことだろ? どうやって取り入ったんだ?」

 沙石は興味津々な顔つきでシュウヤを見つめた。いや、興味があるのは沙石だけではないようだ。周りの長たちも急に手を止め、シュウヤに注目した。

 シュウヤはやや引き気味の姿勢で、頬を引きつらせた。

「なんで俺が攻めたていになってんだ」

「違うのか?」

「口説いてきたの、あっちだぞ」

 これには沙石もほかの長も、過去にないくらい目を丸くした。

「嘘だろ?」

「なんでだ。まあ、断れなかった俺が悪いんだけど、あの顔で口説かれたら、誰でもうなずくだろう? ほんとズルイよな、あいつ」

「マジかよ。なんて言って口説いてきたんだ?」

 シュウヤは沙石をじっと見た。沙石はそれをキョトっとした目で返した。

「なんだよ」

「なにってお前、そんなことここで言えるか。泰善に殺される」

「なんで? 俺の腹心として働け! とかじゃねえの?」

「そんなんなら言う」

「えー? じゃ、なんだよ。もったいぶってねえで言えよ。まさか脅されたのか?」

「違う。この話もうやめ」

「そうはいくかよ。言うまで部屋から出さねえぜ」

「なにっ」

 シュウヤは振り向いた。が時すでに遅く、いつのまにか長らが出入口を塞いでいた。シュウヤは焦って、また沙石に向き直った。

「どういうつもりだ」

 沙石はニッと笑った。

「オレ知りたいんだ。界王のこと。どうせ忘れちまうなんて、そんな投げやりな気分じゃやってらんねえから、こうなったら何でも知りてえって思ってさ。腹心のアンタなら、オレたちに見せねえ界王の素顔、よく知ってるんだろ?」

 ここでシュウヤは初めて、沙石が初めからそのつもりだったことを知った。つまり、毎週訪れることは分かっているのだから、その機会を狙ってシュウヤを軟禁し、界王の深層心理を吐かせようと思っていたのである。

「さあ、洗いざらい吐いちまいな」

「ヤクザか」

「なんとでも言えよ。吐くまで帰さねえから」

「くっ……」

 シュウヤは全身に嫌な汗をかきつつ、奥歯を食いしばって顔を真っ赤にした。そして、界王の精霊こと飛鳥泰明に初めて逢ったときのことを思い出した。


***


 誰もが避けて通りたい道——それは差別、いじめ、迫害、虐待、事件、事故、病、戦争、あげればキリもないが、シュウヤが最も避けて通りたかったのは、偏見である。

 この世に初めて生を受けたのは地球で、イギリスの片田舎だった。敬虔なクリスチャンの家に生まれ、大切に育てられた。

 亜麻色の髪、紺青色の瞳。

 祖父が日系人だったことから、名はシュウヤと付けられた。勉強も運動も人並みにこなし、品行方正といえる人間で、気の合う仲間とじゃれ合い、極めて平凡で幸せな少年時代を送ったのだ。

 ところが思春期を迎えた年の頃。重大な問題が浮上した。それは同性にしか興味が湧かない、という心と身体の問題である。

 心が女なら、それはそれでどうにか納得できたかもしれない。しかし女になりたいわけではない己が、なぜ男を好きなのかということになると、さらに複雑である。それでなくとも同性愛は、政治的にも宗教的にも禁じられている。シュウヤの悩める青春時代を救うものは何もなかった。


 そんなシュウヤに転機が訪れたのは、十六歳の冬だった。ギリシャからの留学生がシュウヤの通う高校に数人来ていて、そのうちの一人と親しくなったのだ。二つ年上だったが、シュウヤより小柄だった。いや、十六ですでに一八〇センチの長身だったシュウヤから見れば、周りはほとんど小さかった。

 そしてその留学生は、体格のいいシュウヤに興味を持っていた。

「僕、そっちの気がある子は分かるんだよ」

 留学生は言い、シュウヤに関係を迫った。シュウヤは恐ろしくて始めは拒んでいたが、やがて誘惑に負けた。それから初めての相手に夢中になった。

 だが別れはすぐにやってきた。留学期間が終了し、相手はさっさと国へ帰り、そのまま音沙汰なしになったのだ。

 シュウヤは諦め切れず、バイトで金を貯め、十八の春、ギリシャへ飛んだ。背は一九八センチまで伸び、より男らしい骨格にもなった。一緒になっても守りきれる自信があったのだ。

 しかしギリシャで待っていたのは、絶望だった。彼はほかの男と暮らしていて、シュウヤを覚えてもいなかったのだ。

 つまみ食いをされただけと悟ったシュウヤは、傷心で故郷へ帰り、大学へ進み、卒業した。そして就職。ただそれだけの人生を送った。恋もできず、ひたすら仕事をしては家に帰る。無味な生活に疑問をもつこともあったが、どうしようもないのが現実だった。

 だが、どんなに同じ毎日が繰り返されようと、時は巡るとともに思いがけないことも運んでくる。

 当時シュウヤが勤めていたのは、活版印刷所だ。

 その日、インクの匂いが立ち込める作業場から出てちょっと一服していると、事務をしている女性が声をかけてきた。ひとつ上の、髪の綺麗な美女だった。

「今日、仕事が終わったら食事でも行かない?」

「あ、ああ」


 その夜、食事を終えて酒を飲んでいると、彼女は言った。声は小さく、震えていた。

「あの、私、実は今、つきあっている人がいて」

「うん?」

「お、女の、人なの」

 シュウヤはなんとなくそんなことだろうと思っていたので、あまり驚かなかった。この頃になると、自分に気があるかないか、異性に興味があるかないか、勘で分かるようになっていたのだ。

「それで?」

 彼女はパッと顔を上げてシュウヤを見つめた。

「バレそうなの、親に。お願い、助けて」

「俺に? どうしろって?」

「恋人のふりをして」

「なんで」

「あなたもアレなんでしょ? 分かるわよ。ねえ、同胞を助けると思って、お願いよ」

「おいおい」

「きっとあなたにもメリットがあるわ」

「どんな」

「いい人、紹介してあげるから」

 シュウヤはしばらく無言で彼女を眺め、グラスの酒を飲み干した。

「わかったよ」


 シュウヤは「結婚を前提にお付き合いしている恋人」という形で彼女の親に紹介された。関係を疑われていた彼女の女も男を連れていて、

「私たち、大の仲良しでしょ? お互いにいい人が見つかったら、一緒に式を挙げましょうって約束してたの」

 と両親に打ち明けた。彼女の両親は諸手を上げて喜んだ。疑いが晴れた上に、めでたい話まで舞い込んだのだから当然だ。

 この時の彼女に、罪悪感がなかったと言えば嘘になるだろう。それはシュウヤにも分かっていた。しかし「同性愛者です」と告白するよりは遥かにマシだったはずである。なにしろ法の前では有無を言わせず有罪なのだ。地位も名誉も財産も、家族も、なにもかもを失う——まるで殺人犯だ、とシュウヤは胸の内で皮肉に呟いた。


 それからシュウヤは彼女と結婚した。むろん偽装だ。彼女の女も同様だ。二人は結婚という事実を盾に、会いたいときに会い、愛し合いたい時に愛し合った。

 シュウヤはしばらく彼女の女の結婚相手と付き合ったが、長続きはしなかった。シュウヤは目立たないが癖のない顔で、スタイルも悪くない。加えて二メートル近い身長は受けがよく、相手に不自由しなかったせいもある。だが一番の原因は、存外飽きっぽい性格のためだ。

 ギリシャの男を二年も想っていられたのは、離れていたからだろう。きっと一年もそばにいれば、やっぱり飽きてしまったに違いなかった。

 また逆に、相手に去られることもしばしばあった。嫉妬深く短気だったからだ。

 性癖にも人格的にも多く問題を抱えていたシュウヤの人生が、不毛でなかったというのは難しい。なんの実りもない行為を繰り返し、三十も過ぎれば、周囲も変わる。若い頃ほどはモテなくなったし、親からは孫の催促をされる。逃げ場は唯一、町外れの地下にある小さなバー。そこは同性愛者が世間の目を盗んでパートナーを探すオアシスだった。

 その晩もシュウヤはバーに立ち寄り、一杯ひっかけていた。あちらこちらで囁き合う声が聞こえるが、シュウヤは一人だった。

「ここも五年以上経つなあ。そろそろ場所、変えたほうがいいかもな」

 店のマスターが言った。警官から嗅ぎつけられる前に逃げたほうがいいという意味だ。

「あんたも大変だな」

「なに。また店かまえたら、来てくれよ」

「ああ」

 そんな会話をした矢先、急に出入口が騒がしくなった。警察の連中が押しかけて来たのだ。店内に緊張が走った。

 警官はマスターの前に詰め寄り、言った。

「経営者だな。おまえと、ここにいる客全員、逮捕する」


 シュウヤの手も後ろに回った。何日も拘留され、母親が引き取りに来たのは、一ヶ月もしたあとだった。

「父さんは、あなたの顔を見たくないと言っていたわ。このままどこかへ消えてちょうだい」

 出所した直後に母親は言った。その声は震えている。

「なんて親不孝なの。あなたなんて、生むんじゃなかったわ」

 涙ながらに訴える母親に、シュウヤは何も言えず立ち去った。偽装結婚した女はすでに恋人と国外逃亡したあとだ。シュウヤは方々を転々とし、どこへも落ち着けずにさまよった。

「本当の愛なんてあるわけない。母の愛すら、この難問を越えられなかった。この世は不毛の塊だ。自分を正常だと言い張る連中ですら、結局は己の欲望を満たすためだけに生きている、同じ穴の狢じゃないか」

 晩年は孤独死したが、それは覚悟の上だった。女と結婚し、子を育て、孫の顔を見る。そんな世間の基準にそった人生を送っても、死ぬ時は独りだ。後悔はなかった。

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